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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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不穏な気配

『きょう未明、横浜市中区の路上で60代の男性が銃撃され、駆け付けた警察官2名が射殺された通り魔事件について、新たな続報です。警察は今朝、現場で自殺をはかった26歳の男を被疑者死亡のまま殺人と銃刀法違反の容疑で送検したと発表しました。男の身元については現在、明らかになっていません』


『なお、男の遺体には注射針を刺したような跡が多数あったことから、警察は男が何らかの麻薬成分を含んだ違法薬物を摂取した状態で犯行に及んだものと見て、詳しく調べを進める方針です。お伝えしています通り、横浜市中区の路上で……』


 ――ピッ!


 テレビが消された。


「まさか、あの清水クンがねぇ。3ヵ月くらい前からシャブに手を出してるって話は聞いてたけど、こうなるなんて夢にも思わなかったよ。昨日、見かけた時には至って普通だったからね」


 報道の原稿を粛々と読み上げるアナウンサーの声を中断したのは、菊川の声。リモコンを無造作に座卓に置いた後、彼は頭の後ろをかきむしりながら溜息まじりに漏らす。


「厄介な事になったよ。これで村雨組うちは大鷲会に抗争をふっかけたことになる。せっかく向こうが内輪揉めで弱るのを待ってたというのに、何もかもがパーだよ」


「たしかにな」


 若頭の愚痴に対し、一言のみで応じたのは村雨耀介。腕組みをしながら、奥座敷の窓から覗く景色に視線を移していた。外はちょうど、曇天の下で雷が鳴り始めてきたところである。


 この日、1998年8月19日の予報は「曇り」。先ほどのニュースでは神奈川県内に落雷の注意報などは出ていなかったが、空模様は初っ端からだいぶ乱れていた。


 屋敷の近くに落ちたらしい雷の音が徐々に止むのを待ってから、村雨はゆっくりと口を開く。


「とはいえ、既に起きてしまったことを悔やんでも仕方あるまい。これからどう動くか。今、我らが考えるべきことはそれに尽きる」


「藤島は死んでないらしいね。病院に運ばれて意識不明の重体って言ってたけど、さすがの体力だよ。だけど、笛吹殺しの犯人が実は麻木クンだってことは知っちゃったわけだし。幸いにも清水の素性は報道されなかったにせよ、連中が真実を知るのは時間の問題じゃないかなあ」


「そう遠くはないだろうな。戦が始まるとすれば連中が笛吹の死の真相を掴んだ時か、もしくは此度の“通り魔”の正体を知った時のいずれかだ。それまでに戦の備えを固めるとしても、問題はそこから如何に戦いを進めるかだ。ところで涼平、お前はどう思うか?」


 不意に、背中を緊張が伝う。


「えっ!?」


 今の今まで組長と若頭のやり取りに漫然と耳を傾けていたので、こう急に話を振られると戸惑ってしまう。ハッと我に返り、俺は慌てて適当な言葉を返した。


「あ、ああ……たしかに。戦いってなると、けっこう長引くだろうからな。金も要るし、武器とかも揃えなきゃだし」


「何か、良い策はあるか?」


「うーん。分っかんねぇ。けど、大丈夫だ。あんたが『行け』ってんなら誰でもぶっ殺してくるし、派手に暴れてやる。俺もそのくらいの覚悟は出来てるよ」


 いま考えると、だいぶ的外れな答え方をしてしまったと思う。先ほどの話を聞いていなかったのでやむを得ないが、どうにか組長には通じたようだ。一方、菊川は怪訝な目で俺を睨みつける。


「フンッ! 何を言ってるんだか。キミひとりが頑張ったところで、せいぜい鉄砲玉の足しくらいにしかならないよ! 暴れるくらいなら、キミ以外の誰にだって出来るさ」


 短絡的な思考だとあっさりと一蹴されてしまったが、その場しのぎの返答をしたことがバレていないようなので、それはそれで良い。されど、言われっ放しは恥ずかしく感じるのでこちらも負けじと言い返してみた。


「じゃあ、あんたも前線に出て暴れられるってのかよ。とてもそんな風には見えねぇなあ。言っとくけど、俺はそこら辺の奴よりは戦える自信があるぜ。口だけのあんたと違ってね」


「へぇ。けっこうな態度をとるじゃないか。……まあ、良い。今は調子に乗ることを許そう。けど、そのうち思い知ることになるよ。極道の喧嘩がどういうものなのか。そして、僕の本当の怖さってやつを!」


「何だよ。それで凄んだつもりかよ。ケッ、ちっとも怖くねぇや。大事な時にソープでしけこんでた役立たずに言われても、何の説得力も無いだろうが。変態若頭さんよ」


「なるほど。そう来るか。じゃあ、僕はキミをこう呼ばせてもらうよ。『尾行に失敗した挙句に藤島が撃たれるのを黙って見ていた役立たずの麻木涼平クン』ってね!」


 わざとらしく大きな声で宣った後、菊川は続ける。


「……元を辿れば、キミがしくじってなければこうはならなかったんだ。あの時キミが体を張ってでも藤島を守ってさえいれば、こうはなっていなかった! 全てはキミのせいだ!!」


「はあ? 知らねぇくせに何を言ってやがる。あの状況で俺に何ができるってんだよ。向こうはハジキ持ってやがったんだぞ? こっちも撃たれて終わりだろうが」


「ああ、そうだよ! キミが藤島の代わりに撃たれれば良かったんだ! それなら向こうに少し恩を売ることもできたし、こんな事には……」


 さらに詰め寄って来ようとした若頭だったが、寸でのところで村雨が止めた。


「そこまでだ。もう、済んだ事ゆえ」


「いや、しかし!」


「清水の件は完全に私の落ち度だ。屋敷を出て行く清水に私が気づいてさえいれば、こうはならなかった。それに奴が持っていた拳銃の装弾数は12発。咄嗟に身を挺して庇いきれる数ではなかろう!」


 両肩をグッと掴まれて強く諭され、ようやく菊川は落ち着きを取り戻す。今にも俺に殴かからんばかりの勢いだったが、一瞬で鎮まった。やはり、組長の言葉は効くようだ。


 返す刀で、村雨は俺のことも窘めてくる。


「お前もいい加減にせよ。このような時に、我らまで内輪揉めを繰り広げて何とする」


「……ああ。悪かったよ」


「だいたい、お前をここへ呼んだのはその時の事情を詳しく聴き取るためだ。私とて、菊川との口喧嘩を見たいわけではないぞ。もっと考えて口を開け」


 言われてみれば、そうだった。他の事に気を取られていたが、今は俺の事情聴取の真っ最中。本来ならばこちらが質される側なので、もう少し弁えなくてはならなかった。いつもより強めに叱られてしまったのも、無理はない。ひとまず己の言動を反省した。


(っていうか、どうしてこうなったんだっけ……?)


 現場から上手く逃げのびた後、俺は真っ直ぐ村雨邸へと戻って組長に事の次第を報告した。当初は一笑に付されたが、邸内のどこを探しても当人は見つからず。さらには「清水なら、さっき出て行きましたよ」と数人の組員から目撃情報まで上がる有り様。


 挙げ句の果てには待機室に置いてあった清水の鞄から使用済みとおぼしき覚醒剤のアンプルが数本見つかると、村雨は次第に血相を変えていく。


 やがて夜が明けた頃、組で囲っている情報筋から横浜新聞社前で起こった銃撃事件の詳細が入り、村雨はようやく俺の話の裏付けを取るに至った。そして今後の対処方針を決めるため、桜木町から朝帰りしたばかりの若頭を交え、再び俺から話を聴く場が設けられたのである。


 しかしながら、知っていることは既に全て語り尽くしてしまった。


 こちらが伝えられる目新しい情報と言えば、藤島には暴追運動を利用して引退後も村雨組を押さえようと目論みがあったという話のみ。彼が何発も被弾したものの奇跡的に一命をとりとめた件や清水が犯行後に頭を撃って自害した件などは、いずれも俺がヨコ新前を離れた後で起きた出来事。


 ニュース映像を観て、初めて知るに至った。それゆえ組長たちからすれば、さぞ物足りない状況説明になったことだろう。俺が話を終えると、村雨の感想にはあからさまな嘆息が混じっていた。


「今のところ収穫は無しか。やや期待外れだな」


 ごもっともな意見だ。されど、あのシチュエーションで俺に出来る事は高が知れている。迂闊に現場に留まっていれば俺まで清水に撃たれていたかもしれないし、下手をすれば警察に拘束されていた可能性だってある。横たわる藤島の近くに落ちていた血染めの解散届を持ち帰ってきただけ、マシと思ってもらいたいくらいだ。


「……」


 悔しさをグッとこらえて押し黙る俺とは対照的に、菊川は雄弁さを取り戻した。


「うんうん。組長の言う通りだ。百歩譲って藤島が撃たれるのは止められなかったにせよ、せめて清水を捕まえて連れ帰ってくるなり、少しは役に立って欲しいところだよねぇ。これじゃあ、何のために組に居るんだか。分からないよ」


「しかし、菊川。お前が言うと些か説得力に欠ける。お前は我が屋敷が攻め込まれた報せを受けてもなお、女遊びに興じていたそうだな」


「え。そりゃあ、大丈夫だと思ったからさ。僕なんかいなくたって、キミなら夜襲の1回や2回くらいはどうにか撃退できるでしょ。それに相手は丸腰だったって言うじゃん。わざわざプレイを中断して駆け付けるほどの事じゃないでしょ」


 俺の不手際なさをなじる菊川の意見に、冷静かつ的確な指摘を浴びせた村雨。字面だけでは漫才っぽいやり取りにも見えるが、組長の表情はすこぶる険しかった。


「……あたかも事前に知っていたかのような口ぶりだな」


 決して冗談の類を言っている風には見えない、残虐魔王の射抜くような鋭い視線。語気もかなり強まっていた。いつ見ても、恐ろしい凄みである。


 ところが、菊川は全くお構い無しといった様子で笑い飛ばした。


「あはははっ! ごめんごめん。たしかに僕は組のナンバー2だもんね。いざって時に居ないと駄目だよね。まあ、次から気をつけるよ。反省反省!」


「当たり前だ。お前の方こそ、何のために私の下にいるのか」


「たしかに。今のままじゃあ面目が丸つぶれだよねぇ!」


 そう言うと菊川は立ち上がり、部屋の出口へ向かって歩き出す。


「おい、どこへ行く? まだ話は終わってはいないぞ」


「悪いね! 急用を思い出した。ちょっと挨拶しなきゃいけない人がいてさ! 麻木クンの間抜けぶりに呆れ過ぎたせいで、すっかり忘れてたんだ。夜には戻るから、適当に話を進めといてよ!」


 組長の制止も虚しく、出て行ってしまった菊川。こちらに背を向けたまま、退室時に開けた襖を閉めることもしなかった。一部始終を凝視していた村雨は、苦々しい目つきでため息をこぼす。


「あれは何を考えているのか……」


 先ほど、明らかにたじろいでいた若頭。自分にとって都合の悪い話題であると即座に察知し、絵に描いたような動揺を見せた挙句に遁走をはかったのだ。このような場面で「急用ができた」など、もはや3流コメディーでも見かけないほどのベタな言い訳ではないか。


 きっと、何か組長には言えない後ろめたい事情があるのだろう。


 菊川塔一郎。前から気に食わない男であったが、ここにきて敵愾心が一段と燃え上がる。自分のことは棚に上げておいて、よくもまあ俺を追及できたものだ。次に顔を合わせたらサシで決着をつけてやろうと意気込みつつ、俺は村雨に告げた。


「こういう事、あんま言いたくないんだけどさ。昨日の夕方、見ちまったんだよ。若頭が清水の野郎に入れ知恵するとこを。あいつ、言ってたぜ。『組長のことなんか気にせず自分の頭で動いて良い』って」


「……つまり、菊川が清水を唆していたと?」


 組長の目が丸くなる。反応は良好のようだ。さらに、話を続けてみた。


「ああ。あと、こんな事も言ってたな。『このままだと新入りの麻木に先を越されるぞ。手柄を立てなくて良いのか?』なんてよ。あいつ、笛吹を殺したのは本当は俺だってことを清水に教えてたぜ」


 こうした告げ口は幼少の頃からするのもされるのも苦手だが、最早やむを得ない。何かと絡んでくる嫌味な若頭に一泡吹かせてやれるなら、いちいち手段を選んでなどはいられないのだ。


「たしか、あんた。笛吹殺しの真実についちゃあ、この組の中では誰にも話していないんじゃなかったか? 『秘密にしておけ』って俺にも言ってたよな? どうして菊川が知ってんだよ」


 すると、村雨は静かに何かを考え込む仕草を見せた。


「……」


 腕組みをして目を閉じ、額を前方に傾ける。何か彼なりに心当たりがあったのか、それとも俺の証言を信じられないのか。室内の静寂が10秒、また20秒と暫く続いた。


「……うむ」


 90秒を超えても未だ返事を焦らし続けるのかと思ったら、ちょうどそれくらいのタイミングで軽く頷き、沈黙を破って見せた村雨。返ってきたのは、少し意外な答えだった。


「涼平。お前は、先ほどの話を聞いていなかったのか? 言ったはずだ。既に起きてしまったことを悔やんでも仕方あるまい、と」


「えっ!」


「お前の言う通り、清水を唆したのは間違いなく菊川だ。奴は昔から、他者ひとを煽ることを楽しむきらいがあってな。おまけに詮索に長けていて耳聡い。笛吹の件を私から奴に話したりはしていないが、おそらくは何らかのきっかけで勘づいたのであろうな。大方、その憶測を清水に面白おかしく吹き込んだところか……なれど、それを今掘り下げたところで何になる? 戦を前に、身内の結束に無益な綻びを生むだけではないか。今考えるべきは、大鷲会に勝つこと。それだけだ」


 お褒めの言葉を賜れるものと踏んでいた俺が愚かだった。労われるどころか、逆にこちらが不心得を懇々と諭される結果となってしまった。完全に意表を突かれた形だ。


(はあ? それじゃ、あの変態若頭はお咎め無しだってのかよ……)


 期待が外れて唖然とする俺に、村雨は続けた。


「菊川のことについては、全て私に預けよ。この戦が終わって落ち着いたら直々にきつく言い聞かせておくゆえ。お前は一切を水に流すのだ。分かったな?」


 言い聞かせる――。


 それはつまり、“説教”を意味するのだろうか。組員の暴走を誘発して大鷲会との全面戦争のきっかけを作り、俺と村雨の今までの努力を全て水の泡にする結果を招いたにしては、ずいぶんと軽い内容である。


 粛清とまでは行かずとも、せめて組からの追放くらいには処して欲しかった。それが個人的な願望であることは百も承知だが、菊川のした事は村雨組長に対する明確な裏切り、即ち反逆行為に他ならないのだから。


 どうせ、軽く叱責して終わりなのだろう。泣く子も黙る残虐魔王といえど、結局は人間としての情を持ち合わせているのだ。幼い頃から苦楽を共にしてきた親友には、殊さら甘いのかもしれない。


 俺は落胆を呑み込んで、気の無い返事を投げる。


「はいはい……分かったよ」


「分かれば良い。涼平、ご苦労だったな。下がって良いぞ」


 本当は心の奥底から、ふざけるなと叫んでやりたかった。しかしながら、ここで不満をぶつけたところで村雨は揺らぎはしない。藪蛇に激怒されるのが関の山か。そもそも揺らぐような人物であれば、最初からこちらの意を汲んでくれるはずなのである。俺に出来たのは、やり場のない感情をひたすら押し殺すことだけであった。

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