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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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街を託す

「私に中川会と戦えだと? どういう意味だ?」


「そのまんまの意味だ」


 村雨の力強い問いかけに対し、一文のみで応じた藤島は地に額を着けたまま。そのせいか発した言葉は絨毯に吸音され、ぼやけて伝わってくる。


「藤島。とりあえず頭を上げろ。話しづらかろう?」


「頼む! どうか聞き入れてくれ!」


 何度促されても、ハマの英雄は頭を垂れた姿勢を崩さない。それどころか、村雨の言葉がまるで伝わっていないのかのように一方的な懇願を続ける始末。明らかに、藤島は冷静さを失っている。


(えっ? どうしたんだ?)


 威厳と自信、そして誇りに満ちていた20秒前までとは全く比べ物にならない姿だ。俺は思わず目を疑ってしまう。何があったかは分からないが、どうにも深刻な事情があることだけはやんわりと察知できた。


「落ち着け。このままでは話もできぬわ」


「村雨。どうか、おいらの話を!」


「だから、聞いてやると言っている。ひとまず頭を上げよ。話はそれからだ」


 キャッチボールにもならない会話がしばらく続いた後、ようやく藤島は平静さを取り戻してきた。村雨が出したアイスコーヒーを飲んで数秒の間を置いた頃になると、だいぶ気持ちが鎮まってきたようである。


「ふう……」


 やがて、彼はかなり渋みの効いた声で詳細を続けた。


「笛吹のバカが、死ぬ前に中川の幹部とよしみを通じていやがったんだ。元々あいつは中川の力をバックに、おいらに弓ひく気でいた。中川の兵隊を借りておいらを倒して跡目を獲った暁にゃあ、大鷲会ごと中川の直参の盃を呑むって条件付きでよ」


 俺も村雨も、そして組の連中も初耳だった。どうやら笛吹および彼の派閥には、かねてより大鷲会内でクーデターを起こす計画があったとのこと。それも、村雨が俺を使って手を出すよりもずっと前からだという。


 現体制を武力で打倒してもらい、その見返りに乱終結後は組織を丸ごと傘下に入れるという壮大なプラン――。


 中川会としては、実に旨みのある話だと思った。何せ、大鷲会と血みどろの抗争を繰り広げるよりも遥かに少ない手間と犠牲でそれを軍門に降し、横浜の権益を獲得できるのだから。


「……」


 無言で頷く村雨。藤島から補足を受けて、彼もまたすんなり合点がいった様子だった。損得勘定だけで考えるならば、ここで笛吹の計画に乗らぬ手は無いだろう。むしろ、利益しかない最高のシチュエーションといって良い。


 ただ、疑問もある。


(そういえば、中川会って笛吹が目ざわりなんじゃなかったっけ?)


 前に本庄から聞かされた話と、だいぶ違う。曰く、笛吹が休戦協定を無視する形で東京に侵出している件を中川会の上層部が快く思っておらず、おかげで大鷲会との関係は戦争寸前にまで緊張しているとのことだった。


 そんな状況下で、中川会が笛吹を助けるだろうか。ましてや、笛吹は前述の協定を犯した張本人である。いくら組織として勢力を拡大させるためとは言え、つい最近までシマに土足で踏み込んでいた人間の味方になって動くとは到底考えづらい。必ずや、感情的な問題が生じるはずだ。


(このジジイ、出まかせをほざいてやがるのか?)


 俺が疑いの目を向けたままあからさまに首を傾げると、村雨は藤島に低い声で尋ねた。


「……笛吹のために、中川会1万5千が動くとは思えぬのだがな」


「奴が取り入ったのは中川会長じゃねぇ。幹部の大原おおはら征信ゆきのぶって野郎だ」


「大原? たしか、あれは伊東一家の総長だったか?」


「ああ。中川の中で今ん所いちばん幅を利かせてる幹部で、上納金の額も抜きん出てる。横浜を手中に収めて、さらに名を上げようって腹積もりだ」


 大原征信と伊東一家――。


 以前に本庄の話で出てきた単語だ。本庄および本庄組と同じく中川会の直参で、中央区の日本橋に本部を置いている。構成員数は首都圏だけで500人近くにも上り、中川会直参の組織の中でもトップクラスの大所帯。


 そんな伊東一家が今回の横浜の件に絡んできているとは、さすがに予想もしていなかった。藤島によると、大原の動きは中川会の会長も内諾済みであるという。


「中川の三代目にしてみりゃ、たしかに笛吹はテメェのシマを土足で踏み荒らした“憎い相手”だ。けど、子分がシノギで利用する分にゃあ黙認するらしい。ああ見えて、三代目は名より実を取る親分だからな」


「いや、だとしても解せぬな。仮に事が上手く運んだ暁には、笛吹は中川の盃を呑んで直参になるという約束だったそうではないか。あの会長が“憎い相手”に盃を下ろすものだろうか?」


「無論、その気はぇよ。中川にとって、笛吹は横浜を手に入れるための単なる使い捨ての駒でしかなかったからなぁ。俺を追いやって大鷲会を獲ったら、その時点でお役御免。笛吹は適当なとこでブチ殺されて大鷲会は解散、横浜は中川本家の直轄地ってとこだろ。笛吹が死んでからは舎弟の中崎が計画を引き継いだらしいが、きっと奴も同じ目に遭うだろうぜ」


 大鷲会の内部抗争に介入することで、横浜へ勢力を伸ばそうと目論む中川会伊東一家。藤島が解散届を出さんとしているのは、この動きに一刻も早く歯止めをかけるためだった。


 公に対して解散の旨を表明すれば、その時点で大鷲会は全員が極道ではなくなる。そうなれば伊東一家は担ぐ神輿を失い、横浜へと進出する大義名分が一時的に消滅するのだ。


 これまで発展に尽力してきた横浜の街が外敵に乗っ取られる事態を防ぎ、さらには最早コントロールしきれなくなった大鷲会に自分の手で幕を下ろす

 ――。


 身を引くという決断は確かに苦渋のものとなっただろうが、同時にまた一石二鳥であるともいえる。話を全て聞き終えた村雨は、完全に納得した様子だった。


「……そうであったか」


 昔ながらの任侠精神を重んじる藤島らしい、潔くも強かな策。しかしながら、ひとつだけ疑問が残っている。


「内輪揉めに乗じる中川会の動きに対して、先手を打つ。貴殿の意図はよく分かった。なれど、私に中川と刃を交えよとは如何なる意味だ? まさか貴殿、私に『東京へ攻め上がれ』などとは言うまいな?」


「そういうわけじゃねぇんだ。おいらが言ってるのは、大鷲が極道じゃなくなった後のことだい」


「後のこと?」


「ああ。うちらのお家騒動につけ入る算段がパーになったとしても、中川は諦めねぇはずだ。今日まで大鷲が持ってたシマを狙って、必ずあの手この手で横浜に入り込んでくるだろう。だから、お前さんには……」


 藤島はスッと立ち上がり、正面の村雨に対して深々と頭を下げた。


「大鷲が消えた後の街を託してぇんだ! 中川だけじゃねぇ。これから先、ハマを傷つけるありとあらゆる連中に立ち向かってもらいてぇ! そして、おいらが愛してきたこの街を未来永劫、守っていってほしい。もう、お前さんしかいねぇんだ! 頼む!」


 老齢の割にはしっかりとした背筋を直角に曲げ、再び懇願するハマの英雄。つい昨日まで敵対し幾度となく抗争を繰り返してきた相手に、よくもまあここまで出来るものだと感心してしまった。それだけ街への思いが強いということなのだろうが、きっと俺には真似し得ないだろう。


 周囲の組員たちは、一様に騒ぎ出した。


「おいおい。どういうこったよ!」


「横浜を俺たちのモンにできるってことか!?」


「でも、そんな簡単には。このジジイの罠だったりして」


「この期に及んで罠ってのはねぇだろぉ。解散届だってあるし」


 ざわめきの波が応接室に広がってゆく。大鷲会と全面戦争で雌雄を決することを予期して備えを固めていたタイミングで、まさかこのような急転に触れるとは誰も夢にも思っていなかったことだろう。動揺して当然である。


 組長も組長で、ひどく困惑していた。彼としては元来、大鷲会を奸計により討ち滅ぼした後でその旧領をせしめる魂胆だったのだが、それがあろうことか向こうから「託す」ときてしまった。本来ならばこの上なく喜ばしい出来事のはずだが、些か調子が狂ってしまったところか。


「藤島よ。私のやり方が如何なるものかは貴殿も存じていよう。それでも、私に街を任せるというのか?」


「二言はぇよ。もう、任せられるのはお前さんだけなんだい」


「私はクスリを扱っているし、人を売り買いもする。相手がカタギの女子供だろうと一切の容赦はしない。それは貴殿の言うところの『ハマを傷つける』所業なのではないか? どうだ? 揺るぎはしないか?」


「見ず知らずの奴に街を好き勝手されるよりゃマシだ! お前さんとは、今までそれなりにやり合ってきたからよ。どういう人間か、くらいは分かるんだわ……この通りだ。頼むッ!!」


 それから村雨に何度もしつこく意思をただされた藤島だったが、ついに返答が変わることは無かった。翻意を期待していたわけではないのだが、俺たち陣営にとってはあまりにも美味しい状況だけに疑いの目を向けずにはいられなかったというのが本音だ。


 甘い条件に出くわした時こそ、警戒心を研ぎ澄まさねばならない――。


 渡世を生きる上での鉄則である。五反田で居候生活をおくっていた頃、山崎から教えてもらった。極道のみならず、一般社会でも十分に通用する人生訓だと思う。


 今回、藤島が持ちかけてきた話に嘘は無いだろうが、大鷲会を戦わずして倒すことができる代わりに以降は中川会の侵攻に備えねばならないという“おまけ”付き。むしろ、それを押しつけるために藤島はわざわざ屋敷まで赴いたのだろう。ゆえに、慎重な選択が求められる。


 当然のことながら、村雨は簡単に「はい喜んで」と承諾の返事をするような男ではない。藤島に前言を撤回する気が無いことを確認すると、今度は釘を刺すように質問をぶつける。


「では、大鷲会の領地は明日から全て私のものとする。いずれ来る中川との戦についても、こちらの好きにやらせてもらう。それで本当に良いのだな?」


「構いはしねぇよ。お前さんが中川から横浜を守ってくれるなら」


「そうか。では、その言葉を取り消すなよ?」


「だから、さっきから言ってんだろうが。二言はぇって。夜が明けたら、おいらはこの足で県庁へ解散届を出しに行く。朝一番で知事に渡すんだい。だから、お前さんは明日にでも動けばいいさ。1日でも早く、中川と戦う支度をしてくれや」


 これに対し、村雨は特に変わった反応を見せなかった。喜ぶことも嘆くこともせず、ただ一言だけ「わかった」と応じる。心なしか声のトーンが穏やかになってはいたが、実際のところ何を考えていたのかは不明。藤島から語られる話に耳を傾けている間も、ずっと表情は険しいままだった。


「下の連中には、まだ言ってねぇんだ。反対されるのは目に見えてるからな。こういう時にゃあ、事後承諾の方が良い。後から時間をかけてゆっくり説き伏せるんだい。そうじゃねぇと届を出す前に時間を食っちまう。おいらが遅れれば遅れるほど、中川を喜ばすことになるんだからよ」


「フッ、わざわざ朗党の承諾を得る必要など無かろう。大鷲会の会長は貴殿なのだから、貴殿が解散と言えば解散なのだ。それで良いではないか。」


「かもしれねぇけどよ。やっぱ筋は通すもんだろ。親分としてよ」


「……なるほど。好きにするが良い」


 戦いの中で生まれた謎の信頼、とでも云うべきか。両者が直接顔を合わせたのはこの日が初めてであったが、双方とも相手のことを熟知しているように思えた。


 性格からやり口まで全てがまったくもって正反対の2人ながら、互いに「どのような人間か」くらいは分かっている関係。古い言葉で表すならば、まさしく“好敵手”という単語が相応しいかもしれない。


「いやぁ、お前さんの話が聞けて良かった! これで、おいらに思い残すこたぁ何もねぇや。綺麗さっぱり引退できるってもんよ」


「私に言わせれば、貴殿のしていることは『全てを投げ出して逃げる』に他ならないのだがな……まあ、こちらには何の不都合も生じぬゆえ。後は私に任せてもらうとするか。貴殿は隠居して穏やかな余生を過ごすのだな」


「ありがとな。この恩は忘れねぇ」


 満足そうに何度も頭を下げ、ハマの英雄は屋敷を出ていった。勿論、表情は晴れやかな笑み。渡世から身を引いた後も愛した横浜の街が守られていくことが、よほど嬉しいと見えた。


 藤島が屋敷を出ていった後、1人の組員がコーヒーのグラスを片付けながら慌てたように問うていた。


「組長、よろしいのですかい? 大鷲会のシマがすんなり手に入るのは良いとしても……中川会の伊東一家とぶつかるなんて。あそこはけっこう大きな組だって聞きますよね。斯波との戦争だってあるのに」


「怖がるな。中川にとって、我らと事を構えるは即ち煌王会と争うことを意味する。そう容易くは動けぬはずた。ゆえに我らは中川が来るまでに横浜全土を押さえ、勢いに乗って斯波を片づける。せっかく大鷲会が消えるのだ。この好機を逃す手は無いぞ!」


「……」


 ひどく浮かない顔で項垂れた組員を尻目に、村雨は応接室のドアの方に向かって歩み出す。その際、こちらに「ついてこい」とばかり視線を送ってきたので俺は咄嗟に彼の後ろを追いかけた。


「涼平。あの老人の話、お前はどう思った?」


 廊下に出るなり、飛んできた質問。想定していなかったので少し戸惑ってしまったが、ここで適切な答えを返せないようでは評価が下がる。


「いや、どう思うってか……どうにも裏があるって感じだったな。あれは」


「ほう。裏か。たとえば?」


「俺たちに、まだ言ってないことがあると思うんだわ。あの爺さん。それに今から解散届を出しに行くって話だったけど、まだ夜中の12時過ぎだぜ。朝になるまで何するってんだよ。流石に、この時間に役所は開いてねぇだろ」


「たしかにな」


 コクンと頷くと、村雨は言った。


「あの解散届自体は本物であろう。日付も今日になっていた。だが、お前の言う通り藤島が『この足で出しに行く』とは考えづらいのだ。これから朝を迎えるまで、奴にはどこか寄る所があると見た方が良いやもしれぬな……」


 恐ろしいレベルに無学で、尚且つ世間の一般常識というものに疎い俺でも、日付が変わったばかりの時間帯に官公庁の窓口が業務を行っていないことくらいは何となく分かる。問題は、藤島が定刻までに何処でどうやって時間を潰すのか。俺も村雨も、それがやけに気になった。


「どうする? 追いかけるか?」


「ああ。頼む。まだそう遠くへは行ってないはずだ。ただし、見つけても手は出すなよ。決して悟られぬよう、密かに後をつけるのだ。あの男がどこへ向かうのか、それさえ分かれば良い」


「OK。わかった」


 妙な胸騒ぎがする。俺は颯爽と外へ駆け出していった。

連載開始から本日で1年が経ちました。

お読みいただいた全ての皆様に、

心より御礼申し上げます。


これからも『鴉の黙示録』を

どうぞよろしくお願いいたします。


そして、麻木涼平の激動の生涯を

あたたかく見守っていただければ幸いです。

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