第七話
「弟は器用なたちじゃない。姪のよしみで何とかさせられんか?」
(やっぱりそうなるわよね。)
土考の反応は、阯駒の予想通りだった。阯駒は舌舐めずりする。
「土考さまぁ。それあたしが螂廈に言うんですかぁ?」
そして阯駒はぽってりとした唇を円くすぼめて不満げにみせる。
土考は武骨この上ない男で、阯駒の態度にただ眉をひそめ、その巨体を揺するだけだ。
「そうだ。何とかしろ。」
「わたしから言うのは大変です。」
「お前から頼んでくれ。」
「では、何かくださいな。」
「なにをだ」
あからさまに面倒臭そうにする土考に構わず、阯駒はぴょん、と跳躍して彼の猪首に手を回し、唇を吸った。
「ぬ、ぐっ?」
さしもの土考も、虚を突かれて目を白黒させた。糸を引きながら唇を離すと、阯駒は、
「こちらを頂きたかったのよ。」
うっふふ、と笑った。
「何をするっ」
土考は流石に腹を立てて、阯駒を八つ裂きにせんと立ち上がったが、その時すでに彼女は土考の眼前から消え失せている。
ものの十分後には既に、阯駒は螂廈の前に座っている。
「ね、ほら。ここに拇印捺して、ここにこれ、この筆で署名して。螂、廈、って。そうそう。」
「でも、伯父とは疎遠なのよ。私が、盗賊稼業に入ってから。合わせる顔がない。」
阯駒は、殆ど螂廈の手を握って、なかば強制的に署名させ、
「何言ってるのよ。螂殊段だって似たようなものじゃん。いや、あっちの方がよっぽど賊だよ。」
そう言いながら、既に立ち上がっていた。
「そうだけど。よろしく伝えてね。」
「あいあい」
返事かどうか明らかでない声を吐いた時、既に阯駒の姿はそこにない。
「塡保かあ」
そう、阯駒は螂廈の伯父、螂殊段がいる坡州塡保へ走ったのである。
狭い自室に残された螂廈は、小さな身体を更にすぼめ、低い天井を見つめる。そして、糸のように細い眉をくい、と上げ、不思議そうに独りごちた。
「しかし、何であたしの筆跡で文書が出来てたんだろう。」
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夕刻。
塢宜の貧民街は蠢いている。
街を仕切る塊協半が号令し、荒くれ400名が街を発つのである。
揆朋楓は、猛禽類のようなギョロ目を朱い夕陽に細めつつ、傍らの塊案に笑顔を向けた。
「なかなか壮観じゃないか。躾のなってない、育ちの悪い馬鹿どもばかりだけど、みんないい面構えしてるよ。」
「そ、そうかなあ。みんな正規兵じゃないし、戦力になるだろうか。」
塊案は兄譲りの幅広の鼻を痙攣させ、ひどく気弱である。
「ふふ、その割には今日までよく逃げずにいたと思わない?」
「まあ、ねえ。」
「塊協半の手勢が300、それに壜係重の配下が100、合わせて400。これに閂滔登の100前後が合流して、あと塡保三巨熊が加勢したら、いっぱしの軍隊になるさ。」
ここで塊案は周囲をキョロキョロ見回しながら、背伸びして揆朋楓の耳に口を寄せた。
「でも、でも、壜係重は危ないよ。」
「ん」
流石に揆朋楓の顔から笑顔が消えた。
自然と視線がさまよい、路地の真ん中で甲高く声を上げる壜係重を発見した。その時、壜係重の顔がこちらを向いた。揆朋楓は慌てて視線を逸らし、
「なんて顔色してんだい、塊案。さっさと厠所に行きな、この門出に糞漏らしてたら、縁起じゃないわよ!」
塊案の肩を上からバンバン叩いた。
周囲の荒くれが笑い、塊案は悲しげに頬をひくつかせながら、揆朋楓の気持ちを汲んで本当に厠所へ走っていった。
横顔に壜係重の視線を感じながら、揆朋楓は高らかに笑ってみせた。
土考は、遠くから聞こえる揆朋楓の笑い声に不自然さを感じながら、塊協半に歩み寄る。塊協半は所々ほつれた粗末な革鎧を着込んでいる。
「褐剣髯。」
「なんだ。」
褐色の硬い髯がジャラリと鳴る。
「俺はここから坂隷に行く。」
「おう。」
塊協半は、背伸びして土考の肩を叩いた。隆々と盛り上がる肩の筋肉で、塊協半の手が弾む。
「頼む。何とか閂滔登を落としてくれ。」
「必ず。」
土考の針の如き狐目が血走っている。400の手勢が500に増加するかどうか、赤児でもその重要性は分かるであろう。土考は、塊協半の壮図について、その成否を逞しい双肩に背負っている。
「いや、物事に『必ず』はねえ。」
「え?」
しかし、塊協半は笑顔である。
「俺は、お前のこの上ない武骨さが大好きだ。たぶん、閂兄もそういうのが大好きだと思う。だからよ、真摯で、かつ堂々としたお前が坂隷に行ったら、閂滔登はお前に賭けるだろう。」
塊協半は、土考の肩肉の弾力を楽しみながら、叩き続ける。
「だがな、俺の読みに反してヤツが靡かねえ場合も、そりゃあ充分あり得る。そん時は、読みを外した俺が愚鈍だっただけだ。」
「そんな」
「8日後だ。」
「え?」
再び土考は聞き返す。
「8日後にヤツを連れてこれないなら、諦めてお前一人で坦陸に来い。」
「8日後 ― 6月、19日。か?」
「そうだ。閂滔登の100人がいなくても、まあ、何とかなる。だが土考、お前がいなけりゃ、戦にならねえ。」
塊協半は太い土考の首根っこに手を回して、なかばぶら下がるようにして顔を引き寄せた。
「いいか、俺が一番必要としてるのはお前だ。」
土考はその巨体を海老のように曲げながら、己れの主人にされるがまま、その言葉に聞き入り、
「わ、かった。」
と、男泣きした。
「では、坦陸で逢おうぞ!」
土考は馬上の人となり、坂隷に発つ。
「おう!お前ら、東へ、坦陸へ行くぞ!」
塊協半もまた、軽やかに馬に跨り、告げる。
塢宜の貧民街に巣食う荒くれどもはその号令のもと、一斉に動き出した。




