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第弐話

 6月2日朝。分厚い雲にところどころ穴が空き、そこに空が淡く蒼い。


 ここ坦陸での籠城は長期化しているが、城内は緊張感を保っていた。

「そいつをとっ捕まえろ!」

 墸竟は紅唇を震わせ、檄を飛ばした。警邏(けいら)中の兵士が即応する。


 途端に背の低い一人の男が逃げ出した。

「張は左へ!李は右へ回り込め!」

 墸竟は鞭のように腕を振り、錐のように人差し指を突き出して、左右自在に指示を出す。兵士が短躯の男に飛びついて組み敷くと、

「良くやったわ!」

 と手を叩き、

「こいつ、秦州の手の者ね。因州の諜者はもっと変装が上手いわよ。」

 部下が高手小手に縛り上げる様を監視しながら、分析している。墸竟の眼は梟のように大きく、甲冑を着込んでいても窺えるしなやかな肢体(したい)から、女武人としての精力が湧き立っていた。

 縄で締められ芋虫のように転がされた諜者は喚く。

「くそっ、このあま。殺せ。」

 だが墸竟の淡々とした分析は続いた。

「性質も軽い。責めれば簡単に色々吐きそうね。一旦、東治庁に戻るわよ。」


 墸竟の部隊は鵜の目鷹の目で集まっていた見物人を追い払うと、芋虫のように縛り上げた敵の諜者を引きずって、再び歩き出した。

 ここは坦陸城内の東部。

 墸竟は坦陸東街区治安総監の地位にあり、城東の治安を司っている。「東治庁」に睨まれたら最後、次の瞬間には捕縛されている、とも言われ、坦陸で墸竟はちょっとした顔だった。

 今、城は連合軍12万に包囲されているが、この東街区は平時と変わらぬ治安が保たれていた。


――――――――――――――――――――


 その頃。

 坦陸城から北東3kmの皺馬丘に、諸将が集まっている。小高い丘の上に幔幕が巡らされ、幕内には大渤・因州・秦州の三カ国連合の首脳が集っているのである。


斐色矜(ひしょくきょう)、まだ『一字閃』の(むくろ)は見つからぬか。」

 名鐘(めいしょう)の如き声で問うのは連合の盟主、美獣である。女性的なその顔に、柳眉を曇らせている。

「はっ。恐れながら坦蔵平原は勿論、東は墳上河、西は堪比巷まで隈なく捜索致しましたが、坤斧の(しかばね)はありませぬ。」

「そうか。」

 斐色矜の力無い報告を受け、美獣の眉間もいよいよ憂いを帯びる。

 覇道をひた走る自信家の因州王にしては珍しい表情だった。

「折角、困士甜が挙げた大功だ。何とか坤斧の死を確認したいものだ。」

「ありがとうございます。」


 ここで美獣の言に対し、「方鬼娘」困士甜が頭を下げた。

「ですが、(わたし)があの夜、坤斧のとどめをさせなかったのが悪いのです。奴を取り逃がした詰めの甘さで、斐色矜にまで迷惑をかけてしまっています。」

「そんなことはない。紛れも無いお前の武勲だ。その輝きは(いささ)かも曇らぬ。だが。」

 美獣は困士甜を(なだ)めつつも、柳眉をひそめたままだ。

「『一字閃』がいる限り、我が壮図は成立せぬ。奴の死滅を確認せずば、枕を高くして眠れんわい。」

「左様でございしょう。」


 左横に端然と控えていた若い武将が、美獣の言を引き取った。切長で針のように細い眼、白面に開いた紅い口は蕾のように小さい。

「今、この穣界で武勇を誇る将といえば、件の坤斧と、坡州王に仕える『斜晃将軍』朦罠が双璧を成しております。あいや、ご無礼した、因州、秦州の武人も凄腕でいらっしゃいますぞ。」

 彼は両手を開き、手のひらを下に向け、場を抑える動作をした。

 姓は号炸(ゴウサク)、名は蹉蹉(ササ)。若干22歳で大渤帝国の龍牙(第二大臣)に就き、猪武者共を統率する北辺の貴公子である。


 ここで鈴のように凛とした声が話を継いだ。

「いや、号炸公のおっしゃる通りだ。坤斧と朦罠を討てば、穣界の半ばは手中にしたも同然でございましょう。」

 美獣の弟、美萊峩(びらいが)であった。長い睫毛(まつげ)の下から、優しい涼しげな眼差しを号炸蹉蹉に送っている。黄塵の舞う陣幕の中で、美萊峩の周りには清爽なる風が巻くが如し、穣界で「青光麗弟(せいこうれいてい)」と称されているのも(むべ)なるかな、である。


「お言葉ですが」

 と、落ち着き払った低い声で割って入る者がいる。

「渤因が誇る三大将がそこまで恐れることはございません。坤斧も朦罠も、神でもなければ悪魔でもない。連合軍12万の前に魔神も降伏しましょう。」

 喋織(ちょうしょく)である。

 役職は因州都相代(としょうだい)。日焼けした顔は精悍、代々美家に仕える武門の家に生まれた彼は、筋肉質な身体から威厳を漂わせ、ぱっちりと開いた二重眼は穏やかに座を見つめている。


 これに対し、

「ひょひょひょ。さすが喋家の御曹司、泰然自若として主君らの怯懦(きょうだ)に諫言するはまさに名家の臣道。」

 喋織をからかう老婆の声。

 姓は(かく)、名は(りん)

 役は因州龍眼、圃韓の没落後にこの座に就き、早くも「獣下龍眼(じゅうかりゅうがん)」と恐れられる美獣の謀士である。ちんまりした短躯、猿のように皺くちゃな顔からは、一介の無力な老婆にしか見えぬが、皺に埋もれた小さな眼はカッと見開かれ、異様な光を放っていた。そして黄色い乱杭歯を剥き出し、なおも毒舌を続けた。

「しかし、こりゃあ武官の思慮では到底理解できんところだわいね。坤斧が復活して坦陸の大城に舞い戻ったらどうなるか。」

「それでも勝てましょう。」

 喋織も、しかし譲らない。実際城方は、坤斧に付き従った選りすぐりの精鋭や、大馬などの軍事設備をあたら失っており、坤斧一人が城に戻ったとて、坦陸はかつての戦闘力を発揮できまい。

 それは嚇凛とて分かっている。

「ひょひょ。そしてもう一人の猛将、朦罠が堪比巷にいたら?」

 この言でさすがの喋織も凍りついた。

「ま、まさか。嚇凛殿は、この期に及んで壘渋と培梅が手を握ると?」

「そこまでは言っとらん。だが、坤斧はいまだ坦陸に健在、となれば、簡単には落城せんから、まだまだこの戦さは続くだろう。となれば培梅にとっては、横槍を入れる機も多々ある筈。何より至近の堪比巷に猛将・朦罠が待機すれば、その横槍は我ら連合軍にとっても致命傷になるやもしれぬ。」

「恐れ入りました。」

 喋織は老婆に拱手(きょうしゅ)した。


「いや、さすが。」

 これを見て再び北辺の貴公子、号炸蹉蹉が口を開いた。

「さすが『獣下龍眼』の御慧眼、私もそこまでの思慮はしておりませなんだ。といって、喋織公の仰られる通り、たかが二人の武将を恐れて大軍略を誤る訳にもいかぬ。ともかく『一字閃』坤斧の首は探し続け、一方で城方の力を加速度的に削いでいく、とまあ、こういうことでしょうな。」

 号炸蹉蹉はそう言って、幕内の連合軍諸将をぐるりと見渡す。目が合った美獣が口の端を少し上げて微笑み、名鐘の如き声を張り上げた。


「これにて本日の軍議を終わる。」


 美獣の言に連合軍の諸将は、ざっ、と拱手した。


――――――――――――――――――――


 軍議を終えた連合軍諸将が、幔幕から出てくる。

「おい、斐色矜!」

 猛将、嗷号の濁声が皺馬丘の斜面に響く。

「なんですか。」

 か細い男が、呼びかけに対して迷惑そうに振り向いた。斐色矜である。

「お前の姉さんを(はら)ませたのはどこのどいつだ?」

「!」

 嗷号は小山のような巨漢で、横幅もあり、身の丈は190cmを超える。対する斐色矜は藁のように細い身体とはいえ、こちらも180cmに近く、長身同士の二人はどうしても目立つ。


 まして嗷号の台詞が衝撃的だ。

 ぞろぞろと自陣に戻る諸将は耳をそばだてざるを得ない。

 斐色矜は白面を真っ赤に染め、細い眼を狐のように吊り上げて、赫怒(かくど)した。

「黙れ!嗷号殿には関係ない話だろうっ」

 愛する姉を揶揄(やゆ)され、若い斐色矜は取り乱してしまう。そんな様子が嗷号にとっては面白くて仕方なく、いよいよ挑発する。

「うわははは!教えてやろう、赤ん坊の父親はこの俺よ!」

「な、何だと?!」

 思わず、斐色矜が腰の蒔舟刀(マキフネトウ)に手をかけた。だが、

「あんたにゃ、男の種がねえだろうが!」

 と喧嘩に割って入る女がいた。二人とは対照的に短躯で、痩せた身体はひどくみすぼらしいが、しかし綺羅綺羅しい鎧をまとい、その眼は山犬の如く狡猾に光っている。姓は()、名は週哲(しゅうてつ)、嗷号の情婦にして部隊の参謀でもある女武将である。

「ごめんねえ、斐色矜。可愛い顔をそんなにしかめないでおくれ。このクズ男はあたしと散々やってるが、一向に子宝に恵まれないのさ。あたしは二人出産したことがあるから、こいつの子種が枯れてるのが原因よ。」

 句週哲の取り成しに、斐色矜は色を改めた。そして、

「つまり斐醺(ひくん)さんに仕込むことはできないのよ。そもそも斐醺さんみたいな美人がこんな醜男(ぶおとこ)を相手にしねえだろうし。」

 と言ったところで注目していた諸将がどっ、と笑った。

 紅鶴の羽を兜の左右に生やした女武将が句週哲の肩を叩く。

「こんな男に惚れちまって可哀想に。今からでも遅くないから、斐色矜みたいな美男の子種を貰ったらどうだい。」

 因州龍牙代の巴雷丹邦冤(はらいたんぽうえん)だった。

「ねえ、困士甜。」

 そして、巴雷丹邦冤は脇に立つ困士甜を見遣(みや)る。

「えっ。さあ、よく分かりませんが。」

 困士甜は小さな眼を目一杯見開いたあと、下を向いてしまう。これまでの戦線において軍功第一で、その高速の太刀技は因州で知らぬ者は無い困士甜であるが、そっちのほうは初心(うぶ)と見える。彼女の角ばった顔は真っ赤に染まっている。

 これを見た、細い目の上にくっきりした笹の葉のような眉を乗せた女武将が、

「およしなさいよ丹邦冤。貴女と違って『方鬼娘』は清純なのよ。」

 と困士甜に助け舟を出した。

 彼女は姓を夕路(セキロ)、名を尾綬(ビジュ)といい、大渤帝国の都相代を務める女傑である。巴雷丹邦冤とは歳が近く、またお互い大渤帝国建国以来の名家の嫡流である点もあって、国境を超えて仲が良い。

「違いない。あっはは」

 さすが33歳の若さで因州龍牙代の地位に就いている女丈夫、巴雷丹邦冤は豪快に笑う。そしてその後ろから弾むような声が響いて、

「お母様、若干14歳の娘の前で子種がどうのと、教育上良くないですわ。」

 少女が飛び出してきた。

 彼女は巴雷麝絞冤(はらいじゃこうえん)、丹邦冤の娘で、母親譲りの筆で引いたような形の良い眉を動かして、悪戯っぽい笑顔で大人達の猥談(わいだん)に分入って来る。

 麝絞冤より年長の困士甜の方が恥ずかしがって、なかなか顔を上げようとしないが、それを近くで見つめている若い男もまた、丸顔の頰に少し朱を差している。

 若い男の名は、姓が()、名が群乏(ぐんぼう)。秦州王・穂泉煎に仕える武官で、父は秦州交相(こうしょう)和酬(かしゅう)、秦州随一の血統であり、齢22、州王府内で将来を嘱望されている一将だ。

 だが今は、女性に一目惚れした一青年でしかない。

(穣東の耳目を集める武勇がありながら、あのような少女の如き可憐もあるのか。なんと可愛らしい。)

 そこにいる誰もが気づかぬが、和群乏のふっくらした頬は上気し、いつもなら穏やかな眼が今は少し真剣で、濡れた瞳は殆ど睨むように、困士甜を見つめていた。


「まあ、なんと元気のよろしいこと。」

 そこへ女性がゆったりとやってきた。巴雷丹邦冤なぞはびっくりして身を引いた。

「こ、これは美扼温(びやくおん)さま。」

 礼儀のなってない嗷号ですら、直立不動となった。美扼温 ― 州王・美獣の従姉妹(いとこ)で、25歳とまだ若いが、因州哥辣(からつ)の城主を務め一族の中で存在感を増している。

「さあさあ。戦はこれから佳境を迎えます。あなたたちの身体は軍にとって大切なんですから、楽しいお話はこのへんにして、宿営でしっかりお休みなさい。」


 州王家一族の一言で、連合軍の将星は幔幕を去っていく。

 夕路尾綬も、巴雷母娘も、困士甜も。

 朝の曇り空の下に、ひとり残って立ち尽くしていた和群乏も、すぐ我に帰り、そそくさと皺馬丘の斜面をくだっていった。




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坦陸包囲戦 配陣図

挿絵(By みてみん)

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