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東狩獲城  〜『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第参章  雌伏売士谷
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第壱話

 土哭は急に後ろから抱きつかれ、

「誰だ!」

 反射的に右肘を背後に旋回させた。


「ふふ。兄貴よりは少し細いけど、やっぱりいい身体をしてるね。」

 だが犯人はすでに遠くへ飛びのいており、土哭の肘は虚しく空回りした。

「阯駒か。」

 諜者の阯駒だった。

 土哭は相手を見て、無邪気に笑う。

「驚かすな。」

 彼は空振りに終わった肘打ちを恥じ、右腕をさすっている。阯駒はと言えば、土哭の右腕が袖を千切った上衣から剥き出しになっているのを見て、ペロリと下唇を舐めた。

「うふふ。朗報ですよ。」


 6月13日の朝。

 坡州塡保の町で活動中の土哭のもとへ、阯駒がやってきたのである。


 阯駒は胸元から書簡を取り出し、土哭の眼前にチラつかせた。

「なんだ、それ。」

「驚くなかれ。壜係重の手下に螂廈って娘がいて、それが螂殊段の姪なのよ。」

「えっ」

「あたしが調べ上げたんだけどね。そして土考さんに許可取った上で、螂廈にこいつを書かせたの。あたしが。」

「でかした。」

 土哭はすばやく阯駒の手から書簡をむしり取り、素早く目を通している。兄に似た狐目は、今は珍しく大きく見開かれていた。

「よおし、姪に頼まれりゃ、螂殊段の奴も首を縦に振るだろう。」

「一応、土考の兄さんが土哭さんの為に考えてくれたのよ。ていうか、ほぼ全般にあたしの策よ、これ。」

「兄者にもよろしく伝えてくれ。じゃ!」

 土哭は弾かれるようにその場を立った。阯駒は土哭の背中に小さく告げる。

「あと、その文章を書いたのもあたし。」

 土哭にその声は聞こえなかったようである。


 塡保の空は、昨日の夕方から出てきた雲に覆われていた。

 土哭は書簡を握りしめて螂殊段の家に駆け込んだ。

「なんだ、こんな朝っぱらから。」

 でっぷりと突き出た腹を揺すりながら、螂殊段が出迎える。魏同舞隷安、地獨(ちどく)と並び「塡保三巨熊」と称されるだけあり、見事な巨漢である。

 螂廈とは、身体の大きさがかけ離れているものの、広い額が相似している。土哭は螂殊段の額をじろじろと見つめる。

「お前、姪っ子に螂廈という奴がいるだろう。」

「螂廈?廈… あ、四番めの弟の娘だ。あいつ、盗賊に身を落としてなあ。それきり会ってないが。廈がどうかしたか。」

 土哭は螂殊段の眼前にパラリと書簡を広げた。

「ほれ、その螂廈が塊協半軍に入るよう推奨しているぜ。」

 土哭は「どうだ」と言わんばかりだが、書簡に目を通す螂殊段の眉間には皺が寄っている。

「関係ねえよ。」

「なぬ?」

 土哭は螂殊段の言葉に目を丸くした。

「関係ない、とは?」

「まず、この姪とは絶縁状態だ。そして言ってる内容が、渤因秦連合軍と壘渋の衝突現場に殴り込みをかける野盗の群れに身を投じろ、と。馬鹿げた話だ。」

「姪の頼みだぞ。」

「だからもう関係ねえよ、螂廈とは。」

「それでも『塡保三巨熊』か!」

「ああ。俺も他の熊と同じ意見だ。その計画には乗らない。さっさと帰れ、土哭。」

 螂殊段は土哭を叩き出した。

 土哭は魏同舞隷安に続き、螂殊段の説得にも失敗した。


――――――――――――――――――――


 その頃。

 美獣は、皺馬丘の幔幕(まんまく)に連合軍の首脳を呼び寄せている。弟の美萊峩、「方鬼娘」困士甜、そして大渤龍牙の号炸蹉蹉の三人である。

 美萊峩が椅子にかけるなり、吐露した。

「まったく、恥を(さら)した私としては何も言えませんよ。」

「私もです。」

 困士甜も同調する。号炸蹉蹉も蕾のように小さな口を開いた。

「当国の帆愚恵繋淹もひどく落ち込んでおりますよ。ただこう言ってはなんですが、欄三秀のあの弓術は、悪鬼羅刹がとり()いたかのような鬼気迫る奇跡の射撃でした。落城と隣り合わせの緊迫感が為せる技であり、窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、一度撤退したのは致し方なし、と思ったがいいでしょう。」

「その欄三秀の力は今後も脅威ですかな?」

 美獣が号炸蹉蹉に問うと、若き龍牙は

「脅威です。」

 即答したが、条件をつけた。

「しかし、昨日のような奇跡を再び披露出来るかは疑問。いまだ片脚での生活に慣れず、疲労困憊(ひろうこんぱき)な筈です。また、啓懲鞍殿が墸竟を討って呉れました。つまり今坦陸には、疲れ切った欄三秀が一人いるだけなのです。まあ、その欄三秀が、あの坤斧のもとで鍛えられ、今や穣界で随一の勇将となっていますから、脅威であることに違いはありません。」

「私も同意ですな。」

 美獣は唸るように言った。

「嚇凛婆さんは坦陸は無力化したという意見だったが、欄三秀の武勇は不確定要素だ。安心は出来ん。」

「因州王」

 美萊峩が長い睫毛を瞬かせる。

「万一の為に退路の確保を。ここまで坦陸を追い込んでいて有り得ないとは思いますが。」

「その配慮は必要だろう。」

「恐れながら」

 困士甜が身を前に乗り出した。

「址細径がよろしいかと」

「坦陸から東へ向かう谷底の小径(こみち)だ。」

 美獣は址細径の存在を知っていた。

「左様でございます。両側が切り立っており、死地ではありますが、この谷を抜けるのが墳上河への最短距離です。ここを渡河した向こうは庇州。現在庇州王尼竺は定州王窶房長(くぼうちょう)に攻め込まれて動けませんから、庇州西部は安全に移動可能、無事に穣北へ帰還できましょう。」

「ここから真北に向かうのは、やはり危険か。」

「穣河まで40km、つい先日まで壘渋が支配を徹底していた土地を行軍するのは危険です。」

 美萊峩が口を挟む。

「撤退が遅れたら、堪比巷から培梅軍が落ち武者狩りに出張ってきましょう。」

「それよ。それが最も恐れる事態だ。」

「如何でしょう、州王。墳上河渡河の準備を美扼温殿にお任せになっては。」

 美萊峩は、美獣の従姉妹である美扼温を推した。美獣の叔父・美踏(びとう)の娘で、因州哥辣の城主である。

「扼温か。万一の準備だけにあいつを集中させるのは勿体無いが、確実にやってくれるだろう。善し、美萊峩から美扼温に指示せい。」


 美獣が立ち上がり、三人の首脳は幔幕から辞した。


――――――――――――――――――――


 昼。

 坂隷城外の坂外窟で、一軒の家が騒がしい。


「頭目。こんなイカレた奴の話を聞いちゃいけねえよ。」

「うるさい。俺は閂滔登と喋ってんだ。」


 閂滔登の根城で、副頭目の盃碁略と土考が怒鳴りあっているのだ。

 そして帰還した閂滔登が彼らの背後で、目を閉じ、腕を組み、石椅子に座っている。口を開かない。

「壘渋帷幄(いあく)の臣である謫徒から、救援要請を受けた。渤因秦連合軍の背後を討つ。是非我らに合流してほしい。」

「救援要請はこの坂外窟にも届いてるが、応じる訳がねえ。だいたい12万と号する連合軍に対して、百だか数百人ぽっちの流賊が突撃したところで自殺行為に過ぎんわ!」

 盃碁略は唾を飛ばす。

「万が一、連合軍に勝ったとして、坦陸で何の成果を得ると言うのだ。」

「成功の暁には、壘渋に仕官できる。」

「壘渋なんて風前の灯、斜陽の勢力に仕えて何とする。泥舟だ。」

「本当の狙いは、壘渋も屠って坦陸をこの手に収めることだ。」

「馬鹿な。」

 土考の言葉に、盃碁略が目を剥いた。瞑目していた閂滔登も目を開いた。目尻は垂れていたが、灰色がかった瞳に凄みがあり、刺すような視線を土考に向けた。土考はその視線を正面から受ける。

「そして支配者達の重しを取り除けて、この大地を民衆の手に取り戻す。我が主、塊協半はそこまで考えているんだ。」

「馬鹿」

「おい」

 盃碁略が同じ台詞を繰り返しかけたのに、閂滔登が声をかぶせた。

「ふざけたことを言うじゃねえか。」

 そして閂滔登は立ち上がる。

 背は低く、身体も華奢(きゃしゃ)である。だが背筋が真っ直ぐで、押されてもぐらつかないような逞しさがある。

「俺も、塊協半も流賊の頭目だ。そんな奴等が、12万の連合軍と坡東の太守をまとめて屠って、さらに何だ、民衆の国をつくるだと。そんな夢物語に我が一党の命を賭けろ、っていうのか。」

「普段、盗人稼業に賭けている命を、今度は城狩りに賭けるんだ。」

 土考は、針の如く細い眼を一層狭めた。

「そこらの小富豪を襲撃してもたかが知れてる。だがこの賭けはその何万倍もの、比べものにもならない見返りがあるんだぞ。」


 閂滔登は再び黙った。

 盃碁略は騒ぎ続け、土考を隠れ家から追い出しにかかる。

「俺はこの命を塊協半の壮図に賭けた!」

 土考は盃碁略に肩を押されながらも、閂滔登に言葉を投げつけた。

 閂滔登はまた石椅子に座って瞑目している。土考の言葉が届いたかどうかは分からない。




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坦陸周辺図

挿絵(By みてみん)



坦陸城内外図

挿絵(By みてみん)



坦陸包囲戦 配陣図

挿絵(By みてみん)

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