届かない言葉
「兄様、時間を稼ぐというのは……こういう意味だったのですか?」
「そうさね? だって、魔が者を殺さずに元の状態に戻せるのは最高神だけだもの。その内の話が分かりそうな方を呼ぶのは、当たり前だと思わんかね?」
「……それ、先に教えてくださっても良かったのでは?」
恰幅のいいルーシンに戻ったマハカラと、化け物の姿と一緒に羽毛を脱ぎ捨てたメイシャンとがそんな事を言い合う前で……いよいよ、最高神同士の戦いが始まろうとしていた。もちろんその光景は呑気に見つめていていい状況では決してないが……。
(……これはもう……見守る他、なさそうか……?)
その争いはあまりに熾烈で、加勢しようにも却って足手まといになりかねない。
であれば、本当はアケライもスイシェンの容体を確認したいのだが……。結局、彼女がスイシェンにできたことと言えば、ただただその怒りを煽ることのみ。一方でメイシャンは自分の身を削っては、こうして彼に一時の安眠を齎らす事さえできている。彼が目覚めない事には、アケライに対する彼の反応がどんなものかは、今ひとつ分からないが。……それでも、この大広間で再会した時の彼は明らかに「怒っていた」。まるで……。
(もう何も奪うなと、言うかのように……)
偽りの婚礼だと思い込んでいた彼らの関係性は意外にも、本物になりつつあるらしい。見れば、メイシャンがさも当然のようにスイシェンに膝枕をしては、その寝顔を愛おしそうに見つめている。そして……あれ程までにメイシャンに刺々しい態度を取っていたルーシンも、その様子をどこか嬉しそうに見守っているではないか。
「……アケライ、大丈夫か?」
「ユンルァ、か。……ラハイヤ様を呼んで来てくれて、ありがとうと言うべきなのだろうな。……お陰でスイシェンは死なずには済むらしい」
「そのようだな。しかし……お前はそれでいいのか? ……あの子と一緒にいるために、神の庭までやってきたのだろうに。このままでは、あの娘にスイシェン君を取られてしまうぞ?」
「……」
そんな事、言われなくても分かっている。だけど、今の彼の周りにはアケライの居場所は最早、ない。アケライもスイシェンも。互いに「身代わり」という拠り所を共有して、一緒に過ごしてきた時間があったことを既に痛感し過ぎていた。そして、その理由をしっかりと同じ意味で認識していたのにも関わらず、その関係性が一方的であり過ぎたために……疲れたスイシェンの方がとうとう、自らの夢の方を諦めたのだ。
アケライにこそ、認めてもらうこと。アケライの後ろではなく、隣こそを歩きたいのだということ。しかし、その望みをスイシェンが諦めてしまった時に、一方的だったはずの関係性は崩れてしまう。スイシェンの中では既に、アケライはただただ綺麗なだけの思い出の人に成り下がっていた。
「ユンルァ。ところで……あれは止めなくてもいいのか? このままだと、バダルハの方が消滅しかねんぞ」
「……その辺りは我が進言できる範囲を超えている。おそらくこのやり様には、流石のラハイヤ様もお怒りなのだろう。この城で犠牲になった魂には、明らかに魔が者にはなり得ないはずの者も含まれていた。無実の民に無理やり毒を盛って化け物に仕立てたのだから、その所業は例え神だったとしても許されぬ」
「だが、バダルハがいなくなったらこの世界のバランスが崩れてしまうのではないか? ……暗黒神がいなくなれば、夜が永遠に来なくなる。それでは、この大地は雨を待たずともカラカラに干上がってしまう」
「そうだな。だが……ふむ、あのご様子であれば大丈夫だろう。ラハイヤ様はそこまで軽率なお方ではない。きっと、ある程度弟君を懲らしめたら、矛を収めるだろうて」
光と影の力具合は、確かに絶妙に拮抗しているように見えるが。アケライの目にも、そしてユンルァの目にも……実際のところは光の方が明らかに優勢だと見えていた。掻き消されまいと獰猛に喚く闇に対し、穏やかな熱で仄暗い怨嗟までもを影もろとも溶かしていく光。先程まで、あれ程までに不気味で冷たかった空気ごと温めては、ラハイヤが容赦無くバダルハの陣地を奪っていった。
「……う……ん」
「あぁ……お前様……!」
「メイ……シャン? それに……ルーシン様? えぇと、俺……は?」
「無事で何よりだよ、シェンちゃん。意識もちゃんとあるみたいだし、一安心といったところかね?」
そんな中、ラハイヤが放つ眩しい光に触発されたのか、アケライの背後でスイシェンが無事、目覚めた様子。少し意識は朦朧としているようだが、ルーシンとメイシャンとをしっかりと見定められる時点で、彼自身は死んではいなかったようだ。しかし……。
「……シェン、私は……」
「アケライ……相手があなたであろうとも、メイシャンを狩り取らせることは絶対にさせない。例え、差し違えたとしても、俺は……」
「別に私はそんなつもりでここに来た訳ではない。ただ、お前に会いたくて……」
だけど……その先の言葉を、アケライには紡ぐことができなかった。蒼天と分離されて、魔が者としての姿を解けたとしても。深い瑠璃色の瞳には憎しみだけは解かれずに、しっかりと残されている。ぼんやりしていたはずの意識さえもしっかりと持ち直したと思えば、一転、鼻筋に皺を寄せて威嚇するようにアケライを睨みつけるスイシェン。すぐ近くにいながらも、根強い拒絶による果てしない距離感を前にしては……アケライの言葉はスイシェンには届きそうもなかった。