頭の良い人間は、“楽しみ方”を知っている。
「あ? どういうことだよ」
意味が分からず、困惑気味に問うた俺。ところが、ジェームズの返事は周囲の音でかき消されてしまう。
「あいつが来たのは……」
気がつくと『アリラン堂』には、他の客が現れ始めていた。昼時の雑談を交わす話し声、肉を焼く音、そして咀嚼音が狭い店内で共鳴し出す。
(うるせぇな)
素直に、そう感じてしまった。
これでは話が出来ない。ひと思いに「静かにしろ!」と怒鳴ってやりたいところであったが、初めて来た店で騒ぎを起こすのも気が引けるので遠慮した。不機嫌さを顔に出した俺をよそに、当のジェームズは周囲の雑音をかき分けるように声のトーンを強めて答える。
「あいつが突然、やって来たのはちょうど半年前の話だ。フラッと現れては、いきなり『僕の下で働いてくれないか』って抜かしてきたから、チーム全員で殴りかかったんだ。そしたら見事に全員、返り討ちにされちまったよ。手も足も出なかった」
そうしてメンバー全員が徹底的にシメられ、高坂に屈服。以降は新たな“ヘッド”として、彼をトップに戴くことになってしまったとのこと。話を聞いた俺は、高坂という男の強さに驚いた。
「へぇ。やるじゃん。あいつ。そんなに強いのか?」
「……ああ。いろいろと喧嘩の場数を踏んで来た俺らが、まるで赤ん坊扱いだったよ。なんつーか、パンチのスピードとパワーがぜんぜん違うんだ。あれを食らった後で『今日から僕がヘッドで良い?』なんて聞かれたら、誰も『嫌だ』なんて言えねぇよ」
後になって聞いた話だが、当時の横浜のチーマー界隈においてアルビオンはかなりの勢いがあり、市内ナンバー1にも迫るほどの実力者集団だったらしい。そんな彼らを力ずくであっという間に制圧した高坂は、自らの手先としてこき使うようになった。2本目の煙草に火を付けたジェームズが、悔しさの孕んだ目で語る。
「あいつが来てから、アルビオンは変わったよ。やる事もヤバいのが多くなったし」
「どんな事をやってるんだ?」
「たとえば駅の西口前で若い女に声かけて、贔屓にしてるホストクラブに連れて行く。んで、借金を作らせて風俗に沈める。高坂の野郎、何だか知らねぇけど無駄にコネを持ってるんだよ」
売春斡旋の他にも、路上におけるカツアゲや興行場周辺でのダフ屋行為、さらには闇金まがいの金貸業にも手を伸ばしているという。
「……すげぇな」
それらの稼ぎで、最低でも月に100万円以上は入ってくるらしい。ただ、ジェームズは納得していないようだった。
「あいつは俺達に一切、分け前を寄越さない。ケチな野郎だ。『組織を維持するのには金がかかる』とか何とか、適当な言い訳をならべて誤魔化してる」
その口調から、彼が相当な不満を溜め込んでいるのが分かった。それでもジェームズが高坂に従っているのは、おそらく喧嘩の腕っ節では勝てないからなのだろう。
人を従わせ、動かすのは暴力による恐怖――。
この法則を今一度、認識させられた気がした。やがて、高坂がトイレから帰ってくる。
「ふう。スッキリしたぁ。どうも最近、お腹を下しやすくてね。トイレが長くなっちゃうよ。で、何の話をしてたっけ?」
「あんたがチーマーになった理由。でも、コイツから聞かされたよ」
「そっか。じゃあ、僕が高校の頃にボクシングやってたって話も…聞いたのかな?」
「いや、それは知らんが」
すると、高坂はシャドーパンチの動作を披露した。
「俺、さっき『高校の運動部で結果を出した』って言ったじゃん? それ、ボクシングなんだよね。インターハイでベスト4まで進んだの」
「へぇ……」
「トレーニング自体は今でも続けてるよ。たまに“実戦”もあるけどね。あはは」
そう軽く笑った姿はまるで、以前にテレビの中継で観た世界王者のようであった。
「さあ、宴の再開と行こうか。キミも遠慮しなくて良いから、どんどん食べてね?」
「お、おう」
とはいえ、俺の腹は既にいっぱいだった。詰め込んだカルビ肉の油分が重くなり、苦しくもなっていた。
(あとは、こいつに任せるか……)
そして約30分後。
「ああ。美味かった。やっぱり焼肉は最高だよ。んじゃ、行こうか」
追加注文のカルビをたらふく完食した高坂に連れられて、俺は店を出る。支払いは当初の話の通り、ジェームズが担う。『アリラン堂』は高級店ではないが、決してリーズナブルな価格でもない。名残惜しそうに財布から現金を取り出す彼の顔が、どこか切なかった。
「さて。俺達は次へ行くとしようか」
「え、あいつは?」
「気にしなくて良いよ。どうせ、ついて来たところで面白くないし」
「……そっか」
支払いに手間取っているジェームズを置き去りに、俺達はそのままカラオケボックスへ向かう。歌などには大して興味が無かった俺はそれまで、1度もカラオケに行った経験が無かった。キョロキョロと辺りを見回していた俺を見た高坂が、可笑しそうに尋ねる。
「え、何? もしかしてカラオケが初めてだったりする?」
「……ああ。今日が初めてだ」
信じられぬと言わんばかりに高坂は、ニヤニヤとした顔でこちらをジッと見入ってきた。
「マジか。え、キミはもしかして田舎出身?」
「違う。川崎だ」
「川崎?」
さらに意外そうな顔をする高坂。きっと俺の事をどこか、地方から来た「おのぼりさん」とでも思っていたのだろう。まさに見当外れといったような反応であった。俺は少し、ムッとして答える。
「ああ。川崎だ。何か問題でもあるか?」
「いやいや。気を悪くしないでくれ。そういう意味で言ったんじゃないんだ。単純に僕の中で『今まで1度もカラオケに行った経験が無い人間』が珍しかっただけさ。まあ、せっかく初めて来たんだ。楽しんで帰ろうぜ? な?」
フォローされているのか、さらに貶されているのか分からなくなってきた。しかし、そこを敢えて追及する気も無かったので、俺は軽く受け流した。
「ふーん。まあ、いいや。せいぜい楽しんでやるよ」
「よし。そう来なくっちゃ!!」
高坂が最初に歌い始めたのは、その年に全盛を極めていたヴィジュアル系ロックバンドの楽曲だった。詳細は割愛させてもらうが「深夜帯に放送されていたギャクアニメの主題歌」と書けば、何となく分かる人も多いだろう。
サビには高音が連続して続く難しい曲だが、高坂は歌が上手い。難なく最後まで歌いきってしまった。歌い終わった高坂は乾いた喉をコーラで潤すと、俺に聞いてきた。
「キミは普段、どんなアーティストを聴いてるの?」
「××とか」
俺は何となく、前年に解散した超有名バンドのギタリストの名前を挙げた。すると高坂は上機嫌で、その話に食いついてくる。
「おっ! 奇遇だねぇ。僕も好きだよ。去年の大晦日、ラストライブに行ったんだ。とにかく凄かったよ~あれは」
「羨ましいな。俺、テレビでしか観れなかったわ」
しばらく、高坂とそのバンドについての雑談で盛り上がった。彼は兎に角、知識が豊富で物知り。こちらが言った事を詳しく掘り下げるように会話を展開してくれるので、俺も俺で話していて楽しい。つい先ほどまではぎこちなかったやり取りも、自然と弾んでいった。
また高坂は何かにつけて、自らの所有する蘊蓄を披露してくる。
「××はしばらく、ソロでやっていくみたいだよ。2年の間に出来る限りの活動をするっぽい」
「ん? どうして2年なんだ?」
「実は再来年に再結成する計画があるらしいんだ。新しいボーカルを入れて」
「ほう。ってことは2000年か」
小学校の頃、俺は1度だけ××のライブを観に行ったことがあった。激しいメタルのサウンドと、クラシック音楽を意識した美しい曲の作り方が見事に調和していて、当時受けた衝撃はいまだに心に染みついている。
(そういえば……)
在りし日の記憶も蘇ってくる。
(あの頃は親父も生きてたな……)
そんな回想に浸っていると、高坂にマイクを渡された。現実にグイッと引き戻されたような感覚である。
「なんか、歌ってくれよ。××でも、他の曲でも良いから」
「え、俺は」
「大丈夫。下手でも笑わないから。ね?」
あまりにも高坂がせがむので俺は仕方なく、××がソロ活動初期に出した曲を歌った。サイコロをテーマにした曲である。初めてカラオケに行って、マイクを握ったので完成度は芳しくない。すべてが地声で、おまけに音程もあちこち外れている。いま振り返ってみても、かなり恥ずかしい歌声だと思う。しかし、高坂の反応は良かった。
「悪くないね。今はまだ粗削りだけど、これからどんどん練習していけば上達すると思うよ」
「マジで?」
「うん。何というか、キミの歌声には情熱っぽいものを感じるんだ。ちょっと、うまくは言えないんだけど」
久々に褒められた。
不良として周囲に迷惑をかけ続けてきた俺は当時、周りの人間には非難されるか、罵倒されるかのどちらかだった。しばらくぶりに味わった感情に、自然と心が熱くなってくる。口から出てきたのは、素直な気持ちだった。
「……ありがとう。嬉しいよ」
すると、高坂は笑顔で応じる。
「うん。こちらこそ、さっきは俺の『歌ってくれ』というリクエストに応えてくれてありがとうね。あのさ、もし嫌じゃなかったら下の名前で呼んでも良いかな? どうもキミと僕は相性が良いみたいだし」
「ああ、いいぜ」
俺は、差し出された右手をがっちり掴んで、高坂と握手を交わす。それからは交互に何曲か歌い、楽しい気分のままカラオケボックスを後にした。いったい、どのくらい店に滞在していたのだろうか。外は既に陽が落ちて、暗くなっている。
「ホテルまで送るよ」
「どうもな」
往路と同様、肩を並べて歩く俺と高坂。春の横浜の夜風は心地よくて、工業地帯の川崎とはまた違った香りを帯びている。酒で例えるなら川崎がビール、横浜がワインに当たるだろうか。3分ほど歩いた時、高坂が口を開いた。
「なあ、涼平。キミは明日から暇かい?」
特に予定も無かった俺は、首を縦に振る。
「うん。まあ、暇だけど」
「そっか。じゃあ、来てくれないかな? アルビオンに」
思いがけない提案に、俺は思わず立ち止まった。
「は!?」
聞けば、メンバーに何人か欠員が生じてしまったのだという。
「おいおい、冗談だろ。そもそも俺は昨日、あの連中に喧嘩をふっかけられたんだぞ? いくらリーダーのあんたが良くたって、連中が納得しないんじゃねぇのか?」
「それについては安心してよ。俺の方からちゃんと説明して、従わせるから」
「でもなぁ……」
現状のメンバーとの軋轢以外にも、躊躇う理由がもう1つあった。それは、気持ちの問題。誰かの下について、誰かの命令で動くという行為が「ダサく」感じたのである。当時の俺はたしかに不良少年ではあったが、特定の集団に身を置いたことは無かった。
できることなら、この先も一匹狼でやっていきたい――。
ポリシーとも云える思いを俺は高坂に丁寧に説明したが、それでも彼は引き下がらない。
「頼むよ……正式にメンバーとして入るのが嫌なら、臨時の“助っ人”でも良いからさぁ。どうか、この通り!」
高坂は頭を下げた。そこまで必死になって、麻木涼平という人間をチームに引き入れたい理由がまるで分からなかった。だが、ここまでされて断わるのも寝覚めが悪い。
「……分かったよ」
やむなく、同意した。だたし、俺とて無条件で受け入れるほど簡単な男ではない。
「でもその代わり、約束して欲しいことがある」
「何だい?」
俺はまっすぐ、高坂を見据えて言った。
「あくまで、あんたに雇われた“助っ人”として入る。だから、働いた分の報酬はきっちり貰いたいんだが」
「ああ。心配しないでくれ。ちゃんと払うから」
こちらが出した交換条件を快諾した高坂。気になった俺は、質問をぶつけてみる。
「本当か? 手下たちへの金払いは悪いって聞いたぞ?」
売春斡旋などで稼いだ金を高坂が、ジェームズをはじめとするメンバーたちに1円も分配していないという事実が、どうも引っかかっていたのだ。
彼ら同様、無給で危ない橋を渡らされたのではたまったものではない――。
懸念であふれる視線を受けた高坂は、俺の肩をポンと叩いた。
「大丈夫だよ。自分が見込んだ男にはちゃんと対価を渡すから。たしかな腕を持つ、信用できる男をタダ働きさせようだなんて……そこまでケチ臭い男じゃないよ。僕は」
「なら、いまのメンバーは誰ひとりとして信用してないと?」
「うん。信用してない。だってあいつら、何の役にも立たないし。全員、ただ俺が怖いから従ってるだけだもん」
「フフッ。それに比べて、俺は信用できるって言うんだな?」
こちらの失笑を気にすることなく、高坂は至って落ち着いた口調で答える。
「もちろん! キミはあの時、連中の脅しに対して1歩も引かなかった。度胸のある子じゃないか」
「度胸があるだけなら、他のヤツでも良いんじゃねぇのか?」
「たしかにそうかもね。でも、キミは格別だよ」
「どうしてそう思える?」
高坂は言った。
「僕、何となく思うんだよね。キミとは一緒にやっていけそうだって」
根拠を尋ねたにも関わらず、またもや曖昧な言葉が返って来てしまった。
「ああ。そうかよ……」
少し呆れてしまった俺だったが、高坂は終始、真面目な様子である。ホテルの前まで来ると、封筒を手渡された。
「ん? 何だ?」
「部屋に戻ったら開けてみてよ。じゃあ明日、夕方の4時ごろ、またここに迎えに来るから。おやすみ~」
そう言って、高坂は行ってしまった。手元に残ったのは、薄茶色で長方形の封筒のみ。俺は疑問に包まれながらも、開けてみる。
「こ、これは!?」
中に入っていたのは1万円紙幣が5枚。計5万円の現金であった。いったい何のことかと驚いたが、メモ用紙と思われる小さな紙切れも一緒に入っている。そこに目を落とすと、こんなことが書いてあった。
『昨日はごめんね。これは昨日の5人からの、ほんのお詫びの気持ちだよ。どうか受け取ってほしいな。そして、これからよろしくね! 高坂より』
達筆なペン文字だった。
「あいつ……」
まさか、ここまでするとは。
手紙はおそらく、俺の元を訪れる前に書いたものだろう。そして同梱の現金はジェームズを含めた、アルビオンのメンバー5人から取り立てたはず。
さしずめ、暴力的な手段を使ったに違いない――。
俺を味方に引き入れるために、ここまで手を尽くした高坂。その行動からは、思慮と執念の深さが伝わってくる。その日は心底、彼に感心しながら寝床に就いた。