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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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ハマの英雄の“決心”

(どうしてこうなっちまったんだ……?)


 張りつめた空気の中、俺は息を呑む。人数が多い所為か、少なくとも一般家庭よりは広いであろう村雨邸の応接室が狭く感じる。客は1人しかいないのだが、それを10人前後で取り囲んでいるためにこの有り様だ。


 来客用のソファーにどっかりと腰を下ろしているのは、藤島茂夫。「ハマの英雄」の異名を持つ、云わずと知れた横浜大鷲会の会長である。その向かい側には村雨が座っており、床の絨毯の上に置かれたローテーブルを挟んで相対する形となっていた。


 もう今さら書く必要も無いだろうが、村雨組と横浜大鷲会は敵対関係にある。今にも全面戦争が始まらんとする状態だ。そのため、村雨配下の組員たちは組長に危害が及ばぬよう藤島の左右と背後をぐるりと包囲。まだ正式な組員ではない俺も、その中に加わっていたというわけだ。


「……」


 村雨と藤島。エアコンの動作音がやけにうるさく聞こえる部屋の中にて、2人は無言で睨み合う。両者ともに組織を率いる親分同士だが、その性質は片や冷酷無比な残虐魔王、片や「弱きを助け強きを挫く」昔ながらの任侠道を重んじているという侠客。まったくと言って良いほど正反対だ。


 何故、彼らが応接室で対面するに至ったのか。それを語るには、つい30分ほど前まで時間を遡る必要がある。


 午後11時20分。


 門番の木幡が腕にはめていた銀時計の針がちょうどそのあたりの刻限を示した瞬間、突如として現れた藤島。姿を見せるなり自らの名と肩書きを明かし、驚く木幡に対して「村雨耀介に話がある。会わせろ」と要求、断られるや否や拳でなぎ倒し、強引に敷地内へ侵入したのだという。


 藤島は、侵入を防ごうと襲いかかる他の組員たちを次々と返り討ちにしていった。殴ってくる者がいればその腕を掴んで背負い投げにし、背後から羽交い絞めにされたかと思えば即座に肘を相手の腹部に叩き込んで怯ませ、柔道で云うところの「大腰」の要領で投げ飛ばした。


 いずれも投げた直後に相手の顔面の中央めがけて拳を入れるために、藤島に倒された組員たちは殆どが気絶もしくは軽い脳震盪を起こして戦闘不能に。藤島はたったひとりで10人の兵隊をいなしてしまったのである。


 その後、木幡から奪った拳銃を手になおも前進する藤島の行く手をショットガンとサブマシンガンでそれぞれ武装した2人の組員が立ちはだかって阻み、状況は膠着。互いに一歩も引かぬ中で銃弾が放たれようとした、まさにその時。


「待て!」


 騒ぎを聞きつけてやって来た村雨の一声で、どうにか収まった。


「その男を殺すな」


 つい先ほどまで、床に居たのだろう。組長は寝間着のガウン姿だった。されど、左手には納刀状態の日本刀を携えている。いつもは寝室に置いてある護身用らしいが、黒地の鞘に金色の花の装飾が施された立派な代物だ。


 村雨自身の長身で引き締まった体格の良さも相まって、刀を片手にしたその姿は大いに見栄えが良かった。さながら封建時代の武士。喩えるならば、自陣に短期で討ち込んできた敵の総大将を真っ向から迎え撃っているところか。


「組長! 危険です! お下がりください!」


「こいつ、拳銃ハジキを持ってますぜ!」


 子分たちが必死で制止する中、それをかき分けるように村雨は前へと歩み出る。そして、真夜中の屋敷を騒がした老齢の襲撃者を相手に堂々と言い放った。


「ずいぶんと暴れてくれたものだな。おかげで目が覚めてしまったわ。まさか1人で夜討ちをかけてくるとは、夢にも思わなかったぞ。ここが貴殿にとって如何なる場所か、知らぬわけではなかろう。一体、何の用だ? 事と次第によっては血を見ることになるぞ!」


 それに対し、藤島は二ヤリと笑みを浮かべる。


「よう。おめぇさんが村雨かい?」


 先に村雨が投げかけた問いには答えもせず、逆に質問を寄越してきた藤島。一般的な会話のルールに則って考えれば少々無作法な返事の仕方であるが、そこは極道の親分。気にしてはいないようだ。当の村雨は至って冷静そのもの。激昂する組員たちを視線で窘めつつ、平然と応じた。


「……いかにも。そちらは大鷲会の藤島茂夫会長と見受けられる。何の用があって村雨邸ここへ来たか? 貴殿が時勢に乗れぬ古い人間であることは私も承知しているが、この情勢下で自ら打って出るほどに短慮とは思えんのだがな」


「なるほど。噂通りの肝の座り方だな。江藤が手こずったわけだ。ま、さっきも言ったんだけどよ。今日は殺し合いをしに来たわけじゃねぇ。お前さんに話があるんだ。このクソみてぇな状況をどうにか終わらせる、とっておきの話をな」


「話だと?」


「ああ」


 大きく頷いた後、藤島は言った。


「お前さんにとっても、決してわりぃ話じゃねぇ。こっちの言い分さえ呑んでくれりゃあ、後は思うがままだ。これから先、大鷲会うちらとドンパチやることも無くなるだろうぜ」


 そう宣うと、藤島は右手に持っていたピストルを地面に落とし、草履で左側へ払いのける。自分から武器を捨てたということは、すなわち敵対の意思なし。言葉通り、彼はカチコミに来たわけではないようだ。


 しかしながら、ここで「わかった」とすんなり受け入れるほど村雨は単純な男ではない。それまで鞘に入れていた刀をゆっくりと抜くと、武装を解いた藤島の喉に刃先を突きつけた。


「私には、今すぐ貴殿の首を跳ねるという選択肢もあるのだがな。眠りを邪魔した上に我が屋敷を冒し、我が可愛い郎党たちをかようなまでに痛めつけておきながら……このまま何もせずにいると思うか?」


「そいつぁ、お互い様だろ。おいらが暴れたのはお前さんの子分が先に殴りかかってきたからだ。言っとくけど、おいらは最初に伝えたんだぜ。『今日は話をしに来ただけだ』ってな。それを押し潰すみてぇに取り囲んで、挙句の果てには道具まで向けやがって……お前さんの方こそ、おいらに頭下げて詫びるべきなんじゃねぇのかい」


「詭弁ならば結構だ。その減らず口、首ごと落としてやる」


「そんなに斬りてぇなら、さっさと斬れよ。けどな。今ここで俺を殺せば2度と聞けなくなるぜ。せっかく持ってきてやった手土産も、台無しになっちまう」


 刀を握る手に力を込めながら、村雨は語気を強める。


「手土産だと? 戯言を抜かすな。貴殿は手ぶらではないか」


 特に怒鳴ったわけでもなくトーンとしては低めだったのだが、彼の声には凄まじいほどの迫力が込められていた。放っておけば、目の前にいる大鷲会会長を殺してしまいそうな勢いである。村雨は本気だ。俺を含めた、その場に居た組関係者全員に緊張が走る。


(っ!?)


 ところが、当の本人は全く驚いていない。それどころか薄ら笑いを浮かべ、余裕綽々の表情を見せている。何故にここまで、普通を保っていられるのか。やはり横浜の地で半世紀以上も渡世を生き続けた男だけあって、その胆力は尋常ではないようだ。


 瞬きひとつせずに両方の眼で真っ直ぐ村雨を直視したまま、藤島は吐き捨てるかのごとく答えた。


「はあー。アホだねぇ、お前さん。おいらが手ぶらだからって『何も持ってきてない』と決めつけるにゃあ早いじゃねぇか。相当、頭に血が上りやすいと見た。だから今まで、散々戦争を引き起こしてきたわけだ」


「何だと!!」


「落ち着きなって。そんなに慌てなくても見せてやるから。ほら、これだよ。おいらが持ってきた手土産ってのは」


 藤島が苦笑しながら和服の懐から取り出したのは、白い紙。丁寧に何枚も折り畳まれているようで、縦長の封筒に収められていた。そこには黒く太い筆文字で「御直書」とある。


 一体、中には何が収められているのか。いかにも高級そうな和紙が使われているので重要な書状だということはすぐに分かったが、俺には皆目見当もつかなかった。


(ん……?)


 首を傾げる俺たちを尻目に、藤島は村雨に声をかけた。


「まあ、正確にはお前さん宛てじゃないんだけどね。せっかくだから見せせてやるよ。だから、刀を下ろしてくれないかい? それじゃあ読むに読まれないだろ。え?」


「……良かろう。かように勿体ぶったからには余程のことが書かれているのだろうな。もし、くだらぬ内容であればその時はひと思いに叩き斬ってくれようぞ」


「ああ。構わねぇよ。そいつを読んだらきっとたまげるだろうぜ。そして、お前さんはこう思うはずさ。『もっと話を聞いてみたい』ってな」


「ほう。大した自信だな」


 そう言うと村雨は刀を鞘に納め、封筒を奪うように受け取って中身を開く。すると、書道で用いる半紙のような質感の紙が1枚ひらりと出てくる。遠目に見た文面はこれまた筆文字で、今度は何やら長々と書かれているようだった。


(何だ? 何て書いてあるんだ?)


 俺が立っていた位置と組長までは少し距離があり、おまけに光源の少ない夜間という時間帯。少しでも内容を覗き見ようと首を伸ばして目を凝らしたが、全て徒労に終わった。


 それは他の村雨組の連中も同様で、背伸びをしたり首を左右に動かしたりと一生懸命。組長が声に出して読んでくれるわけでもないので、みんな気が気でない様子だ。


 ただ、俺は文頭にあった宛名だけは運よく認識することが出来た。そこには「神奈川県知事 岡沢おかざわたけし殿」という当時の市長の名前が、滑らかな書体で記されている。


(知事宛ての手紙……?)


 しかし、その瞬間。月明りを頼りに黙々と書状の文面に目を走らせていた村雨の口から、大きな声が漏れた。


「なっ!?」


 明らかに、驚愕が含まれている声。顔つきも先ほどまでとは違い、決して少なからぬ動揺の色を孕んでいる。俺たちが顔を見合わせる中、村雨は藤島に静かに問うた。


「こ、これは……本気なのか?」


「ハハッ。本気に決まってんだろ。わざわざ県知事宛てに冗談シャレを書いたりしねぇよ。おいらの腹はとっくに決まってんだよ。このゴタゴタが始まった時から、な」


 日頃から泰然自若としている村雨が、珍しく呆然としている。まさに、想定外のことが起きたと言わんばかりの表情。書状の中には衝撃的な事実があったのだと、俺たちはすぐに悟った。


 ざわつき始める村雨組の面々。こうなっては、ますます気になる。残虐魔王を動揺させるだけのパワーを持った文章とは、一体何なのか。次第に不穏な空気が広がってくる。


 藤島の口から飛び出したのは、予想だにしない言葉だった。


「書いてある通りだ。今日をもって、横浜大鷲会は解散する!」


 解散――。


 しかし、意味が分からない。何故、そうなるのか。抗争相手が消滅するという点では、たしかに村雨組にとっては美味しい話なのかもしれない。だが、このタイミングでそれを表明する理由がまったく理解不能。藤島による強襲を受けた直後となっては、尚更だ。


 当然、組員たちにも動揺は広がっていく。


「おいおい! 解散って……!?」


「それじゃあ、何のためのカチコミだったんだよ……」


「どうせ罠でしょ! さっさとこのジジイを殺しちまいましょうよ!」


「でも、知事に送るってことは……?」


 大鷲会の会長が口にした「解散」という2文字の真意をめぐり、誰もが冷静さをなくしていたように思う。ある者は驚き、ある者は疑い、ある者は報復に逸り、中には大鷲会が消滅した後のことにまで思慮を及ばせる者までいた。かくいう俺も、意図がさっぱり分からない。


(いきなり解散って、何を考えてやがる……?)


 それは村雨もまた、同じ。彼は眉間にくっきりと深いしわを寄せたまま、口をあんぐりと開けて佇んでいた。きっと、これほどの青天の霹靂に接するのは極道になってから未だかつて無かったのだろう。これから戦火を交えんとする敵が自ら白旗を揚げるなど、そうそう有る出来事ではない。


 しばらく何かを考える仕草を見せた後、村雨は言った。


「……どうやら、もっと詳しく話をしてもらう必要があるようだな」


 その言葉に、柔和な笑みを浮かべる藤島。


「おおっ? やっぱり、そう来るか! ほらな? おいらの言った通りになっただろ? お前さんなら、絶対に食いついてくると思ってたぜ」


「現時点では情報が足りぬだけだ。貴殿の話を信じるにも、切り捨てるにも、今ひとつ決め手に欠けるのでな。その代わり、話すというからには何から何まで洗いざらい吐き出してもらう。容赦はせぬぞ」


「おう、構わねぇ。もちろん良いぜ。望むところだ。お前さんの気の済むまで、とことん教えてやる。必要な情報も全て渡す。言っとくけど、おいらに二言はぇぞ。大鷲の代紋は今日限りで下ろす。それはもう決めたことだ」


「そうか。ならば、私も遠慮せずに尋ねるとしよう。しかし、この場で立ち話を続けるのも無粋か……やむを得ぬ。ついて来るが良い。続きは、室内なかでじっくりと話してもらう」


 軽くため息をついてから踵を返し、村雨は藤島を屋敷の中へと招き入れた。敵の総大将を自邸に通すことは流石に気乗りしないようだったが、その日の気温は相変わらず30℃超えの真夏日で熱帯夜。外で立ったまま尋問を行うには、些か不釣り合いとでも思ったのだろう。


「おい、何をしている! お前たちも入れ。分かっているとは思うが、くれぐれも不用意な真似はしてくれるなよ? 情報を吐かせる前に死なれては、廊下を泥で汚した甲斐が無いというものだからな。お前たちの因縁は、しばし私が預かる。良いな?」


「は、はい!!」


 念には念を入れるかのごとく釘を刺された後、組員たちもぞろぞろと戻ってゆく。その中には門番でありながら襲撃者の侵入をまんまと許してしまった木幡や、藤島は勿論のこと大鷲会全体に只ならぬ憎しみを抱く清水も含まれていた。


 殴られたダメージの残る前者はともかくとして、後者は殊さら落ち着かない様子だ。彼の瞳の奥で大鷲会への復讐の炎が燃えていることは容易に想像できたので、村雨が注意を促したのは実に正しかったと思う。仮にそのままにしていれば、清水が藤島を撃っていたかもしれない。


(あれ? そういやぁ、菊川は?)


 姿が見えない。どこへ行ったのだろう。考えてみると、玄関前で藤島が暴れていた時から居なかった気がする。もしかしてカチコミに怖気づいて、混乱に乗じてスタコラ逃げ出したのか。そんな下世話な想像を浮かべつつも近くの組員に尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。


「カシラなら『桜木町に行く』って夕方頃に出かけてった。たぶん、お気に入りのソープ嬢の店にでも入り浸ってるんだろうよ。ここのところ、夜はずっと桜木町だ」


「はあ!? ソープ!?」


「まったく、あの人の女好きには困ったもんだよ。それが原因でムショに3年もブチ込まれる羽目になったってのに」


 組で大変な騒ぎが起きている最中に遊興とは、良いご身分である。しかし、桜木町へ繰り出すという彼の予定は昨日以前から立てられていたそうで、今日の今日、それも藤島の襲撃があった以降に決まったわけではないとのこと。


(……あいつ、クソだな。別にいいけど)


 というわけで、俺たちは女遊びに耽る若頭を抜きにして藤島を屋敷内へと連行した。と、言っても案内したのは地下の拷問室ではなく1階の応接室。この時点で荒っぽいことをするのは得策ではない、という村雨組長の判断だった。


 さて、話を先ほどの場面に戻そう。


 藤島を応接室へ通してソファーに座らせたは良いものの、緊張に満ちた空間が醸成されてしまった。それもそのはず。藤島の周りを組員がぐるりと取り囲んでいるのだ。通常の来客には有り得ない対応だが、これは彼が大鷲会の会長であるが故の措置。


 いくら「組織を解散する」と主張されたところで、口先と書状の字面だけで信じるのはあまりにも安易。大鷲会が完全に消滅した確証を得るまでは、この老人が村雨組にとっての脅威という事実に変わりは無いのである。


 けれども、藤島にしてみれば大いに話しづらかったことだろう。やがて彼は、ひどく顔をしかめながら沈黙を破った。


「……あのさ。こりゃあ、いくら何でもやりすぎじゃねぇのかい? 丸腰の相手にハジキを向けるなんざ。ボディチェックは、さっき済ませただろう。おいらは何も持ってねぇよ。ずいぶん用心深いこったな」


「誤解してもらっては困る。これは警告だ。私が求めた全ての答えを包み隠さず語らねば、頭蓋骨に風穴が開く。貴殿には、そのつもりで話して頂こう」


「はあー。おいら、てっきりお前さんと一対一サシで話せるもんだと思ってたが。まさか、ここまで無粋なことをされるたぁなあ……ま、しょうがねぇか。いいぜ。何でも話してやる。何が聞きてぇんだ?」


 どうにも不服そうな顔を浮かべていたが、渋々納得した藤島。理解できない心情ではないが、村雨組には彼を憎む者が大勢いるのだ。迂闊に発砲されないだけありがたく思ってほしいものである。


「では、ずは……」


 座卓に置かれたアイスコーヒーをひと口飲んだ後、村雨は質問を切り出した。


「貴殿が大鷲会の解散を決めた理由。これを話してもらおうか。今、そちらは“お家騒動”の最中であろう。何故に、ここで組を解散させるのだ?」


「決まってるじゃねぇか。“お家騒動”を終わらせるためだい」


 組自体を消してしまうことで、無理やりにでも内紛の幕引きをはかる――。


 それが藤島の考えだった。大鷲会を割って出た笛吹派のスローガンは、会長の退陣と「組織の刷新および改革」。つまり、ゆくゆくは大鷲会の跡目をとるために現体制から離反したということ。


 ゆえに大鷲会そのものが無くなれば、笛吹派は離反の大義名分を失う。内部抗争を確実に収束させるという点においては、たしかに効果的な方策といえよう。


「今回のゴタゴタは、完全においらの身から出たさびだ。笛吹みてぇな馬鹿を育てちまったのも、そもそもは躾がなってなかったおいらに責任がある。こちとら『カタギに迷惑をかけるな』だの、『人の道に外れたシノギをするな』だの、奴が尻の青いガキの頃から散々叩き込んだつもりだったが、まるで伝わってなかった。その笛吹を下の連中が弾いちまったのだって、所詮はおいらの監督不行き届きでしかねぇ。テメェの子分を上手く抑えられくなったら、極道は終わりよ」


「それゆえ、自ら身を引くと同時に組を終わらせると?」


「ああ。そうだい。うちの若い衆はもう、おいらの言うことなんか殆ど聞きやしねぇ。例えば『人通りの多い場所でハジキを使うな』と言いつけても何のこっちゃで、もう敵と出くわせば街中でもパンパカ撃ちやがる始末だ……」


 深いため息をついた藤島は、舌打ち混じりに吐き捨てる。


「……おかげでこないだ、とうとう何の罪もぇカタギに巻き添えを食わせちまった。もう、こうなったら大鷲会はきれいさっぱり解散して、会長のおいらを含めた全員が極道から足を洗う。こいつぁ、身内同士の喧嘩にカタギを巻き込んじまったおいらのケジメなんだよ」


 一連の内部抗争が始まってから、既にヤクザとは何ら無関係の一般市民に7人もの犠牲者が出ていた。いずれも体制派と笛吹派が街中で銃撃戦を繰り広げた際に流れ弾が当たったケースばかりで、これは極道として「カタギに迷惑をかけない」ことを信条とする藤島にとって最大級の痛恨事であろう。


 横浜の地で戦後の焼け野原から一代で築き上げた組織を解散させ、自らの極道人生にピリオドを打つ動機としては十分に自然なものだった。


 ただ、懸念材料は残る。


「なるほど。同情は出来ぬが、理解の余地がある。なれど、その後はどうするつもりだ? 貴殿に従う者はともかく、笛吹を慕い組を割った者どもが解散を受け入れるとは思えぬのだがな」


 村雨の問いに対し、藤島は率直に答えた。


「だからこそ、岡沢知事に解散届を持ってくんだ。知事は警察サツの実質的なボスだからな。そこに解散届を持って行きゃ、組はその時点で警察の管理下に置かれることになる。警察の命令に従わなければ、即お縄。笛吹の舎弟連中も迂闊には暴れられなくなるだろうぜ。その点は抜かりぇようにしてあるからよ」


「貴殿が今日までに手に入れた利権は? 渡世に居なくては保てぬ力もあろうに。それらも全て、引退とともに手放すというのか?」


「ああ。返せるもんは返して、組の資産に関しちゃあ丸ごと市に寄付しようと思ってる。大体にして、おいらは来年にゃあ古希だぜ? そんな老い先短けぇジイさんがいつまでも利権なんざ持ってたって仕方ねぇだろ。ハッハッハッハッ!」


 豪快に笑い飛ばした藤島だが、その顔つきには決意の固さがにじみ出ていた。どうやら、横浜大鷲会を解散させるという話は本物のようである。当初は疑い半分で聞いていた村雨組の組員たちも、次第に真剣な面持ちで耳を傾け始めた。


 皆、何を考えていたのだろうか。俺は他人の思考を除く能力などは持っていないので、詳細は分からない。しかし、ただひとつ言えるのは熱心に会話に聞き入る下っ端たちの中で、感心したように何度も頷く素振りを見せたりする者は誰ひとりいなかったということだ。


 そんな彼らの思考を代弁するかのごとく、村雨は次なる質問をぶつける。


「大鷲会が解散すれば、取って代わって村雨組われらが街を支配するやもしれぬぞ? 私になびく政治家や刑事は山のようにいるからな。その気になれば、かつて大鷲のものだった領地をそのまま貰い受けることだって出来る」


「おうよ。そいつがどうした」


「どうしたも何も、貴殿は本当にそれで良いのか? 我らのような外敵の侵略から地元を守るのが、大鷲会がこれまで担ってきた役割だったはずだが。領地を拡げるのに村雨組が如何なるやり方を用いるかは、貴殿も十分に知っているだろう。それを黙って見ているというのか?」


「まあな。『ハマを愛し、ハマを守り、ハマと共に歩む』。こいつが大鷲会の精神だ。実際においらは死に物狂いで体を張ってきたし、街を栄えさせるためにはどんな努力も惜しまなかった。昔も今も、初心を忘れたことたぁ1度たりともありゃしねぇ。けど……」


 緩んでいた頬をキュッと引き締め、藤島は言った。


「組を続けることが、その精神にかなうとは到底思えねぇんだ。今の大鷲会はハマを汚し、ハマを泣かせ、ハマを傷つけちまってる……根っからの外道のお前さんには分からねぇ理屈だろうけど、カタギあってのヤクザだ。カタギを守るのが大鷲会の務めだった。その務めを果たすことが出来ない以上、もうおいら達に存在価値なんざありゃしねぇんだよッ!!」


 やはり、この男にとって最も重要なのは組の興廃や存続云々よりも街の安寧と安全、そして一般社会を善良に生きる市民の利益と暮らしを守ること。何が起ころうと、決して揺らぎはしないようだ。


 仮に横浜の街が関西系の“外敵”である村雨組に乗っ取られようと、自分達がカタギに火の粉を浴びせるよりはずっとマシだ――。


 藤島の主張をざっくりと要約するならば、こんな具合か。一見すると立派な考えのようにも受け取れるが、よくよく分析してみると少々手前勝手に思えなくもない。カタギを守るのが務めならば、これからも組織を盛り立てて村雨組と対峙し続ければ良いではないか。


 いや、その方が賢明に決まっている。村雨組が横浜の覇権を握れば、忽ち恐怖支配が始まる。徹底的なバイオレンス路線を軸に歯向かう者や意に沿わぬ者が次々と粛清され、街全体が悲劇に見舞われることは火を見るよりも明らかである。


 政治家のみならず警察や検察、果ては裁判所まで国のありとあらゆる機関が賄賂で簡単に動くようになった平成という時代において、もはや暴力に対しては暴力でしか立ち向かえない。


 ゆえに大鷲会の解散は横浜市民にとって、村雨組の脅威に抗う際に頼れる唯一無二の存在、謂わばレジスタンスが消え去ることを意味する。某RPGゲーム風に喩えるなら、圧倒的な強さを誇る魔王の襲来を前にして聖剣を持った勇者が自らの都合で逃亡してしまうことに等しい。


(このジジイ、ただ単に自分が組をまとめる自信が無くなっただけじゃねぇのか……?)


 盛大なツッコミが頭の中で浮かんだ俺だったが、口には出さなかった。村雨耀介および村雨組としては、理由はどうであれ大鷲会が解散することは僥倖以外の何物でもないといえよう。


 敵の内情などは気にせず、むしろ敵の自滅を喜ぶべきだろう。自分は村雨組の人間なのだから。他者の痛みに過敏なようでは、ヤクザなどはやっていられない。横浜市民がどうなろうと、所詮は俺の知ったことではないのだ。そう心の中で唱えるに留め、俺は口を閉じていた。


 一方、村雨は次なる質問を繰り出す。


「貴殿の云う、組の解散が本気なのは分かった。だが、何故に村雨邸ここへ討ち入って来たのだ? 渡世から身を引くつもりなら、もう我らと拳を交える必要も無かろうに」


「いや、おいらは殴り合いなんかするつもりじゃなかったんだ。それをお前さんのとこのわけぇのが、いきなりかかってくるもんだからよ。非常識にも程があるぜ。まったく……」


「何を言う! 敵を目の前にして何もせぬ極道がどこにいるものか! まさか、我らが歓迎してくれるとでも思っていたのか? もしそうなら常識を欠いているのは貴殿の方だぞ」


「はいはい。おいらが悪かったよ。おいらが悪うございました!」


 ぶっきらぼうに形だけの謝罪を済ませた藤島は、頭を掻きむしりながら答える。


「……実はな、お前さんに折り入って頼みがあんだよ」


「頼みだと?」


「ああ。大層カッコわりぃ話と受け取られるこたぁ覚悟の上なんだがよ、おいらがこのまま身を引くことに心残りがぇわけでもねぇんだ。大鷲の代紋を外した後で、どうにかひとつ、守ってほしいことがある」


 そう来たか。ある程度の想定はしていたが、このタイミングで持ち出してくるとは。流石は横浜で長年に渡り、極道の頭をやっていただけのことはある。先に相手の目を引くワードをちらつかせ、話が一定のところまで進んだ時点で己の要求を吹っ掛ける老獪な交渉術だ。


 要は、大鷲会の解散および自身の引退の代わりに吞ませたい交換条件があるのだろう。一瞬で察しがついた。村雨も俺とまったく同じことを考えていたようで、彼はため息をこぼしながらも穏やかな声で応じる。


「はあ。最初から、そちらが本題だっただろうに。まあ、良い。ひとまず話だけは聞いてやる。何が望みだ?」


「なあ、村雨。お前さんに頼めた義理じゃねぇのは百も承知なんだが……」


 その瞬間、藤島の体が動いた。急にソファーから素早く降りたかと思えば、それまで両足を置いていた地面の絨毯に正座の姿勢で額を着けたのだ。


 いわゆる“土下座”。その光景に正面で見ていた組長は勿論のこと、俺を含めてその場に居た誰もが目を疑い、戸惑った。いきなり、どうしたのか。何故、ここで頭を垂れるのか。


(えっ?)


 それから、およそ10秒前後の間を挟んだ後。藤島の口から飛び出したのは、それ以上に予想もし得ない内容だった。


「どうか、おいらの代わりに横浜を守ってくれ! 頼む! どうか、おいらの代わりに……村雨、お前さんに東京の中川会と戦ってもらいてぇんだッ!!」


 皆、理解が追い付いていないようだった。どっしり構えた先ほどまでの姿とは全く別人のように、必死で懇願するハマの英雄の姿。簡単には得心しづらい彼の言葉の真意とは裏腹に、何か只ならぬ事が起こっているような気がしてならない。


(中川会と戦う? どうして……?)


 俺には、わけが分からなかった。

年内の更新は今回で最後になります。

ありがとうございました。


皆様、どうそよいお年をお迎えくださいませ。

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