望むは回帰
スイシェンがお客人に拐かされそうになっている、その頃。アケライはとある人物に会うために、特定のルートを辿って神の庭へ踏み入れようと旅をしていた。死神の身であれば、元の住処でもある庭へ「帰る」ことも容易かったのだが……降格している今の彼女に「顔馴染み」の誼で無条件に神域へ踏み入る資格はない。だから、こうして粛々と退屈な「試練」をこなし、強行突破も辞さぬと尚も歩みを進めては、アケライはため息をつく。……これだから、上司の悪趣味に付き合うのは、嫌なのだ。
「……ほぅ? これはまた、珍しいお客人が来たものだ。そなたであれば、そこまでせずとも神の庭へ辿り着けるだろうに」
「ユンルァか。……ようやく、少しは話が分かる奴が出てきたか」
「その言い様だと……大主様に逢われるおつもりか」
「あぁ。……そのつもりで、ここまで来たのだ」
極楽への道を守る大量の鬼神やら番人やらを素気無く降して、尚も飄々と「神の前庭」の庭番でもあるユンルァに目的を白状するアケライ。そんな彼女の真っ直ぐでありながらも……切迫した翳りを見せる瞳の色に、フゥとため息を吐きながら。あまり気乗りはしないにしても、それでも仕事だからと、アケライに「その意思」があるのかをユンルァが問う。
「お前は相変わらず冷静に見せかけて、芯は熱いのだから手が焼ける。……そこまでして、戻りたいというのか?」
「あぁ、そうだ。……私は……」
あの子と一緒に過ごすために、相応しい存在へ回帰したい。元は神として生まれるはずだったと言われようとも、アケライが望むのは永遠の理想ではなく、刹那の真実。自分が望む命で、自分が望む相手と共に生きていたい。……ただ、それだけである。
「そう、か。だったらば……行くぞ、暁の女神よ。我こそはユンルァ、神の前庭を守護する最奥の番人なり。我が主人・ラハイヤへ目通りを願うのならば、その力、我に示してみせよ」
「無論、臨むところだ」
アケライの返事をしかと受け取り、ユンルァがその手にカッカラの1振りを構えれば。彼の隙のない佇まいに、アケライも多少は本気を出さねばと腰を落とす。相手はラハイヤの守護者にして、神の庭でも最上位階級の眷属が1人。基本的に穏やかな性格ではあるが、そこは最強クラスの番人というもの。アケライの剣戟も器用に錫杖で弾き、シャンシャンと軽やかな金の音色を打ち鳴らしては……畳み掛けるように痛烈な連続攻撃を軽々と放ってくる。
「……風を斬る、とはまさにこのことを言うのだろうな。カッカラはどう見ても、刃物の類ではないように見えるが」
「我とて、伊達に番人をやってはおらぬ。この錫杖は、辿りし者が神の庭へ足を踏み入れる資格を問うためものもの。決して、相手を打ち据えるためのものではないが……資格なき者に、諦めさせるくらいの効果は見込めようぞ」
その言葉は要するに、ユンルァはアケライを認めていないということである。しかし、それは彼女自身を認めていないのではなく、彼女をラハイヤに会わせるべきではないという意味での「資格なき者」と判断しての拒絶だった。
このままアケライとラハイヤがそれぞれの主張をぶつければ、間違いなく互いに傷つくだろう。彼らの事情を知り尽くしてもいる最奥の番人だからこそ、ユンルァは断然とアケライの行く手を阻みながらも……その実は心を痛めていた。
(……アケライをここまで必死にさせるとは。……アズラは本当に罪作りなことをしたものだ。そして……)
この様子だと自身の主人だけではなく、気難しい弟君さえをも落胆させるだろうと、ユンルァは渾身の一撃を放ちながら悲嘆に暮れていた。アケライはラハイヤが自身の側に置くことを望んで作り上げた「最高の伴侶」であり、それと同時に、バダルハの嫉妬心をこれ以上ない程に刺激する「羨望の伴侶」でもあった。美しいのはもちろんのこと、その魂は高潔で甘美な輝きに満ちている。それなのに……暁の女神の眩い金色だったはずの瞳はバダルハの横恋慕の結果、闇夜を思わせる紺碧色へと暗転してもいた。
(手に入らぬのなら、堕としてしまえ……か。バダルハ様は本当に、問題ばかりを起こすのだから)
あろうことか、バダルハはラハイヤの作り出した女神を渇望し、アケライを譲ってくれるよう頼み込んだ。しかしラハイヤとて、自身のために丹精込めて作り出した女神を易々と手放したくはない。だから、そればかりはご勘弁をと、できる限り穏便に断ったつもりだったのだが……バダルハがその程度で納得するのであれば、それこそ、苦労はない。バダルハは兄の不承を非情だと決めつけては怒り狂い、その腹いせにアケライを譲ってくれないのなら、それを手にする契機を無理やり掴もうと、バダルハは彼の領域である下界にアケライの魂を落としたのだ。もちろん、流石にお人好しが過ぎるラハイヤでさえも、バダルハのやりようには怒りを露わにしていたが。それでも……彼がバダルハを必要以上に責めなかったのは、アケライの在り方に自身も躊躇していたからだ。
(と……思い出に浸っている場合ではないな。とにかく……アケライには諦めてもらうより他、あるまい)
彼が放った一撃は、見ればアケライが立っていたはずの白亜の地を深く抉っていた。その威力はグラグラと大地を揺らし、周囲の空気を衝撃で震わせては……辺りの景色さえも崩す程。それでも、その衝撃を地に深く突き刺した紅月頼りで受け止め切ると、アケライはユンルァの攻撃の隙を狙って突進する。
「……その程度で我が肌を傷つけられると思うな、暁の女神。我の守りに隙はないぞ」
「いいや? あなた自身に攻撃を加えるつもりはない。……今の今まで、攻撃を避けているだけだと思われていたのなら、心外にも程があるな」
「……なに?」
目標は相手を降す事ではない。相手を納得させることだ。そして……その権威を担っているカッカラこそに狙いを定めては、紅月の斬撃をここぞとばかりに叩き込む。
「なっ……!」
「こちらも伊達に死神をやっていたわけではないのでな。……相手の弱点を見抜くのは得意中の得意だ」
頼みのカッカラをスパリと手折られては、百戦錬磨の番人とて、焦らずにはいられない。その明らかな焦燥を見届けながら、アケライは今度こそ彼を納得させようと腰を落としては紅月に集中し始める。
「……そう、か。お前は…そこまでして、望みを叶えようというのだな」
「あぁ、そうだ。……今度こそ、望む形で終わりを迎えたい。だから……」
その旅路を邪魔する者は誰であろうと、許さない。
アケライの強い意志を感じては、対するユンルァは命を乞うのではなく、潔く女神の理不尽な粛清を受け入れようと覚悟を決める。そして……。
「……両者、そこまで。……もう良いぞ、ユンルァ。彼女を通しておやり」
「ラ、ラハイヤ様……!」
「暁の女神よ。ユンルァに膝を着かせるその実力……このラハイヤ、しかと見届けた。……話を聞いて進ぜようぞ」
「まさか、あなたがここまで出てくるとは思いもしませんでしたが。……私とて、これ以上事を荒げるつもりもございません。ここで剣を収めさせて頂きましょう」
懐かしくもありながら、険しいラハイヤの表情にため息をつくアケライ。悪趣味な上司と瓜二つの顔で、そうも見つめられれば居心地も非常に悪い。しかし……今は彼こそを頼らねばならぬと、嫌悪感さえも飲み下して。粛々と自身の望みを伝えようとアケライが言葉を紡ぐ。……望みが叶わぬのなら命も魂も、もう要らぬ……諦めにも近い激情をもその声に乗せて。気づけば、アケライは死に物狂いのお願いを創造主に余す事なく、ぶつけていた。