step13.エンクロージャー(3)
「えーと、ことちゃんって、勤続どれくらいだったけ。ずいぶん長くいてもらった気がするけど、ちょうど二年になるのか。それなら辞めるときに……」
いつもしている事務的な話をするすると再生しつつ、由基はずっと琴美の口元を見ていた。いつしかくちびるがきゅっと結ばれて、何かをこらえているみたいだ。
「わたし」
やがて掠れた声がこぼれ出た。
「ほんとはイヤです。わたしがいた場所に別の人が入るの」
仕事を辞めるってそういうことだし。人が代わることで自分がしていたことは取り換えのきくことだったのだと思い知る。社会人ならよくあることだ。
「わたしとは違う人が店長の隣で生クリーム絞ったりフルーツを切ったりするのを見るのはイヤです。想像するのもイヤです」
いや、だって。自分ひとりで製造を回せるならそうしているけれど、そうじゃないから人を雇うのであって。強張った頭でそんなことを考えつつ、由基にも本当はわかっていた。琴美が言いたいことの根っこは、仕事のことなんかじゃない。
「だから、まだ迷ってます。だから、店長がもし……」
「だめだよ」
思わず言葉半ばで遮ると、琴美はびくっと細い肩をすぼめた。
「そういうのは、よくない」
恋心と将来の可能性を天秤にかけたりするのは。
「そうですよね」
力なく俯いて、琴美はまばたきしたようだった。
「そこはちゃんとしないとですよね」
「うん」
由基が頷くと、琴美はすっと顔を上げてまっすぐな瞳を向けてきた。窓からの月明かりを反射して、膜を張ったようにその瞳が潤んでいるのがわかった。それでも琴美は目を見開いて由基をじっと見つめた。
「わたしはちゃんと言いました。気持ちは変わってないです。店長が好きです。バイトは辞めるけど、それとは別に店長が好きです」
結局、こっちが追い詰められている。由基は片手で目を覆った。いい加減、ちゃんとしなければならないことはわかってる。本当は。
前髪を上げてがしがしかきむしってから、由基もしっかり目を上げた。
「ことちゃんは、すごく良い子で、かわいくて」
「そんな……」
「いや。俺はいつもかわいいなって思ってた。ことちゃんがいてくれると、嬉しいし安心するし癒される。一緒にいれば楽しいだろうなって思える」
琴美の瞳がゆらゆら揺れる。
「でも、それだけなんだ」
揺らめきが、ぴんと張って、琴美はこくんと息を呑んだ。
「それだけ……」
「うん。俺は、君に何もしてあげられない。だからダメなんだと思う」
「ダメって……それだけじゃ、ダメなんですか? 一緒にいて楽しいって、それじゃダメなんですか?」
「ごめん。うまく言えないけど、それだけじゃ、俺はダメなんだ」
説明にもなっていない、酷い断り方だと自分でも思う。しかし恋愛音痴の由基には、言葉にするのは、これが精一杯だ。
「ダメなものはダメってことなんですね」
琴美が肩を落とすと、瞳の揺らぎが雫になって頬に落ちた。そのまま涙を流しながら彼女は横を向く。
「まだ二時です。寝直しますね。こんな夜中にすみませんでした」
「うん」
「閉めますか?」
「うん」
ちょうど琴美の体の幅の分だけ開いていた障子戸がすーっと閉まる。再び隔てられた空間で、由基はぽすっと背中から布団に倒れた。
痺れたみたいに感覚が曖昧になっていた思考が少しはクリアになると、言い知れぬ恥ずかしさで大声を出したくなった。再び布団を頭から被って悶々としているうちに少しウトウトしていたようで、ハッと危険を感じて目を覚ますと、明るい日差しの中でアコが由基を見下ろしていた。
「あ、起きちゃった」
残念そうにけろりと言って乗り出していた上半身を戻す。
「何した?」
「何もしてないよー。しようと思ったとこ」
きゃるんとシナをつくる手元にはマジックペンが握られていた。JKコワイ。




