影を食い尽くす光
「本当に気に入らない……みんな、みんな、気に入らない……! どうして、僕がこんなに我慢しないといけないんだ? 僕は……この世界の神様なのに!」
スイシェンの後ろで蠢いていた闇が、あまりに自分勝手で傲慢な怨嗟を響かせてくる。そうして、まずは最も気に入らぬ相手を痛めてつけてやろうと、少しだけ意識を朦朧とさせ始めていた漆黒の悪魔を強か殴りつける。
「お前様ッ! ……な、何をするのです、トト様!」
「うるさいよ、メイシャン。いいじゃないか、どうせそいつは人間なんだから。死んだって、またどっかで生まれてくるだけだし。それに……そいつがいたせいで、僕は欲しいものを手に入れられなかったんだ。だったら……殺しちゃってもいいだろう?」
ゾワリと形を持った影が壁に叩きつけられたスイシェンを摘み上げると、今度はそのまま握り潰してやろうと力を込め始める。メイシャンの麻酔がようやく効いてきた今の彼に、その戒めを解く術はない。そんなスイシェンを握り殺されてはいけないと、慌てて3人で力を合わせてはバダルハに武器を振るうが……器用に攻撃を受けた部分だけを霧散させては、手応えすら与えてくれない。
「うぐッ……ガハァッ……!」
「こ、このままではスイシェン様が握りつぶされてしまいます……!」
「しかし……攻撃が当たらないとなると、どうしたもんかね。アケライ……あいつの弱点を探せそうかい?」
「……先程から探しているのだが、見つからないのだ。そもそも、手応えがない以上……あの状態のバダルハに、弱点らしい弱点はないかも知れない……」
もちろんアケライとて、無駄に紅月を振るっていたわけではない。バダルハがスイシェンを握っている時点で、きちんと形を持っている部分もあるはずなのだから、攻撃が通じる部分もあるはずなのだが。しかし、そこは相手は最高位の暗黒神というもの。欲望が赴くまま、全てを恣に。意地悪く空間そのものを掌握せんと、ジワジワと弱点も隙もない影を広げていく。
一方で……そんなバダルハが鋼鉄の肌をグイグイと握りしめても、なかなかにスイシェンだった悪魔は砕け散ろうとしない。そのあまりに頑固な様子に、苛立つと同時に場違いにも空腹を感じるバダルハ。そうして、一思いに潰そうにも潰れない「婿殿」を握りしめつつ……今度は握力の原動力を補給しようと、ガタガタと震えっぱなしの看守をヒョイと摘み上げる。
「意外としぶといね、こいつ。……う〜ん、伊達に蒼天を取り込んでないか。あっ、そうだ。うん、うん。やっぱり、腹ごしらえは大事だよね。腹が減っては、何とやら。力を出すには、エネルギーが必要かも」
「な、何をされるのです、バダルハ様!」
「さっきも言ったじゃないか。お前みたいな能無しはいらない、って。それに……僕、ちょっと力を使って腹が減ったんだよね。だって……ほら。この城に転がってるのは魂の抜け殻だけだもの。そんなスカスカな奴らを吸収しても、ちっとも力が湧かないんだよ。お前の魂だったら、腹を壊さなくて済みそうだし……ちょうどいいかも」
「ま、待ってください! バダルハ様! 後生ですから!」
やなこった。神様らしからぬ投げやりな言葉遣いで、ハッキヤムの懇願も受け流すバダルハ。そうしてパックリと大きな口を開くと、まずは足を噛みちぎっては、バリバリと骨ごと貪り始めた。
「い、痛い……痛い、痛い痛い! ……ば、バダルハ様……!」
「あぁ〜、うるさいなぁ。もう……食事はゆっくりと上品にいただきたいタチなんだけど、僕。ま、いっか。骨ばっかで、大して旨くもないし。勿体ぶらずに、一気に食べるとするか……」
そうして一思いにハッキヤムを口に放り込み、身の毛もよだつような気色の悪い効果音を響かせて、ゴクリと飲み下すバダルハ。骨ばかりの粗食の味はよろしくなくても、力はきちんと湧いてくるものらしい。今度こそ骨ごと粉砕してやると、握った手に力を込め始めるバダルハだったが……。
「うん? あれれ? 力が抜けていく……?」
「そこまでだ、バダルハ。……お前、こんな所で何を悪ふざけをしておるのだ。あれ程までに面白半分に下界の魂を弄ぶなと、言ってあったろうに」
「別にいいじゃん、人間の魂なんて。それとも……なに? 兄上まで、僕の邪魔をするの?」
「この状況では、そうならざるを得ないな」
空間中を染め上げようとしていた影を覆す眩い光を纏って現れたのは、バダルハと同じ最高神でもあるラハイヤその人。ユンルァに呼ばれてやってきた太陽神は、弟の所業の悪趣味さに首を振りつつ……さも悲しそうに肩を落とす。それでも、まずは「お願い」を叶えようと、慈愛に満ちた光でバダルハに握られていた悪魔を包み込んでは、いとも容易く青年と蒼天とを分離させて見せた。そうして、柔らかく彼の足元に降ろされたスイシェンは気を失ってはいるものの、辛うじて無事ではあるらしい。メイシャンの麻酔の効果もあって、意外にも穏やかな表情で寝息を立てていた。