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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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大きな侠

 すると、そこへ食事が運ばれてくる。


「失礼いたします」


 暗い声で一言添えた後、俺の前に皿を出したのは昨日の汚い中年男。借金のカタに奴隷に身を落としたと思われる、例の料理人だ。どこかもの悲しい空気感を漂わせながら、彼は配膳を進めていく。


「帆立と海老のクリームスープのパイ包み焼き、紀州地鶏のトマト煮込み、それから冷製パスタでございます。パスタはよく混ぜ合わせてからお召し上がりください」


 えらく畏まって説明した後、彼はにこりともせずに奥へ引っ込んでしまった。まだ組員ですらない半端者の自分に対しては敬語を使わなくたって良いのにとも思えたが、秋元同様、あれが普段からの性分なのだろう。


 不気味なほどに真顔だった彼の表情が少し気になりつつも、俺はフォークを手に取った。そして、赤く色づいたチキンを刺して一気に口へと運ぶ。


「どうだ? 美味いか?」


「……ああ。美味いよ」


 本当は、さほど上質な味わいでもなかった。メインの素材である鶏肉にトマトソースが染み込んでおらず、肉の硬さも相まって非常に微妙な食感。人によっては「不味い」と、顔をしかめるかもしれない。


 ただ、ここで俺が本音を漏らしてしまえば先ほどの料理人が罰を受けることになる。村雨が以前話していた内容から察するに、恐らくは組所有の強制労働施設=タコ部屋への送致。


 働き始めて僅か数日でそうなるのは流石に可哀想だったので、この日に限っては大目に見ることにしたのだ。しかし、組長に容赦は無かった。


「そうか。あの者は、西森が腰の手術から戻るまでの代わりだ。もし今後、出された料理を少しでも「不味い」と感じたら、その時は遠慮なくはっきりと申せ。分かったな?」


「う、うん」


 俺が来る前に料理を食べ終えたという村雨は、この日の献立に満足できなかったようだ。美味いと言った俺の味覚を疑うかのように、ジッとこちらに視線を送ってきた。


(この人は意外と美食家なのか?)


 だが、重要なのはそこではない。村雨は見るからに機嫌を損ねているのだ。俺に奴隷の料理人を助けてやる義理は微塵も無いが、食事中に室内の空気感が張りつめるのは気まずい。どうにかして、話題を変えなくては。


(ええっと……何かあったかな……ああ、そうだ!)


 頭の中で必死に探した結果、偶然にも見つかった最適解。意を決して、話を切り出した。


「……今日、俺さ。買ったレインコートを着て1階の廊下を歩いてたんだよ。そしたら、すれ違った奴に何て言われたと思う?」


「さあ。わからんな」


「そいつら、俺を『カラスみたいだ』って」


「カラスか」


 俺は頷く。


「ああ。たしかに黒っぽいのを着てるからさ、そう見えてもぜんぜん不思議じゃねぇと思うんだけど。俺としては、どうにも納得できねぇんだよなあ」


「何故に納得できない?」


「だって、ほら。カラスって汚ねぇじゃん。人間が出したゴミを漁って食い散らかしたり、他の鳥が食べ残した物を平気で持ち帰ったりもするし。そんなのと一緒にされるのは、なんか嫌なんだよなあ。どうせ生き物にたとえられるなら、ライオンとか狼とか、そういうのが良かったわ。まあ、服装の話だから仕方ねぇけどさ……」


「なるほど。だが、私はそうは思わんな」


 過去に何かの図鑑で読んで覚えていた生半可な知識を頼りに、いつもより饒舌っぽく語ってみせた俺。だが、村雨の見解は異なるようだった。


「たしかに人間から見れば実に汚くて下品だが、カラスは賢い鳥だぞ。頭の良さでいえば猛禽類にも勝る。我々のゴミを漁るのは『そこに食い物がある』と知っているからだ。他の鳥の食べ残しを持ち帰るのも、それが『まだ食べられる』と分かってのことだ。奴らは知恵と判断力に長けている。その点、タカフクロウは単純でいけない」


「へ、へぇ……そうなんだ。知らなかった」


「ゆえに、カラスという喩えは何ら恥ずべきことではない。むしろ、誇りに思うのが正しかろう。極道とて、その生業はカラスと同じなのだからな」


 いまいち実感の湧かない話だったが、カラスが想像よりもずっと優れた生き物であることは何となく理解できた。少なくとも、俗に「かっこいい鳥」の代名詞として名前が挙がる鷹などよりは頭が良いらしい。


 俺たち人間が「汚い」と蔑む行為も、すべてはその深い知恵と高度な判断力に由来しているという。しかしながら、自分とは似ても似つかないだろう。まるで正反対の存在のように思えてならい。


(俺、カラスと違ってアホだからなあ……頭も悪いし……)


 その時だった。


「おい! お前はさっきから、何をやっている!」


 突如、室内に村雨の怒声が響いた。


(えっ!?)


 もしかして、彼の不興を買ってしまったのだろうか。様々な憶測が、頭の中を瞬時に駆け巡る。だが、どうやら違うらしい。


「いつまでそこに立っているつもりだ? 用が済んだらさっさと出ていけ! 目障りだ!」


 幸いな事に、怒りの対象は俺ではなかった。村雨の命令で俺を食堂へと連れてきた木幡がドアの近くの壁にいつまでも寄りかかっていたらしく、それが気に食わなかったようである。


 入り口に背を向けて座っていたので全く気付かなかったが、木幡は先ほどからずっとこちらを眺め、時折ニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべていたとのこと。急な大音声には驚いたが、村雨の怒りはごもっともだ。


「も、申し訳ありませんでしたッ!」


 残虐魔王の迫力を前に畏縮した木幡は慌てて踵を返し、逃げるように食堂を飛び出していった。残ったのは村雨と彼の背後に控える護衛、そして俺の3人だけ。辺りは再び、静かさを取り戻してゆく。


「まったく。ここの所、あいつはおかしい。何か変なクスリでもやっているのではないか?」


 ため息混じりに吐き捨てた組長だったが、俺の考えは違う。


 食堂へ来る際の妙に馴れ馴れしい態度といい、ただ木幡は俺に対してちょっかいを出そうとしているようにしか思えなかったのだ。今のうちから関係性を築いておくことで、俺がこの先正式に組員となった暁には先輩風を吹かす腹積もりなのだろう。


(マジでめんどくせぇよなあ。そういうの)


 だが、それが人の常だということは俺もそれまでの人生で学習済みだった。暴力団に限らず、組織の中において新参者に古参が威張り散らす光景は珍しくないはず。非常に面倒ではあるものの、自分も組織の中で生きる以上は受け入れざるを得ない。


(やっぱ、我慢するしかないか……)


 記憶の中にすっかり染みついてしまった木幡の二ヤケヅラに吐き気にも似た不快感を催しつつも、グッと押し殺し、俺は無言で食事を続けた。目の前の料理を味わうことに意識を傾けたのである。


 そのせいか、途中で聞こえてきた村雨の問いは受け流してしまった。


「お前はどう感じた? 奴の行動に、見過ごせぬ点は無かったか? あれば如何に些末な事で構わん。言ってみるが良い」


「……」


「おい! 聞いているのか?」


「えっ」


 咀嚼の途中でピシャリと声を浴びせられ、細かく噛み砕いた鶏肉が喉に詰まりそうになる。即座にスープを飲んで呼吸を整えると、俺は慌てて応じた。


 よもや「あなたの独り言かと思った」などとは、口が裂けても言えない。ただでさえ機嫌が悪いのだ。これ以上、火に油を注ぐような真似が出来るはずもなかった。


「あ、ええっと。どうなんだろ。いや、特に分かんねぇなあ。俺が村雨邸ここへ戻ってきてから、まだ3日くらいしか経ってないし。でも、これからどうにかなるんじゃねぇのかな。あくまで俺の勝手な意見だけど」


 実を言えば、この時は「分かんねぇ」どころか、考えてさえいなかった。全てはデタラメ。俺の頭の中で咄嗟に考えた、あまりにも適当な返答である。


 話の要旨を掴めていなくても、このように何か曖昧な言葉を並べておけばどうにかなると思ったのだ。いま思えば実に浅慮が過ぎる行動だが、そうするしか選択肢が無かった。


「どうにかなるだと? 本気でそう思うのか?」


「あ、うん」


「まったく……お前という奴は……」


 ひどく呆れたように、大きくため息をついた村雨。


 いちおう、予想できた反応である。そもそも俺が放った返事はまかせで、不正解どころか何から何まで的を得ていないのだ。最早、答えにすらなっていないと書いた方が適切か。


 村雨がそれに気づいていたかどうかは分からないが、彼の眼差しからは失望と同時に、どこか悲しみのような念を窺い知ることができた。


(まあ、仕方ねぇよな。聞いてなかったんだから)


 小言をもらう覚悟は、既にできている。こうなった以上、叱責を受けることはやむを得ない。どんな説教が飛んでくるにせよ、ここは甘んじて受け入れるしかないだろう。


 しかし、直後に村雨が発した言葉は俺の耳を疑うものだった。


「かつて“川崎の獅子”と謳われた男の息子とは……到底、思えんな」


「えっ!?」


 川崎の獅子――。


 その響きには覚えがあった。先日、五反田で本庄組長と話した際にも聞こえてきた単語。いまは亡き俺の父・麻木光寿の二つ名だ。


『みっちゃんは、ほんまに任侠道を地でゆく男やった。愛するモンを守るためなら、どんな修羅場も厭わへん。で、持ち前の剛腕だけを武器に立ち回って、数えきれへんくらいの伝説を作った。そんな姿に周りの人間が惹かれて、いつしかみっちゃんは“川崎の獅子”なんて、呼ばれるようになってん』


 本庄の声が、不意に脳内で再生される。その中における“みっちゃん”とは、彼が渡世の兄弟分だった光寿を親しみを込めて呼んでいたという愛称である。


(えっ? もしかして……)


 確証は無い。だが生前の二つ名を知っていたということは、やはりそういうことなのだろう。意を決して、俺は尋ねてみた。


「……あんた、父さんを知ってるのか?」


 村雨の返事は数秒も置かれず、即座に返ってくる。


「知っているとも」


 度肝を抜かれてしまった。まさか、本庄のみならず村雨までとは。前者は同じ中川会だったので知っていて当然だが、後者は代紋が違う。煌王会の枝にまで、名前が轟いていたということになる。


(マジかよ……)


 どうやら、父の知名度は俺の認識をはるかに超えているらしい。幼少の頃は理解どころか気づきもしなかったが、村雨曰く、とんでもない大人物だったようである。


「お前の父、麻木光寿は私がこれまでの生涯で唯一、恐れを抱いた男だ。長らく渡世に身を置いているが、本気で『こわい』と感じたのは奴しかいない。あの男が生きている間、私が川崎へ手を出さなかったのが何よりの証だ」


「そ、そんなにか?」


「ああ。あの男と初めて会うたのは駆け出しの時分であったが、あれほど背筋が震えた日は無いと思っている」


 当時15歳の村雨耀介少年を初対面で震え上がらせ、明確に恐怖を感じさせるほどの迫力を備えた男であったという光寿。その後、村雨が歳を重ねて「残虐魔王」と呼ばれるようになって以降も川崎への侵攻だけは思い留まったというから、相当なインパクトだったのだろう。


「もう、奴が死んでから7年も経つのか。しかし、私は川崎へは足を足を伸ばせずにいる……やはり、体が覚えているのだろうな。あの日の手の震えを」


 ある種のトラウマ、と名状すれば少し大袈裟なのかもしれないが、10代の次期に恐ろしい経験を味わえば誰だって一生記憶に残ってしまうものだ。


 かくいう俺も、つい2ヵ月前に村雨と初めての邂逅を果たした際に味わった怖さを未だにおぼえている。


 彼に睨まれた瞬間、本気で「殺される!」という予感と共に、心臓がギュッと掴まれるような感覚がしたのだ。胸に染みついたその時の痛みは、おそらくこれからも決して消えはしないだろう。


(でも、考えてみりゃ……すっげぇ偶然だよな)


 村雨にしてみれば、かつて脅かされた相手の息子を今度は自分が脅かしたのだ。おまけに、その時の年齢は共に15歳だったときている。何とも運命的というか、因果なものを感じてしまう。


「涼平。お前が麻木光寿の子だと気づいたのは、部屋住みとして迎え入れてからずっと後のことだ。たしかに外見としては幾らか似通った部分はあるが、他はまるで似ていない。頭の切れも、喧嘩の腕も、まだまだ父親のそれらには及ばぬ。川崎の獅子の器には程遠い」


「ああ。別に、言われなくても分かってるよ」


「だが、一方でこうも考えているのだ。お前ならば、いつの日か私を……いや、私が超えられなかった麻木光寿をも凌駕する大きなおとこに化けると」


「俺が、父さんを?」


 大きく相槌を打った後、村雨は言った。


「そうだ。それがお前の宿命であり、進むべき道だ。今は未熟で他の者より群を抜いて青いが、このまま己を見失わずに修行を積んでいけば必ず成れる。伝説というものは塗り替えるべくして存在しているのだからな」


 だが、そのためには様々な試練を乗り越えねばならないだろう。この時は死んだ親父が打ち立てた伝説とやらをさほど知ってはいなかったが、村雨が話の中で提示した道が険しい茨の道になるであろうことは何となく想像がついた。


 認識していたよりもずっと凄かった親父の存在と、不意に突きつけられた己の宿命。途方もない話の大きさに、頭がクラクラと混乱して倒れてしまいそうだった。


 しかし、やらねばならないだろう。極道社会で生きる以上、麻木光寿の息子という肩書きは常に付きまとうのだ。いかに忌避したところで、決して逃れられはしない。ならば、その肩書きを超える存在になってやるまでである。


「わかった。あんたの言う親父の伝説ってのを超えられるかどうかは分かんねぇけど、俺なりに努力してみる。頑張るよ」


「フフッ。その意気だ。期待しているぞ」


 微笑みを見せた村雨。


 彼がこのタイミングで敢えて親父の話を持ち出したのは、これから初めて鉄砲玉へ赴くにもかかわらず思慮の浅さが未だに目立った俺に厳しく喝を入れると同時に、任務完遂に向けて奮起させる意図があったように思う。


 きっと、これが村雨なりの人心掌握術なのかもしれない。少々シビアの度合いが過ぎるが、目下の若い者の心を掴んで目標へと向かわせるには実にちょうど良いやり方と云える、


(……とりあえず、やってやるか)


 俺はすっかり、その気になっていた。そしてこの時を境に、来るべき日に向けてますます気合いを高めていったのだった。

次回、涼平がついに初陣!?

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