第八話
深夜23時。
雲厚く、丹蔵平原は視界が利かず、真っ暗な闇に包まれている。
黄と緋の鮮やかな鎧、馬上で風にたなびく長い髪。
「黄焔弓虎」欄三秀の代名詞たる煌びやかな武者姿は常と変わらぬ。だが、この闇夜にそれは判然としない。
徒立ちの100名が彼に続く。
欄三秀は後ろを振り返りたくなったが、耐えた。
(坤斧様、わしは死ねますか)
彼の背後には、己れの我儘に付き合ってくれた精鋭100が行軍している。そして、そのはるか後ろに先ほど飛び出してきた坦下門がそそり立っている。
馬蹄が荒野の石を踏み、鞍が揺れた。欄三秀は足の無い右側で踏ん張れず、左脚で鐙に突っ張り、手綱を引いて何とか耐えた。その瞬間、傷が治りきっていない右脚の切断面に激痛が走り、また身体の各所がきしんだ。
「大丈夫ですか」
後ろから訴模比が駆けつけた。
だが、
「しっ!」
欄三秀はこれを退けた。
夜襲である。
隠密の行軍が必須だから、統率者たる欄三秀の態度としては至極自然だが、しかし彼の表情は苦痛で歪んでいた。
訴模比は何も言わず一礼し、後ろに下がった。欄三秀がこの夜襲を企てた理由を知っているから、闇の中に見せた苦悶の表情にも合点が行くし、だからこそ訴模比の目には涙も滲んだ。
静かなる奇襲隊は闇の中を駆けた。
(渤軍だ)
欄三秀は眼前に張られた大渤帝国陣営の黒々とした輪郭を認めた。9日前に敢行した夜襲の時と同じ光景である。
彼は鞭を振り上げ、
「突っ込むぞ!」
左脚で馬腹を蹴った。先頭を切って駆ける。将軍を討たせるな、と付き従う100も剣を振りかざして全速力で続く。
佩刀を抜いた欄三秀は早駆けしながら、丸く大きな眼を皿のように薄く絞った。
(やられたか)
大渤帝国の陣営が、真っ黒な巨大生物の如く蠢いた。不寝番がこちらに気づいて反応したのなら、戦闘態勢をとれるのは前衛部隊に限られる筈だ。か程に全軍が動けるはずがない。
つまり渤軍は、欄三秀の夜襲を事前に察知し、全軍が迎撃準備をしていたのである。
(なれば冥土へ、たっぷりと道連れさせてもらうか。)
渤軍は矢を射かけてきたが、夜襲隊の突撃が速く、また篝火も焚かない闇の中でもあり、殆ど矢は当たらず、一瞬後には白兵戦となった。
訴模比は大音声、戦場に告げた。
「『黄焔弓虎』軍見参!」
そして、陣の後方に退こうとしていた渤軍の弓兵を二人、背中から袈裟懸けに斬って捨てた。
渤軍の中で、明らかに動揺が広がった。例え迎撃準備をしていたとしても、9日前に夜襲でやられ、また6日前には坦下門で狙い撃ちされた、あの脅威の「黄焔弓虎」が襲来した事実は、渤軍にとってはやはり脅威だった。訴模比の布告は渤軍将兵の耳に重く響いたのである。
渤軍は夜空に狼煙を上げた。
「ここまでは手筈通りだわ。だけどねえ。」
渤軍の中に、ほっそりとした鎧武者が軍配を左に持って立っている。
その眼前で夜襲隊が大立ち回りし、自軍の将兵が次々と討たれていた。彼女は少し太い笹の葉のような眉をくい、と上げ、紅唇を噛んだ。
大渤帝国都相代、夕路尾綬である。
夜襲の情報が事前に入り、全軍の就寝を遅らせて準備した。突撃を受けたらすぐに狼煙を上げ、同じく皺馬丘の裏で準備している因州軍も即座にここへ駆けつける手筈である。
(『黄焔弓虎』が強過ぎる。)
これも手筈通り渤軍は篝火を一斉に点けた。途端に戦場は昼のように明るくなり、夕路尾綬は素早く夜襲隊の兵数を見積もった。100前後と見える。
(こっちはもう数十討たれてないか?)
うおお、と耳元で雄叫びがし、夜襲兵が斬りつけてきた。夕路尾綬は咄嗟に反応し軍配でこれを受けると、即座に右手で佩剣を抜いて、敵の股をぐっさりと刺し抜いた。
乱戦となっている。
「因州の援軍到着!」
さすが因州軍、動きが素早いわね、と夕路尾綬も一安心したのも束の間、何者かが、
「『一字閃』坤斧推参!」
と、叫んだから堪らない。
恐らく夜襲兵のでまかせだろうが、ただでさえ猛将「黄焔弓虎」の奮闘振りに動揺しているところ、その数倍恐ろしい坤斧の名前を出されては、迎撃側の精神的な衝撃は途轍もなく大きかった。
数で圧倒的に上回る迎撃側は、籠中の寡兵にかえって噛みつかれ、攻めあぐねている。
これを見て、針の如く尖った細い目を更に吊り上げ、
「情けないわね、いつまで『一字閃』の亡霊に苛まれているのよ!」
そして軍配を投げ捨て、夕路尾綬は馬に飛び乗り、右手に剣を掲げて駆け出した。
「大渤帝国都相代、夕路尾綬よ!『黄焔弓虎』、私と勝負しなさい!」
颯爽と乱戦の中に駆け入る女武将に、夜襲隊も目の色変えて斬りかかってきたが、これを跳ね返し、斬り伏せ、彼女は巧みな馬術で歩を進めていく。そして、彼女の配下も走り寄り、取り巻いた。
程なく、右脚のない馬上の武将を見つけた。
「聞こえたぞ、都相代。」
「黄焔弓虎」欄三秀であった。彼は腰まである長い髪をボサボサに振り乱し、黄と緋色の鎧はあちこち損傷し、その隙間から滝の如く血が流れていた。
「よしよし、勝負しよう。」
こちらを向いてニヤリと笑った顔は、
(幽鬼のようだ。)
思わず鳥肌が立つほど壮絶で、この世のものと思えぬ凄みを放っていた。
互いの馬が駆け寄り、激突する。刃を合わせること十合、
(手負いの者の何処にこれほどの力が?)
夕路尾綬は当惑し、再び欄三秀の顔貌を見た。
(そうか、既に死んでいるのか。)
彼の大きく丸い眼は、瞬きもせずカッと見開かれているが生気がなく、口角をあげたまま口元も固まっており、まるで演劇の面のようだった。
やはり幽鬼か、なれば私に勝機は無いじゃないか、と慄然とした時、欄三秀は顔めがけて一直線に突いてきた。
「うわっ」
夕路尾綬は死を覚悟したが、十数本の矢が欄三秀の腕を貫き、その勢いで剣を握ったまま腕がちぎれ飛んだ。夕路尾綬配下の弓隊が、中距離から一斉に射出したのである。
「ありがとう!」
俄かに満面笑みを浮かべ、夕路尾綬は欄三秀の首を馬上に刎ね、頭上に高々と掲げた。
「夕路尾綬、『黄焔弓虎』欄三秀を討ち取ったり!」
10m程離れたところで、訴模比はこれを聞いていた。6人の敵に取り囲まれている。
「欄三秀様、見事な散華でしたぞ。ご希望成就、祝着にございま」
言い終わる前に、6本の刀剣が訴模比の身体を串刺しにした。
おおー
勝鬨の声が夜の平原に響いている。
(そうかあ。)
揆朋楓は、荒野に腹這いになって激戦を見学していた。
見張りの兵たちが戦勝の輪に加わろうと自陣に戻っていくのを確認すると、ゆっくり立ち上がってその場を後にした。
(迎撃態勢が整っている連合軍相手に、たった100人でここまでやれるのね。)
鳴り止まない勝鬨の声を、背中に聞く。1km先の坦陸城にも届いているだろうが、恐らく断腸の思いで聞いているだろう。だが、一介の野盗に過ぎない揆朋楓には、両軍の思惑など関係ない。快活に笑うのみである。
(うふふ。あたし、何でもできる気がしてきたわ。)




