因縁と告白
王城の王妃を含むターゲットを殺めた以上、城下町に滞在することはある意味で無謀だ。もちろん、普通の人間相手であれば、彼女達の行手を阻む者を蹂躙するのは容易い。しかし、アケライはターゲット以外の魂を狩り取ったばかりに、降格処分に処せられている。なので……同じ失態を繰り返さない意味でも、今夜は仕方なしに「鳴りを潜める」つもりで、2人は深い森で野宿をしていた。
幸いにもスイシェンの傷は多くとも、致命傷になりそうなものはなさそうだ。薬を塗って、ある程度傷を塞いでやれば……あとは彼自身の若さが何とかしてくれるだろう。
「アケライ、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」
「……何だ?」
焚き火の明かりを頼りに、アケライが紅月の刃を清めている。その所作を真似するように、スイシェンも黙々と蒼天を磨いていたが…今夜の彼女はどこか、いつもとは違う雰囲気を少しだけ纏わせていて。もしかしたら、前から聞きたかった事を教えてくれるかもしれないと、スイシェンは気づけばアケライに言葉を投げていた。
「あの、さ。その……俺の両親を殺したのって、もしかして……」
「……」
夜の森が落とす陰鬱で濃い影に感化されたように、アケライの白い眉間にクッキリと深い皺が寄る。そうして、スイシェンが言わんとしていることにも、有り余る罪悪感と心当たりを感じては……そろそろ「潮時」かもしれないと、アケライはいよいよ、彼との旅路を諦め始めていた。
「……本当はあの時に私が狙うべきは、お前の魂だった。だが……な。私には、お前をどうしても殺したくない理由があったのだ」
「俺を殺したくない……理由?」
「そうだ。……他の全てを犠牲にしても構わない程に……私はお前の魂に固執していた」
アケライがスイシェンを手に入れるために、禁則事項までもを犯した理由。その理由を話してしまえば、きっと自分は解放されるだろう。しかし……その後にやってくる孤独を考えると、アケライはいつも以上に寡黙になってしまう。本当は彼と離れたくなくて。本当は彼との旅をいつまでも続けていたくて。だけど、アケライはこの旅路の終焉がどう転んでも不幸なものになることも知っている。であれば……。
「……アケライ?」
「……そう、だな。ここはいっその事……サッサと白状してしまうか。お前の両親を殺したのは、間違いなく私だろうよ。そして……お前が私の事を何となく知っていたのは、お前の魂にその記憶が刻まれているからだ」
どうやら、アケライはスイシェンが生まれる前からの「因縁の相手」らしい。両親を殺した相手だと知れて、確かに憎いと感じるべきだし、遅れながらも彼女に対する怒りも確かに込み上げてくる。アケライは鯔のつまり、スイシェン本人さえも把握していない前世……要するに「他人の人生」の残滓に固執しているだけに過ぎない。
「……スイシェン。きっと、お前は話を聴き終える頃には失望するのだろうし、憎悪もするに違いない。だが……最後まで、心して聞いてほしい。かつてお前と同じように人間だった私には、死神の師匠がいた。彼の名前はアズラ。お前が持っている蒼天の元の持ち主であり、私の全てを奪った相手でもあった」
「アケライの全てを奪った……?」
そう……人生も、身も心も……全部、全部。
当時のアケライにとって、アズラは最高の師匠であり、最愛の伴侶でもあった。だが、死神と人間の寿命はあまりに違いすぎる。それに、人間を娶る以前に……死神が婚姻を結ぶなんて、許される事でもない。だから、アズラは死神であることこそを捨てようと、主人であるバダルハに相談を持ちかけた。だが……。
「……お前も知っての通り、バダルハはこの世界の最高神の1人にして、生と死とを司る暗黒神だ。雑多な伝承を聞きかじったことがあれば、その性質も多少は知っていよう?」
お目にかかったことは決してないとは言え、この世界の信仰を担う太陽神と暗黒神の名前くらいはどんな者でも知っている。温和で聡明な太陽神・ラハイヤと残虐で陰湿な暗黒神・バダルハ。双子の神様は朝と夜とを交互に支配しては、人々の暮らしに喜びと悲しみとをもたらす。そして、嫉妬深いバダルハの機嫌を損ねないために、ラハイヤと同じように暗黒神も祀らなければ災厄が降りかかるとされ、片方だけを信仰することは許されないのも……ちょっとした常識であった。
そして、アズラの懇願はそんな嫉妬深いバダルハの悪戯心を大いに刺激する内容でしかなかった。だから、彼は死神の身にありながら人間に恋をしたアズラを永遠に苦しめるために、重すぎる罰と因果をアズラとアケライの魂に課したのだ。
「バダルハはアズラの魂を人間に落とし、代わりに私の魂を死神のものに昇華させたのだ。そして……アズラの魂が人として生まれてきたのを誰よりも早く気取っては……その赤子の魂こそを狩ってこいと私に命じた」
だが……その命令だけは、どんなに冷徹になろうとも、どんなに冷酷になろうとも。アケライにはどうしても遂行する事ができなかった。そして……彼こそを手に入れるため、アケライは本来のターゲットの指定を無視して、スイシェンの両親を殺めてしまった。
「お前にアズラの記憶が残っていたとしたら、愚かだと私を罵るだろうし……失望もするだろうな。それに……どんなに望もうとも、お前は人間でしかないし、私は死神であり、今となってはお前の親の仇でしかない。寿命が違いすぎる以前に、私にはお前と一緒に歩む資格も既にない。だが、せめて……」
「何だよ、それ……。それは要するに……俺がたまたま、そいつの魂を持っていたから、こんな事に巻き込まれたって事だよな⁉︎ それがなければ、今頃……」
「……お前の怒りは尤もだ。私がいなくなっても、お前が1人で生きていけるようにと、鍛えたつもりだったが……そう、だな。お前にしてみれば、それはどこまでも巻き込まれただけ、だな。きっと、私さえいなければ……お前は今頃、人並みの生活の中で、それなりの幸せに身を委ねて暮らしていたのだろうな」
スイシェンも初めて見る、アケライの弱々しく、悲しげな面差し。パチリと爆ぜる火の粉の輝きを浴びた瞬間に、紺碧の瞳がいつも以上に潤んでは揺れているのを見届けて。それでも尚、スイシェンは無理やり彼女と決別するように背を向けては……深い森の中へ駆け出した。
とうとう、この日が来てしまったか。本当は最後の最後まで、彼を守り抜くつもりでもあったのだが。やはり……自分はどこまでも、臆病なままらしい。彼を手放したくないと、あれ程までに渇望していたのに。……今以上に傷つくのを恐れては、彼の後を追う勇気さえ持てない。
そうして……自分もとっくに失ったと思っていた、涙をホロホロと流しながら。アケライには手元の紅月の刃を朧げに見つめることしかできなかった。