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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第6章 氷の夏
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完璧だった計画

 朝食から1時間くらいで、俺の中にアイディアが浮かんだ。それはターゲットを殺す直前に、“台詞”を言い残すというもの。


『藤島の親分が、あんたによろしくってさ』――。


 今回、村雨から命じられた標的は横浜大鷲会本部長・笛吹慶久だが、ただ普通に始末するのではなく、犯行を彼の親分に当たる横浜大鷲会会長・藤島茂夫によるものと偽装するリクエスト付き。


 藤島の犯行に見せかけるとは即ち、現場にそれを示す証拠を残すこと。大鷲会の人間が「本部長を殺したのは会長だ」と思い込む状況からくる確定的要素が必要なのだ。しかし、俺が思いついたトリックを用いれば、案外それが簡単に揃ってしまう。


 まず、笛吹は大鷲会の最高幹部。当然、外を出歩く時には護衛をつけているだろう。そんな彼らの目の前で笛吹が殺され、下手人が上述の“台詞”を吐いたとなれば必然的に藤島の関与が疑われるはずだ。


 あっさりとひらめいてしまった偽装方法だが、逆に言えばそれくらいしか考えられない。俺の思考の限界だ。とんだ猿知恵ではないかと己を疑ったりもしたが、普段ミステリー小説を愛読しているわけでもないので止むを得ないだろう。


(あとは、どうやってやるかだな……)


 本題はここから。殺せと言われたからには、何が何でも相手の息の根を止めなくてはならない。「死んだと思ったら、やっぱり生きてました」という展開になれば非常に厄介だ。


 ちなみに当時の俺に殺人の経験自体はあったが、あれはあくまでも戦闘における偶発的な出来事。喧嘩で興奮して暴れたらバットが頭部を直撃し、結果的に相手が死亡したに過ぎず、意図的に殺そうと思った、つまりは殺意を抱いて行ったことではないのだ。


 最初から殺すつもりでかかる以上、求める成果は笛吹の死のみ。ならば、確実に仕留められる方法を用いるしかないだろう。とはいえ、考える頭は俺には無い。


 悩みかねた俺は村雨に許しを貰い、書庫へと足を運んだ。


 そこは屋敷の南側に位置する、彼が日本中から収集した沢山の書物が収められている部屋。様々な辞書および事典から歴史書に至るまで、棚に並ぶ本はバラエティーに富んでいる。反面、案内役の組員によると小説や物語の類が殆ど無いらしいので、書庫というよりは資料室に近いかもしれない。


「いいか? くれぐれも大切に扱えよ? 間違ってもページを破ったり、折り曲げたりすんじゃねぇぞ。どれも店じゃ買えない、貴重な本ばかりなんだ。役所から裏ルートで手に入れた資料だってある。もしも傷なんかつけた日には、怒られるだけじゃ済まねぇ」


 書斎の管理を任されているらしい組員は、こちらの一挙手一投足に強い視線を注いできた。俺が室内で良からぬ行動を起こさないか、気が気でなかったのだろう。云うなれば、案内役兼監視役。いちいち本を手に取る度、食い入るように見つめられた。


「ったく……うっせーなあ。ジロジロ見んなよ。気持ち悪い」


 凝視によるプレッシャーをかけられながら、俺がこの薄暗くて埃臭い部屋を物色し続ける理由はただ1つ。笛吹暗殺のヒントを得るためだ。当時はインターネットが未だ一般に普及しておらず、何か物事について調べるためには本を漁るしかない時代だった。


 今回、俺が知りたいのは第三者の手に偽装して人を殺す方法。無論、そんな危ない情報について述べた本が普通の書店で売っているはずがない。かと言って、図書館で取り扱われているとも思えない。だからこそ、殺しについては豊富な知識を持つであろう村雨組長の書庫へ訪れたというわけだ。


 数分間、室内を歩きまわった末に手に取ったのは『人体の急所・解剖学百科』という題の本。人はここを攻撃されたら激痛で動けなくなるだとか、最悪の場合には死に至るだとか、そういった類の話が実際の部位のイラストとともに医学的見地から分かりやすく記されている。


(銃なら頭を狙えば一撃、だよな)


 大脳部分を破壊されれば、人間は即座に絶命する。生物としての機能を停止する、と俺が読んだ本には書かれていた。脳を失うことは即ち、体を動かすための命令を出すことが出来なくなるにも等しいらしい。人間に限らず、地球上に棲む殆ど生物に共通した急所といえよう。


(いや、でも……俺にできるのか!?)


 当然のことながら、俺はそれまで銃を撃ったことが無い。ほんのガキの頃に連れて行ってもらった縁日の露店で射的に興じた思い出こそ残っているものの、あれは数に入らないだろう。また、中学生の時分にはムカつく体育教師の顔をエアガンで撃ったこともあるが、それもまた然りだ。


 銃は飛び道具。


 離れた距離から相手を攻撃できる点では優れた武器だが、一方で弾を確実に命中させる確かな技術が求められる。それが俺に備わっているか否かは、正直なところ微妙だった。前述の縁日では全く景品に当たらなかったと思うし、エアガンの件はあくまでも至近距離からの発射。遠くから引き金をひくという行為ではない。


 おまけに、実銃となれば発砲時に反動も加わるだろう。毎日鍛えているので腕力には相当な自信があったが、いざ本番で上手く扱えるかとなれば確証が持てない。ここはひとまず銃殺よりも今の自分に合った方法を採ろうという結論に達し、俺はページをめくった。


(ええっと。次は、心臓?)


 言わずと知れた、人間の生命維持器官の根幹を成す臓器である。そこを攻撃された場合、威力の程度の大小にかかわらず即死すると本には書いてあった。ただし、硬い胸骨で堅牢に守られているとのこと。


 さすがに最も弱い臓器だけあって、最も手厚くガードされているようだ。銃を扱えない以上、笛吹の殺害はナイフや包丁を用いる「刺殺」でいこうと決めた俺だったが、胸骨の間を縫って刺す技術は持ち合わせていない。やはり、ここも断念せざるを得なかった。


 他にも腹部を滅多刺しにしたり、喉を切り裂いたりした上で大量出血させて失血死に追い込む方法も考えられたが、やるからにはスピーディーに進めるに越したことは無いだろう。可能な限り、一撃必殺で仕留めたかった。そうすれば戦闘に無駄な時間をかけなくて済むし、サッと殺してサッと逃げることが出来るのだ。


(だとすると、どこを狙えばいいんだ?)


 そう思いながらパラパラとページをめくっていくと、やがて俺は奇妙な単語に出くわした。何やら、人間の上半身を横から見た断面図らしきイラストが描かれている。


 ぼんくぼ――。


 聞いたことも無い名前だった。後頭部と首の境目あたりの位置にあるツボのようなもので、医学的には脳の一部らしい。そこから体中の至る所に向かって神経が伸びており、外部からの強い刺激を受けると直ちに呼吸困難を引き起こし、最悪の場合は死に至ることもあるという。


(うわぁ。マジかよ)


 そのような器官が人体に存在したとは。読んでいて、思わずゾッとしてしまった。ちなみに頭蓋骨の中にある大脳や胸骨で覆われている心臓とは違い、盆の窪を保護する骨は無い。常に露出した状態にあると書いてあった。キックボクシングやムエタイ、空手等の立ち技格闘技の競技大会で盆の窪をはじめとする延髄周辺部分への直接攻撃が禁じられているのは、そのためだ。


(じゃあ、そこを包丁やらナイフで刺せば良いのか……)


 後ろから密かに接近して背中を取り、鋭利な刃物で盆の窪をひと思いに突き刺して仕留める。実にシンプルかつ、分かりやすい方法だと思った。とにかく、やりようは幾らでもある。何通りかの犯行シミュレーションを頭の中で展開しつつ、俺は静かに本を閉じた。


「もう調べ物は終わったのか? 用が済んだら、とっとと本を棚に戻して部屋を出ろ。あんまり長居されると困るんだよ」


 ついつい、時間を忘れて読み入ってしまったようだ。ふと壁の時計を見ると30分近く経過していた。おかげで、監視役の組員はひどく不機嫌そうな様子。眉をひそめ、怪訝な声で退出を急かしてくる。


「はいはい。分かったよ。出りゃ良いんだろ! 出りゃ!」


 出来れば他の書物にも目を通しておきかったが、叶わないようだ。これ以上室内に留まるとトラブルに発展しそうな気配だったので、俺は素直に従う。例の事典を近くにあった図鑑の上に置くと、無言で書庫を出ようと歩みを進める。


 だが、その時。


「おい! 違うだろ!」


 組員が突如、声を張り上げて俺を制止した。不意に大きな声が聞こえたので、俺の背中にはビクッとした電気のような衝撃が走る。思わず、怪訝な声で応じてしまう。


「ああ?」


「お前、なに適当な所に置いてんだよ。戻すなら元あった場所に戻せや。常識だろうが」


 言われてみれば、たしかに『人体の急所・解剖学事典』は室内奥の本棚にあったような気がする。それくらいどうだって構いはしないだろうというのが俺の考えだったが、相手も相手で一歩も引かない構え。さっきも書いた通り、ここで揉めて殴り合いになるのも面倒だった。


「あーあ。いちいちうるせぇなあ……」


 わざと聞こえるように悪態をつきながらも、俺は本を戻しに行く。実際の距離はさほどでもないはずだが、手に取った時よりも少し長く感じてしまう。いま考えるとつくづく稚拙な話だが「どうして自分が」という気持ちでいっぱいだったと思う。


(こんなこと、いちいち気にしなくたって良いだろうよ。ったく……)


 もしかして、これは嫌がらせなのか。まだ、盃を貰っていないにも関わらず組長から目をかけられる部外者への当てつけなのか。それにしては前月の嘉瀬同様、ずいぶん陰湿なものだと感じてしまう。ところが、ふと背後を振り返ってみると違うようだった。


(えっ?)


 そこにあったのは、せかせかと動き回る組員の姿。彼は俺が物色して散らかした本や資料を抱え上げ、元あった場所まで1冊ずつ戻してまわっていた。そして元に収めた後は、周辺の本が被っていた埃を布で拭い落とす。一連の動作を静かに、且つテキパキとこなしていたのだ。


 当時、ヤクザの下っ端といえばまだまだ大体が粗野というか、細かいことには気を配らない豪快な性分の者が多い印象があった。その中において、彼のような存在は非常に珍しかった。きっと、散らかっている部屋が本当に許せないのだろう。


 ずいぶんと几帳面な男がいるものだと若干驚きつつ、俺は言われた通りに本を戻して部屋を出ようとした。すると、またもや声が飛んでくる。


「あっ! ちょ、ちょっと待て!」


「は? 今度は何だよ。ちゃんと戻しただろ……」


「ここから持ち出したものは無いか、あらためさせてもらう」


 そう言うと組員はこちらへ駆け寄ってきて、俺の体を調べ始めた。どうやら、ボディーチェックをするようである。最初は冗談かとも思ったが、太もものあたりをポンポンと何度も叩かれた上、履いていたズボンのポケットに深く手を突っ込まれたのですぐに本気と分かる。


「おいおい。何も持ってねぇって」


「……よし。大丈夫だ。行って良いぞ」


 執拗なまでに調べられた後、ようやく俺は退室することができた。


(何だったんだ? あいつ……)


 とにかく疑い深くて、なおかつ細かい。俺のことを警戒している様子が、ひしひしと伝わってくる男だった。書庫に収められている本がどれも貴重なことは百も承知だが、ああまでされると気分が良くない。最も、1度は脱走をはたらいた俺を信用できない心情自体は理解し得るのだが。


 そんな中、俺は村雨に呼ばれた。


 19時に、食堂へ来いという。伝言を寄越しに来た下っ端は特に何も言っていなかったが、あの組長のことだ。夕食を共にしながら、計画のメドは立ったか否か進捗状況の確認が行われることは容易に想像できる。


 俺としてもこの日思いついたばかりの作戦プランについて意見を聞きたかったので、ちょうど良いと思った。勝手に自分の調子で進めてしまうよりも、殺しについては百戦錬磨の場数を踏んで来たであろう男のアドバイスがあった方が心強いに決まっている。


 そうして食堂へと歩き出した、夕刻。使用人部屋から階段へと向かう長い廊下を進んでいると、前方から男たちの会話が聞こえてくる。雰囲気から察するに、何やら言い争っているのが分かった。


「おいおい、そんな言い方は無いんじゃねぇの?」


「黙れ!! 言い訳すんな!! 」


 近づいて行ってみると、そこにいたのは作業着に身を包んだ男と、ワイシャツ姿の男。作業着の方は初めて見る顔だったが、後者には見覚えがあった。あれは午後、俺を書斎に案内した几帳面な組員だ。


(あいつ、何を揉めてんだ?)


 盗み聞きしたところで何の旨味も無いことは百も承知だが、どうにも気になる。俺は彼らに視線を向けないよう窓の外を眺めるふりをしながら、そっと耳を傾けてみた。


「あれほど言ったよな? 納期は絶対に守れって。こないだの機会を逃したら、次のチャンスは当分まわって来ねぇっていうのに……この大マヌケ野郎が!!」


「悪かったよ。後で立て替えとくから……」


「そんなものはどうだって良い! いまはテメェの失態の話をしてるんだよ!!」


「どうしたんだよ、木幡こわた。何をそんなにイライラしてんだ?」


 パッと聞いた限りでは、何かシノギの関係でミスをしでかしたらしい同輩を例の几帳面男=木幡が激しく責め立てている場面のようだった。木幡の怒りは猛烈な勢いで、どうにか宥めようとする仲間に「うるせぇ!!」と吐き捨てるや否や、どこかへ行ってしまった。ひとり残される格好となった作業着の男は、舌打ち混じりにボソッと呟く。


「何だよ……自分だって、こないだまでルーズだったくせに」


 そうして彼もまた、足早にその場を離れて行った。見るからに納得できないという雰囲気で、自分が理不尽な怒りをぶつけられたことにひどく憤慨している様子が伝わってくる。ただ、一連のやり取りを除いた限りでは木幡の方が正しいように思えなくもない。仕事を請け負った以上は納期を守るべきだし、それでこそ信頼関係が生まれるというもの。当然の話だ。


(単なる逆ギレか?)


 自分の非を棚に上げて愚痴を吐いたのだとすれば、さすがに無責任というか稚拙が過ぎる。しかしながら、当事者たちが行ってしまった以上は最早確かめるすべが無い。疑問を抱えつつも気持ちを切り替え、俺は食堂へと足を急いだ。


「遅かったな。待ちくたびれたぞ」


 入るなり、視線で圧を送ってくる村雨。別に指定された時間を過ぎたわけでもなければ、ギリギリに駆け込んだわけでもない。俺がドアを開けたのは18時40分。カタギの目線で考えても、早すぎるくらいではないか。


 きっと、この組長にとっては何にしても自分が基準。どんなに約束の範囲内でも、自分よりも遅くやって来た者には「遅い」と文句を言うのだろう。少しばかり心外な反応だったが、彼のせっかちさを下手に指摘して不興を買うのも気が引ける。


「その、ちょっと迷っちまってな」


「ほう。そうか。まあ、ひと月も空けていたのだ。無理もないか」


「あ、ああ……」


 俺は適当に誤魔化しながら、朝と同じ席にゆっくりと腰を下ろした。無駄に広い室内に居るのは村雨だけ。護衛や歩哨の姿は特に見当たらず、完全に2人の空間である。


「どうだ? 良い策は思いついたか?」


「良いかどうかは分かんねぇけど、殺す前に『これは藤島会長からの依頼だ』みたいなことを言おうかと思ってる。ほら、笛吹は本部長だから。必ず取り巻きがくっついてるだろ。そいつらに聞かせるんだよ。で、俺は笛吹だけ殺したらさっさと逃げる。そしたら取り巻きは、藤島が笛吹にヒットマンを送り込んだって誤解するわけだ」


「なるほど。悪くはない策だな。道具は何を使う?」


「包丁かナイフを考えてる。背後から静かに近づいて、首の後ろのツボを刺してやろうと思う。えーっと、何だっけ。『盆踊り』じゃねぇし、『盆土産』じゃねぇし……」


 すると、村雨が助け舟を出してくる。


「『盆の窪』だな」


「そう。それそれ! そこをぶっ刺したら、人間は死ぬらしいんだよ。だから流れとしちゃあ、まずは物音を立てずに後ろから静かに近づく。次に取り巻きに気づかれねぇように背中を取って、一気に仕留める。んで、最後に例の台詞を言い残してスタコラ逃げる。どうだ? あんたから見て、成功すると思うか?」


「ああ。よく考えられている。お前が本番で臆して慌てたりしなければ、きっと上手くいくであろうな。実に良い策だ」


 想像していたよりも、ずっと肯定的な言葉が返ってきた。厳しい意見を貰うとばかり思っていたので、自然と安堵感が湧き起こってくる。ホッと息が漏れると同時に、笑みがこぼれてきた。


「はあ……よかった……」


「どうした? さほど大した仕事でもあるまいに」


 実のところ、当時の俺の頭脳では前述の作戦プランを思いつくので精一杯だった。我ながら、よく工夫を凝らせたものだと思っている。考えすぎて、思考回路がショートしそうだった。無論、決して大袈裟な喩えではない。


 相手が誰であろうと、ヤクザにとって暗殺というものは非常に危険でリスクが高い行為だ。返り討ちに遭う可能性が常につきまとうし、仮に成功したとしてもその場で反撃を受けて殺されるか、警察に捕まる可能性だって考えられる。それが初めてとなったら、尚更。無事に帰ってこられる保証など、何処にも有りはしないのだ。


 そんな話をいとも簡単に「大した仕事ではない」とあっさり断言してしまう村雨の姿が、俺は非常に恐ろしく見えた。きっと今までに、数え切れぬほどの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。偉大なる「先輩」として、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。


「よし。では、号令は私がかける。それまでにお前は体力を蓄え、気力を養っておけ。『行け』と言われたらいつでも飛んでいけるようにな。良いか? 今回の戦争の勝敗は全てお前の働きぶりにかかっている。しくじることは断じて許さんぞ」


 頭の中で考えていた以上に、自分の役回りは大きいようだった。単なる鉄砲玉ではなく、敵の内紛を誘発するきっかけを俺が作るのだ。ただ笛吹を殺せば良しというわけではなく、彼の死が藤島派の仕業と疑われる状況が出来てはじめて成功となる。


 当然のことながら、それ以外は失敗。村雨組の犯行だと分かれば、大鷲会とは即全面戦争に突入してしまう。本格的に事を構える前に敵の数を減らすのが今回の目的であるから、尻尾を掴まれることだけは何としても避けなくてはならない。


「そ、そりゃあ、もちろん。分かってるさ」


 いちおう明るい返事をしてみたものの、俺の声は若干の震えが混じっている。決行の日が訪れるまでに、何としても任務完遂への道筋をつけておかねばならないと思った。


「さて、飯とするか」


 何をするにも一先ず、空腹を満たすことから。戦争準備会議の冷たい緊張が漂う空気感から打って変わって、この日の夕食が始まる。この日の主菜はざる蕎麦。付け合わせの海老、白身魚、山菜の天ぷらと一緒に食べる配膳らしい。


 わざわざ桜木町の老舗店から職人を呼んで打たせただけあって、かなり歯ごたえのある食感だった。夏らしく氷を入れた蕎麦つゆとの相性も非常に良好で、促されるまでもなくどんどん箸が進んだ。


 また、蕎麦を啜っている間だけは自然と戦争のことも忘れることが出来た。自分に課せられた使命のことも、頭から消えていたと思う。美味い食事というものは、それだけ人の心を豊かにするのかもしれない。


 やがて、もう少しで完食という時。何の流れだったか、不意に村雨が問うてきた。


「ところで、涼平。今日は書庫へ行ったそうだな。何か発見はあったか?」


「ああ。おかげで参考になったよ」


「そうか。本は良いぞ。読み方次第で、様々な答えを導き出すことができる。読んで何を成せるかは各々の了見に依るところも大きいが、それでも知識だけは皆平等に手に入る。知識は財産だ。我々の世界においても、これからの時代はますます強い武器となっていくことだろう。お前も若いうちに、出来る限り沢山の本を読んでおくことだ。今日は何か、面白いものは読めたか?」


「うーん。読めたのはせいぜい、事典くらいかな。他にも色々読んでみたかったけど、早々と追い出されちまったんだよ。木幡って奴に。『あんまり長居されると困る』って」


 すると、村雨は目を丸くした。


「ほう? あいつは、お前にもそんな態度だったのか?」


「ああ。見るからにイラついてる感じだったぜ。ここへ来る時だって廊下で出くわしたんだけど、すげぇ剣幕で他の奴と揉めてたし。よく分かんねぇけど」


「なるほど……やはり……」


 俺の話を聞いた途端、彼の表情は険しくなった。眉間にしわを寄せて、何やら深く考え込んでいる。


「あれ? 何かあったのか?」


「実はここの所、木幡の様子が変わってきていてな。私が日本へ帰ってきて7日ほど経ったあたりから、急に神経質になったのだ。それまでは気にも留めなかった些末事を頻繁に気にするようになった上、常に忙しなく焦って動き回るようにもなった。あとは潔癖。ほんの僅かな汚れさえ、我慢できぬほどになった。以前までは、まるで掃除に無頓着だったにも関わらずだ」


 曰く、木幡の様子は常に何かに怯えているようにも見えるらしい。振り返ってみれば、俺を書庫から叩き出してせかせかと掃除する彼の姿からは計らずも必死さが伝わってきた。俺がいた痕跡を全力で消そうとしている、そんな具合にも見受けられたのだ。


「もう少し、探ってみるべきか……」


 いつになく深刻そうな面持ちで呟いた村雨。この時、俺は彼が発した言葉の意味を深く推し量ったりはしなかった。ましてや組長の云う「探ってみる」が極道社会において一体どんな効力を持つのか、考察どころか理解する余裕も無かったと思う。


 完璧な計画を立てたのだから、あとは自分のやるべきことをやれば良い――。


 考えていたのは、愚かにもそれだけだった。

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