2人の神と、1人の女神
光に飲み込まれまいと、抵抗すると同時に牙を剥く真っ黒な怪物。そのあまりの威容に、ここまで弟を追い込んでしまったことに、今更ながらラハイヤは後悔していた。
実を言えば、誰かに認めて欲しかったのは、自分も一緒だ。太陽神として崇めてくれる不特定多数の相手ではなく、ラハイヤにこそ寄り添ってくれる特別な相手が欲しかった。だからこそ、彼は自分の側で一緒に輝いてくれる伴侶を、特別仕立ての魂で作り出したのだ。自らの手で、美しい世界の記憶を詰め込んで。自らの手で、清らかな生命の息吹を作り上げ。ラハイヤは最高神に匹敵する程に高尚な女神を創造しては、命を見つめるだけの孤独を埋めようとしていた。しかし……。
(だが……それがそもそもの間違いだったのかもしれん……)
同じ最高神でもラハイヤとは違い、バダルハには魂そのものを作り出すことはできない。彼にできる事と言えば、死神や回収人達が狩り取ってきた魂を見定めては、弄ぶことくらい。しかも、彼らに狩られた魂は輝きを鈍らせた仄暗い罪を溜め込んだものばかり。そんな罪人の魂を使ったところで、ラハイヤの最上級の女神に並ぶような女神を作り出すことは決してできない。だから、バダルハはラハイヤに女神を譲ってくれと頼み込んだ。彼女を譲ってくれた後は、もう1人同じような女神を作ればいいではないか……と。
「兄上が……僕にアケライを譲ってくれれば、そもそも……こんな事にはならなかったんだ。兄上が、僕に何もかもを見せつけるから、いけないんだ!」
「……バダルハ。もう、そのくらいにしておけ。これ以上抵抗するならば、本当にお前を一度消滅させねばならん。……それでいいのか?」
「ハハッ。まさか。いいわけないデショ。ふふ……大体、兄上はこの状況で勝ったと思っているのだから、滑稽だよね。忘れたの? 僕に逆らったら、兄上の大切なアケライも死んじゃうよ?」
「……あぁ、その事か。言っておくが、アケライの刻印は剥奪してあるぞ。……彼女は既に、お前の手中にはない」
「はっ……?」
やれやれ、滑稽なのはどちらだろうな。光の杖をかざして更に影を肉薄すると同時に、ラハイヤがさも疲れたとため息をつく。だが……ラハイヤの行いが一方のバダルハには、どうしても信じられなかった。なぜなら、バダルハの「悪趣味」……つまり、彼に存在そのものを隷属させられている証でもある魂の刻印を剥奪するということは、神の使いではなくなるということを意味している。そしてそのことは本来、バダルハにとって不都合なのはもちろんのこと、ラハイヤにとっても不都合なことに違いない。アケライから神の刻印を抹消すること。それはつまり……魂を普通の人間に戻すということであり、神の伴侶としての資格さえも消失させることでもあった。
元々、バダルハが女神として生まれるはずだったアケライを人間として下界に放り出したのは、どんな手段を用いてでもラハイヤに「仕返し」するためだ。人間の魂はどんなに穢れがなくとも、そのままラハイヤの庭へ辿り着くことはまずない。いくら女神として生まれるはずだったとしても、人間にさえ堕としてしまえば……死後は最初にバダルハの領域にやってくる事となる。であれば……彼女が生まれる度に死神に狩り取らせれば、彼女がどんなに努力をしようとも、絶対にラハイヤの元には辿り着けない。自分に女神を譲ってくれなかった腹いせに、バダルハは自分の領域の中でだけ彼女を何度も殺すことで、ラハイヤから永遠に奪うつもりでいた。しかし……。
「……レディは本当、エラーな存在だよねぇ。あの唐変木のアズラさえも、虜にするんだから。本当に、憎たらしいったらないヨ。そして……僕は、そんなお前が幸せになるのは許せなかったんだ。……分かる? 僕は……ね。いつもいつも、この嫌味ったらしい太陽神の影でしかない。いっつもいっつも、僕はついでに祈りを捧げてもらえるだけ。いっつもいっつも……僕だけを崇めてくれる奴なんて、1人もいなかった。だから、僕も自分だけの女神が欲しかったんだよ。ラハイヤが持っていないような、誰かが欲しかった。自分だけを見つめてくれる相手が欲しかったんだ。それを他の奴が持っていて、幸せそうにしているのなんて……許せるはず、ないじゃない」
だから、作り替えることにしたのに……と、ギリリと何かを思い出したように牙を鳴らしては、ラハイヤを睨みつけ直すバダルハ。折角、人間にしてやったのに。今度は自分ではなく、アズラと一緒になろうとしている元・暁の女神の存在感にバダルハはいよいよ、我慢ができなくなった。そして、アズラとアケライの魂の階級を交換してやることで、今度はアケライこそに「最愛の相手」を奪われ続ける苦痛を与えることにしたが……。
「……本当に、憎たらしいよね……何もかも。まさか、アケライも同じミスをして見せるなんて、サ。……ガッカリだよ、全く。どうして、自分が楽になれる道を選ばないんだろうね、お前達は。……相手を殺しちゃえば、自分だけは助かるってのに」
ポツリとそんなことを悲しげに呟いたかと思うと、バダルハがラハイヤに鋭い爪を振り下ろす。しかし、その一手さえも素気無く光でかき消しては、逆にラハイヤがバダルハを追い詰め、矮小化させていく。あれ程までに大広間中を掌握していたというのに、黒ずんだ闇は見る影もなくグングンと縮んでいくが……しかし、バダルハがその程度のことで、諦めるはずもなく。今度は相手が「人間である」ことを最大限に活かそうと、「悪趣味な最終手段」に打って出た。