step9.ハートブレイク(2)
「そりゃまー、うちのはマスオさんだったし、婿ってだけじゃなく雇われ店長って立場でもあったし、くたびれちゃったみたいだね。もちろん夫婦仲にも問題あったし」
淡々と話しながら三咲は時計を気にした。同期入社で年齢も同じ、社内では親しい方だとはいっても仕事上の間柄だと割り切ってはいたけれど、自分はあまりにも薄情だったと気づかされて由基はうろたえた。
「あのさ、今度ゆっくり……」
「やなこった」
三咲は目を細めた。
「JK だのJDにモテモテでこの世の春を謳歌してる人にする話なんてないよ」
「あのなあ」
ひねた三咲の態度に由基は少し声を荒げる。
「いちおう心配してやってるのに、おまえは」
「心配してもらう状況ならとっくにすぎたんだよ」
しんと、肝が冷える低音で吐き捨て、三咲はやっぱり疲れた表情で由基を見た。
「あんたはいつも遅すぎる」
「それは、何も言わないから」
「言われなきゃわかんないの? ガキだね、ほんと」
グサッと胸を抉られ、さすがにこれはヒドイと言い返してやろうとしても言葉が出てこない。
「ほんとバカ」
俯いて黙りこくる由基に次に向けられた囁きには温度が戻っていた。励まされた心地で顔を上げてみたけれど、三咲はさっさと裏口から事務所を出ていってしまった。
アコがフェードアウトし、三咲からも微妙に距離を置かれ。気がつけば既に十月が終わるころ、朝晩涼しくなり肌寒さを感じるようになってみれば心にも隙間風が吹いていた、なんてことがあるようなないような。
自分が悪かったのだろうかとちょっと考えはしても自分からなんらアクションを起こさないのが長谷川由基という男であり、だからこんな年齢まで独身なのである。そして今更どうこう自分を変えるつもりのない彼は、誰にどう思われようがマイペースでいることが自分の生き様だと考えてしまっているのである。
世間ではこういうのを「こじらせている」というのだが、本人に自覚はない。自分では至って充実した平和で穏やかな毎日だと思っているのだから。
由基のスマートフォンは滅多に着心音が鳴らなくなり、職場ではよく琴美が猫のうり坊の画像を見せてくれた。
「歯が生え変わったみたいで、乳歯が抜けて落っこちてるのを見つけたときには何かと思いました」
由基が保護して名付け親にもなったうり坊は、いまや遊び盛りで家中をひっかき回して大変らしい。
「ちっともじっとしてなくて見てて飽きないですけど、寝てる姿も可愛くて」
スマートフォンの画面をスライドさせて現れる写真には、部屋着でくつろいだ様子の琴美が猫と一緒に写っていたりもする。そうすると琴美は恥ずかしそうに慌てて指を動かして次の写真にしてしまうのだ。
大学祭の準備が本格的になり「あまりシフトに入れなくてすみません」と謝っていたけれどいつも真面目に頑張ってくれているのだから構わないと思う。他の販売スタッフたちも理解を示しているから琴美の人徳だろう。
開催日の一週間前になって、琴美はおそるおそる由基にバル喫茶のチケットをくれた。これで好きなタパス(小皿料理)を三種類とドリンクを一杯オーダーできるのだそうだ。
「あ、金払うよ?」
「いえ、これは招待のつもりで、来れたらでいいですし……」
財布を出そうとする由基を押しとどめるように両手を上げた琴美はちょっと寂しそうに目を伏せた。
試食会で強引にマネキンをやってもらったお礼に、大学祭で琴美が調理を担当するバル喫茶へ行く、という約束をしたもののあくまで保留の状態で、由基は本気で時間を捻出してまで足を運びはしないだろうと悟っている様子だった。
まったくの図星で、由基は罪悪感で少しうろたえた。仕事脳なおっさんにしてみれば、いくら仕事のピンチを救ってもらったお礼とはいえ、一スタッフの、しかも若い女の子との個人的な約束を仕事より優先するのはどうなのだろうとどうしても思ってしまう。
この店舗では製造は元々由基の仕事で、デスクワークの時間を確保するために琴美に製造スタッフとして入ってもらったわけだ。思いのほか琴美が優秀ですっかり甘えてはいるが、琴美が不在がちならばなおさら手を抜くわけにはいかないのだし。
琴美に寂しい顔をさせて悪いとは思うが社会人としての立場があるわけで。それだって言い訳なのだが、本人はそうと自覚のないまま喉元の辺りをさわさわさせていると、久し振りにふらりと巡回に来た三咲にいきなり斬り込まれた。
「ことちゃんの学校の出店に招待されてるんだって?」
なぜ知っている!? などとは思うまい。何しろ女性だらけの職場なのだ。そそくさとこちらに背を向けて作業しているスタッフを由基は製造室から目を細めて見やる。




