面倒な子供達
「お前様……?」
旦那様の姿を探して、廊下を抜け切った大広間に広がっていた光景はメイシャンにしてみれば、裏切りの情景でしかなかった。確かに最初は文句も言ったし、どうせ人間なんて大差ないと言ってもいたが。例えキッカケが蒐集癖の拡充だったとしても、メイシャンにとって今やスイシェンは「失いたくない相手」でもある。それなのに……。
「ハッキ……これはどういう事かえ……? 私の旦那様に……何をしてくれておるのだ……?」
「メ、メイシャン様……い、今はそんな事を言っている場合ではなくて、ですね……」
「ほぅ?」
見ればハッキは情けない事に、メイシャン以外の相手にも命乞いの最中であったらしい。彼に対峙するは、漆黒の肌を顕し、4本の腕に思い思いの武器や法具を持ち寄った戦神。その姿こそがルーシン……かつてマハカラと呼ばれた荒神の本性であり、普段の彼がやや肥満体型だったのは残り2本の腕分の質量をその身に収めていたからに過ぎない。そんな見るからに凶悪そうな戦神を前に恐れ慄き、傅くハッキの様子は……ただただ、哀れな負け犬のそれである。
「おんや? ……お前さんは確か、シェンちゃんと無理やり祝言を挙げていた小娘ではないかね。……この軟弱者に聞いた話だと、シェンちゃんを所有したいとかで攫ったんだろう?」
「い、いや……違う……。私は……今の私は、ただ……旦那様を探しに……」
「ふ〜ん、そうかね。だったらば、お生憎様だぁね。お前さんの御用人のお陰で、シェンちゃんはあの状態さ。あたしがこいつを締め上げて暗示を解いても、もうもう元に戻る事もできない。……やれやれ。本当に、なんて事をしてくれたんだい。あれじゃ……最高神でもなきゃ、元には戻せないよ」
本当はユンルァにその最高神を呼びに行って貰っているのだが、そこは伏せつつメイシャンを意地悪く詰るマハカラ。そんな叱責を横目に、これはチャンスと一方のハッキがそろりそろりと逃げ出そうとしているが……。
「ちょいとお待ち。お前さん……このマハカラの心眼を前に、無事に逃げ果せるつもりかい。そうはいかないよ。……逃げ出せないように、まずはそのヒョロ長いだけの足を捥いじまおうかね」
「お、お助けを、マハカラ様。私はその……メイシャン様とバダルハ様のご命令に従っていただけなのですよ。この通り、今は妖術も解いておりますからに……」
「なっ、ハッキ……貴様、この期に及んでこのメイシャンを裏切るつもりか⁉︎」
「えぇ、えぇ。私はあなた様に誑かされていただけですもの。スイシェン様を攫ったのも、あなた様のご命令通りでしたよ?」
「フゥン? 随分と醜い有様だねぇ……。だったら、その情けなさに免じて、条件付きで許してやろうかね」
「流石、護法善神様でいらっしゃる。慈悲深きその心は海よりも深く……」
「おや? 何を勘違いしておるのかね。あたしゃ、そんなに清らかな存在じゃぁ、ないよ。何せ、所詮はバダルハの黒歴史だからぁね。今、条件付きって言ったろう?」
マハカラは意味ありげに口角を上げて、ニィッと牙を剥くと……懸命にスイシェンを止めようとしているアケライの方を顎で示す。そうしてハッキにこの上なく悪趣味で、至極当然なお題を言い渡した。
「……責任持って、シェンちゃんを元の姿にお戻し。それがお前さんを助ける条件さね」
「そ、そんな……! だって、今……あなた様もおっしゃっていたではないですか! 最高神でもなければ、元に戻せないと……」
「あぁ、確かに言ったね。しかし、あれはお前さんが仕組んだものだ。治せて当然じゃぁ、ないのかい? ……できないのであれば手足を捥いで、それこそあたしの慈悲のように深い海にでも沈めてやろうかね。手足に染みる塩加減もまぁまぁ、よろしかろう?」
「ヒィッ……!」
ハッキヤムは今まで実験台を使って強力な魔が者を「作る」事こそ模索してきたが、そうして生み出された魔が者を「戻す」方法は考慮すらした事もなかった。どうせ、人間の魂など丁重に扱わずとも輪廻の輪に戻されて、極楽を目指して新しい人生を足掻き直すだけだ。魂の看守からしてみれば、人の命や魂は救うに値しない遊び道具でしかない。
しかし、今まさに……ハッキは自身の傲慢と怠慢に強か足を掬われるどころか、捥がれようとしている。きちんと魂を扱うことを考えていれば、マハカラの慈悲を引き出す条件を満たす事もできただろうに。
スイシェンを戻す手段も示せず、生き延びる手段もないハッキはとうとうその場で膝を折り、床に頭を擦って……最大限に見窄らしい命乞いを始める。とにかく命だけは助けてください。それは散々他の命を踏み躙ってきた者の口から出るにしては、あまりに虫の良すぎるご要望だが。しかし……そのご要望を「少しだけ」叶え得る相手が、ハッキの影の中からゆっくりと現れた。
「もぅ……いつまで待たせる気なの、ハッキヤム。アケライを無事呼んでくれたのは、褒めてあげるけど。……主人をこんなにも待たせちゃ、いけないよ」
「リュイバン様……い、いいや、バダルハ様! その……聞いてくださいよ! あなた様に折角生み出してもらったというのに、このマハカラとメイシャンとで私を虐めては……邪魔するのです!」
「ふ〜ん……マハカラはともかく……メイシャン。どうして、お前まで邪魔してるの? いつも通り遊んだらどうなのサ、スイシェン君とやらと。きっと、楽しいよ?」
「……トト様……。私は婿殿を失いたくございませぬ。……スイシェン様とであれば、このメイシャンも普通の娘でいられると思うのです。お願いです、トト様。あなた様であれば、婿殿を元に戻せますでしょう?」
「……本当に面倒臭いなぁ……。お前達は……揃いも揃って、僕の言うことを聞かないんだね。いい子なのはハッキヤムだけかな?」
「も、もちろんですとも!」
先程までの涙の訴えも忘れましたとばかりに、中身はバダルハらしい皇帝に擦り寄るハッキヤム。その姿は情けない以上に、ただただ滑稽なだけだったが……その素直さがますます、気に入ったらしい。バダルハもまた、意味ありげに口角を上げて、ニィッと牙を剥くと……ただただ、射抜くようにハッキヤムを見つめていた。