新しい仲間
やがて横浜・山手町の屋敷に着くと、俺たちは車を降りた。
(久々だなぁ……)
およそ1ヵ月ぶりの村雨邸。
愛する女と運命的な出会いを果たした場所であり、同時に俺が生まれて初めて人を殺した因縁の地でもあり、良くも悪くも大小様々な思い出が詰まっている。
周囲を塀に囲まれた古めかしいレンガ造りの洋館は、最後に目にした時よりも心なしか大きく見えた。それまで五反田の無機質なビルの森に居続けたせいもあるだろうが、このようにモダンな屋敷からは趣を感じずにはいられない。つい、時を忘れて見入ってしまう。
そもそも、一般的にはたかが1ヵ月のブランクを「久々」とは言わないのかもしれない。我ながら、息を呑んで外観を眺め続けた己の一連の行動は、些か大袈裟の度合いが過ぎたようにも思える。
だが、それでも俺にとっては長い1ヵ月だった。ようやく慣れ親しんだ場所から離れ、いつ終わるとも知れない潜伏生活を送るという出来事が、これほど悲しく惨めなものだったとは。
もう、あんな思いは2度と御免だ。けれども、戻って来れたからには気持ちを切り替えて、骨を埋める覚悟で日々を過ごしていきたい。そして、ゆくゆくは絢華と――。
すこぶる不純なイメージが脳内で膨らみ始めた俺だったが、隣から聞こえてきた声で妄想は即座に中断される。
「おい、何をしている? 具合でも悪いのか?」
そうだった。背後には村雨組長がいたのだった。物思いにかまけてすっかり忘れていたが、俺と絢華の関係は彼には未だ報告していない。それどころか、知られたら何が起こるか分からない危険な雰囲気すらある。
最愛の娘に手を出したと烈火のごとく激怒するか、それとも絢華が自ら選んだ恋を尊重し、穏やかに祝福してくれるのか。
あらゆる展開を想像してみたが、結局は大きな波乱が待っているはずだ。個人的には、いわゆる“親バカ”である村雨ならば後者になりそうな気がしなくもないのだが。
だが何にせよ、自分は村雨組への帰参を許されたばかりの身だ。そんなタイミングで組長の娘と男女の仲だと発覚することが、許されるはずがない。やはり、暫くは絢華との付き合いを伏せておくのが正解だろう。
甘い桃源郷からグイッと現世に引き戻された感覚に襲われながらも、俺は慌てて返事を誤魔化す。
「いや、ちょっと眠くなっちまって。今日はいろいろあったからさ」
「そうか。ならば、すぐに休め。部屋は以前のままにさせてある。明日、目覚めたら食堂に来い。屋敷の間取りは覚えているな?」
「あ、ああ……何となくだけど」
これ以上、会話を繰り広げるとボロが出そうだったので、そそくさと話を切り上げて正門をくぐった。玄関をあけるとこれまた、1ヵ月前と変わらぬ光景が飛び込んでくる。
来訪者を威圧するかのように掛けられた『国士無双』の書画と、下駄箱の上で光沢を放つ黄金色の壺。ヤクザの組長の家らしい、実に洗練されていて尚且つ厳かな空間であった。
出来ることなら、久しぶりに足を踏み入れた村雨邸の中をゆっくりと眺めて歩きたい。ただ、そこはヤクザの本拠地。当然のことながら、邸内の至る所で組員が哨戒を行っている。迂闊に動き回った挙句、彼らと諍いにでもなったら面倒だ。
おまけに、時刻は日付が変わる5分前。五反田から浅草、横浜へと濃密な1日を過ごした所為もあってか、どんよりとした眠気が俺の瞼を重くしていた。たくさんの距離を歩いた両脚にも、決して少なくはない疲労が溜まっている。
妙なノスタルジックに囚われたせいで睡眠時間が減少してもいけないので、俺は組長に言いつけられた通り足早に自分の使用人部屋へと戻り、その夜はさっさとシャワーを浴びて休息に徹することにした。
(また朝にでも、見て回れば良いか)
翌朝。午前7時27分。
アラームの手を借りずに起床した俺は、軽く身支度を整えると1階のダイニングルームへと降りた。広い空間を西洋風の大きな長テーブルが堂々と占拠する、まさに“食堂”と呼ぶに相応しい華美な部屋だ。
あれは組長の趣味なのだろうか。室内の至る所に飾られていたのは、やはり中華風の調度品の数々。また、卓の中央には金色の燭台が等間隔で複数置かれていて、窓から差し込む陽光を浴びて眩い輝きを放っていた。
そんな中、テーブルを挟んで向かい側に座っていた村雨が声をかけてくる。
「来たか。思いのほか、早かったな」
彼に促されるまま、扉から入ってすぐの席にゆっくりと腰を下ろした俺。朝食の配膳は未だのようで、卓上には2種類のナイフとフォーク、それから汁物用と思われる先の丸い匙しか置かれていない。
相変わらず、この家でにおけるブレック・ファーストは洋食が中心のようだ。思い返してみれば、俺が五反田に逃げた日の朝の献立もパンと目玉焼き、サラダの献立だった気がする。ただ、以前と違う点が1つだけあった。
(ん、誰だ……?)
2人の男が、組長の両隣の席にそれぞれ間隔を空けて座っている。
ひとりは赤色の花柄の半袖シャツをだらしなく着崩した金髪の長身で、目鼻立ちがクッキリとした彫りの深い顔立ちをしていた。明らかに、日本人ではない。学が無い俺でも外国出身と分かるルックスだった。
そして、もう片方は華美な室内には似合わぬ作業着姿。こちらは日本人だが、見たところ180cmは軽く超えているであろう大柄な前者に対して、やけに小さい印象を受けた。
2人の年齢はおそらく、30代前後くらいだろうか。花柄シャツの大男が椅子の背もたれにふんぞり返って脚を組んでいる一方、作業着姿の小男は背筋を丸めて俯き、どこか眠そうようにも見受けられる。
いずれも、今まで目にしてきたヤクザとは全く異なる独特の雰囲気だ。彼らはいったい、誰なのか。首を傾げた俺に、村雨は説明を寄越してきた。
「涼平。今日はお前に、私の協力者を紹介する。まず、ジョセフ・ベルナード・スギハラ。組の道具の管理を任せている。聞き慣れぬ名前かもしれぬが、これはアメリカの血が混じっているからだ」
そう村雨に右手で指されるや否や、花柄シャツの大男=スギノモリは立ち上がって俺に握手を求めてくる。
「ハーイ、リョウヘイ! ナイス・トゥー・ミーチュー!」
「お、おう……」
すると、村雨の補足が入った。
「スギハラは以前、相模原の基地で下士官をやっていてな。銃の扱いに関しては誰よりも長けている。ゆえに今から3年前、軍を追い出されて行き場を失くしていた所を拾い上げてやったのだ」
曰く、スギハラは日系移民3世の父とアメリカ人の母との間に生まれた混血児らしい。高校卒業後に軍に入隊し、各国の基地を転々とした後に日本の相模原陸軍基地に着任するも、上官と諍いを起こして不名誉除隊になってしまった過去を持つと村雨は語る。
「昔から、在日米軍には不真面目な輩が多いようでな。本来は廃棄される予定の銃火器を外部に横流しして小遣いを稼ぐ者が、まるで後を絶たぬ。そうした連中から、スギハラは独自に仕入れてくるのだ」
米兵時代のコネを使い、横流しされている軍の正式採用品の調達をも請け負っているというスギノモリ。言われてみれば以前、村雨組の組員が腰に差していた拳銃は9mm口径のベレッタM9だった気がする。
あれはアメリカ軍が当時から数えて13年前に採用した制式拳銃であり、洋画や海外ドラマにもたびたび登場するので俺も何となく知っていた。他にも、村雨邸では同じくアメリカ陸軍の装備品のコルト45やM16アサルトライフルを見かけたことがある。
村雨組の銃器が専らアメリカ製である理由が、ようやく分かった気がする。相模原の米軍基地から直接横流しを受けているのだとすれば、質と量のどちらにも困らないはずだ。
(……なるほど。そういうことだったか)
わざわざ元米兵を味方に引き入れて道具の調達を行うあたりに、俺は村雨耀介という男の強かさを感じてしまった。納得して大きく頷くと、スギハラはにこやかに言った。
「軍をクビになった人間は普通なら国へ強制送還されちゃうんだけど、ミスター・ムラサメは入管にワイロを払ってボクを助けてくれたんだ。これからも日本で暮らしていけるように、永住ビザまで用意してくれてね。ほんと、命の恩人だ。感謝してもしきれないよ~」
「っていうか、日本語しゃべれんの?」
「もちろんさ! うちはダディーがジャパニーズだからね。子供の頃から教えてもらってたよ。リョウヘイ、これからハンドガンが必要になったらボクのところへおいでね。とっておきを見繕ってあげるから!」
「あ、ああ。んじゃ、その時は頼むわ」
俺の言葉に「任しといてよ!」と、スギハラは屈託のない笑みで応じた。彼の話す日本語は所々英語混じりの非常に片言なものであったが、日常会話くらいは問題なく行えるようだ。最も「見繕う」という、俺たち日本人にとってもそれなりにレベルの高い表現が使えるくらいだから、ほぼバイリンガルに近いのかもしれない。
(けっこう変わった人だな……)
だが、次に村雨から紹介された人物は更に上を往く曲者だった。
「日高健次郎。我が村雨組専属の偽造師だ」
そのように紹介された左手側の作業着姿の小男=日高は、大きなあくびをしながら俺を一瞥し、ボソボソと小声で言葉を並べてくる。
「や……やっと会えたな……俺が……この組で、偽造師をやらせてもらってる……日高健次郎だ……麻木涼平……俺はずいぶん前から……お前を知っているが……こうして会うのは……初めてだ……」
彼のあまりにもゆったりとした話し方もさることながら、俺には聞き慣れない単語があった。
偽造師――。
日高によれば「ニンベン」とは、一般的に「偽造」のことを指すヤクザ用語。公文書もしくは公的な証明証書、表社会に流通している紙幣および硬貨、時にはパスポートや運転免許証に至るまでの偽造を幅広く手掛ける職人を渡世では「偽造師」と呼ぶのだという。
勿論、俺にとっては初耳の情報ばかり。ただ、日高の口調が独特すぎるせいか、いまいち頭に入ってこない。若干、釣られて眠くなりかけたところで村雨が助け舟を出してきた。
「この者は生来、手先が器用でな。他人の書いた文字や絵を真似することに長けていて、幼い頃から様々な悪事をはたらいてきたそうだ。たしか小学生の時には、既に芸能人や野球選手のサインをそっくりそのまま模写して売り歩いていたと言っていたな。成長と共に知識や技、手口に磨きがかかっていって、大学では著名な絵画の贋作を密売して荒稼ぎしていたらしい」
「そりゃすげぇな。あんたとは長いのか?」
「2年前、些細な手違いで警察に捕まったところを私が腕利きの弁護士を立てて不起訴にしてやって以来、我が組で召し抱えている。1ヵ月前、お前に与えるはずだった偽造パスポートも本来であれば日高が作る予定だった」
村雨の話によると、あの時点では既に作業が9割方完了していたという。にもかかわらず、受け取るはずの俺は東京へ出奔してしまったのだ。彼が偽造パスポートの作製に費やした手間と労力を考えると、それらを無駄にする結果となった己の行為は些か罪深く思えてくる。
ただ、日高本人はさほど気にしていないようだった。
「あ……あれは俺にとって……多々ある作品の中の……1つに過ぎない……俺の仕事は……組長に……尽くすことだけだ……これからも……必要になったら……いつでも言えば良い……書類の他にも……爆弾でも何でも……作ってやる……ただし……モノによっては……時間とカネがかかるから……その点は前もって……注意してくれ……」
「お、おお。ありがとな」
「べ……別に……構わない……」
先ほどから、ずっと俯いたまま話し続ける日高。彼にとっては、こちらと視線を合わせることさえ厭わしいのだろうか。穏やかな声色とは裏腹に、頑として顔を上げようとしない。表面上は俺を許容しつつも、やはり腹の内では怒っているのかとさえ思えてしまう。
ところが、この態度には大きな理由があるようだった。
「この者は昔から、人に面と向かって滑らかに話すのが不得手でな。頭の中で言葉が浮かんだとしても、うまく口には出せぬ性分らしい。生まれつきのことだ。お前も分かってやってくれ」
「あ、ああ」
組長の補足説明を受けて、俺は日高のことを何となく理解した。黙っていれば長身のインテリ風美男子である彼にそのような特性があったとは意外だが、第一印象の時点で暗い雰囲気は少なからず漂っていた。ゆえに、俺にして見れば「やっぱり……」といった感想が正直なところだ。
明朗快活なスギハラと、常に物憂げな空気感を漂わせている日高。まさに、陽と陰。性格的に噛み合う所など皆無に近いであろう、まったくもって正反対の2人といえる。
ただ、彼らには共通事項があった。村雨耀介に対して、並々ならぬ恩義を感じているという点だ。
米軍を追い出されて不法滞在者となったスギハラも、コミュニケーション能力に大きな欠陥がある日高も、事情は違えど表社会で生きていくことが不可能になった「はみ出し者」である。村雨が手を差し伸べていなければ、多分両者には悲惨な運命が待ち受けていたことだと思う。
「よし。では、飯にするか」
それから組長の一言で、朝食の配膳が始まった。この日の献立を作った西森という料理人もまた、火災事故を起こして職を失い路頭に迷っていたところを村雨に救われた過去を持つのだとか。
丁寧な味付けが施されたスクランブルエッグを口に運びながら、俺は納得する。
(なるほどな。そういうことか)
残虐魔王の異名で恐れられる男から垣間見えた、意外な一面。それは、カタギの世界からあぶれた者たちを救い上げ、自らへの貢献と引き換えに居場所を与える懐の深さだった。
新キャラの登場です。
村雨組の銃器管理人のJ・B・スギハラと、
専属ニンベン師の日高健次郎。
なかなか個性的な2人ですが、
これからの活躍に乞うご期待。
重要な場面で涼平を
助けてくれる……かもしれません(笑)。