第四話
坦陸で壘渋と壘魍が密議していた頃。
200kmほど西方に離れた塢宜の町では、荒くれたちが紛糾していた。
「いつ飯を食わしてくれるんだ、褐剣髯!」
窓の外、曇天の夜空に星はなく、
(うるせえなあ)
堕叉の感情は陰鬱になるばかりだった。
「もうすぐだ、壜係重。しばし待て。」
(褐剣髯も丁寧に対応しやがって。あんな出歯男、「うるせえ」の一言でいいのによ。)
堕叉は少し大仰にため息をついた。
塢宜の貧民街に石造の古邸があり、そこを「褐剣髯」塊協半は根城にしている。広壮で大人数が起居できるが何分古く、築200年は経ってそうだ。いま邸の中でも最も広い上房に、荒くれどもが集っていた。
「待てるかい!」
壜係重は出っ歯を剥き出して悪態をついている。
「そこを待って欲しいのだ。」
邸の主、塊協半は褐色の髯を撫でながら、壜係重を宥める。
しかし壜係重は食い下がる。
「あんたにも子分がいるが、俺にもこいつらがいる。」
彼は後ろを向く。背後に数十人が居並んでいる。
「あんたの壮図に共感してこの塢宜に来たのが、去年の6月24日だ。もう一年経つ。なのにあんたは起たない。飯もなく、俺の子分たちは賊を続けて食い扶持を稼いでいる。これなら元の駅亭の方が断然マシだった。」
壜係重は肩を怒らせ、唾を飛ばす。
「まだ時期ではないのだ。大事を成すには機を見ねばー」
「今こそ機ではないかっ。」
そして塊協半の言葉を打ち消して叫ぶ。
「穣界は因州王によって席巻されるだろう。壘渋は風前の灯、培梅や閥養といった州王たちも美獣には敵うまい。今すぐ培梅からこの周辺の地を掠め取り、美獣に差し出すのよ。さすれば彼の麾下にて諸侯に列することが出来るだろう。わしには分かる。」
(阿呆か。美獣がお前のような野盗くずれを雇うはずがねえだろう。)
堕叉は壜係重から少し離れ、壁にもたれかかりながら、心中に舌を出しつつ、話を聞いている。
塊協半も、この壜係重の演説に渋面を隠さない。
「美獣は獰猛で冷徹な男だ。俺らのような無頼の徒がいくら土産を持っていっても、土産を取られて殺されるだけよ。」
「まだ何もしないうちに逡巡ばかりか。」
壜係重は毛むくじゃらの腕を大きく広げて、呆れた様子を見せた。
「そもそも決起の準備は進んでいるのか。閂滔登はまだこの町に来ないじゃないか。塡保三巨熊との交渉はどうなっているんだ。」
この時、背後に立つ小さな女が糸のような眉を顰めた。壜係重の腹心、螂廈である。塊協半がその様子を気に留めたが一瞬のことだったので、この微妙な場の雰囲気に壜係重は気づかず、盛大に愚痴を続けた。
「この壜係重一党100名が合流した後、兵隊が一人も増えとらんじゃないか。本当にわしらを食わす気があるのか。美獣の攻勢を見て腰がひけたんじゃないのか。」
壜係重一味がゲラゲラと笑う。やにわ、塊協半の隣に陣取る揆朋楓ががたっ、と席を立ち、壜係重に躍りかかろうとしたが、そのまた隣に座る土考に制された。
塊協半は渋面のまま、言う。
「しばし待たれよ。まだ機は熟さぬ。」
(うちの御大将は我慢強いのか、それとも本当に腰抜けなのか。)
土考に口を塞がれてフガフガと暴れる揆朋楓を尻目に、堕叉は皮肉な笑みを浮かべる。騒がしい上房の中で、堕叉は思考を続ける。
(壘渋が寄越した招待状。あれに乗るにはもう少し人数が要る。土考・土哭の兄弟の交渉次第で、その「機」が訪れるか、否か。)
小城市、塢宜の夜が更けていく。
――――――――――――――――――――
明けて6月4日。
坦陸は朝から騒然とする。
「坦陸財務総監の埼執は、美獣に内応し、妄言で皆を惑わし、城内を撹乱したる罪、万死に値する。本日昼、坦椿園にて斬首する。」
壘渋自ら、埼執の罪状を読み上げた。
「壘渋様!讒言を信じなさったか。謫徒にたらし込まれたか!あの国毒情夫に!」
暴れる埼執は、衛士に押さえつけられ、厳重に縛められている。口からはよだれや血を垂らし、床に頬骨をごつごつと打ちつけられながら、なおも狂ったように喚く。
朝から中講堂に呼びつけられ、主君から濡れ衣の処刑宣告を受けたのだ。狂って当然であろう。
昼、城内西北部の坦椿園で断頭が執行された。
西街区治安総監、塲岺が恰幅良い腹を揺すりながら肉切り包丁を振りかぶり、
「埼執、許せ。」
「塲岺殿、謫徒が、国毒情夫が坦陸を滅ぼしますぞ!」
同僚の悲痛な断末魔の叫びに耳を塞ぎたい気持ちをこらえながら、一刀のもと首を斬り落とした。
この日は朝から晴れ、金糸梅の咲きほこる絶景の苑内。十黄旗塔が赤茶の塔身あざやかに、ここ坦椿園を見下ろしている。
多くの人が処刑の様子を見物している。
「うっふふふ」
閣僚たちの影に隠れるようにして立っている謫徒は、埼執の罵倒なぞどこ吹く風。真っ白な歯を少しのぞかせながら笑っている。
「お祖母様、やはりあれは斬ってはいけない人よ。」
壘魍は薄桃の頰を更に紅潮させ、口の中で呟いた。
幼い城主の孫娘に大男が寄り添っていた。
心配そうに壘魍を見下ろすこの男、姓は延、名は業禦。壘魍の衛士であり、その毛虫のような眉は哀しげに歪んでいる。
苑内にいるのは閣僚だけではない。
(大暸、私が回酩に知らせてくるわね。)
手足の長い飴売りの女行商が、野菜売りの男に耳打ちした。
(お、契寿か。気をつけろよ。)
(大丈夫よ。この城の警備は緩いから。)
そして、契寿は肩に置かれた大暸の手を少し撫でると、次の瞬間、もう姿を消していた。大暸は慣れているのか、薄い唇を歪めて少し笑うと、刑場に視線を戻した。
この様子を、目の垂れた煙草売りの男が見つめている。
(ほほう、契寿たちの他に男もいたか。大暸、と聞こえたな。)
運程跌である。
昨日は芋売り、今日は煙草売りに変装し、とても同じ人物には見えない。
(阯駒に伝えないと。)
彼もまた、静かに、しかし弾かれるように跳躍して場を去っていった。
坦椿園には金糸梅が美しく咲き乱れ、一面黄色に埋め尽くされている。だが、文武の官も、庶民も、諜者も誰一人としてその花の美を愛でている者はいなかった。
曇天の下に生臭い刑場と化した名園を、十黄旗塔が無表情に見下ろしている。




