喘ぐ喪失感
婚礼の儀が大々的に執り行われるのは、昼過ぎから。しかし、こうして領民達が我先にと朝から集まったのは、他でもない……シャムルの婚礼ではどんな相手にも寿桃包(桃の形をした饅頭)と紅包(金一封)が配られるためである。しかし、当然ながら引き出物の「数には限りがある」ため、こうして彼らは幸せの演出をすると同時に、おこぼれに与ろうと集まってきたのだ。
「……なるほどねぇ。お駄賃もだけど……ここいらじゃ、寿桃包はちょいとした高級品だものね」
「そうなのか?」
「そうさね。なにせ、こっちじゃ砂糖自体が貴重だから。うちの小僧達も現金支給よりも菓子の方が良いって言うくらいだし。その上、寿桃包は基本的にハレの日の食べ物でさ。庶民が滅多に口にできるもんじゃぁ、ない。毎日が贅沢三昧の天上人とは事情が違うんさ」
「う、うむ……下界での生活は中々に厳しいのだな……」
天上人と揶揄されても、温厚でやや機知には乏しいユンルァはルーシンにやり込められっぱなしである。それでなくても、ユンルァは場違いにも程がある豪奢な袈裟を着込んでいるせいもあり、やや悪目立ちしている感がある。それでも、ふぅむと……神様の遣いらしく、人間達の暮らしを余すことなく観察しようと言うことなのだろう。「下界慣れ」しているルーシンをガイド代わりに、土埃まみれの日常生活にも興味津々の様子だ。
そんな神様コンビが呑気に世間話をしている横で、アケライはこの国ごと婚礼とやらをぶち壊してやりたい衝動を抑えるのに必死になっていた。異物であるはずの自分さえも否応なく包み込む、何かを見せつけるように満ち溢れている幸せの空気がとにかく気に入らない。その上、こんな所で「足踏み」をしていたのでは、いつまで経ってもスイシェンに会えないではないか。こうなれば、強硬手段に出るしか……。
(……)
いや、それはいけない。ここは落ち着いて、しっかりと機会を窺うべきだ。
暴れ出しそうになる欲望を既の所で鎮めては、アケライは気分を紛らわせるように遠くに見える王城に目を凝らす。あの城の中にスイシェンがいると思うと、目の前を塞ぐ人間全てを切り捨ててしまいとさえ、思うものの。……流石に無関係で罪のない相手を屠れるほどには、アケライも冷静さを失ってはいなかった。
何をそんなに熱くなっているのだろう。それよりも、こんなにも何かに夢中になったのはいつ以来だろう。この情熱を最後に感じたのは、いつだったか……?
(……あぁ、そうだ……。この感情はそれこそ……)
アズラを失った時と同じ、渇きの感傷ではないか。そして、喪失感を埋めようと無我夢中に剣を振るってきた、血塗られた記憶がアケライの中で共鳴し始める。そこに眠るは仄暗くも確かに燃える、足りないものを満たしたい欲望。いくら冷徹であろうとしても、いくら冷静を装っていても。……心の奥底に確かに植えられた火種が、熱を失うことは一度もなかった。
「おぉ! メイシャン様!」
「メイシャン様がお見えになったぞ!」
「あぁ……なんて、麗しいのでしょう……!」
「それと、お隣に座すのが……もしかして?」
アケライが抗い難い微熱に頭を悩ませていると、突如、周囲の領民達が更に嬉しそうな様子ではしゃぎ出す。どうやら、メイシャン様とやらは相当にせっかちなお人らしい。祝言の儀こそ本格的に始めないにしても、領民達に顔を出すくらいの奉仕精神も持ち合わせている模様。どこか誇らしげに、かつ自慢げに……彼女の手を優しく下から包む噂の婿殿に伴われ、真紅の花嫁衣装に身を包んだその姿は、確かにとても麗しい。
「……おいでなすったね。あぁ、あぁ……やっぱりと言うか、何と言うか……」
「それで……その。彼女の隣にいるのが……スイシェン君か?」
「そうだよ。……あれは紛れもなく、シェンちゃんだぁね。さてさて……この状況はあの子の意思かな。それとも……」
違う……違うと言ってくれ。これはスイシェンの意思ではないと、誰か……言ってくれ。
しかし、アケライの心の声が果てしなく幸せそうに見える彼らに届くはずもなし。揃いの赤い婚礼衣装に身を包んだスイシェンの姿も誇らしげに見えるのだから、アケライにしてみればこの空間の全てがひたすら疎ましい。普段は後ろで結っていたはずの墨色の髪を頭頂部でしっかりとまとめ上げ、冠を抑える簪の輝き以上に……スイシェンの穏やかな笑顔が眩しかった。