第弐話
「ん?晴れてきたぜ。」
ボロ布の覆いの下で堕叉が立ち上がり、布をはね上げて外に頭を出した。彼の正面に座って丹蔵平原の地図に見入っていた塊協半も、顔を上げる。
「本当か。」
「ああ、本当だ。そしてやり手の諜者さんが息切らせて走ってくるぜ。」
「運程跌が息を切らせるなんて珍しいな。」
塊協半の褐色の髯が擦れて、ジャラリと鳴った。
売士谷の盗賊団宿営地。
14時、初夏の日差しに谷全体が照らされている。実に8日ぶりの晴れ間である。荒々しい賊徒たちは伸びをしたり、はしゃいだり、嬉々としていて、存外可愛らしい。
その只中を一陣の風の如く、諜者・運程跌は駆け抜け、一直線に塊協半たちの汚い幕営に走り入った。
「連合軍、明朝6時に坦陸城へ総攻撃!」
「おお、美獣め、ついに仕上げにかかるか!」
運程跌の報に、堕叉は唾を飛ばして喜んだ。そして塊協半は、眼前の地図を指差した。坦蔵平原が描かれている。
「となりゃ、明朝の総攻撃に備え、自然と城側へ注意を集中させる訳だ。」
「だな。あれだけの大軍だ。皺馬丘の上から南麓、渤軍陣地にかけて展開するだろう。」
「はあ、既に皺馬丘の南麓に兵が溢れ、北麓には、はあ、展開ありません。」
運程跌が息も切れ切れに、口を挟む。堕叉はぽんぽんと運程跌の肩を叩き、
「さすが!ちゃんと偵察してるな。」
褒めてやると、ボロ布の天井を見上げてまた唾を飛ばした。
「渤因の奴ら、今夜は皆んなして城の方を向いて寝るんだぜ。やっとこの戦いが終わる、明日はついに楽しい屠城だ、ってワクワクしながらな。」
「違えねえ。明日の総攻撃に備えて、奴らの就寝は早いはずだ。堕叉、今夜は」
「三日月の夜だ!」
心得たり、とばかりに堕叉は叫び、塊協半もニヤリと口の端を上げた。
「だよな。だから、俺らは丘を北から襲う。」
「おお!」
運程跌は我が意と整合して感嘆した。堕叉も青い顔の頬だけを紅潮させ、食いつかんばかりの表情だ。
そして塊協半は幅広な鼻を膨らませ、こちらもまた気が昂ってきたようである。
「今夜は三日月だからこれまでよりも明るい夜となる。とすれば、連合軍は坦陸からの夜襲にさほど警戒しない筈だ。意識があってもせいぜい城の方向、皺馬丘の南側だけ。つまり」
「北麓はガラ空きだ。そして、火矢をたっぷり持って行こうぜ。」
堕叉はとにかく嬉しそうだ。
「そうだ。皺馬丘の上には、火計の為に大量の油が運び込まれている。北側斜面の守備隊を突破したら頂上に駆けあがり、火をつけて白い狼煙を上げ、南麓に降りる。そして」
「渤軍の陣営を襲う。」
「その通りだ、堕叉。そこにも火矢を注ぎ込んで火攻めだ。そうやって連合軍を陣地から追い落とせば、謫徒が坦陸の城に入れてくれるだろうが、それじゃつまんねえよな。」
「ああ、つまんねえ。」
「折角なら美獣と号炸蹉蹉の命を獲りてえな。」
塊協半と堕叉がずっと温めてきた策である。二人は奔流のように言葉をぶつけあっている。運程跌は、果たしてこのまま皺馬丘北麓が無警戒のままなのか、気にかかっているが、首脳の二人は構わず策を講じ続ける。
堕叉の直線的な鼻筋が、冴え冴えとした陰影を際立たせ、
「奴らが逃げる方向は東方。墳翳丘陵を越え、墳上河を渡河して領国へ向かう道程をとる筈だ。となると、ここ」
地図の一点に人差し指をズン、と突き立てた。
「ここに址細径というのがある。ここでやっちまいたい。」
址細径。
南北に長々と隆起している墳翳丘陵の只中を、東西に横切る細い地峡である。地図には克明に描かれ、何事か細かく書込みもされていた。
「堕叉、去年お前は一人で見に行ったな。」
「ああ。だけどもう一度現場を見ておくわ。で、この方面は新手の土考と閂滔登にやらせよう。」
「残りの400は坦陸城内に入る。」
「白い狼煙を見た謫徒が中から開けてくれる寸法だな。」
ここで運程跌がばさ、と城主府の地図を開いた。洗王殿や中講堂、東西両棟等、中枢区域まで精緻に書き込まれている。
「ここまでよく調べたもんだぜ。」
「はあ、揆朋楓さんから脅迫されて、大変だったんですよ。」
塊協半は運程跌の肩を抱いて慰めつつ、邸内図を睨みつける。
「兵隊どもには略奪はさせず、一気に城主府に突っ込んで壘渋を討つ。」
「壘渋本人は居住区の洗王殿か、宮殿内にいくつか作ってる秘房に隠れるでしょうけど、第3層の回廊は主導線から外れているから、恐らくここの房室に入るでしょう。」
「ありがてえことに城内の目ぼしい武将は全部、連合軍が掃除してくれてるからな、戦闘らしい戦闘もなく一気にそこまで辿り着けるだろう。」
ここで塊協半は虚空を見つめたが、ほんの一瞬のことで、すぐ思いついたように発言を続けた。
「で、俺が坦陸の城主になるっつう寸法だ。その後すぐ昱右を呼んでやろう。」
「あの」
また運程跌が口を挟んだ。
「皺馬丘の北側がガラ空きになるかはまだ分かりません。よく調べるんで、もし連合軍が展開したらすぐ報せます。」
「そうだ、そこは肝要だな。頼むぞ。」
今度は塊協半が運程跌の肩を叩き、鼻息荒く立ち上がった。
「よし決まった。これで、獲ったぞ!」




