其ノ参 ― 褐剣髯起動
この短編の時期は、5年後の眞歴1806年1月。
本編の1年半前の出来事となる。塊協半はすでに22歳の立派な成人となっている。
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「くそう。あんな賊に手傷負うたあ、州王正規兵の名がすたる。」
「いや。お前、俺たちは平民部隊だから正規兵じゃないぞ。あとお前、先月まで流賊だったじゃないか。ヒト月じゃあ、お前はどっちかといえばまだ賊だよ。だからケガするのは当然だよ。もともとお前は弱いんだし。」
真新しい包帯を右手に巻いた若い雑兵が、その向こうの若い雑兵にひどく明確な指摘をされて、苦い顔をした。
間近に座る堕叉はこれを見てへへ、と笑ったが、右の塊案は雑兵の包帯姿を心配そうに見ている。
坡州北部、穣河にほど近い堝相限。
郊外に広がる草原が、地平線に昇る旭日に照らされ、その茫漠とした姿を現した。同時に坡州王軍の宿営も浮かび上がったが、広大な視界の中でいかにも頼りなげに見える。
そしてその宿営に屯する兵士たちの一割強が包帯を巻き、何らか負傷しており、昨夜の戦闘相手が夜盗団だった割には被害が大きい。寝転ぶ兵士も多く、眠っているのか、ケガで動けないのか、ひょっとして死んでいるのか、よく分からない。
「死ななかっただけましだぜ。あんな逸機の突撃命令じゃあな。」
堕叉は燗を啜りながら、塊案の青い横顔に言ってやる。顔が青いのは堕叉もそうだが、堕叉の利かん気強そうな刃物のように直線的な鼻筋に比べて、塊案の幅広な鼻はのっぺりとしていて、正反対な性格が顔相に現れていた。
「屍体安置の営所に行ったけどさ、44体あったわよ。」
正面に座る女兵士、揆朋楓がことも無げに言う。彼女は180cmに迫る巨体に、猛禽のようなギョロ目と肉感的で大きな口を載せており、戦場の華として申し分ない風貌である。
「は。気の強え女だな。夜中に見に行ったのかよ。死にたてホヤホヤの奴を、なに?44体?」
「堕叉みたいなひょろひょろじゃ、屍鬼が襲ってきたら一たまりもないだろうね。そこいくとあたしはほら、こちらの豪傑さんと背が一緒なのよ。」
「土考と揆朋楓が並んで構えてたら、屍鬼も生きた心地しねえだろうな。」
揆朋楓に肩を掴まれてる土考は、堕叉の言葉に針のような目を更に細め、鎧の如く筋肉をまとった体を丸めながら、笑った。
それを本当に生きた心地もなく見ているのが、塊案である。
そして鼻をほじりながらそれを見ているのが、その兄、塊協半である。真っ直ぐのびた褐色の髯が硬い為に、幅広の鼻に入れた人差し指をひねる度に、じゃらじゃらと音を立てた。
(塊案は鼻といい、顔立ちが兄貴によく似てるけど、性格はかけ離れているな。)
堕叉は、白く細い指で癖っ毛をかき上げ、あくびを一つした。
眞暦1806年1月、坡州王培梅の正規軍が出動して夜盗軍を破ったが、王府が自ら動かねばならないこと自体、この地域の治安の悪さが知れる。
(坡州だけじゃなく、穣界はどこも一緒だろうけどな。)
州王軍の正規兵たちは、近くの夜盗が籠る砦にほどなく追撃をかけるらしいが、堕叉たちが属する平民部隊は今日一日休みを告げられている。
「堕叉よ、ゆっくり休もうぜ。難しい顔してねえで。」
塊協半に言われ、思いに沈んでいた堕叉は驚いて、少し体をピクつかせた。
手元の燗を見て、こぼれずに済んだのを確かめると、ぐびっと一口あおり、
「協半、坡州を獲れんじゃねえか?俺たち。」
ぽろりとそんな言葉が口をつき、続けてまたあくびをした。
今度は塊協半が驚いたようで、髯を少し、じゃらりと揺らした。
「坡州を?」
「要は火事場泥棒の要領よ。」
堕叉はもともと話し好きだが、酒と、戦闘後の興奮のため、それにしてもちとしゃべり過ぎかな、とは思う。
しかし、話を止める積りは無い。
「妖天みたいな遊び人が天下を獲った。これは、とんでもないことだぞ。いよいよ何でもありの世の中になったんだよ。この先、とにかく狡い奴じゃないと生き残れねえ。」
隣の包帯雑兵が怪訝そうに見ている。
しかしそれも関係無い。酔った勢いでぶちまける。
「まず坡東にいる壘洗の子孫はダメだな。単なる年増の姫様よ。」
「壘渋がかい?『一字閃』坤斧を擁して、最近は州王を凌ぐ勢いじゃないのよ。」
揆朋楓が指摘するが、堕叉は言下に退けた。
「だめ。部下に優秀な軍事専門家がいるってだけだ。妖天もそうだが、行政機能が脆弱なのよ。あのおばさんじゃ、この乱世は渡れんな。」
「じゃあ、培梅様の方がいいってのかい?最近、壘渋に押され気味だったけど。」
「培梅もだめ。あれも同じ、年増の姫様さ。」
土考が岩山のような体を更に丸め、あっはっは、と笑う。自分たちは正規兵ではないとはいえ、培梅は一応主君筋ではあるし、そもそも天下の坡州州王だ。それをたかだか21歳の平民が呼び捨てにし、悪口雑言を吐いたら、下手をすれば処刑される。隣の包帯兵もいよいよ注目している。
しかし土考は、臆面なく辛口を披露する堕叉の胆力に、笑ってしまったのである。
「州王だから行政府は一応機能してるが、領内の治安が乱れ過ぎだ。州王自身も、州王府もそこそこ賢いけども、狡くはない。この穣界で生き抜く為の厳しさが決定的に欠けている。」
ここで堕叉は声を低め、
「俺らはどうだ。戦闘力は申し分ないな。この巨大なお二人が居る。」
と、揆朋楓及び土考を指差した後、自分の胸に親指を当てた。
「狡い奴もいるよなあ。ここに。」
「分かった。部将も謀士も確かに居るな。だがお前が言う行政を任せる奴はどうだ。龍鱗の役は居るのかよ。」
土考が楽しそうに言う。
「居るんだよ、一人。同い年の女でね。」
「ああ。右のことでしょ。今、塢宜に住んでるわよ。しかし、あんな夢みたいなこと、本当になるのかな。」
揆朋楓は大柄な肩を揺らし、少し探る目をした。
その時。
「ん。行けるかも知んねえな。」
塊協半が軽くつぶやいた。
褐色の針金のような髯を頬にじゃらじゃらさせながら言うと、揆朋楓がはっと振り向いた。口調は何気ないが、大きな一重目は大きく見開かれ、何かに憑かれているように見えた。
「おめえら今から寝ておけ。で、起きたらすぐ塢宜に戻るぞ。」
弟の塊案が、兄の様子を見てあからさまに怯えている。一方で堕叉は、
(褐剣髯、何か考えだしたな。)
と、こちらは喜色を隠そうとしない。
「おお、そうか協半。じゃあ、軍から俺らの委託料もらっとくわ。」
そしてここで、わざと周囲に聞こえるように大声で言い放った。
「なあ。ここで戦仕事しても何にもなんなそうだしなっ!」
これを聞いて包帯の雑兵が、ひっ、と身を引いた。
塊協半は、と言えば、声を出さずに表情だけ豪快に笑っている。
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文中、妖天という人物の名が出たので補足する。
この短編の一年前、この人物による「妖天謀洛」という事件が出来した。
1805年の4月、妖天なる人物が取り巻きを連れて地元妖州を出発した。そして各地の州王や豪族を騙しに騙し、にわかに5,000人の大軍を編成して大姚帝国の都に雪崩れ込んだ。そして皇帝の女懿以下、帝国の主要部は丸ごと乗っ取られてしまったのである。
妖天は、妹が妖州王媼蠱の側室だったものの、当人は一介の遊び人で驚くほど軽薄な人物だった。こんな男に乗っ取られてしまった巨大帝国も情けないが、上洛の途中で口車に乗り、ほいほいと兵を貸してしまった諸侯も、世間の批判にさらされた。
出発地点の妖州王媼蠱をはじめ、闔州西部の豪族・閃言彫、闔州王・閥養、坡州東部の豪族・壘渋、秦州王穂泉煎、庇州王・尼竺などが嘲笑の的になった。
詳細は別稿に譲りここでは触れないが、紊乱の極まった象徴的な事件なので概要だけ紹介した。
堕叉が言うように、何でもありの世の中になったのである。




