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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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命を懸けるべき場面

「……空砲か。まったく、ふざけたことを」


 銃声の直後、思わず目を閉じてしまっていた俺の耳に飛び込んで来たのは、吐き捨てるような村雨の呟きだった。


(は!?)


 恐る恐る、ゆっくりと瞼を開けてみる。


「えっ」


 村雨は生きていた。銃口が突きつけられていたはずの額には、風穴どころか傷ひとつ開いていない。一体、何がどうなったのか。混乱する頭を落ち着かせるべく、俺は震える声で本庄に尋ねた。


「あ、あの、これは、その、どういう……?」


「見ての通り、カラ撃ちや。この道具には火薬しか詰めてへん」


 怒りのオーラを全身に纏っていた数秒前とは打って変わり、実に穏やかな口調で俺に語って見せた組長。


 彼が構えていた拳銃は、たしかに本物であった。ただ、装填されていた弾丸が通常の357マグナム弾ではなく、発砲音のみを生じさせる特殊な包装だったのだ。


 まさか、空砲だったとは――。


 てっきり、実弾を撃ったものと思っていた。あまりにも意外な結果である。


 本庄が極道としての面目を潰された怒りを憎悪に昇華させ、村雨に対して抱いた衝動的な殺意を込めて引き金をひいたようにしか見えなかった俺は、呆気に取られてしまった。


 文字通り、言葉を失って呆然自失となる。


「……」


 そんなこちらの様子を尻目に、本庄はあっけらかんとしていた。つい数秒前の怒り狂っていた姿が、まるで嘘のようである。完全に、普段の飄々たる陽気なおっちゃんに戻っていた。


 一方、村雨は低い声で尋ねてくる。


「何故に空砲を撃った? このような真似をせずとも、殺すならさっさと済ませれば良いではないか。まさか、この期に及んで怖気づいたのではあるまいな?」


「悪いのぅ。せやけど、いっぺん試さなあかん思うたんや。あんたが本当ほんまに死ぬ気なのかをな」


 ニヤリと笑い、大きく頷く本庄。その瞬間、村雨の顔つきが変わった。


「試したのか? この私を」


 硝煙の匂いが漂う室内に、再び緊張が走る。だが、本庄は全く意に介さなかった。


「せやで。よう引っかかってくれたわ」


 そして銃を下ろしながら、微笑みをたたえたまま続ける。


「思った通りやった。やっぱ、ほんまに死ぬつもりらしいのぅ。いや、『殺されるつもり』て言うた方がええやろか。あんたは最初からわざと、わしを挑発してキレさして引き金をひかせる腹積もりやった。その証拠にあんた、さっきはまばたきひとつせぇへんかったやんけ。ここでわしにドタマ貫かれて死ぬ覚悟ができとったっちゅうことや」


「……だから、何だというのだ?」


「いちおう言うとくけどな、村雨はん。わしは、あんたを殺すつもりなんか毛頭あらへんのや。敵にまわすつもりも無い。先刻さっきはちょいとした芝居を打たしてもろうたけど、ほんまはちゃうで。むしろ、助けてやりたいとさえ思うてるくらいや。あんたほどの男は、殺すに惜しい」


 耳を疑ってしまった。


(し、芝居って……)


 信じられない。というより、理解の範疇を大きく超過している。声には出さなかったが、驚愕からくる凄まじい衝撃が全身を駆け抜けた。わなわなと鳥肌も立ってくる。


(あれは演技だったのかよ!?)


 もし本当にそうだとすれば、実に恐るべき演技力だと思う。いくら相手の真意を確かめる意図があったにせよ、あの迫真の怒りの表情はそう簡単に作り出せるものではない。


 まさに、本庄ならではの芸当である。常に抜け目がなく、人を騙して操ることに長けた狡猾な「五反田の蠍」にしかできない離れ技だったと思う。ただただ、感服するしかなかった。


(……すげぇ)


 しかし、きわめてシンプルな称賛の辞を心の中で唱えた俺とは対照的だったのが、向かい側の残虐魔王の反応。自分を欺いた本庄の言動が癇に障ったのか、あからさまに不快感を露にしていた。


「助けたいだと? 今さら何を言うか。ここで私の首を取らなければ、後で必ず悔いることになるぞ。私が本気で暴れたらどうなるか、貴殿とて知らないわけではなかろう」


「せやから、言うとるやろがい。あんたを敵にまわすつもりはあらへんって。わしに、ええ策があるんや。たかだが2つ、3つくらいのちっぽけな条件やけどな。それでもあんたが吞んでくれたら、全部を水に流して……」


「知るか。敵に情けをかけられるいわれはない」


 駄目だ。話が嚙み合わない。


 その真意はともかく、敵対の意思は無いと明確に宣言した本庄に対して、相も変わらずけんもほろろに冷たくあしらう村雨。まさに「平行線を辿る」とは、この会話の事をうのだろう。


 どうして、こんなにもかたくなな姿勢を崩さないのか。まだ内容を聞かされていないにせよ、本庄の申し出を受け入れればある程度、今後の望みは開けるというのに。


 また、現在の状況は村雨にとって、かなり不利なはずだ。にもかかわらず鉄壁のごとく拒絶の意を表し続ける様子を見ていると、少しばかりため息さえもこぼれてきてしまう。


「あんた、ほんまに死のうとしてるんか?」


 呆れ混じりに苦笑する本庄もまた、村雨の態度に戸惑いを隠せないようだ。


 彼にしてみても、ここまで手こずった交渉事は初めてだったと思う。普段であれば美味い話を持ち掛けて相手を食いつかせ、話を進めて後戻りできなくなった時点で自分の要求を呑ませて服従させる。それが五反田の蠍の常套手段であり、獲物を釣り上げる秘技だ。


 ところが、その時は違った。相手がまるで、餌に食いついてこないのである。


「ああ。そうだとも。さっきも言った通り……私は16歳でこの世界に入ってからというもの、一瞬たりとも死を恐れたことは無い。14年間、常に覚悟と共に生きてきた。ただ、それだけのことだ」


 そう堂々と返答した村雨の瞳は、キリッと開かれていた。こちらへ向けてまっすぐに注がれた視線が逸れることも、鋭い目元を特徴づける細い眉が動くことも、まったく無い。俺の脳内で結論が出るのに、大して時間はかからなかった。


 この人は、本当に死を恐れていないらしい――。


 しかし、どうにも解せない。先ほどから心の中で渦巻いていた漠然とした違和感が、明確に疑問へと固まってゆく、それは村雨が死に急いでいる、つまりはわざと破滅に向かっているように見えたことである。


 何故、死へと繋がる道を自分から選んでしまうのか。彼には、守るべき大切な存在がいるではないか。生涯をかけて寄り添うと誓ったはずの愛娘に、さらなる悲しみを与えるつもりなのか。


 気づけば目の前の魔王に対し、俺は叫ぶように問うていた。


「……勝手なこと言うなよ。 あんたが死んだら、絢華はどうなるんだよ! また、あいつから親を奪うのかよ! 何が死ぬ覚悟だ。ふざけんじゃねぇよ! こんな下らねぇことで死んでどうすんだよ! 死ぬなら可愛い娘のために死ねよ!!」


 いま振り返ってみても随分と無鉄砲な発言だったと思うが、 これにはきちんとした理由わけがある。小さい頃、俺は父・光寿みつとしがこんな話をしているシーンに出くわしていたのだ。


『いいか? 俺たちの世界は死と隣り合わせだ。無事に明日を迎えられる保証は1ミリもありゃしねぇ。そこにテメェから飛び込もうってんだから、それなりに覚悟は決めとけよ。けど、無駄死にだけはするな。大事な場面で、大事な人間のために、とことん命を張るのが極道ってもんさ。だから間違っても、下らん理由で命を散らすな。テメェが命を懸けるタイミングだけは、しっかり見極めろ。さもねぇと、あの世で泣き続ける羽目になるぜ』


 たしか、あれは横須賀あたりの組織と抗争になった時だったか。危険な役回りを自ら志願した部下に対し、親父は命を粗末にせぬよう懇々と言い聞かせていた気がする。


 前にも書いた通り、俺は小学校に上がるくらいまでは親父の事務所が遊び場だった。ゆえに、こうした場面は幾度となく目撃しているのだ。その所為といっては些か大袈裟かもしれないが、考え方や基本的な信念も自然と親父のそれに近くなっていたと思う。


 あなたが命を懸けるべきタイミングは、ここじゃない――。


 とにかく、それを伝えたかった。村雨に死を思い留まらせることができたなら、自分の今後などは最早どうでも良い。最悪、無礼者となじられて横浜に戻れなくなっても構わないとさえ考えていた。


(頼む。どうか、生きることを選んでくれ……)


 すると、村雨は静かに応答こたえをよこしてくる。


「ああ。たしかにな。涼平、お前の言う通りだ」


「えっ!? それじゃあ……」


 思いのほか、穏やかな返事に頬を緩める。だが、束の間だった。その直後に飛び出した彼の言葉に、俺は想像をはるかに超えた大きな衝撃を受けることになる。


「そうだ。お前の言う通り、すべては絢華のためだ。あの子のために、あの子が幸せに生きるために、私は死ぬと決めたのだ。これ以上、私が生きていては……絢華の未来を壊してしまう。父として、それはあまりに耐え難い」


 その言葉に一旦は落ち着いた全身の鳥肌が、逆立ってゆくのが分かった。

次回、衝撃の事実が明らかに。

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