其ノ弐 ― 壘家史概説の講義
次の短編は、丁度6年後の1801年11月。
舞台は塢宜の街から東へ200kmほど離れた坡州東部の要衝、坦陸。本作の中心地となるこの大城市で、時代背景等を講義している少年がおり、読者諸氏の理解を助けることにもなると思われるので、その様子を短編として掲載する。
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「さすが壘魍さま、飲み込みが早い。」
少年はさらさらした前髪をかき上げながら、真っ白な歯を光らせて笑った。
坦陸の北奥に城主の府があり、広大な敷地にいくつもの御殿が並ぶが、そのうちでも城主一族が起居する洗王殿の中で、つつましく一つの講義が行われている。
「壘魍様がおっしゃる通り、そこで塔藩籍公は大姚帝国から独立され、闔州にて後閔を建国されました。眞暦1523年ですから、今から278年前のことですね。」
少年はそう言うと、眼前に座る幼女の顔を覗き込んだ。
「しってるぞ。そのトウハンセキ公の家来だったのが、わたしのご先祖のルイセン公だ。」
幼女は白面の頬を薄桃に染めて、少し興奮していた。己れの知っている話に及んで来たからだ。
幼女の姓は壘、名は魍。
坦陸城主、壘渋の嫡孫である。この時、6歳。
少年は壘家の侍童で、姓を謫、名を徒といい、この時若干17歳。家庭教師として城主の嫡孫に歴史を教えているのである。
謫徒は、小さな壘魍に目を合わせながら、
「さすが、よおくご存知ですね。そう、壘魍様のご先祖の壘洗公は後閔の第二大臣、『龍牙』の職にございました。」
つとめて優しい声色を使い、歴史の講義を続けた。
「その後、後閔は奮闘し、一時は坡州、秦州まで拡大しますが、漠方の親玉である虞倶霊王・林寓Ⅲ世に西から攻められ、滅びてしまいました。壘洗公は、塔藩籍公の本軍とは離れていて寡兵でしたが、林寓Ⅲ世は壘洗公の勇猛ぶりにいたく興奮し、しきりにその名を知りたがったといいます。」
「後閔の滅亡は何年だ。」
「眞暦1530年。後閔は7年の命でした。」
「わたしの家はルイセン公が死んじゃったあとどうなったのだ。」
壘魍はとても6歳とは思えぬほど飲み込みが早く、質問も矢継ぎ早で、謫徒はなだめるように、一層優しく話を進めた。
「はい、そうですね。気になりますよねえ。その後、壘洗公の四女・壘傘沙様が坡州坡路で教職に就き、以後世代を重ねていくに従い、地所も持ち、坡州に根ざしていきました。」
「姚にとってはルイセン公は敵だったはずだろう。どうして暮らしていけたのだ。」
「林寓Ⅲ世の賞賛が効いたのです。砂漠の国の王が激賞した壘洗公は英雄となり、大姚帝国も、坡州の人達も壘洗公の子孫たちを尊崇こそすれ、粗雑に扱うことはありませんでした。現在の大姚帝国皇帝、女硯帝も当家に格別の配慮を下さっています。」
「そうか、我が家は特別なのだな。」
「そうです。壘魍様のお家は素晴らしい家なのですよ。」
謫徒は、ツンと尖った鼻梁をそびやかして笑う。
「少しずつ富を蓄えた壘家は、1751年に壘榴隘様が大姚帝国の首試に首席合格して、再び史上にその名を轟かせます。」
「今から40年前だな。」
「そうです。お祖母様、壘渋様のお母様にあたります。」
「さぞかし、みんな騒いだろうね。」
「はい。『あの壘洗将軍の末裔が!』と斐界中の耳目が集中した、と言います。この15年後に、培北朴が坡州王の地位を巨額の金を積んで買いましたが、壘榴隘様は1772年に姚の第十七大臣に就任すると、娘の壘渋様を坦陸の城主に任命させました。培北朴も準殿である壘榴隘様の要請を認めざるを得なかったのですね。」
「それから我が家がこのあたりを治めるようになったのか。」
「そうですねえ。最初はそれこそこの坦陸城を中心とした半径10km程の地域だけを任されていました。ただ、今から8年前の1793年 ― つまり壘魍様がお生まれになる2年前ですね ― この時に斐界中が凶作になって、事態が一変します。」
「『キツバサヤマ』の噴火だな。」
「ご明察。その黄翼山の噴火によって日照時間が極端に減少し、大凶作に見舞われたのですが、坡州王の培梅は州王府の富を温存し、州民の苦難を救いませんでした。治安も悪化、啄飯道の跋扈を黙認。ここ坡州東部にも流賊が溢れて、壘渋様は州王軍の出動を申請しましたが、坡州王の培梅は首を縦に振りません。」
「ひどいではないか。それなら州王府など頼らずに自前の軍でしずめればいい。」
「本当に話が早い!」
謫徒はいよいよ笑い、前髪を掻きあげたまま額を抑えて、天を仰いだ。
「またまた仰る通り。これ以降、壘渋様はご自身の判断で出兵し、坦陸だけでなく、堪比巷、壥強、垓、堵索等の州東部へ影響力を広げました。軍備を増強し、一気に坡州王培梅と肩を並べる兵力を整備したのです。しかし、さすが血は争えませんね。壘魍さまの発想はお祖母様とまったく同じです。」
「去年、培梅をやっつけたんだろう?」
「そうです。昨年1800年、あの当城の誇る猛将、『一字閃』坤斧将軍が、培梅本軍を見事撃破しました。これも」
この時、謫徒は己れの背後に老婆が一人立ったことに気づいていない。
「これも、お祖母さま、壘渋さまの御威光によるものでしょう。」
「謫徒、あまりおばあさま、おばあさま言わないでおくれよ。」
しわがれた老婆の声が背中にかかって、謫徒は驚いた。
「あっ、え。壘渋さま?」
老婆はこの坦陸の城主、壘渋であった。
彼女は、慌てて振り向いた謫徒の頬にしわだらけの手を置いて、
「うっふっふ。私はまだまだ若いわよ。お前もよく知っているでしょうに。」
若き謫徒の瞳を覗き込んだ。
壘魍は、といえば、祖母の突然の乱入に驚きもせず、じっ、と祖母と謫徒のやりとりを観察している。
「壘魍は親兄弟がいなくて可哀想だから、お前が兄となって、諸事教えてあげるのですよ。」
壘渋はこの時56歳、老境に入っているが、若い謫徒を見つめる目は艶々しく潤んでいて、一方の謫徒はそんな主君の姿勢に腰が引けているものの、寵を得ている優越感もまた、見て取れた。
「兄だなんてとんでもない、私は壘渋様に飼われているしがない侍童に過ぎません。壘魍様はとても聡明で、私なんぞが教えられることは、もう、殆どございません。」
「ふふ、口のうまい坊やじゃのう。」
壘渋は爪を赤く塗った人差し指で、謫徒の唇を封じた。
壘魍はまだ6歳。
如何に賢くとも、己が家の歴史は勉強できても、男女のことまでは全く理解不能である。
賢い幼女もただポカンとしている他なく、結局老いた女城主によって、講義は中断された。
坦陸城主府の洗王殿は秋の夕陽に照らされ、街の象徴である十黄旗塔の赤茶色の塔身を背景にして、至極平和に今日という日を終えようとしている。




