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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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銃声

 聞こえてきたのは、かすれた声。


『軽い小遣い稼ぎのつもりだったんだ……。去年の春、組長の使いで伊豆に行った時、斯波の若頭に「カネをやるから村雨の内情を教えろ」って言われて……。も、もちろん、最初は断ったんだ! でも、ゆくゆくは俺を村雨組から独立させて「里中組」を持たせてくれるって約束されたから……だけど、1年くらい経った時、組長は組の情報が斯波に流れてることに気づき始めてよ……』


 声の主は里中だった。内容から察するに、中川会の本部で拷問を受けている際に録られたらしい。過酷な水責めに耐えかねて、これまでの経緯を洗いざらい白状したのであろう。


『忘れもしねぇ。俺が襲われたのは「このままじゃ斯波との内通がバレる、どうにかしなきゃ」って焦ってた矢先だった。3月のアタマくらいの時期だ。酔っ払って歩いてたら、前から歩いてきたガキにすれ違いざま、後頭部をバコッてやられて……気づいたら病院のベッドの上だ。マジで驚いたよ。ほんの2、3時間くらい気絶してたつもりが、3ヵ月も眠ってたんだからな。で、目覚めた時、真っ先に浮かんだのは恐怖だった。「自分が寝てる間に、斯波との繋がりがバレたんじゃないか」ってよ』


 幸いなことに、村雨組長独自の調査は進展をみせていなかった。むしろ、その時点では「里中を襲った犯人を捜すこと」を優先し、スパイの炙り出しは二の次にしていたと思う。里中も、さぞ安堵した事だろう。


 ただ、彼は驚愕することになった。


『……たまげたぜ。まさか、自分を殴ったガキが見舞いに現れるなんてよ。目を疑った。おまけにそのガキは……麻木涼平は、組の部屋住みとして働いてるって言うじゃねぇか。びっくりしすぎて、あの時は言葉も出なかったよ。けど、即座に思いついちまったんだ。「そうだ! こいつに罪を着せてやろう!」ってな。……だって、ぴったりじゃねぇか。麻木が村雨組に来た時期が、ちょうど俺が襲われた頃と重なるんだからよ。あれ以上にうってつけの存在はいないと思った。けど……』


 重苦しい調子で、言葉が続く。


『……芹沢の叔父貴が、何故か麻木を庇うんだ。そいつは組長が気に入って連れてきたガキだから、いくら何でも有り得ないと。叔父貴は俺が見間違えただけだって言った。挙句の果てには『お前は頭がおかしくなったのか」とよ。たしかに、俺が見たって以外に証拠があるわけじゃねぇけど……でも、あのチャンスを逃すわけにはいかなかった。せっかく現れたスケープゴートをみすみす、手放すわけには』


 心に決めた里中は、芹沢が俺を連れて一時的に席を外した隙を狙い、組に緊急連絡を入れる。たまたま村雨邸に居た嘉瀬に「自分を襲ったのは麻木涼平だ。そして、奴は斯波一家の内通者だ」と通告。そして数名の精鋭を引き連れて、自分の元へ向かわせたというのが事の真相である。


 録音のテープは、そこで途切れてしまった。聴き終えた本庄が、淡々と言い放つ。


「これが真相や。つまるとこ、ほんまのスパイは里中やったんやで。今までのことは、あいつが陰でコソコソ動いとったのが全ての引き金。涼平は関係あらへん。さっき、あんたは涼平をスパイ扱いしよったけどのぅ。見当はずれもええとこやな!」


 更に、事実が提示される。


「あと、里中が一緒に連れてきた兵隊。全員、斯波一家のもんやったわ。なんかおかしいと思うたさかい、問い質してみたらやっぱりそうやったわ。組長にナイショでやろうと思うたら、自分のとこの兵隊なんか使えへんさかいな」


 その瞬間、俺はハッとした。


(……そうだ。たしかに!)


 昨晩、本庄組の事務所にカチコミをかけてきた里中の取り巻きたちは皆、里中を「里中さん」と呼んでいたのだ。普通、ヒラの組員が若頭代行である彼を呼ぶときには「代行」もしくは「里中の兄貴」と呼ぶはず。


 里中は組長である村雨には何も言わず、勝手に五反田へ攻め込んだ。


 謂わば、独断行動である。彼としては、村雨が真相に気づく前にケリをつけたかったのだろう。俺に内通者の汚名を着せたまま、秘密裏に葬り去る算段だったと推察される。


 ふと、俺は前方を見やった。


「……」


 何も言わない村雨。腕組みした姿勢を崩さず、ジッと固まっている。音源を聴いて、いかなる感想を抱いたのだろうか。心なしか、ひどく怒っているようにもうかがえる。


 前にも書いたと思うが、彼が全身から放つプレッシャーには未だ慣れない。本当に苦手だ。目を合わせていなくても、同じ空間にいるだけで心が冷えそうになってしまう。


 そうして暫くの間、静寂の時間が流れた。


 まったくの無言となった室内には、空調の冷房がせわしなく動作する音のみが聞こえていた。これでは、あまりにも気まずい。できることなら適当な雑談でも振ってやりたいところ。


 とはいえ、立場が立場なのでそれは憚られる。村雨と本庄。2人の組長がつくり出した威圧感で満ちた空気に、黙って身を委ねるしかなかった。


(おいおい……何か喋ってくれよ……)


 だが、そんな時。村雨が静かに呟く。


「なるほど。そういうことだったか」


「何や? 驚かへんのかい」


「別に驚きはしない。里中の性格を考えれば、有り得ぬ話ではないからな」


 意外にも、あっさりとした反応だった。声色ひとつ、まるで変わっていない。てっきり、大きな衝撃を受けるものと思っていたのだろう。本庄も呆気に取られていた。


「なっ……!?」


 しかし、軽く咳払いをした後で、すぐにいつもの表情に戻る。


「……ともかくやな。これであんたは、わしに“借り”を作ったことになる。組の中におったほんまの裏切り者を見つけてもろうたっちゅう“借り”や。これって、返さなあかんのとちゃうん?」


「つまり、先ほどの録音を聞いた対価に要求を呑めと」


「そういうこっちゃな。まあ、わしもあんま恩着せがましく言いたくはないんやがのぅ。あんたが根っからの意地っ張りやさかい、こういう提案しかできんのや。最も、現状を考えりゃ……」


「お断りだ」


 相手の言葉を強引に遮った村雨。続けて、嘲るような視線を向ける。


「フッ。その程度の情報で、私に恩を売った気になっているとは。裏切り者の存在など、貴殿から告げられずともじきに分かったというものを。勘違いもいいところだ。やはり、五反田の蠍と言えども大したことは無かったな。ただの与太郎だ」


 またもや、一蹴されてしまった。


 差し伸べられた手をけんもほろろに振り払うような、全面的な拒絶。そういう反応をされることは、流石に想定外だったのだろう。本庄は一瞬、大きく目を見開いてたじろいだ。


「……!?」


 このままでは戦争に発展しかねないという状況が、分かっていないのか。それとも全てを悟った上で、敢えて破滅への道を歩もうとしているのか。前者ならあまりにも間抜けが過ぎるし、後者なら恐るべき戦争狂だ。


 いずれにしろ、自分にはまったくもって理解できない心理だと感じた。。


 そもそも何故に、村雨は強情を張り続けるのだろうか。本庄による提案は「簡単な要求を呑んでもらう代わりに、これまでの因縁を丸ごと水に流す」という、大いに踏み込んだ歩み寄りの妥協案である。組長として物事を俯瞰的に考えるならば、応じるのが得策のはずだ。


 これでは、らちが開かない――。


 きっと、本庄もそう思ったことであろう。テーブルの下に置かれた彼の手は、固く握りしめられている。事前に用意した切り札が通じなかった驚きと焦り、そして先ほどから続く村雨の無礼千万な態度への苛立ちが、徐々に態度に現れ始めていた。


「……与太郎はあんたの方やで。自分の立場がまるで見えてへん。わしかて、伊達や酔狂でこんなん言うてるわけとちゃうぞ。このままやったら、ほんまに戦争になるんやで? そうなったら、横浜が血の海や。地獄を見ることになんねんぞ? それでもええんか!?」


「構わんさ。渡世に入ってこの方、命を惜しんだ事は無い」


 両者の睨み合いは続く。


「よっぽどやな。そないに死にたいんか」


「ああ。何だったら、今ここで私を殺すが良い。貴殿も丸腰で来たわけではあるまいに。この場で私の首を獲れば良かろう。現状いまの私は、中川会全てを敵にまわした奸賊だ。その直参である貴殿がここで仕留めれば、大した手柄になるではないか」


 すると、本庄は再びバッグの中に右手を入れた。


「ほう……なら、やむを得んわな」


 彼が素早く取り出した、黒い物体。そのどっしりとした見た目の質感と、表面のカラーリングが放つ冷たい光沢を目の当たりにした瞬間、俺の中に稲妻のような緊張が走る。


(うわっ!)


 拳銃だった。2インチのリボルバー型だ。


「ほんまに死ぬのが怖くない言うんなら、引き金をひいてもええってことやな?」


「ああ。やってみろ。貴殿に、人を殺せるだけの度胸があればの話だがな」


「舐めくさりよって……」


 本庄は撃鉄ハンマーを起こすと、村雨の額に向けて構える。


(えっ?)


 俺は戸惑った。


 ここで殺してしまって、良いはずがない。村雨とは交渉の末に話をつけ、最終的には俺を村雨組に戻す計画だったのだ。本庄が引き金をひけば、忽ち全てが水の泡と消える。


(いやいや、駄目だろ!!)


 慌てて止めに入った。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。本庄さん。ここで撃っちまったら……」


「すまんのぅ、涼平。村雨はんがあまりにも死にたがりやさかい、こうせなあかんようになってもうたわ。わしにも中川の直参としての面子メンツっちゅうもんがある。ほんま、残念やけどな」


「いや、だけど!」


 本庄の視線は、まっすぐに村雨を捉えている。


 薄いサングラス越しに見えた瞳は、激しい怒りで燃えているように思えた。極道社会においては格下であるはずの相手に、こうも面目を潰され続けたのだ。当然といえば、当然かもしれない。


 我慢の限界は、とっくに超えていたのだろう。目元には血管が浮き出ていた。いつも冷静沈着で滅多なことでは感情的にならない彼としては、実に珍しい姿である。


 一方で、村雨は淡々と言葉を放つ。


「どうした? るなら早く済ませるが良い。さっきの勢いはどこへ行った? 五反田の蠍とやらは、まともに人も殺せぬ臆病者だったのか?」


「何を……言われんでもやったるわぁ!!」


 挑発に激昂した本庄の指が、引き金にかかる。


(やばい!)


 そう直感した時には、既に体は動いていた。


 ――ズガァーン!


 轟音のごとき銃声が、すべてを飲み込んでゆく。

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