僕はウルトラマンに変身して、ママを助けに行きたい
企画『夏のホラー2021』のお題「かくれんぼ」をテーマに書いた作品です。
僕は、冷たい石の廊下を必死で這っていた。
どこかに逃げないと。
どこかに隠れないと。
あいつらに捕まったら、また僕は実験台にされてしまう。
毎日、あちこちの部屋から人の泣き声や悲鳴、叫び声が聞こえる。
他に捕らえられて来た人達も、次々ひどい目に逢わされているのだろう。
周囲では様々な機械の音が鳴り、バタバタした足音やキンキンした物音がそこら中で響い合い、脳髄が焼き切れそうだ。
多分、このままだと、遠からず殺されてしまう。
そう確信した僕は、夜中にトイレに行くふりをして、1人の大人の後をこっそりとつけて、そっと広い廊下に出た。
ベッドの布団は、枕と上着で膨らませてある。しばらくはあいつらは、気付かずにいてくれないだろうか。
その間に、できるだけ遠くに逃げ出すのだ。
僕は、柱の陰にそっと隠れて様子を伺った後、人気の無い隙をみて、階段を探した。
僕は自分が何階にいるか分からない。
でも、多分階段を降りたら外に出る出口がどこかにあるはずだ。
僕は、非常階段の手すりの下に身を屈め、誰かと鉢合わせしないように、そろりそろりと階段を降りて行った。
ギーィィィ………
バタン !!
夜の静寂の中で、ドアが開閉する大きな音と、階段をパタパタ降りるせわしない足音が聞こえてきた。
こっちに来る!
僕は、呼吸の音を悟られないように、さらに身を屈めて、ぐっと息を潜めた。
足音は、僕の隠れている階段の、すぐ上の踊り場で途絶え、またドアの開閉音が聞こえてくる。
みつからずにすんでホッとした僕は、さらに下を目指して階段を降りて行った。
階段の一番下にたどり着いて、非常階段の外に出てみると、そこは暗闇だった。少し先に、薄暗い非常灯だけが見える。
僕は、壁づたいに闇の中を進んで行った。
カサカサカサ……
コソコソコソ……
パサパサパサ……
足元で何かの気配がする……
悪寒がしながら、暗闇に慣れてきた目で足元に目を凝らすと、無数の小さな黒い影が床をカサカサと動いているのが見える。
……!
……これはあれだ!
時々、家に出没して、ママが悲鳴をあげながら必死に追いかけている『ゴキブリ』だ。
1、2匹程度なら、ママみたいに悲鳴をあげるほどじゃないが、今は無数にいる。
そして手元には、追い払うための武器も殺虫剤もないのだ。
それはまるで、黒い影のようにワサワサとうねって、僕を足元から飲み込もうと大群で覆い被さって来るかのようだった。
ひそやかに、数匹が僕の足を這い上がってこようとしている。
そいつらは、普通のゴキブリと違い、ちょっと大きくて、口があるように見える。
先頭の奴は、僕を見て、ニヤリと口元を歪めたような気がした。
背中の羽が少し膨らむ。
僕は冷や汗をたらしながら、悲鳴を必死に飲み込んだ。
飛びかかってきた先頭の奴を、手足をめちゃくちゃに振って払いのける。
ダンダン! と足音を立てて、逃げるために数歩足を踏み出す。
足裏に、ブチイィとした、嫌な感覚を感じて、首筋の毛が逆立つような気がした。
奴等は僕の勢い押されたのか、波のようにうねりながら、廊下をズササッ! と左右に分かれていった。
僕は、廊下の中央をメチャクチャに走る。
喉からはヒューヒューと息が漏れ、頭がくらくらして目が霞んでくるが、それでも走った。
立っていられなくなってきたら、手と膝をついて、這うように進む。
ようやくたどり着いた、廊下の行き止まりはシャッターだった。
せっかくここまで来たのに、外に出られないじゃないか!
シャッターの下に手を差し込んで引き上げようとするが、もちろん僕の力ではいかんともしがたく、びくともしない。
息が切れた僕は、その場にへたりこんで、ゼイゼイ深呼吸を繰り返しながら少し休憩をする。
僕をここのやつらに引き渡した時、目を腫らして泣いていたママ。
もしかして、ママまであいつらにひどい目に合わされていたらどうしよう。
早くここから逃げ出して、ママの様子も見に行かないと。
場合によっては僕が助け出さないといけないのだ。
もし、ウルトラマンみたいに変身ができたら、すぐにママの所に飛んで行けるのに。
僕は暗闇の中を見回す。
ふと見ると、暗い壁や天井にうっすらと文字や画像のような物が次々と浮かんできた。
強烈な、色や光を見た後に、目の奥に残る残存映像のような影。
フワフワと次々に浮かんでくるが、色や輪郭は曖昧で、何が書いてあるのかも判読しづらいが…
敵はそこだ、敵はそこだ、敵はそこだ、敵はそこだ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
お前ならできる!! 自分を超越しろ!!
何だろうこれは。
気持ち悪くて吐き気がしそうだ。
もしかして、ここの施設は異世界に通じていたりするのだろうか。
人体実験をしている人達が、宇宙人や怪獣の一身だったらどうしよう……。
でも……
これはもしかすると、僕の願いを聞いてくれた神様が、変身して強くなれるような、何か不思議な力を授けてくれようとしているのかもしれない。
少しでも希望や手助けを持ち望んでいた僕は、次々現れる不思議な影や文字の方に手を差しのべ、足を踏み出してみた。
「そこに誰かいるのか?」
懐中電灯のライトがゆらゆら揺れ、誰かがこちらに近づいてこようとする。
慌てた僕は出来るだけ小さくなって、近くにおいてあったいくつかの白い袋の陰に隠れた。
せっかく変身できる機会だったのに!
でも、ここで見つかると、またあいつらの所に連れ戻されてしまう。
ほの明るいライトが、あちらこちらを照らす。
僕はびくびくしながら様子を伺っていたが、相手はそんなに熱心に探すつもりはなかったようだ。
スッと、ライトと足音は遠ざかって行った。
僕は、そっとそっと、足音を忍ばせてその後をつけて行った。
もしかしたら、あの人が行く先に出口があるかもしれない。
ガードマンらしきその人は、奥まった場所にある1つのドアを開けて、中の人に声をかける。
しばらくして、中から2人の男の人が出てくると、ひどく怒りながらバタンとドアを閉め、ぶつぶつ不機嫌に文句を言い合いながら、ガードマンの後をついていった。
僕は何だか興味と不安にかられて、そろりとそのドアに近づいて行った。
そして震える手をノブにかけて、そっと開けてみる。
もしかしたら、捕らわれて、ひどい目に合っている人がいるのかもしれない。
部屋の中からは、嗅いだことの無い変わった匂いがしてくる。
お風呂のような床の上を進み、プラスチック製のカーテンを開けてみると、中央には冷やかに銀色に光る金属の台があった。
そこには1人の人間が横たわっていた。
その人は裸で、全身の肌はネズミ色で、ピクとも動かない。
よく見ると、胸からお腹にかけて大きく切り裂かれていた。
中からは何か、赤と茶色の物がはみ出しているのが見える。
さらに視線を頭の方に向けると、髪の生え際の辺りで皮膚が横に切り開かれ、中から白い頭蓋骨が覗いていた。
金属の台のふちには、赤い赤い金魚が所々でうねうねと泳いでいる。
怯えながらよくよく周りを見渡すと、別の台の上には、ピンクや薄茶色をした、つるつるやしわしわの、様々な臓物のようなものが液体に浸かっていた。
し·た·い·だ!!
もう一度、台の上の身体の方に恐々視線を向ける。
すると、半開きになったうつろな目が、ギロリとこちらを見つめた。
ヒ、ヒィィィ……
僕は今度こそ悲鳴をあげるが、声はかすれて音にならなかった。
慌てて踵を返して、部屋から這うように逃げ出す。
助けて! 誰か! 誰か!
僕は心の中で必死に叫ぶが、ここには敵しかいないのだ。
とりあえず、どこかに隠れようと、焦る気持ちに駆られて、手当たり次第ドアを引っ張ったり、押したりする。
でも、どこもかしこも鍵がかかっているのか、開いてくれない。
掌には汗がにじんできて、掴んだノブが滑り、僕はますます焦っていく。
どうしよう、誰かに見つかったらどうしよう……
ようやく、トイレを見つけて個室に隠れた僕は、少しだけ気持ちを落ち着けて、荒い呼吸を繰り返す。
胸がドキドキと荒い拍動を繰り返し、一瞬、目の前が灰色になる。
やっぱり思った通りだ。
あいつらは人体を使って実験をしているのだ。
今度捕まったら、僕も同じように死ぬまで実験をされるのだろう。
これまでも、毎日のように、数人がかりの大人達に力づくで抑えこまれて、手に何度も何度も針を刺された。
眠くなる薬を飲まされては、変な機械のある場所に連れていかれた。
うつ伏せに抑えつけられて、腰にとてもとても痛い針を刺された事もあった。
あの人達は、どんなに泣いても、お願いしても、絶対にやめてくれる事はない。
昨日もまた夕食が抜きになった。
あの人達は、僕が反抗的になると、時々食事を取り上げる。
ひどい時には水も飲ませてもらえないことがある。
さらにそれでも言うことを聞かないと、ベッドに身体や手をくくりつけられるのだ。
ママまで、ここの人達に僕を引き渡した。
ママは泣いていたから、多分あの人達が脅してひどい目に合わそうとしたんだ。
今頃ママはどうしているだろうか。
無事でいるだろうか。
やっぱり、早く助けに行かないと。
僕の、大切な大切なママ。
ああ、どうして僕はウルトラマンに変身できないのだろう。
人の気配が無いかを確かめて、僕は別の階段を見つけて登り、這うようにして上の階を目指した。
夕食も抜きだったし、ここに来てからおやつも食べさせてもらえないので、力が湧いてこない。
おそらく1階にたどり着いたが、この建物は、どうやらとても古くて、構造も複雑なようだ。
あちこちに曲がり角や建物をつなぐような廊下がある。
建物の中には、人の気配が全くしない空間もあった。
だが、外に出ようにも、どのドアも鍵がかかっているし、窓は15cmぐらいしか開かないようになっているのだ。
僕は、必死になって脱出口を探す。
廊下の先から、人の話し声が聞こえてくる。
僕は慌てて、手近にあったトイレの個室に隠れる。
廊下でパタパタと足音がすると、急にトイレの電灯がついた。
「宇留戸さん、いらっしゃいますかぁ?」
誰かが次々とトイレのドアを開けているようだ。
足音が近づいてくる。隠れなければ!
僕は、中折れのドアの内側に、張り付くようにして隠れ、息を潜めた。
作戦が効を奏したのか、探索者は僕を見逃したようだ。
「宇留戸さん、いた?」
「ううん、いないわ。家に逃げ帰ったのかしら。」
どうやら、僕だけじゃなくて、他の誰かも逃げているようだ。
それはそうだろう。
僕達、人体実験の被害者は、重大な命の危機にさらされているのだから。
さらに、逃げ場を求めて、僕は施設の中をさ迷う。
また、人の足音が近づいてくる。
僕は急いで手近な部屋のドアを引っ張ると、幸い鍵はかかっていなくて、ドアは横にスライドした。
素早く中に入る。
あまり広くない部屋の中央には、1台のベッドがあった。
また死体だろうか。
そう思って逃げようとしたが、ベッドの上の人は身じろぎをして僕に問うた。
「誰? ゆうちゃん? 来てくれはったの?」
僕はゆうちゃんではない。
そう思って立ち去ろうとしたが、その人は目が見えないのか、手を差し出してあちこち空を探るようにこちらに伸ばしてくる。
その姿が、何となく不憫に思えて、思わず僕はその手を握り返してしまった。
その人は、思いもよらず強い力で、痛いくらいに僕をつかんでグリグリと引き寄せようとする。
「ずっと、ずっと待ってたんよ。
本当にずっと……
私の大事な可愛いゆうちゃん……」
よく見ると、その人の長い髪はバサバサで手入れされておらず、両方の眼球は濁って焦点が合っていなかった。
痩せ細った土気色の顔の、口や目の周囲には、かさぶたがたくさん出来て、血が滲んでいた。
僕をつかんできた手は背筋がゾッとするほど冷たい。
片方は骸骨みたいに干からびて痩せ衰え、もう片方はパンパンにむくんで、所々皮が剥けて爛れ、体液がにじみ出ている。
僕は怖くて逃げ出したくて仕方なかったが、同時にどこか哀しさと懐かしさを覚えた。
思い出そうとしても、なかなか思い出せない大切なもの。
温かくて懐かしい誰か……
忘れてはいけない何か……
かあさん…… ママ……
そうだ、僕はあの人を助けにいかなければいけなかったんだ。
大切な大切な、あの人を。
手を振り払おうとすると、その女の人は、すがるようにしがみつき、泣きながら訴えてくる。
「ゆうちゃん、いかんといて。
もう、時間がないの。
後生やから、もう少しでええから、側にいて。」
氷のように冷たい手に捕まれていると、鳥肌が立ってくる。
でも、僕は手を振り払う事ができず、嫌悪感と哀れみが心の中で戦いつつ、しばらくそこに立ち尽くしていた。
その人は語り始めた。
『ゆうちゃん』が産まれてくれて、どんなに嬉しかったか。
大きく育っていくのを見守り、どんなに可愛く思い、心配し、誇りに思っていたか。
仕事が忙しくなり、なかなか会えなくなって、どんなに寂しかったか。
聞いているうちに僕は、側の椅子にへたるようにして座りこんだ。
これまでの疲れが押し寄せてくるような気がして、頭がボーっとし始める。
『ゆうちゃん』という人は幸せだな。
でも僕も、同じように誰かに愛してもらっていた気がする。
そして、誰かを愛していたはずだ。
考えようとすると、脳がキリキリと痛んでくる。
僕をつかんでいた骨のような手の力がふっと緩み、ベッドの側にあった機械が大きな警報音をたて始めた。
「母さん!!!」
突然、男の人とその他数人が、部屋の中に駆け込んで来た。
「勇司やで! 海外出張から帰ってきたで!」
僕はベッドの側から後ずさり、その人に場所を譲った。
男の人は泣きながら、女の人を抱きしめ、女の人は弱々しく手を差しのべる。
どこかで見た光景だなと思う。
……とても、とても、懐かしい……
僕は、何かとても大切なことを忘れているんじゃないだろうか。
考えていると、一緒に部屋に入ってきたうちの1人が僕に問いかけてきた。
「あなたは誰ですか?
ここで何をしているのですか!?」
僕は、僕は……『ゆうちゃん』ではない。
僕は……誰だ?
さらに一歩、目の前に近づいて来た男性は、急に風船が膨らむように、ブワンと巨人のように大きくなった。
目と口が横に裂け、だらりと鼻が伸び、顔全体がいびつに歪み始める。
「うわああぁぁぁ……!!」
僕は叫び、数人の大人達にギリギリと押さえつけられ、そして気が遠くなっていった。
………誰かが遠くで話しをしている………
「………悪性リンパ腫の………脳内浸潤ですね。
治療はしていますが、なかなか難しい病態です。
実際の所、残念ですが、予後も1~2ヶ月程度かと思われます。」
うっすらと目を開けると、白い服を来た男の人と、年若い女性と、また目を赤く泣きはらしたママがいた。
綺麗に化粧をした、若い女性が言う。
「パパ! 私は綾花よ。私のことが分かる?」
そういえば、そういう娘がいたような気がする。
「宇留戸さん……あなたは、自分の名前が言えますか?」
「わ、和差 昭男です」
「生年月日と今の年齢は?」
「生年月日は、昭和40年7月8日、
年は……年は、ええと……」
「和差は旧姓なんです。主人は婿養子ですので……」
ママが悲しそうにそう言った。
僕は、靄がかかったような頭の中が、少し晴れたような気がした。
そして、靄の中にかくれんぼをしていた、大事な大事な宝物が、一瞬姿を現す。
産まれた時から、ずっと愛情を注いでいた、可愛い娘の綾花。
数年前に、癌でこの世を去った優しい母は、僕が大人になってからも、亡くなる直前まで、ずっと僕のことを気にかけてくれていた。
そして、ママ。
長年連れ添った、僕のかけがえのない妻。
プロポーズの時に、生涯守り続けると約束した人。
僕の頭の中には、また靄が押し寄せて来て、僕の大切な記憶を覆い隠そうとしている。
僕はささやいた。
「愛しているよ。
ママも、綾花も。
僕の記憶や命がどうなっても、それだけは覚えていて。」
僕の宝物のような記憶は、また、かくれんぼを始めようとしている。
僕の心は靄に包まれていった。
どうか最愛の家族達が、もう一度僕の宝物を見つけてくれる事を願いながら………
お題を見て、すぐイメージはわいたのですが、
ホラー映画が苦手の私にとって、ホラーの表現はハードルが高かったです……
ホラー小説はいくつか読みましたが、
私にとっての2大ホラーは、
教養書ですが、古代アステカの儀式について解説した本と、
ノンフィクションですが、フランクルの「夜と霧」かなぁ……
残存映像の幻覚は、実際に私が体験したものです。
(変な薬はやっていませんよ-)
時差ぼけで、仮眠をとっている時に金縛りにあい、ノイズのひどいラジオのような音が聞こえると共に、幻覚が見えたことが2~3回ありました。
「これがせん妄か。脳の機能は不思議だな。」
と、思ったものです。
→ え? すでに私は、呪われている?!
(○_○)!!
★一言でも感想、ブクマ、評価等を残していただけると、作者はとてもよろこびます
→ 今後の創作意欲になります。