step11.リスタート(1)
秋の深まりから初冬へと、そろそろ朝晩の冷え込みが骨身に染み、クリーニング店に置きっぱなしのコートを取りに行かねばと思いつつすぐに忘れてしまう、そんな今日この頃。
「ねえねえ、ヨッシー」
最近ではブラックフライデーなどというアメリカ発の販促イベントが大手を振るうようになり、ますます年末商戦への焦りと不安をあおられる。
「クリスマスは忙しいのはわかったからさ」
欲望の世紀といわれる二十一世紀、だがすでに大消費主義経済への疑念はとっくに社会全体を覆っているはずで。
「それなら初詣に行こうよ」
それなのにちまちまと働くことを止められない、ああ、これぞ日本人の社畜人生。
「お店は年中無休だけど元旦だけはお休みなんでしょ。ことちんに聞いたよ」
いっそなにものにも執着しない、おまえはホールデンかムルソーかといった若者たちこそ新人類、なんてことを半世紀前の大人たちも間違いなく考えたはずで。
「年越しも一緒にしちゃう? ふたりきりで」
「いやそれはダメだろ」
話しながら手を握ろうとするアコの手を振り払って由基は拒否る。
「なんだ。聞こえてたんじゃん」
なんで返事しないの? とアコは口を尖らせる。昼下がりの湧水公園のベンチで、彼女の手の中には温かいカフェオレの缶がある。
今日は日曜日、アコは早上がりして帰る由基を通り沿いの公園で待ち構えていたのだ。
「ヨッシーお疲れみたいだね。今からアコが癒してあげ……」
「結構です」
「きゃは。ヨッシー大好き」
まるで会話が成立しない。ますます異次元の人種に進化しているアコを相手に由基は肩を落とす。
「アコ気づいちゃったんだよね。ヨッシーが身持ちが固いのは誰に対してもじゃん?」
おっさんに向かって「身持ちが固い」とはなんだ。
「それなら焦ることないかって。まさかことちんがヨッシーを押し倒すとは思えないし。ヨッシーがムラムラきちゃったら困るけど、そんなの三咲さんが許さないもんね」
自分で自分を「バカだから」と、ときおり自己肯定感の低さを垣間見せるアコではあるが、こうした観察力と理解力はすさまじいと由基は感心する。
それにしても困るのは、彼女が三咲とまでパイプを持ってしまったことだ。何がどうしてそうなったかはまったく謎だ。だがある日、一緒に店の近所のコンビニに買い物に行った際、「あらアコちゃん」などと三咲がレジにいたアコに声をかけたのには度肝を抜かれた。
夏休みに短期のバイトをした後、冬季の募集でまた同じコンビニでバイトしているアコは、すっかり懐いた様子で三咲に応じていた。琴美だけでなく三咲とも仲良くなってしまうとは。
その三咲からは「私がお正月に気持ちよく家族とすごせるようにクリスマスの売り上げ目標額はきっちりクリアしてよね!」とプレッシャーをかけられていて、由基は我知らず自分の胃のあたりを撫でてしまう。
「ヨッシー。疲れてるならアコが……」
「間に合ってます」
「ぶう。ヨッシーってば、いつまでも強がってないで早く堕ちちゃいなよ」
脅迫じみたアコの言葉に由基は重くため息を吐き出してあらぬ方を見上げる。ナイナイ。JKに堕ちるなんて絶対ない。JDなら可能性はゼロではないが。
「あの、店長」
おそるおそる話しかけられ、由基はパソコンの画面から目線をはがして琴美を見上げる。
「あ……大丈夫ですか? 目がしょぼしょぼしてます」
「え、そう?」
由基は目を閉じて軽く眉間を揉む。予約票を睨みつけていてもクリスマスケーキの注文台数が増えるわけではないのはわかっているが。
「あ、これ。少しですけど、友だちが注文くれたので」
「こんなに? ありがとう」
由基は喜色満面になって琴美から予約票を受け取る。店舗のスタッフさんたちには友人知人に宣伝してもらうようクリスマスケーキのチラシをわたして頼んであって、それは毎年のことなので既に心得たパートさんたちは積極的にこうして予約を取ってきてくれるのだ。
「いつもありがとうね、ことちゃん」
礼を言うと、琴美ははにかんだ様子で目を伏せる。以前の彼女だったら、そうしてこの場から立ち去っていただろう。ところが、今の琴美は一味違う。
「あの、聞きましたよね? 初詣のことアコちゃんに」
しっかりと由基の顔を見て琴美は身を乗り出す。
「アコちゃんが行こうって誘ったでしょう」
「う、うん、誘われた」
「もう。わたしが話すって言ったのに」
少し頬をふくらませて琴美は眉を寄せる。
「わたしも行きますから」
「え……」
「アコちゃんとふたりきりなんてダメです。わたしも行きますから」
「いや。あの」
そもそも自分は行くとは言ってないのだが。
「その前に、クリスマス頑張りますから。だから初詣、お願いします」
胸の前で手を握り合わせて琴美はじっと由基を見つめる。そんなふうにされてしまうと由基は無下にはできない。
「うーん」
「考えておいてください。ね?」
「そうだね……」
頭の後ろに手をやりながら曖昧に由基が返事をすると、琴美はなぜか恥ずかしそうに目を逸らしながら「失礼します」と事務所を出ていった。