命でもなく、愛でもなく
「いらっしゃい。ロウパオでいいかね?」
「えぇ、ロウパオ2つと……餡入りを1ついただけますか」
「おや、スイちゃん。今日は3つなのかね?」
今日は3つでお願いします……と、いつかの屋台で仕事帰りに土産を買い求めるスイシェン。そうして、いつもながらに愛想のいいおばちゃんから、代金と引き換えに包子の包みを受け取る。
「そうそう、メイちゃんの様子はどうかね?」
「お陰様で、元気ですよ。実は今日1つ多めなのは、彼女のためでもあるんです。……最近、妙に腹が減るみたいで。夕食まで待てないと言われるものですから……」
「そうだったの。まぁ、それは無理もないわね。今のメイちゃんの体は1人だけのものじゃないし。そう言うことなら……はい。もう1つ餡入りを持っておいき。食べ過ぎは良くないだろうけど、我慢させるのは可哀想だ」
「ありがとうございます……気を遣わせて、すみません」
「いいってこと。さ、そうとなれば、こんな所でモタモタしていないでお帰り。夜は意外と物騒だからね。気をつけて」
ありがとうとにこやかに応じながら、慣れ切った帰り道を急ぐスイシェン。
暗黒神がこの世界からいなくなってから、約3年。今のスイシェンはルーシンから受け継いだ武器屋の店主として、クァンロンでひっそりと暮らしているが。諸事情により突然引き継いだ店を潰さないようにと、最初の頃は死に物狂いだったのも、今となっては懐かしい。
こうして無事にやってくるようになった夜空を見上げながら……今頃、ルーシンはどうしているだろうかと、思いを馳せるものの。未だに、先代を恋しく思っては店主としての身の上に馴染めずにいるのだから、情けないと力なく笑ってしまう。
アケライがその身を呈してまで、暗黒神・バダルハの魂ごと紅月に封印したまではよかったものの。夜がやって来なくなってしまうのを防ぐために、ラハイヤは配下の光の神にしばらくの間の代役を任せることにしたらしい。もちろんいくら財福の神とは言え、最初から最高神の代役を務められる程ルーシンは器用でもない。そのため、彼がきちんと夜を呼べるようになるまでの準備期間……約3年は世界には夜という時間が本当に来なくなってしまった。
(だから……夜がやってきた時は、みんな大喜びだったっけ……。ハハ……今頃きっと、ルーシン様もロウパオでも食べて栄養補給しているかな。今夜も……きちんと夜がやってきたのだから……さぞ、お疲れに違いない)
失われて初めて有り難みを感じるのは、人間の愚かなるサガかな。暗黒神がいなくなってからというもの、冗談抜きで夜がやって来なくなった明るいままの世界。寂しくもありつつ、確かな安寧でもあった暗黒の世界の有り難みを再認識した人間達は、寂しがり屋の暗黒神のためにシャムルの跡地に神殿を建ててはしっかりと彼のみを祀ることにしたらしい。それはかつて、彼自身が吐露していた「何かのついでではない祈り」を与えてもらえる場所であり、祠にはご神体として禊中の紅月が収められていた。
「ただいま、メイ。……調子はどうだ?」
「お帰りなさいまし、お前様。……お陰様で、気分はよろしゅうございます。ですけど……」
「うん、分かっている。夕食はすぐに用意するから、それまでこれを食べて待っていて。餡入りと肉入り、どっちがいい?」
「あぁ……どうしましょう……。どちらも甲乙つけ難く、迷ってしまいます……」
「そう? だったら、好きなだけ迷っていいし……両方食べてもいいけど」
「そうしたいのは山々ですが……そんなに食べたら、太ってしまいますわ。お前様に抱き上げてもらえなくなったら、困ります。……ここは、きちんと自重しませんと」
メイシャンはそうしていじらしく、意外と手堅い返事を寄越してくるものの。なぜかその決意を揺さぶるように、包子の袋2つを彼女の前に置いてみせるスイシェン。そうして、やや意地悪な旦那様のやり口に、メイシャンは頬を膨らませつつ……もう我慢ならぬと、まずは餡入りの袋に手を伸ばす。
「あぁ……幸せでございます……! 甘く、とろけそうなこの味わい……! こうして下界で共に暮らすのは……本当に幸せなことなのですね、お前様」
「そう、だな。だけど……メイ。本当に、後悔していないのか? だって……」
「何度言わせれば、ご理解いただけるのです。私はお前様と一緒に暮らせれば、永遠の命など要りませぬ。それに……」
「それに?」
「あのままでは、私も化け物のままでしたもの。……醜い姿は捨てるに限りますわ」
何かを思い出したのか、悔し紛れに餡入り包子を頬張っては、顰めっ面をするメイシャン。そんな彼女に、相変わらず頑固なのだからと、お茶を差し出しつつ……ちょっと意地悪が過ぎたかなと、一方のスイシェンは反省していた。
メイシャンはスイシェンこそと一緒にいることを望み、神の眷属としての立場を捨てようと、ラハイヤに魂を降格してもらっていた。そうして、か弱い人間に成り果てた彼女は輪をかけてスイシェンに甘え、頼るようにもなったが……その依存が今も昔もスイシェンにはどこか誇らしく、心地いい。
(それにしても、醜い姿……か。そう、だな。誰だって……あんな姿にはなりたくないよな。だけど……)
粛々と夕食の準備をしながら、アケライの最後の勇姿を思い出す。魔が者に身を窶してでも、自分を愛していると言い切ったかつての師匠。そんな彼女に守られていた遠い記憶もぼんやりと、引っ張り出しては。壊れてしまわないように硬く閉していた心もようやく、解放する。
アケライがスイシェンから最後の最後まで奪わず、残してくれたもの。生かし、生かされる者の間で交わされたのは、命でもなく、愛でもなく。魂の底から切望した心そのものだった。人の心は誰がどんなに望もうと、誰がどんなに願おうと。決して、作ることも奪うこともできない。ただできる事と言えば、互いに理解し、寄り添うことだけ。だからこそ……。
(……今更、そんな事に気づくなんて。もっと早く……沢山話せるようになっていたら、結果は違ったのかもな……)
「お前様……その」
「うん? あぁ、待たせてごめんよ。もう少しでできるから、もうちょっと……って、あぁ。メイ……結局、2つ食べちゃったんだ?」
「す、すみませぬ……」
別にいいよ……なんて、愛おしげに腹を摩る奥様の様子に、幸せを噛み締めながら。誰かに与えてもらった愛を、今度は自分が誰かに与える番だと……ようよう、納得して。もうすぐ3人に増えるらしい暮らしの何もかもが、スイシェンは愛おしくて仕方がない。
プロットもなく、思いつきで書き出してしまい、ちょっと反省しております。
うん……やっぱり、勢いでやらかすものではないですね。
後からあれも、これもと……設定を膨らませた結果、妙にまとまらなくなりました。
ハハ、すみません。
尚、突然アジアンな感じを書きたくなったのは、夜勤明けで食べた坦々麺のせいです。
朝からガッツリ、空腹に叩き込んだ坦々麺の味わいは大袈裟ではなく、生きていてよかったと思える味わいでした。
……案の定、昼頃に腹を壊しましたけどね。やっぱり、空きっ腹に坦々麺はヘビーだったようです。
兎にも角にも、完結だけはしてやろうと、半ば意地になって書き切ってしまいましたが……。
折角です。こんなご時世ですので、小説の世界だけでもまだ見ぬ世界に思いを馳せてみるのも、イイでヤンすよ。
作者もよく、脳内地球儀で妄想旅行を繰り広げております。
お金もかからないし、夢も見放題。
……まぁ、お腹は満たされませんけど。いつかまた色んな所にお出かけできる日が来ると信じて。
退屈なステイホームで書いてしまった作品にもお付き合いくださった皆様に、感謝をば。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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2022年10月24日追記
厠 達三様から、メインキャラクター2名のFAを頂いたのです!
アケライさん
スイシェン君
ありがとうございます〜!