step15.ターニングポイント(1)
「は?」
「けっこん! 病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、妻として愛し敬い慈しむことを誓いますか?」
誓わねーよ。胸中で思い切り拒否りつつ実際のところ驚きのあまり由基は声も出ない。
「んもう。するのしないの? どっち?」
牧師のように手をあげてやけにすらすら誓いの言葉を述べていたアコは、くちびるを尖らせて由基を見上げる。
「絶対しない」
「なんで?」
真顔で首を傾げるアコに由基は声もなく口をぱくぱくするしかない。そもそもどこから「結婚」が出てくるんだ? どこにも前提がないだろうが。まったくもって意味がわからない。
「ヨッシーはことちゃんが好きなのになんで振っちゃったの?」
真顔のまま、アコはまっさらな眼で由基を見つめる。
「ことちゃんとは結婚できないからじゃないの?」
え……。
「ことちゃん、将来のこときちんと考えてたもんね。ヨッシーを好きなことと自分の進路は別みたいだった。だからヨッシー、邪魔したらいけないって思ったんじゃないの?」
「え、いや……」
「アコ、気づいちゃったんだよ。ヨッシーはすぐ子どもの相手なんかできないって言い訳にするけど、それって逆から言ったら結婚のけの字も考えないような若い子がおじさんの相手なんかしないでくれってことなんじゃないの?」
え、あれ? そうなのか? 淡々と突き詰められて、由基はわからなくなる。
「アコは、年なんか関係ないって思うけど、前にお母さんが言ってた。十代の頃と二十代の頃と三十代の頃と、感じる時間の早さが違うんだって。時間の価値が、変わるんだって。それならアコは、ちゃんと由基に合わせられるよ?」
にこっと笑ってアコは再び宣誓するように片手をあげた。
「アコのこれからの時間。全部由基に合わせる。全部由基のために使う」
相変わらずの隷属思考に由基の方が膝が砕けそうだ。少しは改善されたようだと思っていたのに。
「あのね、アコちゃん……」
「そういう覚悟があるってこと」
きっぱり告げてアコは笑顔を引っ込めた。
「ふざけて言ってるんじゃないもん。アコちゃんと考えたもん。由基が足腰立たなくなったら、アコがばっちり介護してあげる」
おいなんだ、寂しい富豪老人を落としにかかる結婚詐欺師の口説き文句みたいだぞ。
「結婚も何も、君はまだ高校生……」
「アコ、もうすぐ三年生だよ。卒業まであと一年だよ。そんなのあっという間じゃん」
ぐにゃり、と足元がこんにゃくになった気がした。こんなに寒いのにこめかみのあたりがかっと熱くて、自分が汗ばんでいるのを自覚する。
「ヨッシー?」
「と、とにかく今は寒いから、この問題は家に持ち帰って対処するから」
「……」
アコは目を見開いてきゅっと口を閉じた。それから細く白い息を吐きだしながら小さな声で言い添えた。
「逃げてもいいけど、アコはどこまでも追いかけるからね」
今までとは少し違う、決意がみなぎる声の響きに怖くなる。ここで別れることが正解なのかワカラナイ。だが態勢を立て直す必要がある。
由基は挨拶もそこそこに踵を返してパーキングに向かい愛車に乗り込んだ。路上に出たとき、アコはいつものように歩道から由基のクルマを見送っていたが、手を振らずにじっと体の脇でこぶしを握っていたようだった。
寒々しいアパートの部屋に帰り、落ち着かない気持ちのままとりあえずシャワーを浴びた。熱いお湯に打たれてようやくフリーズしていた頭が回り始めた。
昼食の残りのコンビニおにぎりを鞄から引っ張り出し、カップラーメンにお湯を入れてからテレビをつけていつものニュース番組にチャンネルを合わせる。
暖房を入れたもののまだ室温が上がらない部屋の中でカップラーメンで暖を取っているうちに頭の中には「結婚」の二文字が浮かび上がる。
――今から付き合うなら結婚相手だなって思ってない?
つい先日、三咲とそんな話をしたばかりでもあるけれど、普段の由基はそこまで意識はしていない。これを意識したくないから恋愛についても考えたくないのが正直なところなのだから。
まだ新入社員だった若かりしころ、三咲と仲良くなったものの、彼女が有力フランチャイズオーナーの娘で入社したのは婿探しのためだ、などという噂を耳にして、面倒だなと思ってしまった。そんな気持ちが態度に出たから、彼女と疎遠になったのだと今なら自分の非を認める。