第七話
6月18日夕刻。初夏の夕暮れは厚い雲に覆われ、暗い。
「身体の動く内に散りたい。」
坦陸城の迎坦門楼閣内。
欄三秀は丸く大きな眼を、異様にギラつかせている。
「お城の為に耐えられませぬか。」
椅子に座って対面している訴模比が応える。
欄三秀は、太腿の半ばから失われて付け根に残った僅かな右脚を、しきりに撫でていた。
(傷が治りきってないのに。あんな無理をされるから、悪化したのだ。)
しかしあえて訴模比はそちらを見ず、視線を欄三秀の大きな眼に合わせたままである。
ここは広い宴会場なのだが、二人の他は誰もいない。籠城戦になってからはめっきり使われなくなり、卓や椅子がひっくり返ってかしこに塵埃も舞う有様、たった数ヶ月でちょっとした廃墟のたたずまいである。
「あの辺りだよ、坤斧様が大立ち回りされたのは。」
「え?」
欄三秀は顎をしゃくった。房内でも上座の方、今は艶が消えガサついた石床があるだけだ。
「去年の10月、宴席で嗷号と困士甜を手玉に取ったという、あれですか。」
「そうだが。そうか、お主はその場に居らなんだか。」
「は」
「それは済まぬ。いや、あれで我らの溜飲がどれ程下がったか分からん。壘家がここまで城を持ち堪えているのも、連合軍の網膜にあの時の坤斧様のお姿が焼き付いて離れぬからだと思っておる。」
「左様かもしれませぬ。坦陸が堅城とは申せ、これ程の兵力差がありながら、連合軍はいまだ陥せてない訳ですから。」
「坤斧様への恐怖心が拭えぬのだ。」
欄三秀はふと、言葉を切った。
訴模比は少し待ったが、上司が黙りこくってしまったので、堪らず聞いた。
「どうしました?」
「訴模比、餓鬼みたいだが許せ。俺は今晩玉砕する。」
声が震えている。
「俺は、坤斧様と一緒に死にたかった。」
屈強の武人が、泣いていた。
――――――――――――――――――――
「夜襲?」
蘭政丕は驚いた。長い前髪で顔の左半分が隠れていて、晒されている右目の方が丸くなった。
「はい、『黄焔弓虎』将軍が。なので矢を中心に頂きます。」
「数は」
「100。」
ここは武備廠、坦陸城内にある武装等の制作を行う施設である。20時になんなんとする夜、軍備総監たる蘭政丕はここで残業していたのだった。
そこへ欄三秀は使いを寄越した。袍をまとった吏官だが、右手がなく、もとは武官だったようで、体も逞しい。
(100か。欄三秀程の豪傑が決死の突撃をするってのにそれしか兵を付けられないのね。6日前に大軍を見事撃退した勇将なのに、なんともったい無い。さすがの「黄焔弓虎」でも、たった100では失敗は明らかだわ。)
この時蘭政丕はあらわな右目を薄くし、虚空を見上げて考え込んでいた。使いの兵はその様子を不審げに見ている。この期に及んで矢の拠出を渋るのか、と勘繰ったのである。
「軍備総監。欄三秀様の悲壮な決意です。どうかご理解下さいませ。」
「坤斧将軍の時のことを思い出してしまって。ごめんなさい、出陣前に言う話じゃ無いわね。」
そして、蘭政丕は右目をこすった。
「分かったわ。現場の兵士がそうまで言うなら、私も感傷に浸ってられないわね。矢を持って行きなさい。将軍はこの城に残された最後の宝刀、必ずお守りして。」
「ありがとうございます。」
「ご武運を」
兵士は退室する時に首をかしげていたが、蘭政丕はそれには気づかず、ひどく忙しなく席を立った。
(吐紹握を呼びましょう。)
虚空を見上げていたのは、連合軍へ情報を流すかどうか、考えていたのである。こすっていた右目に当然涙は無く、ただ使命感に燃え充血しているだけであった。
――――――――――――――――――――
22時。
揆朋楓はまた夜の丹蔵平原をふらついている。
(本当、真っ暗ね。)
見渡す限り闇。今夜も雲は厚く、月も星も無く、視界は闇に閉ざされている。
だが彼女は野盗あがりだ。
(ふふふ、いるわ。いるわ。)
夜目が利く。
彼女の目には兵団の展開が映っていた。大地にゆっくりと伏せ、物見する。
場所は美獣軍の本営、皺馬丘の北麓。続々と丘の上から、因州軍の将兵が降りてきて、麓に整然と陣どっていく。また、揆朋楓から数十m離れた所に兵士が単独で点々と立ち、闇の平原を見張っている。
(こんな夜更けに何だろう。)
揆朋楓は肉感的な大口をへの字に曲げ、地に伏せながら首をひねる。兵の一人一人が皆殺気を高めており、臨戦態勢なのが感じられる。
(月も星も無い夜。まさか―)
揆朋楓は見張りの兵に見つからぬよう、気配を消してゆっくり立ち上がり、夜風のようにその場を走り去る。
程なく、彼女の姿は1kmほど南西に現れる。
ここでも多くの将兵が粛々と動いていた。
(渤軍も警戒態勢か。)
大渤帝国の援軍は、連合軍で最も坦陸城に近い最前線に陣を張っている。篝火も焚かれていないため、完全な闇に沈んでいて、外からは分かりにくいが、小さなさざ波の如く諸隊に指示が行き渡っていくのが感じ取れた。またやはり見張りの兵が随所に立っており、いかにも緊急事態である。
揆朋楓はここでも、ひっそりと大地に伏し、
(こりゃ、夜襲の情報が入ったな。)
渤軍を見習って囁いてみた。
その頃。
坦陸城の南、坦下門。
「いくぞ」
欄三秀が低く号令し、門扉が開け放たれた。




