第伍話
「我ら民衆の為の戦いじゃ!」
三日月の月光に照らされた売士谷に、塊協半の声が響く。
夜陰に500の盗賊たちはざわめいた。そして
「いよいよ今夜か!」
「12万に突っ込むのか!」
口々に喚いていた。
谷の様子を眺める揆朋楓は大きな口を歪めている。
「騒ぐのも無理ないさ。あたしだって身震いするもの。」
「そうだね。俺は今回の作戦が怖いよ。」
横に立つ塊案は腕を抑えて、初夏の夜に震え、兄に似た幅広な鼻を膨らませている。
谷の反対側には土考と閂滔登が並んでいる。二人は無言でただ立っていたが、鬼神の如き佇まいで、近寄る賊もいない。
堕叉は灌木に登っていた。枝に長い脚をぶらつかせながら、口を尖らせてやはり盗賊どもの反応を見ている。
(塢宜の演説はうまくいって、こいつらを何とかここまで引っ張ってこれた。だがここで士気が上がらなきゃ、折角の完璧な奇襲策もオジャンだ。)
余りに脚を振ったために体勢が崩れて下に落ちそうになり、慌てて幹にしがみついた。
(頼むぜ、『褐剣髯』)
塊協半は続ける。
「塢宜で言った通り、いま、この大地は無能な領主が支配し、俺ら民衆からごっそり、税を取りあげて儲けてやがる。」
ざわつく者はまだいるが、真摯に耳を傾ける連中もいる。まるまると肥った懸厘は乳房の前に腕組みし、口をへの字に曲げて黙って聞いている。螂廈は140cmの短躯で精一杯背伸びして、塊協半の姿を視界に入れようとしている。だが、
「螂廈、そうまでして聴く話でもねえぞ」
隣に立つ主人の壜係重に言われ、小さな舌打ちとともに踵を地に下ろした。
「10km先の坦陸の城中で青色吐息になっている壘渋しかり、その壘渋を包囲している穣北の余所者もしかり。名君だの、王様だの言われても所詮強奪者だ。」
「あんたもおれらも盗賊だろう?」
誰かが茶々を入れたが、
「馬鹿野郎、俺の悪事で泣かした人間はせいぜい1万人だ。だが奴等無能領主は桁が違う。泣かせている民衆は」
塊協半は褐色の髯を揺らし、
「7,000万だ!」
即座に言い返して、座が静まった。
これに対して堕叉は木の上で癖っ毛を掻きあげ、
(7,000万は10年以上前の人口だな。黄翼山噴火後は大姚31州で5,500万人くらいの筈だ。)
声には出さず、心中で茶々を入れた。
「坦陸を包囲している連合軍を穣河の北に追い返し、そして壘渋も追い出し、城を獲る!」
「待てい!」
いよいよ出陣前に一同鯨波をあげようという時に、壜係重の甲高い声によってまたしても話の腰が折られた。だが、不思議と塊協半は不機嫌ではない。
「何だ、壜係重?」
「何度も言った筈だ。美獣の連合軍は12万だぞ。坦陸だって、その連合軍が4月から囲んでまだ陥せない堅城だ。その両方を相手にこの500人でやっつけようなんて無謀だろうが!」
「お前が気にしていた閂滔登が100人連れて来てくれたじゃないか。」
「いや、そのかわりわしの手勢100がここで抜けさせてもらう。おい、お前ら塢宜に帰るぞ ― 」
「貴様!」
急に女の声が壜係重の宣言を遮った。
声の主は螂廈だった。
壜係重は肩を怒らせ、威勢よく怪気炎を上げた途端に、すぐ横に立つ自分の腹心に凄まれて驚愕した。螂廈は糸のような眉を引きつらせ、三白眼で壜係重を睨み上げている。
そして、
「出陣前だというのに、何故士気を落とすか!」
言うや、抜刀して跳躍、空中で身体をひねりながら一閃、主人の首を刎ね飛ばした。
出っ歯を剥き出した首が鮮血の尾を引きながら舞い上がり、盗賊たちは口を開けてその軌道を仰ぎ見、やがて首は彼らのど真ん中に落ちた。おおー、と悲鳴なのか感嘆なのか、盗賊たちはどよめく。
首の無くなった壜係重の遺体が肩を怒らせたまま、どう、と倒れた。螂廈は小さくて華奢な脚で、それを踏みつけ、刀を頭上に振った。
「いたずらに兵を惑わす者は、この螂廈が馘る!」
この突然の出来事に皆呆気にとられていたが、一人塊協半はご満悦の様子だった。それに気づいた堕叉は、(褐剣髯が手を打っていたか)と、灌木の上で顎をさする。
揆朋楓は猛禽の如きギョロ眼を見開いて、
「螂廈、よくやった!」
と唾を飛ばす。その一言は谷間にこだました。
「これで正真正銘、あたし達の勝利が決定だよ!」
「そうかなあ、壜係重の言ってたことも一理あると思うけど」
塊案がつぶやいたが、声も小さいし、昂奮している揆朋楓には全く聞こえていない。
荒くれ達500は、夜空に一条の尾を引いた鮮血の極彩色が網膜に焼きついて、揆朋楓と同様、唾を飛ばして興奮し、
「出撃だ。」
「追い払うぞ」
「城を狩るぞ」
喧々囂々、匪賊どもの咆哮で谷間は満ちていく。
塊協半は喜色満面、
「よおし!」
赤ら顔に褐色の髯をジャラリと鳴らし、皆に告げた。
「お前ら、今夜で人生変えるぞ!」
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22時。
売士谷に一人の偉丈夫が駆け込んできた。そして、
「嗚呼、くそっ。皆んな行っちまったか?」
にわかに焦燥している。
土哭であった。
馬を乗り継ぎ、また馬無ければ己れの足で走り、はるか塡保からの250km超、夜通し駆けてきた。袖を千切った上衣は擦り切れて、剥き出した丸太の如き二の腕は初夏の夜に汗でびしょ濡れである。
だが、兄達が待っている筈の隠れ谷はもぬけの殻となっていた。仮小屋や残飯、ボロ布などが散乱し、ついさっきまで盗賊がいた気配が残っていたが、肝心の仲間たちが最早誰一人いない。
足元に転がる使い古しの革鎧を拾って、羽織る。
「間に合うか、決戦に」
180cmに近い長躯を踊らせ、東南の獣道に分け入っていった。
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その頃。
諜者の運程跌が、増習林の樹間に潜んでいる。
(ちっ。そろそろ、ここにお頭たちが着いちまう。)
視線の先には、紺の長袍に身を包んだ女がいた。
女は月光射さぬ暗闇の林道を静かに偵察している。
(何であいつが今、こんな所に?)




