第弐話
「どの道、因州王美獣には勝てやしねえ。」
壜係重が、怒り肩を張り出して喚いている。
日は落ち、塊協半たち400名の旅団は黄土平原に野営していた。幹部どもは一つの幕営に額を寄せて集い、行程を確認している。
「そう言うな、壜係重。」
傍らの塊協半が、太い腕で壜係重を肩を叩く。それにつられて真ん中の丸卓に立てたか細い蝋燭が、儚げに揺れた。壜係重の消極性に対し、揆朋楓は鼻先に皺を寄せ、あからさまに不興であり、堕叉は「またかよ」と声もなく呟きながら薄く嘲笑している。
「昨日、その美獣が率いる連合軍を、坦陸の『黄焔弓虎』が撃退したらしいぜ。」
「なに?」
先程、運程跌がもたらした速報で、その場で知っていたのは塊協半の他には堕叉のみ、他の連中は目を見開いて驚愕した。当の壜係重はポカンと口を開いて、出っ歯を庇のように突き出している。
塊協半は、壜係重の肩を叩き続ける。
「だからよ、まだ分からねえよ。瀕死の壘家でもそんなことが出来るんだからよ。」
壘渋は確かに窮地だろうが、それでも俺らの戦力はその数分の一に過ぎぬじゃないか ― そう言いかけた壜係重を、堕叉が冷然と制した。
「壜係重の旦那。閂滔登なり三巨熊なり、加勢が来ない限り、坦陸には突っ込まねえよ。安心しな。」
夜が明け、6月14日の朝。
塊協半の旅団は東を目指し、曇天の下を行軍している。塢宜を出て3日、堪比巷の西南10kmの地点で、高粱畑が一面に広がる中を行く。朝出の農民達は高粱の草に隠れて、息を潜め、この流賊の群れが通り過ぎるのを待っている。
螂廈は左手で馬の轡を取り、歩いていた。広い額にじんわり滲んだ汗は早くも黄土を含んで汚れ、黄色い。
彼女が牽くその馬の鞍上には、主人の壜係重が乗っている。
「へっへへ。親方は熟睡でおられるなあ。」
ふと声をかけられ、螂廈は驚き振り向いた。右後ろに馬上の塊協半がいた。
「昨晩は甕を空けてたからな。弱い奴ほど飲みたがる。」
そう、昨晩、壜係重は首脳会議のあと、自分の営所でしこたま酒をあおったのである。そして今朝の行軍では螂廈に轡を牽かせておき、二日酔いの自分は鞍上に潰れていびきをかいている訳だ。
塊協半は馬を進める。徒立ちの螂廈は、塊協半の馬と壜係重の馬とに挟まれ、背が低い為に外からは完全に隠れた形になった。
「おっと、弱いってのは喧嘩が弱い訳じゃあなくて、酒が弱いって意味だぜ。気を悪くするな。」
「別に、あたしは気にしません。」
螂廈の冷めた口調に、塊協半は硬い髯をジャラリと鳴らし、ピュー、と口笛を吹いた。その目が急激に濡れてきた。
「そうかい。」
塊協半はチラ、と左の馬上を見、よだれを垂らす壜係重の寝顔を確認すると、
「で、親方は最近どうだい?」
存外大きな声で螂廈に聞く。螂廈は、糸のような細い眉を忙しなく動かしながら、右上を仰ぎ見た。
「どう、って。まだ褐剣髯様への叛逆はしてません。」
「へっへへ。まだ、か。じゃあ、近いうちにやるのか。」
「それは分かりません。ただ可能性は高いですね。」
螂廈はもともと囁き声だが、塊協半もさすがに声を落とした。周りには壜係重配下の賊兵がだらだらと歩いているが、二頭の馬とそれに隠れた螂廈が気になりつつも、二人の会話の内容を知る由も無い。
やがて塊協半の馬は離れていき、再び螂廈が姿を現した。馬上の壜係重は変わらず熟睡中である。
壜係重が昨夜呈した不安が残ってはいるが、その一方で旅団の東行は順調に進んでいた。
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豪壮な邸宅が、夕闇に包まれている。
服飾問屋の富豪、塘畳の邸宅である。坦陸城内でも南の端にあり、大商家が軒を連ねる坦彩街の一角にあった。
塘畳邸の大門前に車が付き、そこから若い男が一人、降り立った。
謫徒である。
門番は顔を見知っており、即座に通されて、彼の身体は門に吸い込まれていった。
「金を出してくれ。」
宏大な邸宅を駆け抜けた謫徒は、10分後には上房に辿り着き、主人の塘畳に面すると即、来意をぶつけた。
「え」
さすが酷薄非情な豪商として鳴らす塘畳も、謫徒の明け透けな態度に面食らった。だがそこは政商、前に突き出る太鼓腹を畳んで、脂ぎった禿頭を見せながら、丁重に言葉を繋ぐ。
「何の御用でお使いですか。」
「知れたこと。壘渋様の側近たるこの俺が、お前の家に忍んで来ているんだぞ。この坦陸の現況や如何。」
「12万の連合軍に包囲され、絶体絶命の危機。」
「左様。当城の苦境を救う為に金が要る。」
「東の治安総監、墸竟様が戦死され、頼みの『黄焔弓虎』も酷くお疲れの様子ですな。この窮地に、戦略はお有りで?」
「ふっ。城主府の閣僚にも秘し、壘渋様とわししか知らぬことだが、お前には特別に教えよう。他言禁止ぞ。」
(閣僚、だと?出奔したか、お前と色惚け婆ァに謀殺されて、みんな居なくなっちまったじゃねえか)
即座に心中毒づいて、下唇を思わず突き出したが、そこは政商、話を合わせる。
「決して口外致しませぬ。」
「第三勢力さ。」
「ほう。培梅ですか。」
「それは下策よ。商人ずれにはその程度の策しか浮かばぬであろう。」
「愚昧をお許しください。」
「西方からアッと驚く第三勢力が参るでの、其奴らへの礼金や経費が必要なのだ。また、第三勢力が駆けつけるまでこの城が耐えるための費用も要る。」
「面白いですな。それなら喜んで御用立て致しましょう。明日中に、城主府へお届けいたします。」
謫徒は脂の乗った塘畳の肩を叩き、「さすが話が早いぜ。」
と満面の笑みで、風のように邸を立ち去った。
残った塘畳は卓上の茶碗を侍女に投げつけ、
「さっさと優男が座った椅子を片付けろ、香を焚いて奴の臭いを消せっ」
太鼓腹を突き出し、騒いだ。
「色仕掛けで城主を落とした奸臣め。まったく、たかられるこっちの身にもなってみろってんだ。」
用事を終えた侍女を追っ払い、上房に一人になって考える。
(あいつに言われた額は拠出するとして、連合軍に敗戦後便宜を図って貰うべく、攻城側にも引き続き献金せずばなるまい。後者は本業の利潤を当てるとして、問題は前者だな。)
天井を眺める。極彩色の飾り天井が視界に踊った。
(城外の私領から絞るしかないな。この間勉独様が屠った堪假村も、例外にはできん。)
飾り天井には、鷹や鷲等の猛禽類が、小鳥や鼠、兎等を捕まえる図案で埋め尽くされている。
(お城のためだからな、仕方あるまい。)
そう言って塘畳は、短い脚を荒々しく卓に投げ出した。
いつしか夜となった坦彩街には灯りもなく、墨を流したような闇に包まれている。




