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第伍話

 眞暦1807年6月4日。夕刻。

 壘渋は、血生臭い坦椿園から城主邸に戻ると、甥の壘勉独を自室に呼んだ。

「堪比巷へ行きなさい。」

「伯母上、培梅が4月に我らから奪った城ですよ。まさか攻めるのですか?坦陸一城に閉じ込められているこの状況で。」

大物見(おおものみ)よ。4、50人連れて行きなさい。そして城の守りが薄ければ乗っ取りなさい。駄目なら付近から糧食を掻き集めて帰ってきなさい。」

「はっ。」

 壘勉独は上に向いた鼻をぷっ、と膨らませると口元をニヤつかせながら踵を返し、退室した。

「培梅の坡東における支配圧を確認するのよ。」

 壘渋は甥の背中に声をかけたが、恐らくそれは聞こえていまい。


――――――――――――――――――――


 運程跌は、夕暮の平原を飛ぶように歩いている。

 一見すると、ただ煙草の行商人が歩いているだけだが、背景とよく比較して注視すると、常人が疾走するのと同等の速度なのが分かる筈だ。

 坦陸の城を出た時は遠くに見えた売士丘陵も、程なく眼前に迫る。

 丘の麓に崖があり、彼はそこに近づいた。その途端、

「うっ」

 崖下の暗がりから(れき)が飛んできた。咄嗟に身をかがめて避けるが、足元にも飛んできて、どう、と黄土の上に転がってしまう。そして次の瞬間には、何者かに馬乗りに乗られて体の自由を奪われた。

「あはっ、あはは。こんなんじゃ、連合軍の諜者に殺されちまうよ。」

阯駒(しく)!」

 阯駒は若い女で、はちきれんばかりの笑顔で運程跌を見下ろし、抑えつける力は男以上である。しかし、運程跌の手首を握る掌も、腹に押しつけている内股も、いずれも女らしく柔らかい。

「さっき埼執が処刑されたんだってね。」

「う、うむ。坦椿園でな。処刑は公開され、城民まで見物してたから、このことはすぐ各方面に知られるだろうが。」

 阯駒は馬乗りになったまま、報告を促し、運程跌は組み敷かれたまま、不本意そうに城内の様子を伝えた。

「この有事の際に財務総監を処刑するのも愚策だと思うけど、それを公開して執行するんだもんね。壘渋も耄碌(もうろく)したもんだわ。」

「まあな。謫徒なんかはニヤニヤ笑いながら見てたよ。」

「ええ、本当?気持ち悪ぅい」

「謫徒は少年の頃から、壘渋の情夫だったからな。おおかた今回も謫徒が壘渋におねだりして埼執を殺してもらったんだろ。そういや、埼執に『国毒情夫』って言われてたな。」

「いよいよ気持ち悪い。埼執と謫徒は政敵だったの?」

「だろうな。あと、そうだ、美獣の諜者が分かったぞ。」

「へえ。諜者頭目は女の回酩、その下に若い女が二人、吐紹握(としょうあく)と契寿、って体制だったよね。まあ、これまで何人か捕まって死んだけど。」

「もともと、男が一人いるのが分かってたが、さっき名前が分かった。大暸って奴だ。歳は25、26ってところかな。」

「じゃあ、回酩と同年代だね。付き合ってるのかな?」

「短絡的だな。坦椿園では契寿といい感じだったがな。」

「へえ!契寿はまだ13だろ?子供じゃないか。」

「そういや、そうだな。俺の勘違いかもしれん。」

「あたしらは3つしか離れてないからさ。付き合うには最適だよね。」

「付き合う?最適?」

「ねえねえ。褐剣髯には早く伝えなきゃだけど、ちょっとくらいいいだろう?」

「何が?」

「これが」

 言うなり阯駒は顔を近づけ、運程跌の唇を(むさぼ)った。上から押し付ける唇も、胸も、腹も、すべてが柔らかい。運程跌はガサガサの掌で若い女諜者をまさぐった。

(阯駒が塢宜に走るのも、夜道の方が安全だろう。)

 運程跌はそう自分を納得させ、年下の女に蹂躙(じゅうりん)されるに任せた。


 夕暮れの黄土平原は紫苑(しおん)色に沈んで夜の(とばり)が降り、若い諜者の男女は崖下の暗がりで睦事(むつごと)に勤しんでいる。

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