第拾話
坦下門は、帆愚恵繋淹の弓隊による斉射で空が夜のように暗くなった。矢唸りが鼓膜を振動させ、脳が揺れる。
だが欄三秀率いる守備軍は、城壁の防護設備たる女墻に隠れ、寄せ手の斉射による被害を殆ど受けない。
欄三秀は椅子の上で薄く笑い、
「威嚇のための斉射か。矢というのはな」
大甕から一本の矢を取り出し、強弓につがえ、ぎっと一気に引いた。
一瞬、止まる。
ぶうん、と弦の音が辺りに響くと同時に、帆愚軍の最前列に居た武将の額に矢が突き立った。
「ぎゃああ」
戦場に断末魔の叫びがこだまする。
「敵を殺すために射つのだ。」
欄三秀は呟き、女墻に隠れる彼の配下たちは、歓声を上げた。
「よし、皆の者。一射一殺!」
そして欄三秀は下知した。
「射出開始!」
途端に、城壁の上の弓隊が矢を放った。よく狙われた矢は高確率で、城壁の下の攻城軍を貫いた。
「くそっ、我らもよく狙え。狙って射つのだ!」
緒戦で出鼻を挫かれた帆愚恵繋淹は、唾を飛ばして吠えた。吠えるたびに、無数の矢が放たれる。
だが仰角をつけて射ちあげる寄せ手の矢は、まったくもって当たらない。
対して、
「一射一殺!」
城壁から射ちおろす守備側の矢は、欄三秀の方針が浸透していることもあり、矢数は少ないが確実に敵勢を削いでいく。
欄三秀自身も、次々に大甕から矢をつまみ上げ、悠々と射っていく。
「ぎゃああ!」
彼がいる楼門の中心線上に立ったものは漏らさず射抜かれた。その遺体は綺麗にまっすぐ並んでいく。帆愚軍を切り裂くように、軍の最前線から後方へ向かって、急速に伸びていく。
その先には ―
「こ、黄焔弓虎」
師団長たる帆愚恵繋淹がいた。彼は、欄三秀がなぜ「黄焔弓虎」という異称で呼ばれるのか、いま肌で感じていた。分厚い攻城軍の後方で指揮をとっている彼の身に、兵の倒れる音がどんどん迫ってくる。
バタッ
バタッ
ついに3人ほど前の武将が首を射抜かれ、欄三秀の弓勢の強さゆえその身体が背後に吹っ飛び、後ろの2人にぶつかり、帆愚恵繋淹は将棋倒しとならぬよう、必死に踏みとどまった。
弓の虎 ―
感じたことのない恐怖に包まれると、
「撤退!帆愚隊、退けっ、後方へ退けぇ」
帆愚恵繋淹は八重歯を剥き出しにして、叫んでいた。
はるか楼門の上で、黄と緋色の鎧を纏った仇敵が、座ったまま、矢をつがえているのが見える。
もうだめだった。
背後の兵卒を押しのけると、我先に逃亡した。
東門では。
守備隊長の墸竟が、城壁の上や門楼を所狭しと駆け回り、「あすこへ射て」「雲梯がかかった、焼け」「長槍で突き落とせ」と矢継ぎ早に下知を出していた。
それを見る啓懲鞍は、
「ふふ、いいぞ。」
と、井闌の上で下卑た笑いを浮かべている。
8m下、自軍2,000の将兵が順調に前進し、被害は出しながらも城壁の各所に取り付いており、守備側も大わらわだった。数台ある井闌から発せられる矢が同じ高さにいる城兵を次々と射殺しているし、東門の門扉には衝車が攻撃をしかけて突破を図っている。
守備隊長の墸竟は城壁の上で声を枯らし、
「井闌の塔身に火矢を突き立てて、早く!渡し板をかけられたらことだわ!」
と、弓兵に声をかけ、今度は門楼に走り、
「衝車には陶弾を投げおろして。門扉を破られたら落城よ!」
と紅唇を大きく開いて叫ぶ。
そんな墸竟の様子を見て、
「よし!」
啓懲鞍は意地悪く笑い、井闌の立て板から身を乗り出して、下の人足に怒鳴った。
「寄せろ!城壁につけろ、全速力だ!」
「ええっ?」
驚いたのは、一緒に井闌の一番上に載っている将兵たちだ。
「啓将軍、そんなことしたら城兵たちに、この井闌を焼かれてしまいます。」
「落っこちてしまいます。」
「死んでしまいます。」
「やかましい!」
啓懲鞍は慎重な周囲に一喝して、火矢が雨のように降る中、井闌を前進させた。
彼らの足元にも火矢が突立ち、
「まずい!」
「すぐ消せ!」
「あちち」
と、対応している間に、眼前に城壁上の守備兵が迫ってきた。
「うわあ、敵だあ!」
「当たり前だろ、ここは戦場だぞ。板を出せ!」
城壁との距離はまだ7m離れており、繰り出された渡し板は3mだから、4mの空隙がある。
「危ないです」
「行ってくる!」
しかし啓懲鞍は狭い籠の中で最大限助走して、火矢の降り注ぐ中、渡し板をたわませ、踏み切った。
地上からはるか8mの上空を飛んだ。落下すれば即死の高さである。
「なんだ?誰か飛んでくるぞっ」
驚く城兵たちの眼前、
ドン
と、啓懲鞍は見事に着地した。
「因州軍、啓懲鞍参上っ」
「なに、啓懲鞍?」
「なんだって?」
乱戦の中、墸竟がこれに気付いた。
「啓懲鞍が来たって?」
そう言うや、駆け寄ってきた。
「おう、墸竟。梟女か。」
「単身で乗り込んだことを後悔させてやるわ。」
挑発する啓懲鞍に、墸竟は剣を振りかざし、躍りかかった。啓懲鞍も腰の青龍刀を抜いて、これを受けた。
火花が散る。
甲冑を着ていてもそのしなやかな肢体がうかがえる墸竟は、動きが速い。それに比べて啓懲鞍の太刀さばきは鈍重である。だが、墸竟が速すぎて、周囲の味方、弓兵や槍兵が加勢できずにいた。啓懲鞍はまた笑った。二人の剣は数十合、この間啓懲鞍の笑いに墸竟は気付かぬまま、蝶のように舞って攻撃し続けたが、少し太刀筋が乱れた時を逃さず、啓懲鞍は力任せに墸竟の剣を払いのけた。
「あっ」
墸竟の剣は頭上に跳ね上がり、彼女の視線が思わずその行方を追った瞬間、
「もらった!」
啓懲鞍は一瞬がら空きとなった墸竟の首を横薙ぎにした。
剣を追うように、墸竟の首もまた東門の上空を飛んだのである。
「ああ!」
墸竟の配下たちは部隊長の討ち死にを目の当たりにして、絶望的な表情を浮かべ、対して啓懲鞍はこの機を逃さず、自軍を東門に雪崩れ込ませようとした。
だが、坦陸全体に銅鑼が鳴り響いた。
「なに?撤退?」
啓懲鞍は目を見開き、四白眼を宙に彷徨わせる。
「啓将軍、全軍撤退です!」
「早く井闌にお戻りください。ほら渡し板をまた出しましたので。」
「5m離れてますが、なんとか乗り移ってください。」
「行きよりも1m余分に離れてるじゃないか」
といいつつ、呆然としている敵を無視して、城壁の上で助走した。
(他の門でしくじったか?)
啓懲鞍の思った通りであった。
坦下門を受け持った連合軍が、「黄焔弓虎」欄三秀の前に惨敗したのである。欄三秀の矢は、帆愚恵繋淹のあとも、困士甜、美萊峩という勇将の部隊を翻弄した。坦下門から南へ約100m、道のようにまっすぐ遺体が列を為していたが、これすべて欄三秀ひとりに射殺された連合軍三部隊の将兵であった。「弓虎」の矢に勇将たちは震え上がって敗走し、他門の攻城軍も含め連合軍は全軍撤退と相成ったのである。
6月12日は晴天のまま、夕刻を迎えた。坦陸の籠城兵は疲弊し切っていたが、黄焔弓虎という英雄の出現で表情は多少なりとも明るかった。
【用語】
雲梯 ―
城壁を乗り越える為の兵器。折り畳み式の梯子を車で移動させ、梯子を伸ばして城壁にかけ、城壁に侵攻する。
衝車 ―
城の門扉を破壊する移動式の兵器。鉄製の尖った槌を振り子状に動かして扉を破る。
陶弾 ―
投擲式炸裂弾。陶器の壺の中に火薬を詰めて作られており、導火線に着火して敵陣の中に投げ込む。




