メッセージ
本日より第6章、開幕です!!
その後、俺は村雨が乗って来た車に乗せてもらった。
いかにも極道らしい黒塗りのセダンだったが、ハンドルを握っていたのは知らない顔。一瞬、俺が抜けている間に入った新しい組員かと思った。だが、すぐに仮説を撤回した。それにしては少し、雰囲気が違う気がしたのだ。
全体を通して、ヤクザとは思えない見た目だ。7・3に分けた黒髪を整髪料できっちりと固め、首元まで襟を締めた白の半袖ワイシャツに黒縁のメガネという、さながら会社勤めのサラリーマンを彷彿とさせる風貌。
詳しい年齢は分からないが、バックミラーに映った目元の皺から察するに、おそらく40代半ばくらい。村雨よりもひと回りほど、年上のように見える。
(この人、もしかしてカタギか……?)
俺が部屋住みをしていた頃は、たしか組長の運転手は廣田が担っていた気がする。その廣田は前月、斯波一家が送り込んだとみられる殺し屋に射殺された。ゆえに、外部から雇い入れたのだろうか。
後部座席で首を傾げていると、右隣に座る村雨が言った。
「涼平。お前には言っていなかったな。これは我が奴隷だ」
「えっ? 奴隷!?」
「ああ。私が面倒を見ている金融屋で借金が溜まった男でな。利息すら払えぬゆえ、こうして身柄を押さえたのだ。役目は専ら運転手だが、他にもいるぞ。奴隷はとにかく、使い道が広い。健康な男からは内臓も取れるし、若い女は娼館に売り飛ばしても高い値がつく」
村雨組が暴利の闇金を経営していたことは俺も何となく知っていたが、まさか人身売買までシノギにしていたとは。予想を超えた話のデカさに、俺は背筋が凍る思いがした。
「な、なるほど……」
「皆、博打や色情、身の丈に合わぬ投資で己を滅ぼした者ばかりだ。この者の場合は競馬。かつては名の知れた商社に勤めていたそうだが、レースの負けがかさんであらゆる方面から金を借りた結果、哀れな奴隷に成り下がった。自業自得であるがな」
わざとらしく言い切った村雨の言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。また、それは奴隷と呼ばれた運転手も同様。鏡越しに映った彼の表情からは、決して言葉にはできぬ悔恨の念がうかがえる。
こんなはずじゃなかった――。
きっと、そう強く思っていたことだろう。しかし、いくら悲惨な現状を嘆いて歯噛みしたところで、ひと度進んでしまった時間は戻らない。ヤクザに身柄を押さえられた奴隷にできるのは、ただ与えられた仕事をこなしていくことだけなのだ。悲しいが、それが彼らの運命である。
「……ああ。俺も気をつけるよ」
少し前向きな返事をすると、村雨は満足気な笑みを浮かべた。俺に対する教育のつもりだったのか。反面教師の材料にしては、ずいぶんと残酷な光景を見せつけられた気がする。
なお、このタイミングで奴隷の話を持ち出したのには別の理由もあったらしい。セカンドバッグの中をまさぐって煙草の箱を手に取った後、村雨は静かに呟いた。
「お前には、絢華のことを話しておかねばならぬ」
俺としても、非常に気になる話だ。これまでもずっと心の片隅にあったが、その事を切り出すタイミングが掴めずにいた。向こうから話してくれるというなら、実にありがたい。
「あいつ、元気にしてたか?」
「元気だとも。健康な若い男の臓器を使ったからな」
「健康な若い男って……もしかして、そいつも奴隷かよ?」
「いかにも」
曰く、絢華に臓器提供を行ったのは村雨組系の闇金で背負った債務の返済が滞った者たちであるという。借金を全額帳消しにする代わりに心臓、肝臓、腎臓、肺を渡すよう持ちかけたところ、あっさり承諾したのだとか。
「いやいや、でもよ。肝臓や腎臓は分かんねぇけど……心臓を差し出したら、そいつは死んじまうんじゃねぇの?」
「そうだな」
「だったら普通、断るだろ。いくら借金をゼロにできるからって、死んじまったら元も子もないはずだぜ?」
「簡単な話だ。受け入れざるを得ぬ状況を作ってやっただけのこと。奴らにはそれぞれ、家族がいてな。ゆえに私は『お前が話に乗らなければ、身内からケジメを取らせてもらう』と脅した。すると皆、素直に話を呑んだ。自分の命と引き換えに億単位の借金を無かったことに出来て、おまけに家族の安全も保証されるのだからな。奴らが断る理由など、何処にあろうか」
想像よりもかなりシビアというか、あまりにもえげつない実情。若くして莫大な借金を背負って“奴隷”に転落し、挙句の果てには返済のカタとして人生さえ奪われるに至った絢華の提供者たちの心境を思うと、いささか胸が苦しくなってくる。
また、いくら闇金で金を借りたとはいえ、相手は元は善良な一般市民。つまりはカタギだ。
そんな彼らに対し「自分の命を取るか、家族の安全を取るか」という究極の二者択一、分かりやすく言えばデッド・オア・アライブをいとも簡単に突きつける村雨のやり方にも、俺は少なからぬ恐怖をおぼえずにはいられなかった。
(うわっ……マジかよ……)
だが、裏を返せば全ては娘への深い愛情の表れだ。絢華のことを思い、彼女の今後の人生と幸せを一番に考えたゆえの行動といえよう。
そもそもの話、当時は未だ心臓どころか医療における「生体移植」自体が一般的ではなかった。前年に基本法が成立・施行されたものの、提供者に名乗りを上げる者はごくわずか。
意思表示カードすら、まともに存在していなかった時代だ。そうした状況下で愛娘に手術を受けさせるには、やはりアウトローな方法に頼るのが最も手っ取り早いし、確実なのだろう。もしも合法の範囲内で行うならば、日本国内で移植の順番待ちをしなくてはならない。
待つと言っても1週間や2週間、1ヵ月や2ヵ月といった生易しいものではなく、その頃は短く見積もって1年はかかった。長ければ手術までに5年以上も要した事例も、決して少なくなかったと聞く。
渡米前の健康診断で「今すぐ移植が叶いさえすれば全て解決するが、このままでは20歳を迎えることすら危うい」と主治医から告げられるほど、だいぶ身体が弱っていた絢華のことだ。
それが多少強引かつ人の道に外れた手法によるものだったとしても、いつ来るかも分からぬ順番待ちを延々と続けた果てに亡くなることに比べたら、断然良いのかもしれない。いや、良いに決まっているはずだ。
(せっかく、あいつはこれからを生きると決めたんだし……仕方ないか)
どうにか自分を納得させつつ、俺は偶然にもポケットに入っていたライターで村雨の煙草に火をつけた。そして、可能な限り明るい声で会話を再開させる。
「……で、絢華は今どんな感じなの? 向こうで楽しくやってんのか?」
「ああ。それなりにな」
「そっか。なら、良かった」
「お前のことを気にかけていたぞ。涼平は大丈夫なのかと。昔から、勘の鋭い子だからな。お前が何か面倒な諍いに巻き込まれたことは、どことなく悟っていたようだ」
意外だった。
俺は絢華の後をすぐに追いかけると言っておきながら、未だ日本に留まっている。里中とのトラブルが最悪の形に発展した挙句、ひと月も五反田で潜伏生活をおくる羽目になったせいだ。
そうしなければ命が危うい状況だったとはいえ、絢華にとっては約束を破られたことに他ならないだろう。最愛の人に対する明確な裏切り行為と断じられても、何ら弁解の余地は無い。
にもかかわらず、絢華は自分を想い続けてくれている――。
とっくに愛想を尽かされていることさえ覚悟していた俺にとって、その事実はあまりにも衝撃が大きかった。どんな言葉を発すれば良いか、分からなくなってしまう。
感無量とは、まさにこの事を云うのだろう。
横浜を逃げ出してからの間、ずっと胸の中に痞えていた障壁が一気に解消されたような心地だった。あまりにも嬉しくて、喜ばしくて、声にならない。
「……」
そんな俺を横目で眺めつつ、村雨は言った。
「あの子の心の中には、常にお前の存在があった。涼平が側に居ないことをひたすら残念がっていたが、決してお前を責めたりはしなかった。『涼平が元気でいてくれますように』と毎晩、床に入る前に祈っていたそうだ」
「……マジで?」
「たしか、向こうの教会に願を掛けに行った日もあったな。あの子にとっては手術が成功して自分の身体が治ることよりも、お前が健やかであることの方が気がかりだったと思う。ああ、そうだ! 涼平に渡してくれと頼まれていたものがあった」
深々と煙草を吸い込んだ後、村雨はバッグから1枚の封筒を出す。
「読んでみるが良い。お前に宛てて書いたそうだ」
俺は手渡された封筒を開け、静かに中身を手に取った。そこにはB5サイズの紙が3枚ほど入っていて、万年筆らしきインクで記された、いくつもの手書きのメッセージが並んでいる。
(絢華の文字だ……!)
ゆっくりと、俺はそこに視線を落としていった。
― ― ―
拝啓
麻木涼平様
お久しぶり。
元気にしてた?
この手紙を
読んでいるということは、
無事にお父様の元へ
戻れたということだよね。
本当に良かった。
私がアメリカへ渡ってから
涼平に何があったのかは、
何となく察しがついてるよ。
涼平は優しいから、
きっと一緒にアメリカへ
行けなかった自分を責めたり、
後悔したりしているんじゃない?
でも、私は大丈夫。
こっちに来てからは
沢山の人に支えれらて、
元気に毎日を過ごしてるから。
言葉はもちろんだけど、
食べ物から文化、習慣まで
全部が初めてづくしだったけど、
少しずつ慣れてきた。
1歩1歩、前に進んでいるよ。
だから、涼平も
今いる場所で前に進んでね。
あの日、涼平は私に
「お前はひとりじゃない」と
言ってくれた。
本当に嬉しかったよ。
その言葉があったから、
私は人生を前に進める
決断が出来たんだよね。
ありがとう。
こっちに来てから、
私には“したいこと”が
たくさん生まれたんだよね。
元気になった体で、
あなたと街を歩きたい。
元気になった体で、
あなたと旅をしてみたい。
元気になった体で、
あなたと海を見に行きたい。
いつか、叶えばいいな。
大好きだよ。
村雨絢華
― ― ―
読み終えた瞬間、俺の目頭は熱くなる。
「絢華……」
この1ヵ月、最愛の女性のことを想わぬ日は1日たりとも無かった。もしも許されるならば、今すぐにでも彼女の元へ飛んでいきたいと何度も心の奥底で願ったものだ。
すべてが、報われたような気がした。
「……」
「屋敷に着いたら、朝までゆっくりと休め。さっそく明日から、お前に仕事を伝えるとしよう。先刻も言ったが、こうなった以上、お前は村雨組と運命を死ぬまで共にすることになる。ゆえに、覚悟は決めておけ。良いな?」
「……ああ」
感動の余韻に浸り続ける俺と、窓を開けて煙草の香気を外へ逃がしつつ静かに東京の宵闇を見つめる村雨。2人を乗せた車は、夜の首都高を横浜へと疾走してゆくのだった。




