第九話
朝。
「よっく御覧じろっ。これが欄三秀の首だ!」
大渤帝国龍牙たる号炸蹉蹉は、曇天の下、威勢良く叫んだ。
坦陸南縁に構えられた坦下門の前で、連合軍は昨夜討ち取った欄三秀の首を晒した。台上に緞子を敷き、その上に死化粧した首が置かれていた。長髪も綺麗に洗われ梳られている。勇将に敬意を払った扱いではあるが、城壁上からこの様子を見下ろしている城兵たちの表情は強張っている。
「坦陸最後の勇将は死んだ。この城はもう終わりぞ。連合軍は降伏する者を粗略にしない。はやく皆、降りたまえ!」
号炸蹉蹉は、サラサラした生首の長髪を指で弄びながら、城内に呼びかけた。
6月19日の朝から、坦陸城内は混乱をきたしていた。号炸蹉蹉が言う通り、欄三秀は坦陸最後の勇将で、最早まともな武官は城内に残っていない。坦陸城主府は当然のこと、城民たちもその重大性は知悉しており、城内全域に衝撃が広がっていた。街はざわつき、家々は公然と逃亡の支度を開始していた。
城主府も大騒動となっている。
「軍備総監の蘭政丕、因州王美獣に内通のため、捕縛しました!」
中講堂に治安総監の塲岺が駆け込み、蓑虫のように雁字搦めにされた蘭政丕を床に転がした。
「なんと!」
堂奥の瀟洒な椅子に身を埋めていた壘渋は俄かに半身を起こして、たるんだ頰肉を揺らし、
「政丕、お前までもが!」
と、沈痛に慨嘆した。横に立つ謫徒は、杏仁型の眼は優しげなままに騒動を見つめ、主君とは対照的に感情の起伏を見せない。
恰幅良い腹をさすりながら、塲岺はくしゃくしゃな泣顔で、しかしはっきりと言う。
「残念ですが間違いありません。連合軍の諜者に欄三秀殿の夜襲計画を伝えたのです。この者が証言します。」
右手のない、しかしがっしりした吏官が塲岺の背後から入室してきて、語った。
「昨夜20時過ぎ、私は欄三秀将軍の命を受けて武備廠へ赴き、軍備総監に矢の支給を申し出ました。その時軍備総監の様子が何やらおかしかったので、隊に復命したあと廠に引き返したところ、軍備総監は院子で女商人と会話していました。ただ内容は聞こえませんでしたし、二人ともひどく警戒しており、見つかる可能性が高いと判断し、私は程なくその場から退去しました。」
ここで塲岺が引き取った。
「渤軍の勝鬨が聞こえて夜襲の失敗が確定した際、私はこの者と城主府で邂逅し、報告を受けました。夜襲の失敗が早かったので情報漏洩を疑っていたものですから、私は武備廠に急行し、私の権限で廠内を捜索した結果、蘭政丕がこれまで内通した文書を押収しました。また、昨夜会っていた者が因州の諜者だと白状しました。」
「そ、それでは『黄焔弓虎』を殺したのは政丕だということか!」
壘渋は唾を飛ばし、椅子から重い尻を浮かす。それに対して、床に転がされている蘭政丕は顔の半分を黒髪で隠したまま、やけに落ち着いていた。
「この城は終わりですわ。それはウンと前から決まってたのです。昨年、一度降伏した、あの時に。こんな小勢力が単独で生きられる時代ではないのですよ。それが分からない―」
わざとらしくため息をつき、
「それが分からない婆ァと、心中する気は無いですわ。」
唾を吐きかけた。それは壘渋までは届かなかったが、老城主を怒らせるのに十分だった。
「斬れ!塲岺よ、政丕を馘首して、その頭を坦下門の外に投げ捨てよ!」
「は、はっ!」
塲岺は、埼執を断頭した記憶もまだ消えぬのにまた閣僚を斬らねばならず、泣顔が更に歪んだ。しかし、いきり立つ城主に対して拒否も出来ず、即座に佩剣を抜き、
「内通の大罪者、蘭政丕よ。治安総監の塲岺が壘渋城主の命を受け、馘首する。」
と告げて、蘭政丕の首を落とした。
生首は長い髪に包まれながら転がり、さながら黒い毛球のようであったが、回転が止まった時に髪の間からカッ、と開いた片目がこちらを睨んでいて、塲岺などは
「ひっ」
と震え上がった。
7時、雲の向こうに弱々しい朝日が昇っている。
「城内の士気は地の底に落ちました。」
皺馬丘の諜者詰所で、吐紹握は坦陸城内の様子を報告した。
「つい今しがた、蘭政丕は内通が露見して断頭され、その首は坦下門に投げ捨てられました。」
「あらら、お前の重要な情報源が失なわれたわね。」
報告を受けていた諜報長の回酩が、欠けて尖った八重歯を見せて笑った。しかし吐紹握はにこりともせず、
「いえ、程なく落城でしょうから奴は不要です。あんな気持ちの悪い女ともう会わなくて済むんですからね、逆にすっきりしてるくらいで。」
頭頂で縛った長髪を猫じゃらしのように弄っている。
「散々手柄を立てさせて貰ったろうに。ま、そんなんじゃあ、あたしらは城内に潜入し放題ね。」
「治安の面では、東街区治安総監の墸竟が戦死した後、西の総監である塲岺が臨時で兼務してましたが、正式に就任しました。まあ凡人ですから、全城に目を光らせることは出来ず、いよいよ統制が弛緩してます。」
「でも、落城目前とはいえ油断禁物よ。ここんところ、大暸や秦州の坑幼が暗殺されてるし、城方もいよいよ窮鼠になってるんだわ。」
なぜか分からないがこの時、吐紹握は反駁しようとした。が、言葉が出てこなくて、殷紅に染めた唇をキュッと噛み締め、気持ちを呑み込んだ。
13時。
塊協半の諜者、運程跌もまた、
「欄三秀の首が晒され、坦陸から脱走が相次いでます。城兵も城民も。」
と、主人に報告していた。
丘に挟まれた売士谷は、曇天の下で暗く沈んでいる。
しかし頭領の塊協半は、この報の前に笑顔だ。彼は剣の如く硬い褐色の髯をジャラリと鳴らして、宙を睨み、
「もう、美獣も仕上げにかかるだろうよ。1日、2日泳がして、中の奴らを脱走させて。」
運程跌の顔に視線を合わせた。
「21日あたりに総攻撃かな。」
その頃。
「回酩から、坦陸内部の報告が入りました。」
皺馬丘の連合軍本営で、美萊峩が美獣に同様の件を報告していた。
美萊峩の鈴のような声が営内に渡っていく。
「今朝晒した欄三秀の首を見て、坦陸城内はいよいよ士気が地の底まで落ち、脱走兵が続出しています」
「城内の統制は。」
「東西街区の治安を塲岺が統轄していますが、能力が低くて統制は弛緩し、城兵、城民とも簡単に城抜けしている状態です。」
「城主府は」
「蘭政丕はこちらに情報を流していたものの、軍備総監の任務には忠実でした。彼女が断頭され、城主府には閣僚級が殆どいなくなりました」
「残りは壘渋本人と塲岺、謫徒くらいだな。孫娘はまだ子供だしな。」
美獣は少し宙を睨み、
「ここまで来て焦る必要はないが、晒し首の効果が薄れるのも惜しい。明日号炸公の了承をとり、明後日城に突入する。」
美萊峩に告げる。美萊峩は首を傾げた。
「お。ということは、穂泉煎には知らせず?」
美獣はそれには答えない。
獰猛な笑いを浮かべ、それきり黙った。
21時。坡州中部の小市、塡保。
ここは、螂殊段の家の中である。
細い蝋燭に照らされながら、土哭は最後の説得を行っていた。
「三巨熊が世に出る好機なんだぞ。」
6日前の失敗にも諦めていない。袖を千切った上衣から剥き出した丸太のような両腕を広げたり、縮めたり、大仰な表現で兎も角必死であった。それに対して螂殊段はいたく懐疑的である。
「もう、塊協半は突っ込んでるんじゃねえのか。」
「突っ込んでてもいい。戦が終わった後でもいい。」
「馬鹿な。戦に遅れたら意味なかろうに。いや、それ以前に勝てる訳がない。此間も言った通り、渤因秦連合12万を相手に何百人かで挑んで勝てる筈がない。いやいや、よしんば勝ったとして壘渋が雇ってくれるかどうかも分からんぞ。」
「大丈夫だ。とにかく一緒にきてくれ。お前たちがいればどれだけ助かることか。」
「いや、土哭よ。悪いことは言わん。お前も俺らと一緒に塡保に残れ。坦陸に行ったら、犬死しちまう。」
螂殊段は話しているうちに不安要素をどんどん思いついて不安になっていくし、土哭も眼を目一杯見開きながら着々と論理性を失っていく。二人は互いに唾を飛ばしあい、大声でしばらく話したが、話は平行線どころか、
「こっちはお前の為を思って言ってるんだ!」
同時に互いの胸ぐらを掴み、喧嘩となった。そして額をぶつけ合い、螂殊段がその怪力に物を言わせて土哭を放り投げ、土哭は吹っ飛んで派手に家具を破壊しつつもすぐに立ち上がり、跳躍して螂殊段の頬をぶん殴った。しばらくそのように二人で取っ組み合っていたが、やがて
「ふん、もう頼まねえ。俺たちが一方の雄になっても吠え面かくなよ!」
そう叫んで土哭は出て行った。
その直後、家の奥からガタリと音がして、二人の人物が現れた。その内の180cmを超える巨漢が、地を這うように低い声で呟いた。
「土哭め、塊協半の為に命を捨てる積りなんだな。」
「地獨、聞いてたか。」
姓は地、名は獨。
螂殊段、魏同舞隷安とともに「塡保三巨熊」と称される豪傑である。虎髭をジョリジョリと撫でた後、ピカピカに剃りあげた己れの頭を撫で始めた。
「おお、聞いた。舞隷安の話だけだと半信半疑だったが、直接聞くと分かるな。やはりあれは本気だ。殊段、まさかお前、姪に泣きつかれて、塊協半に肩入れする気になってねえだろうな。連合軍は12万だぞ、そんな戦場にたかが数百の愚連隊が殴り込みかけてなんになる。」
「螂廈とは縁が切れてる。お前や舞隷安と同じだ、俺はこの話に関わらねえ。壁に卵をぶつけるようなもんだからな。」
「塡保三巨熊」は三人とも同い年の31歳、立派な成人であり、この二人も腰に手を置いて分別顔で議論している。
それに対して、
「坦陸に行けばいいのに。」
と、もう一人の人間が呟いた。
地獨の長男、地十である。この時まだ12歳で顔はあどけなく、高い鉤鼻にも鋭さはない。だがこの父にしてこの息子あり、身体は既に大きく、上腕は既に女の腰ほどもあった。
「十、てめえ。」
「お前みてえな餓鬼が口挟むところじゃねえ。」
分別のついた「巨熊」たちがこれに噛みつく。ただでさえ世の動きに目敏い野盗たちだ。明らかな負け戦にむざむざ飛び込んでいく目出度さ等ある訳がない。
だが子供には子供の、直感がある。
「親父も殊段のおっさんも機を逸したな。一気に武官となれる千載一遇の好機だったと思うぜ?これで一生盗賊の身分から逃れらんねえな。」
地十は、顔を真っ赤にした父から拳骨を喰らう。その一方で螂殊段は、頭突きを受けて流血している広い額から血をさかんに流しながら、土哭が出て行ったまま開け放たれている扉を、呆然と見つめていた。
螂殊段の家を出た土哭は、塡保の町外れまで来ている。
辺りは闇に包まれていた。
(しくじったか)
己れの生まれ故郷で、幼い頃から気心知れている連中を仲間にしようとして、失敗した。
(兄者に怒られる。)
螂殊段の言った通り、もう塊協半たちは勝負を掛けているかもしれない。
(戦が終わっているかもしれない。)
もう、いても立ってもいられなかった。
「間に合ってくれえ!」
太腿の筋肉が隆起し、土哭は夜の平原に飛び出していく。はるか東の戦場目掛け、豪傑が一人、疾走した。




