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東狩獲城  〜『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第参章  雌伏売士谷
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第四話

 6月16日。

 今日も暁光は雲に隠され、坡州の曠野(こうや)は朝だというのに薄暗い。

 来る日も来る日も変わらぬ黄土平原の風景に流賊は飽きており、引率する塊協半もまた、寝ぼけ(まなこ)のまま馬上に大あくびをしていた。

 と、そこへ、

「お待ちしておりました。」

 急に耳元に囁かれたから驚くしか無い。

「うっ?」

 咄嗟に振り向いた塊協半の目は、街道脇の灌木によじ登った運程跌の姿を見つけた。

「な、なんだ。お前か。」

「ついにここまで来ましたな。」

「お。おう。運程跌よ、早朝からご苦労。」

「恐縮です。ところでお頭、ここはもう近いですぜ」

「売士谷まで」

「わずか10km。」

「そうか」

 言うや塊協半は、胴間声で全軍に告げた。

「いよいよ目的の地が近づいた。もう少しだぞ!」


 運程跌が道案内し、一行は最後の行軍をした。売士丘陵の西側から丘に分け入り、杣道(そまみち)をつらつらと押し通った。標高は低いものの起伏に富み、黄土の上に灌木がそこそこの密度をもって生えている。皆、息を弾ませながら坂の上下を繰り返し、昼頃、狭い谷間に到着した。

「来たぜ、売士谷。」

 塊協半は、幅広な鼻を更に膨らませている。

 彼は昨年の4月にここへ来ている。

 100m四方の狭い窪地で、周りを丘陵に囲まれ、北西と東南とに獣道が一本づつあって外界との出入りはここに絞られる。

 感無量の塊協半に運程跌が話しかけた。

「お頭、昨日ここへ(ねずみ)が入りましたよ。」

「なにい。どっちの鼠だ。」

「連合軍。美獣の手の者でさ。」

「それで」

「消しました。なんで、大丈夫です。ここは奴らには知られてません。」

「遺体は」

「増習林に捨てました。」

「良くやった。鼠の遺体を見たら連合軍は、壘家に()られたと思うだろうな。せいぜい混乱してもらおう。」

 塊協半は硬い髯をジャラリと鳴らし、嬉しげに口角を上げた。


「ここに泊まるのかあ。」

 球のように丸い身体で弾むように歩き回りながら、懸厘は谷をきょろきょろと見回している。

「美獣に見つからないと良いけど。」

 谷間には丈の高い草がぼうぼうと伸び広がり、所々に灌木も生えている。だから見晴らしは利きづらいが、谷に入られたら400人を隠すのは無理だ。

 懸厘の柔らかい肩に、揆朋楓が手を置いた。

「見つかる前にさ、こんな息詰まるとこに何日もいられないよね。」


 離れた所に堙撞殃が、呆っ、と立っている。その巨体は、体力自慢の盗賊どもの中でも目立つ。

「おおー、ついに坦陸だあ。大きな街に入れるんだあ。」

 そう言って、ぐっ、と伸びをした。他の連中は流石に長旅の疲れが色濃いが、この男の太鼓腹はいよいよせり出て、健康この上ないようだった。


――――――――――――――――――――


 その頃。一人の若い女が増習林の林道に立ち尽くしていた。

「だ、大暸」

 因州の諜者、吐紹握である。彼女は殷紅に染めた唇を微かに震わせ、頭頂で結んだ長い髪が林を抜ける風に靡いた。

 膝を折り、同僚の遺体を抱き起す。

(濡れている)

 死体の髪は生乾きで、黄色い砂粒が無数にまとわりついている。首に無残な真一文字の裂傷があり、ともすれば首が落ちてしまいそうな程深かった。昨日雨は降っていない。付近で濡れるような所は、

(坦水?)

 吐紹握は小首を傾げる。あの川で殺して何故2kmもわざわざ運んだか。誰が殺したか、それは壘渋の手の者以外あるまい。坦陸城は絶対絶命だが、最後の悪あがきで諜者を一人屠ったか。

(まだまだ諦めてないぞ、ってことね。しかし契寿、どうするよ。)

 吐紹握は懐から畳んでいた嚢を取り出し、遺体を入れて担ぐと林を後にした。女と言っても訓練を受けた諜者だ。その両太腿は太く、重い嚢を背負っても足取りは軽くて、程なく皺馬丘の営所に着いた。


「その背中の嚢はなんだい」

 連合軍諜報を統括する回酩は、椅子の上で組んでいた脚を解いて、身を乗り出す。

 嫌な予感がするのか表情が曇り、欠けて尖った八重歯が唇から覗いている。吐紹握が

「大暸の遺体です。」

 と報じるやいなや、天を仰いだ。

「やはり殺られたか。」

 そして嚢の中を確認する。吐紹握は片眉を上げて、訝しげに問う。

「やはり?と言われますと」

「いや、あたしは昨夜、そいつを探しに出た。」

「そうでしたね。」

「増嶼渡の辺りで気配を感じたんだよ。」

「じゃあ、その時に。」

「そうね。残念ながら気配の源を特定できなかった。だけど、その時にはもうこいつは坦水の中で死んでたんだろうね。」

 回酩は嚢の中に手を突っ込み、遺体の髪の毛をくしゃくしゃと搔きまわす。その毛はまだ湿っていた。

 吐紹握は頷いている。

「殺ったのは壘渋の手の者でしょう。」

「他にいないね。培梅はもうこの地には手を出さないだろうから。」

 回酩は尖った八重歯を剥き出して、苛立った。

「壘家の諜報方にはもう辰留躊くらいしかいない筈だけど、これは、それでもまだまだ諦めてないって意思表示だ。川の中じゃなくてあえてそこそこ人通りのある増習林に置いたのもそのためだろう。」

 殆ど吐紹握の考えと一致していたが、

「あ、そうだ。」

 と、ここで彼女は小首を傾げた。

「そうだ。大暸が死んだこと、契寿に伝えます?」

「契寿に?」

 回酩の顔はにわかに剣呑(けんのん)になり、

「絶対駄目よ。」

 と、吼えた。

「契寿の奴、餓鬼のくせに大暸を(たら)し込みやがって。嚇凛婆がこの戦線から退()かせてくれたから、丁度良かったよ。大暸の死は連合軍の諜報において大打撃。そんな重要な話を、任務から外れた者に話せる訳ないだろう?」

「御意」

 吐紹握は深く頷くと、後ろに飛び退った。その瞬間憎悪に似た表情を浮かべていたが、回酩は気づかなかった。

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