step13.エンクロージャー(2)
もう午後十時をすぎていたが、まだまだ夜はこれからな様子で、アコと琴美は布団の上でトランプをしていた。
「おかえり。ヨッシーもやろうよ。7並べがいい? 大貧民? あ、このテンションで神経衰弱やっちゃう?」
うきうきと誘ってくるアコを完全に無視し、由基はずかずかと和室の奥へと向かった。
昔ながらの間取りの客室には窓際にカーペット敷きの広縁がある。そこに置いてある籐の肘掛け椅子やローテーブルを畳の間へとざかざか移動させる。空いたスペースにいちばん手前の布団一式をずりずり引っ張って持っていき押し込めた。
「ええ、ヨッシー? まさか」
「俺は寝る。入ってくるな!」
しきりの障子戸をスパンと閉め、由基は布団の中にもぐりこんだ。向こう側から入り込んでくる光や聞こえてくる話し声をシャットアウトするように頭から掛布団をかぶる。そのまま酒の力を借りてどうにか寝付いたものの。
ハッと目覚めると、窓からの月明かりで広縁は仄暗く、背を向けている障子戸の方から気配を感じた。そっと目線を流してみれば、しっかり閉めたはずの障子が少し開いている。
がばっと起き上がると、隙間の向こうでびっくりしたように顔を引いたのは琴美だった。てっきり、アコが夜這いに来たのだと思って身構えたのだが。
「すみません。起こしてしまいました」
「いや……」
酒を飲んで寝たせいか声がおかしい。喉がへばりついているような感触。
「お水を持ってきます」
小さな声で言って琴美は立ち膝のまま後ろに下がり、壁際に寄せてあった座卓の上の水差しに手をのばした。
「どうぞ」
戻ってきた琴美の手からコップを受け取り水を飲んで人心地ついた。
「ありがとう」
「いえ」
薄暗い中でも琴美が浮かない表情をしているのがわかる。
「ダメですね。この前、反省したばかりなのに。また勝手なことしてはしゃいじゃって。すみませんでした」
それで、こんなに暗い顔つきをしているのかと思うと、由基も自分の行動が大人げなかった気がして恥ずかしくなる。
「いや。こっちこそ、酔っ払って大声出して。ごめんね」
「そんな……」
縮こまって俯く琴美に更に居たたまれなくなって由基は頭の後ろを掻きながらへらへら笑った。
「怒ってないから、別に」
「……だから付け上がっちゃうんですよ」
「え?」
そっと瞳を上げた琴美は、はっとした様子で目を大きくした。どうしたんだろう、と思っていると、白い手がのびてきて、ひんやりした指の先が鎖骨のあたりに触れて、由基はからだが固まる。
琴美はまたはっとしてぱっと手を引いた。
「すみません。つい」
また俯いて両手で自分の頬を覆う。すっかり酔いの醒めた頭にマズいぞ、という思いがよぎる。この空気は非常にマズい。
何か気の利いたことを言って空気を変えなければと思うのだが、そんな芸当ができるのならこんな妙なシチュエーションにはそもそも陥っていないわけであり。何か、当たり障りのない何かを言って、変な場の空気を壊したいのに。
(天使が通ったね)
不意に耳の奥をよぎった言葉。それはアコの声で再生されたものだった。
そうだ、爆弾投下ならあの子の専売特許じゃないか。アコは何をやってるんだ。琴美の背後はやけに静かだ。ぐっすり眠っているのだろうか。
「あの」
自分の手で頬を覆ったまま、琴美はそろそろと視線を上げた。
「本当は、バレンタインの後にお話ししようと思ってたんですけど」
正座した膝に両手を揃え、琴美は顔を上げて由基を見た。
「わたし、三月いっぱいでバイトを辞めたいと思ってます」
「……」
「今更なんですけど、留学しておきたいなって気持ちが強くなって。短期でいいから、ボランティア・ワークもやってみたくて。それならもう、来年度が最後のチャンスなので、バイトも辞めないとなって」
あーとか、うーとか、そんな声すら出ずに由基は静かに話す琴美の口元を見ていた。学生なのだから、いつどんな事情でいなくなっても当然なのに、彼女は当分はいてくれるものだと思い込んでいた。
琴美はすごく器用というわけではないけれど、仕事が丁寧でミスが少なく、経験を確実に次に活かしてくれて、気が利いて、安心して製造を任せられて。由基にとっては、癒しの存在で。
だからといって、前途のある若い子を引き留めていいわけではない。バイトの学生が辞めることなどよくあることだ。いつも本人の希望通りに対応してきた。だからこれまで通り、由基はあっさり了承した。
「そっか。それじゃあ、三月末までってことでいいのかな」
「はい」
「えーと。じゃあ、代わりの人を募集かけるとして。スムーズに決まって新しい人にすぐ来てもらえるようなら、ことちゃんに教育をお願いした方がいいかもな」
「……はい」