溶かせるナイフ
翌日。俺は準備に動き出した。
最初に取り掛かったのは、凶器の調達。笛吹の暗殺には刃物を用いようと決めたわけだが、あいにく俺に知識は無い。その日もまた書庫で様々な資料を読みながら、あれこれ悩んだ。
偏に刃物と言っても、様々な種類がある。魚を3枚におろす際に用いる出刃包丁から、刺身にするための刺身包丁、肉を切る牛刀包丁まで、非常に奥深い。そこに果物の皮を剥くためのナイフ類が加われば、猶更だ。
ただし、選ぶ基準は明確でシンプル。取り回しやすく、なおかつ相手の盆の窪にザックリと突き立てることができるか否かである。刃物には「切る」と「刺す」の2種類の用途が存在するが、俺の任務に必要なのは後者。よって、それに特化したものを選べば良いというわけだ。
(うーん……やっぱり包丁より、ナイフか?)
盆の窪は大きさが直径3センチほどで、人間の急所の中でも比較的小さな箇所といえる。そこだけを確実に破壊するためには、刃先はできるだけ鋭利であるに越したことはないだろう。そうなると、刃幅も必然的に小さくする必要に迫られる。
他にも携行時における利便性の兼ね合いもあって、丈の長い出刃包丁などは自然と除外された。前述の通り、現場への移動中には服の中などに隠しておけるサイズでなくてはならない。うっかり外に出しているところを警察に見つかりでもしたら、一発アウト。即逮捕となってしまうのだ。
これらの事情を踏まえた上で、俺は頭の中でシミュレーションを繰り返した。本番では何が起こるか分からない。ゆえに実際の場面を想像し、あらゆる展開に対応できる適切なアイテムを考えてみる。
結果、俺が見つけ出した答えは折り畳み式のバタフライナイフだった。
1枚の刀身に溝のついた持ち手がついており、刀身を上下からはさみ込むように収納するのが特徴のナイフ。本来の用途は彫刻などの細かい作業だが、その携行のしやすさから少年犯罪の凶器として使われることが非常に多い道具だ。
奇しくもちょうどその年の3月、前年に放送された某2枚目俳優主演のドラマの影響を受けた男子高校生がバタフライナイフで後輩の女子を刺殺する事件を起こし、世間を大きく騒がせていた。かくいう俺自身も、同級生をカツアゲするのに使ったことがある。
とはいえ当時はまだまだ規制が緩く、エアガンを扱う玩具屋やストリートファッション専門店などで普通に入手できる時代だった。特に年齢確認があったわけでもない。
「なあ、折り畳めるナイフって何処で買えるんだ?」
「分かんねぇ。たぶん、駅前のショップとかじゃないのか。あそこら辺にはミリタリー系のグッズを置いてる店も多いからな。雑貨屋じゃ買えねぇようなナイフだってあるはずだぞ」
「そっか。で、そこは何ていう店だ? 名前と住所を教えてくれや」
「いいぜ。後で書いて渡すわ。けど、あんまり外をウロチョロすんなよ。用が済んだらさっさと帰って来い。下手に出歩いて、大鷲会に面が割れたら厄介だ。組長がわざわざ、お前を鉄砲玉に選んだ理由が分からなくなっちまう」
その日もまた近くにいた木幡の助言に従い、俺はさっそく桜木町駅前の店へと繰り出してバタフライナイフを1本購入した。中学時代に愛用していた黒一色の廉価版とは異なり、銀色の持ち手部分に蛇らしきエングレーブが彫られている派手な代物。
開刃時にはそのグリップを握ることで、刀身の尾端部に付いているピンが両側に引っかかってロックが掛かる仕組みとなっている。これは使用中、不意に刃が折り畳まれる事態を防ぐための構造的工夫だ。少々値段は張ったが、刃の強度にも問題は無さそうだった。
(よし。これなら安心して使えそうだ)
ところが、いざ屋敷へ戻って夕食時に村雨の評価を仰いでみると、その反応は思いのほか芳しくなかった。凶器にはナイフを選び、それを自腹で購入した旨を伝えるや否や組長の目元がみるみるうちに険しくなる。
「……涼平、それはいかんな」
「えっ」
「小ぶりの刃を選んだことは間違いではない。だが、肝心なのは笛吹を仕留めた後だ。お前の指紋と奴の血がベッタリ付いた道具をそのまま取っておくわけにもいくまい。いかにして処分するつもりだ?」
もちろん、犯行後は凶器を廃棄しようとは考えていた。ただ、その具体的な方法となるといまいちピンと来ない。
「ええっと……新聞紙でくるんで、どっかの山に埋めるのは」
「馬鹿を言うな。それでは掘り返されたら終わりであろう。近頃の警察は優秀だからな。その気になれば、目当ての証拠品が見つかるまで山ごと捜索をかけ続けるぞ。事が済んだら形さえ残らぬように捨てなければ、案外簡単に見つかってしまうものだ」
「そ、そっか。なら、溶かすとか!」
「初めてにしては見事だな。正解だ。では、実際にどう溶かす? お前が選んだナイフは見たところ鋼でできている。それを溶かすのに、一体いかほどの火力が必要だと思うのだ? 分かっているだろうが、湯を張った鍋に放り込んだだけでは溶けぬぞ。さらなる火力、あるいは温度にまで達しないことにはな」
残念ながら、あまり深くは考えていなかった。ましてや、鋼の融点など知る由も無い。俺の頭の中にあったのは「ただ捨てれば良い」という、ひどく単純な思考だけ。その旨を正直に白状すると、村雨の口からは呆れたようにため息がこぼれた。
「……今一度、その足りない頭を捻って考え出してみろ。使い終えた道具を『溶かす』には、いかなる術を用いれば良いか。それさえ他人の知恵を頼るようでは、これから極道として飯は食えぬものと思え。分かったな?」
いつになく厳しい小言を貰ってしまったが、すべて的を得ていて正しい。極道社会のシビアな現実を端的に表した、偉大なる先達からのアドバイスとも受け取れる。元を辿れば今回の任務自体が、俺が渡世でやっていけるかどうかを測る試験の意味を孕んでいるのだ。
ヤクザに向いていないと見做されれば、村雨組からは忽ち追放。絢華との再会は永遠に叶わなくなるだろう。そんな立場に置かれているのに、ここで「やっぱり自分には分からないから正解を教えてくれ」などと簡単に諦めてしまって良いわけがない。
(ここが踏ん張りどころだな)
今まで一切の勉強を放棄してきた中卒のバカな脳ミソでも、まだまだ思いつくことがあるはずだ。ほんの僅かな望みに全ての希望を託すつもりで、俺は自分自身に喝を入れて気合いを込めた。すると、その時。
「失礼いたします」
会話を割り込むように入ってきたのは、この日から組で専属料理人として働くことになったという若い男。いつものコックとは違い、薄汚れた制服を着ている。そんな彼の両手には丼ぶりのような形をした器が左右に2つあった。
「……杏仁豆腐をお持ちしました」
「おお! 出来たか。待ち侘びたぞ」
事前に作っておくよう、村雨が言い付けていたという杏仁豆腐。その反応を見る限り、彼の好物のようだ。しかし、製法は一般的な物とはだいぶ異なっていた。
「組長のお申し付けの通り、牛乳寒天は使っておりません。材料もアンズの種です。細かく砕いた粉末で香りづけも行っています。今回が初めてでしたので、自信は持てませんが」
「いや、悪くない。昔、馴染んだ味にそっくりだ。良い仕事をしたな」
「左様でございましたか! お気に召されたようで、何よりです……」
満足した様子の村雨を見て、ホッと胸を撫で下ろして見せる料理人。
とはいえ、違和感があった。以前に何かの文献で読んだ気がするが、日本で食されている杏仁豆腐は牛乳寒天をベースに苺、パイナップル、さくらんぼといった果物を混ぜ込んでフルーツポンチ風に彩りを加えて作るのが一般的だ。
しかし、目の前に出された器の中には豆腐しか入っていない。お世辞にも華やかとは言いづらい、ひどく地味な見た目である。頭の中にあったイメージとの違いに、俺は己の目を疑ってしまった。
(えっ? これが杏仁豆腐!?)
きっと、俺でなくとも同じ感想を抱くことだろう。分かりやすい例えをするならば「冷奴を濁った薄緑色の水で浸したような感じ」とでも云ったところか。それまでに洋食のフルコースを平らげて既に満腹だったせいもあるが、とても食欲が湧いてこなかった。
「ほら、涼平も食べてみろ。美味いぞ」
組長に促されたので、やむなくスプーンを手に取る。そしてゆっくりと口へ運んでみた。
「どうだ?」
口に入れた瞬間、広がったのは異様な風味。
(んんっ!?)
想像していたよりもずっと苦くて、不気味なまでに滑らかな舌触り。それがじんわりと且つ静かに口内を移動し、吸い込まれるように喉の奥へとすべり落ちる。
(何だよ……これ、杏仁豆腐じゃねぇだろ!)
てっきり、甘みを味わうことができると思っていたので仰天した。予想外もいいところである。本来ならば顔をしかめて悶絶し、恐ろしいほどの不味さを表情にあらわしたい場面だが、そうはいかない。俺に求められているのは感想だ。
「うーん。何だろ。ちょっと、いつも食ってるのとは違うや」
「そうかそうか。だが、直に慣れる。慣れれば止められなくなるぞ」
村雨には申し訳ないが、どうにも好きになれる気がしなかった。しかしながら、ここで迂闊に本音を口にして組長の損ねる事態になってはいけない。ただでさえ、バタフライナイフの件で俺に対する総合評価は下がりかけているのだ。
「あ、ああ! 大人の味だからな」
出来る限りのポジティブな感想を述べ、好意的な態度を示しておく。その後は時折襲ってくる不快な味覚をどうにか耐え凌ぎながら、無駄に多く盛られた杏仁豆腐もどきを食べて片づけることに専念した。
初めて会った日から思っていたことだが、村雨耀介はその風格といい話し方といい、普通の人間とは何もかもが一線を画している。ざっくりといえば「変わり者」になるわけだが、まさか味覚までもが常人離れしていたとは。流石に恐れ入ってしまう。
(うわあ。すっげえ不味い……)
率直な思いを隠して、俺は黙々と食べ続ける。あたかも「美味しいです」と言わんばかりに、にこやかな表情を装うのが物凄く大変だった。卓上にあった調味料をかけて誤魔化すことも躊躇われる雰囲気だったので、口の中に漂う苦みは不快感を通り越し、やがては苦痛へと昇華してゆく。
それを少しでも紛らわそうと、俺は村雨と料理人の会話に耳を傾ける。
「どうだ? ここでの仕事には馴染んだか?」
「え、ええ。おかげさまで。ぼちぼち、やってます……」
「そうか。ならば、身を粉にして励め。病に倒れた西森が戻るまでの間は、貴様が厨房をまわすのだ。良いか? 借金を猶予してやったのは、何も善意からではない。貴様の料理の腕を買ってのことだ。その点、普通の奴隷とは待遇が違う。だが、少しでも至らぬ点があればその時は容赦せんぞ。すぐさま他の者と同じタコ部屋に送ってやる。気を引き締めておくのだな」
「……」
雑談かと思いきや、ずいぶんとシビアな会話が聞こえてきた。組長の言葉を受けたコックコートの男は、がっくりとうなだれる。彼もまた、村雨組の奴隷のようだ。
察するに、かつては横浜市内で店を出していたものの資金繰りが厳しくなって闇金から金を借りた過去があるらしい。俺にとってはどうでも良い話なのだが。
「この杏仁豆腐とて、完璧ではない。所々に氷が浮いているではないか」
「申し訳ございません! 冷やしすぎてしまったようです」
「なるほど。出す前に溶けきらなかったというわけか。まあ、初日なら間違いも有り得えよう。今回だけは大目に見てやる。だが、次は無いぞ? もし明日以降、貴様が同じ失態を繰り返すようなら……」
その時、頭の中で何かが引っかかった。
(ん?)
何の気なしに聞いていた両者のやり取りの中で、ふと心に残った2つの言葉。最初は全く無関係にも思えたが、どういうわけか俺の中でグルグルとまわり始める。
(溶ける……? 氷……?)
次の瞬間、刹那的な電撃が背筋を走り抜けた。
(あっ!!)
脳内で浮かび上がったヴィジョンはあまりにも鮮明で、明確に分かりやすい。これを「ひらめき」と呼ばずして、何と呼ぶのか。そう思った時には既に、大きな声が出てしまっていた。
「そうか! そういうことだったのか!!」
「何だ。いきなり騒々しい奴め。何があったというのだ」
「いや、悪い。あのさ、日高さんって何処に行けば会えるんだ?」
「……屋敷のいちばん東の部屋だが」
すこぶる怪訝な目で睨んでくる村雨。村雨の突拍子もなく声を張り上げたせいで、俺に刺さる視線は厳しかった。しかし、まったく気にならない。
「わかった。それじゃ、ごちそうさん!」
食べかけだった杏仁豆腐もどきを一気に喉へ流し込むと、俺は踵を返してすぐさま食堂を出る。前述の不味さは健在だったが、己に課せられた試練を突破できる鍵を見つけた嬉しさに比べたら些末事に過ぎなかった。何よりも、即座に行動に移したかったのだ。せっかくのアイディアが、霞んでしまわないうちに。
(いける……こりゃ、いけるぞ……)
逸る気持ちを抑えつつ、俺は村雨に教えられた部屋へと足を急ぐ。時刻は午後7時32分。まだ就寝するには早い時間帯だろう。きっと彼は起きているはず。そう思って、ノックをせずに部屋のドアを開けた。
「なあ、ちょっと良いか?」
やって来たのは、村雨邸の2階の最も奥に位置している薄暗い部屋。ここは、組専属の偽装師である日高健次郎が住み込みで作業を行う謂わば「研究室兼工房」として使われている。幸いなことに部屋の主は在室中だったが、突然の来訪者に大きく驚いていた。
「!!」
ガタガタと身を震わせながら、すっかり怯えた目でこちらを見つめる日高。そんな彼に、俺は用件をストレートに伝える。
「いきなりすまねぇ。日高さん、あんたに作ってもらいたいものがあるんだ。ほら、言ってただろ。『作って欲しい道具があるなら何でも作ってやる』って」
「た……たしかに……そうは言ったが……それでも……急すぎる……入るなら……せ……せめて……ノックくらいはしてくれ……心臓に悪い……びっくりしてしまう……」
「悪いな。俺、バカだからさ。せっかく良いアイディアが浮かんでも、すぐに忘れちまうんだよ。だから、忘れねぇうちに伝えとこうと思って。なるべく早めに作ってもらおうって思ったのもあるけど」
「い……いちおう……話だけは……聞いてやる……何を……作ってほしいんだ……?」
俺は言った。
「ナイフを頼む。使い終わったら跡形もなく溶かせる、氷のナイフを」
次回、物語が一気に動き出します!




