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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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とんだ期待外れ

 翌日。


 午後の2時を少し過ぎた頃になって、ようやく村雨が帰ってきた。話によると、彼は昼食をまだ済ませていないのだという。そのため和室ではなく食堂に呼ばれた。


 何でも、村雨は往路・復路ともに東名高速だったそうだ。


「新幹線には乗らないのか? そっちの方が早めに着くだろ?」


「列車では周囲に人の目と耳がある。シノギの話をするには向かんだろう。おまけに狭いからな。あのような場所では、万が一尾行されても気づきにくい。それに早いと言っても、たかが1時間だ。危険を冒すほどの差ではなかろうに」


「言われてみれば……」


「それはそうと、昨晩はご苦労だったな。初めての任務にして、見事に笛吹の首を取ったそうではないか。やはり、私が見込んだだけのことはある。大したものだ」


 こちらから報告をする前に、例の話を切り出してきた村雨。前日は名古屋市内のホテルで一泊したそうなのだが、その間に木幡から話を聞いていたのか。


「先ほど、私の個人的な情報源から連絡があってな。裏が取れた。横浜大鷲会本部長・笛吹慶久の死亡が確認されたとのことだ。昨日、お前に刺された直後に取り巻きが病院へ担ぎ込んだそうだが、その時には手遅れになっていたらしい」


 死因は敗血症性ショックによる多臓器不全。さしずめ、日高がナイフの刃に仕込んだ毒が効いて全身にまわり、体内の循環器が腐ってしまったのだろう。


 斬新な方法ゆえに少しばかり懸念していたが、ちゃんと溶け出してくれていたようだ。即死でなかったことはともかく、これで一応は任務達成。ホッとすると同時に、一気に肩の力が抜け落ちる。


「ああ……良かったぁ……」


「何だ? 自信が無かったのか?」


「いや、そういうわけじゃねぇけど。初めての仕事だったから、ちょっと緊張しちまってよ。何つーか、想定外のアクシデントもけっこうあったし」


「ほう」


 昼食前の紅茶をひと口啜った村雨は、興味深そうに尋ねてきた。


「それとは具体的に何だ?」


「ええっと、まあ、いろいろだよ」


 よもや掘り下げられるとは思わなかったので、少したじろいでしまう俺。まさにそれこそ想定外。アクシデントとは即ち、自分が本番で手間取った格好悪い話になる。


 当然、あまり言いたくはない。だが、組長の問いを下手にはぐらかせば、今後の心証が悪くなってしまうだろう。意を決して、素直に打ち明けるしかなかった。


「たとえば……笛吹を待ってる時に、ちょっとクラクラきちまった。一瞬、目の前が真っ暗になったんだよ。たぶん、あれは軽い熱射病だと思う。ちゃんと水を飲んでなかったのが原因かも」


 他にもレインコートの内側が汗でぐっしょり濡れて気持ち悪くなってしまったこと、笛吹がホテルに入っていくのを見逃してしまったことやナイフを持って駆け出す際にうっかり転びそうになってしまったことなど、大小さまざまな失敗談を順を追って丁寧に説明する。


「なるほど。そんなことがあったとは」


 静かに相槌を打っていた村雨は、こちらの話が終わるや否や軽く目を細めた。


「たしかに改善の余地が見受けられる。しかし、お前にとっては初めての仕事だったのだ。無理もあるまい。人は誰しも、慣れぬことに手をつける日には大なり小なり手違いをしでかすものだ。それよりも、涼平。今回は初めての鉄砲玉となったわけだが。この体験をどう感じた?」


「けっこうスリルはあったかな。笛吹の背中にナイフをぶっ刺すまでは落ち着かなかったし。でも、面白かったぜ。こんなにゾクゾクしたのはガキの頃に遊んだエンクエ4以来かもしれねぇ」


「なるほど。では『人をあやめる』という所業については、いかに思う?」


「うーん……」


 どう答えれば良いのやら。


 本番で様々なトラブルに見舞われたものの、全体的には楽しさの方が勝っていた。俺が昨晩に味わった興奮は前述の通り、小学2年生の頃に遊んでいたRPGテレビゲーム『エンジェルクエストIV 導かれた騎士団』をはるかに上回るものだったのだ。


 誰かの命を奪う行為の是非だとか、目的のために人を殺すのが良いとか悪いとかは一切頭に無かった。ただ単純に「面白い」。その感想に尽きた。逆に、それ以外の形容詞を用いて説明しろと言われても困ってしまう。


 きっとそれは当時の自分の語彙力があまりに拙すぎたせいなのだろうが、もはや仕方がない。俺はさほど深くは考えず、浮かんだままの返事を村雨におくった。


「特に、何とも思わねぇな」


「……そうか」


 こちらの答えを聞いた瞬間、ほんのわずかに驚いたような顔を見せた組長。しかし、すぐに元の表情に戻ると普段通りの声で反応を寄越してきた。


「わかった。ならば、その気持ちを忘れぬことだ」


 ここでいかなる返し方をすれば正解だったのか、俺には分からなかった。出来ることなら軽快に「おうよ」とでも言ってやりたかったのだが、肯定的とも否定的とも云えぬ村雨の眼差しを見ていると、どうにも躊躇われたのだ。


(もしかして、マズいこと言っちまったか……?)


 変な空気感に包まれてきたので、咄嗟に方向転換をはかる。


「あ、そうだ。話は変わるけどさ。あんたに、とっておきのお土産があるぜ」


「土産だと?」


「うん」


 いつもより大きく頷きながら、俺は床に置いてあったボストンバッグをよっこらせと抱えて卓の上に上げる。食堂へと赴く際に、予め持ってきていたのだ。


「何だ? それは」


「昨日、笛吹を殺したついでにかっぱらってきたモンだ。取り巻きみてぇな野郎がビビッて落としたから、そのまま俺が持ってきた。何が入ってるかは開けてからのお楽しみってやつだ」


「ああ。なるほど。そういうことか」


 俺の話を聞いた村雨は、微かに笑みを浮かべた。


「フフッ。てっきり、手ぶらで帰ってくると思っていたが……よくぞ持ち帰ってくれたな。お前も気が利くようになったではないか。私の欲しているものをこうも察するとは」


「まあな。あんたにとっては、その方が得なんだろ? いつも大枚はたいて仕入れてるものがタダで手に入る。だったら、ぶん獲ってこない手はぇじゃねぇか」


「いかにも。でかしたぞ、涼平!」


 嬉々と鞄に手を伸ばす村雨。


 中には、大量の覚醒剤が詰め込まれているはず。笛吹が生前最後の取引で手に入れた商品で、その規模からして、売れば億単位の金が転がり込むだろう。


(よし。これで俺の手柄も倍になる……)


 しかし、若者特有の出世欲があふれ出す俺の野心とは裏腹に、ジッパーを勢いよく開けた村雨が掴んで取り出したのは思いもよらぬ代物だった。


「ん!?」


 バッグの中に入っていたもの。


 それは、想像よりもはるかにカラフルだった。「袋詰めの粉」という点ではたしかに同じだったが、その袋に派手なパッケージングが施されている。


 ロゴには、こう書いてあった。


【新潟産 ホシビカリ】


 中に入っていたのは覚醒剤ではなく、なんと米。ザクザクとした袋の触り心地から察するに、米に偽装して粉末を詰めているわけでもないらしい。正真正銘、どこからどう見ても米だった。


 面前に組長がいる事実も忘れ、俺は思わず叫んでしまう。


「はあ!? どうしてシャブじゃねぇんだ!!」


 焦り、落胆、失望、それから憤怒。この4つの激しい思いが均等な配分で一気に押し寄せてきて、心の中の整理がつかずグチャグチャになりそうだった。


 もしかして、道中で何者かに盗まれてしまったか。だが、それにしては途中でバッグを手放した感触が無い。一時的に腰を下ろした時を除けば常に左肩に抱えていたし、一瞬の隙を狙われる形でて中身を米にすり替えられたにしても、状況的に無理がある。


(だとすると、最初から米だったとか?)


 村雨組が事前に掴んだ情報では、笛吹は8月1日に中国系の密輸組織から大量の覚醒剤を仕入れるとのことだった。それが何故、米になるのか。まったくもって理解不能だ。目の前の現実が受け入れられない。


 一方、村雨の反応は至って冷静そのものだった。


「……なるほど。笛吹は騙されていたということか」


「騙されていた? どういう意味だよ!?」


「中国人が笛吹に『クスリを売る』などと嘘の話を持ちかけておきながら、取引では紛い物を掴ませ、結果としてカネだけを詐取せしめた。まあ、これはそもそも米なのだから紛い物ですらないがな」


 目の前の現実が受け入れられない俺に、自らの推理をわざわざ噛み砕いて説明してくれた村雨。構図としては実にシンプルで、納得のいくものだった。


 しかし、だからといって事態を吞み込んで気持ちを切り替えられるかと言えば、決してそうではない。むしろ先ほど味わった大波のような感情の余韻が、俺の中で却って燻ぶり始めた。


「そんな! そ、それじゃあ、俺はこんなモンのためにビクビクしながら街を歩いたってのかよ!?」


「ああ。クスリだと思っていた物が、実は米だった。この状況と事実のみで考えるなら、そう結論付けるのが自然であろうな。お前にとってはとんだ骨折り損で、要らぬ徒労を踏んでしまったことにはなるが」


「……なんだか、自分がひどくバカに思えてくるぜ」


「気にするな。愚かだったのは、こんな紛い物にも及ばぬ偽物をまんまと掴まされた笛吹だ。お前の非は一切無い」


 中身が覚醒剤だったら、どれほど良かっただろうか。


 バッグの大きさからして、仮に本物が入っていたとしたら少なくとも5kg分はあったと思う。これを売ることにより、莫大な金がもたらされる。


 しかも大枚はたいて仕入れたものとは違い、強奪品なので支出額は実質ゼロ。まさに、村雨組にとって得しかない最高のシノギである。横浜大鷲会および伊豆の斯波一家との全面戦争を間近に控え、少しでも多くの軍資金が要る状況にあっては尚更だろう。


 また、そんな恵みを組にもたらした俺も当然、英雄扱いされる。後に正式に盃をもらって組に入った後で、それなりの出世を約束されていたに違いない。


 逃した魚は大きい――。


 小学生の時分に国語の授業で習ったこの古めかしいことわざの意味が、痛いほどに分かる。大いに期待していただけあって、肩を落とさずにはいられなかった。


「はあ……」


「気にするなと言っている。過ぎた事を悔やんでも仕方あるまい。そもそも此度のお前の役目は笛吹の首を獲ることだった。それさえ果たしたのだから、大した手柄ではないか。クスリの件は最初から無かったものと思えば良かろう」


「いや、でも……」


「私に何ら不利益は無い。カネの心配なら無用だ。その気になれば、いくらでも作り出せるからな。とにかく、お前は大役を見事に成し遂げて帰ってきた。それだけで十分だ」


 本来ならば、即座に立ち直ってみせねばならない場面だろう。しかし、俺には出来なかった。出世の糸口を掴めなかったのもさることながら、軍資金獲得に貢献して組長の歓心を得る千載一隅の好機を逃してしまった悔しさが、心を深く抉り続けたのだ。


 勿論、いつまでも落ち込んでいてはいけないことくらい分かっていた。このような時にすぐさま気持ちを切り替えられる精神性を「大人」と呼ぶこともまた、然りだ。


 にもかかわらず、沈んだ気分を無理やりにでも上に向かせるに至れない。これは当時の俺が未熟であった、何よりの証だと思う。


 されど、いくら憂鬱さに浸っていていようと何時いつかは次のことを考えねばならない。普段に比べて明らかに陽気さを欠いた俺の心の中を読み取っていたのか、否か。村雨は平然と話を切り出してきた。


「涼平。今日はもう、良いぞ。疲れも残っているであろう。ゆっくりと体を休めることだ」


「……」


「明日の朝、7時に玄関前へ来い。少しばかり遠出をする用事があってな。お前にもついてきてもらう。この機会に会わせたい者がいる」


「……わかったよ。じゃあ、7時に行くわ」


 組長に軽く頭を下げて、俺は食堂を後にする。相変わらず気持ちは暗いままで、足取りもいつになく重く感じた。村雨から伝えられた連絡事項も、さほど深く認識してはいなかったと思う。


「俺に会わせたい、ねぇ……」


 ボソッと独り言を呟く。いったい誰なのだろうか。見当はつかないが、もはや誰であろうと興味が湧かない。大きく下がってしまったテンションのせいで、ついつい投げやりに考えてしまうのだ。


(とりあえず、気分転換でもしてみるかな)


 俺は翌日のことは特に何も考えぬまま、夜まで過ごした。前に秋元から教わった通り、外へ出て深呼吸をする。そして、屋敷の周辺を散歩して風に当たって、帰ったら湯船にゆっくりと浸かるまでの流れ。


 この間、新聞やテレビの報道番組の類は一切視界に入れない。これも秋元から授かった知恵で、落ち込んでいる時に暗いニュースに触れてしまうと心の傷が開いてしまうからだという。


 不思議なもので、そうすることで気分は自然と上を向いてくる。復活とは、まさにこの事を云うのだろう。1日が終わる頃には覚醒剤の件を「まあ、いいか」と割り切れるくらいには落ち着いてきていた。


 ちなみに、この日発売の新聞にはこんな見出しが並んでいたらしい。


 ーーー


 ・「世論調査 白田内閣は低調な滑り出し」


 ・「横浜市のホテル地下駐車場に男性の遺体 死因不明」


 ・「品川区 大井町駅前に史上初の区営ショッピングモール建設へ」


 ・「米Banana 22日に新型パソコン発売」


 ーーー


 いずれも、後日になってから他人を介して知った話であった。

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