step9.ハートブレイク(1)
今まさに撮影されたものであるなら今まさにこの場所にアコはいたはずで今まさにすぐ近くにいるかもしれず。周囲を見回してみるべきなのだろうが、恐怖で背筋が凍りついてしまって動けない。
手の中のスマートフォンが再び振動して、由基はヒッと今度こそ飛び上がってしまう。ラインの通話画面に着信中の表示。出るか出ないか出ないか出るか。出ないわけにはいかないだろう。由基は震える指で通話のアイコンをタップする。
「もしもし……」
おそるおそる応答すると、
『キレイに撮れてるでしょ? ふたりイイ感じだったよ』
アコの声は淡々と流れる水のように抑揚がなかった。
『ヨッシーのあんな優しそうな顔初めて見た。あんなに嬉しそうで。それになにあれ、あの人真っ赤になってどう見たって由基のこと大好きじゃん』
「…………」
『もう認めなよ。由基だってあの人が好きなんでしょ?』
「わからない……」
『わからない?』
押し殺した様子ながらもアコの声がひび割れた。
『じゃあ、教えてあげる。ヨッシーはあの人が好き。アコが言うんだから間違いない。ヨッシーは、ことちんが好きなんだよ……』
言葉の最後に涙の気配が混じり、由基はそこでようやく恐怖から脱した。女の子が泣いている気配でしゃっきりするだなんて我ながら情けない。頼ってもらわなければ威勢を張れないダメ男みたいじゃないか。
『ふたり、両想いなんだからラブラブになればいいよ。でもヨッシー、アコのこと忘れないで』
「アコちゃん、近くにいるのか?」
由基はようやく首を回して左右に目を走らせ、通りの向こうにも目線を配る。
いた。道路の向かいのコンビニの前にアコがいた。目が合うのと同時に通話が切れた。交差点の車側が青信号になったらしく次々と走行してくる車体に視界を遮られる。車列が途切れたときには、もう、アコはいなくなっていた。
違うんだ。琴美と付き合ったりはしない。それだけはわかってもらわねばと思いメッセージを送ったけれど、既読が付かないまま数日がすぎた。
大きなイベントがすんだ後の脱力感で職場も街も中だるみの雰囲気だった。シーズンだけを先取りして、カボチャのプリンや紫イモのタルトやイタリア栗のモンブランといった秋商品の展開が始まる。
久々に昼食を自分で買いに行ってみれば、近くのコンビニでも冷やし麺の種類が減り、きのこごはんのおにぎりやきのこスパゲティ、鮭といくら弁当なんてものが並んでいた。
ぼーっとばかりもしてられない、秋には秋でハロウィンと七五三、そして何より営業成績を大きく左右するクリスマスケーキの予約が始まる。準備しなければならないことはたくさんある。
「そういえばさあ。あのコどうなった? 恋愛脳の女子高生」
それなのに、三咲に口にされたことでいらんことを思い出してしまい、由基は柄にもなく舌打ちしてしまう。
「む。なにさ」
「余計なこと言うからだ」
「そんな、不機嫌になっちゃうようなことがあったわけね」
気にしても仕方ない、と見ないようにしていてもときおり覗いてしまうトーク画面の最後のメッセージには既読が付かないまま。
「怖い顔しちゃって、どうせあんたが怒ってるのは自分に対してなんじゃないの?」
「……そうだな」
本音を言えば、懺悔したい気分だが、三咲にどこまで話したものかと迷う。結局、面倒になって「フェードアウトしたよ」とだけ伝えた。
「ふうん?」
三咲は納得いかなげな顔つきで口を尖らせ、小さな声でつぶやいた。
「それ、戦略的撤退だったりして」
「え?」
「いや、なんでもない。あんたもあんまりぼんやりしてないでさ、しっかり頼むよ」
「わかってる」
ますます不機嫌になる由基に肩をすくめて三咲は事務室のパイプ椅子から立ち上がった。由基も見送ろうとパソコンデスクの椅子から腰を上げる。書類を自分のカバンに突っ込んでいる三咲を見ていて思い出す。
「そうだ。商店会連合会からの夏祭り収支報告書も持っていってくれ」
「はいはい」
パソコン横の書類入れを漁って目的の書類を取り出し、後ろ手に左手を差し出している三咲に手渡す。が、A4サイズの紙切れは滑って床へと舞い落ちた。
「悪い」
「いいよ」
屈んでそのまま左手で書類を拾う彼女の手先を見ていて違和感を感じた。何か足りないものがある。脳裏に回答が閃いた瞬間、由基は声に出してしまった。
「あれ、結婚指輪は?」
「…………」
ぎろっと三咲は由基を見上げる。目が怖い。自身のデリカシーの無さに気がつき手で口を覆ってみたけれどもう遅い。
「すまん」
「バカ」
立ち上がった三咲は急に疲れた様子で頭を振った。
「なんだよ?」
「やっと気がついたのかと思って」
「え……」
「三月だよ。離婚したの。ここのスタッフさんだってみんな気づいて気遣ってくれてるのに、あんたはほんっとに今更すぎる」
「だっておまえ、言わないから」
「言うわけないだろ、バカ」
「なんで」