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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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馬橋の会食

 仲居が襖を開け終わるのを待たず、本庄は言った。


「待たしたやと? フッ、冗談を言うたらあかんで。まだ約束の10分前やんけ。えらく気の早い男やなぁ、あんたは」


「ここで既に、20分も時間ときを潰しているのだ。文句くらいは言わせてほしいものだな」


「そうかい! っちゅうことは、30分前に来たんやな。そらぁ、すまんかったのぅ……せやけど、わしも出来る限り早う来られるよう気ぃ張ったんやで? そないにカリカリせんといてや。な?」


 陽気な関西人・本庄に対し、静かに応じる男。


「知ったことか」


 彼の名は、村雨耀介。前月に横浜の屋敷を逃げ出してから、実に1ヵ月以上ぶりの再会だった。風貌は殆ど変わっていない。髪型はきっちりと固められた黒のオールバックで、藍色の和服を着こなしている。


 ただ、久々に会ったせいだろうか。最後に言葉を交わした時よりも、身にまとう威圧感の迫力が桁違いに増していた。


(こんなに怖かったっけ……?)


 瞳を合わせた者を真っ直ぐに射抜く鋭い目元と、心を瞬時に底冷えさせる独特の声。同じ空間にいるだけでも、忽ち背筋が凍らんばかりの緊張を覚えてしまう。


「久しぶりだな。涼平」


 不意に、言葉をかけられた。ビクッとした戦慄が走る。それまで隠れるように本庄の背後にいた俺の様子を窺うかのごとく、村雨は問うてきた。


「どうだ? 変わりはないか?」


「……」


 口が開かない。


「東京に居たそうだな?」


「……」


めしには困らなかったか?」


「……」


 いや、駄目だ。これではまるで、俺が無視シカトを決め込んでいるも同然ではないか。相手は村雨。いわずと知れた残虐魔王だ。心証を悪くする前に、何かしらフレーズを発さなくては。


(やばい!)


 焦った俺は、咄嗟に頭の中で浮かんだ台詞を口に出す。


「……あ、ああ。大丈夫だ。何も問題はねぇよ!」


 すると、返ってきたのは予想だにしない言葉だった。


「ほう。問題ない、か。ずいぶんと調子が良いものだな。こちらはお前のせいで、幹部を2人も失ったのだが」


 村雨の声が脳内に響き渡る。再び、何も言えなくなってしまった。


(俺のせい……)


 残念ながら、俺に心当たりはいくつかあった。


 初めて横浜の地を踏んだ夜、たまたま路上で出くわした村雨組幹部・里中の後頭部めがけてすれ違いざまに裏拳を叩き込み、昏倒させた挙句、彼のカネを奪ったこと。


 部屋住みの分際で、組長令嬢・絢華と恋仲になったこと。


 そして最も問題なのは、若頭補佐の嘉瀬と諍いを起こし、組のナンバー2たる舎弟頭・芹沢を巻き込んでの大乱闘劇に発展させてしまったことだった。この件においては、嘉瀬が死亡し、芹沢が逮捕されるという最悪の結果に終わっている。


 俺に言い訳できる要素は、何ひとつ無い。


「……」


 弁明の余地が見当たらず、視線を伏せるだけ。そんな俺に、村雨は語気を強めて言った。


「話は里中からすべて、聞かせてもらった。まさか、お前が斯波のスパイだったとはな。奴を襲って上納金アガリを掠め取ったに飽き足らず、我が組に潜り込んで内情を斯波に逐一報告していた。あまつさえ、世話係の立場に乗じて絢華を篭絡し、己の欲のために利用しようとも企んだ」


「いや、俺は……」


「やがて、私に『里中を襲った者を捕らえよ』と命じられたお前は、絢華の手術に同行するフリをして異国へ逃げようとした。下手人は自分なのだから、当然だな。しかし、そこで思わぬ予想外が起きた。嘉瀬に全てを見抜かれ、一連の所業を咎められたのだ」


 村雨は続ける。


「窮地に立たされたお前は、芹沢に泣きついた。あれは情に流される甘い男だから、どうにか庇ってくれると踏んだのだろうな。そしてお前は見事に芹沢を唆して、嘉瀬と争わせ、その隙に東京へ逃げた……違うか?」


 どうやら、村雨は一連の流れを全て把握しているようだ。


 起こった出来事を時系列に沿って考察すれば、そのような推論に行き着くのは当然といえよう。ただ、いくつか事実とは異なる点が見受けられる。


 まず、自分は斯波一家のスパイなどではない。俺が里中を襲ったのはあくまでも、生活の糧を得るため。つまりは、完全に金銭目的の行為だったのだ。天に誓って、そこに他意は存在しない。


 また、俺が絢華と男女の仲になったのも、別に何か利己的な打算があったわけじゃない。側で彼女を支え、身の回りの世話をしていくうちに、自然と好意が芽生えただけのことだ。


 大きな誤解をしている――。


 刹那的に直感を抱いた俺だったが、どうにも指摘できなかった。指摘する勇気が湧き起こらなかった、と書いた方が良いかもしれない。ここで下手にツッコめば、物凄い剣幕で激怒される気がしてならなかったのだ。


 とは言え、どう反応して良いのかも分からない。


 ここではひとまず、謝罪しておくのが正解のようにも思えるが、それではやってもいない罪を認めることになる。まったく身に覚えの無い嫌疑を晴らす機会が、永久に失われるのだ。


「……」


 適切な言葉が見当たらず、またもや沈黙する俺。すると、そんなこちらの様子に憤りを覚えたのか。村雨が声を荒げた。


「どうなのだ! 答えろ!!」


 その瞬間、俺はゾクッと竦み上がってしまう。落雷で打たれたかのような衝撃が、全身を一直線に駆け抜けてゆくのがわかった。わざわざ書くまでもなく、とんでもない迫力だ。まさに、獅子の咆哮とでも言うべきだろうか。


「ッ!?」


 完全に萎縮してしまった。だが、そんなこちらの様子には全くお構いなしに、村雨は言葉をぶつけてくる。


「お前は私を裏切った。あれほど期待をかけてやったというのに、それらを全て仇で返すとはな。組の内部情報を斯波に漏らしていたに飽き足らず、絢華の想いまで踏みにじった。この落とし前、いかにしてつけるつもりだ?」


 彼の眼差しは、激情に満ちていた。恐ろしい憤怒の炎で燃え上がった視線が、俺の心を真っ直ぐに貫く。弁解の余地が存在しないことを悟るのに、大して時間はかからなかった。


 自分には、どうすることもできない――。


 無力な諦めに由来する絶望の感情が、瞬く間に思考を支配してゆく。あわよくば横浜に戻れるなどと考えていた己の愚かな楽観ぶりが、ひどく恥ずかしく思えてくる。


 そんな時、隣にいた本庄が静かに口を開いた。


「なあ。そろそろ、座ってもええか?」


 問うた先は俺ではなく、村雨。思い返してみれば、入室してからずっと立ちっ放しだったのだ。あまりにも緊張感が大きかったせいか、時が経つのが異様に長く感じていた。


「……好きにしろ」


「ほな、遠慮なく」


 舌打ち混じりに返事をした村雨を尻目に、本庄は部屋の中央まで歩を進めると、よっこらせと腰を下ろす。1人だけ立ったままでは気まずいので、俺も慌てて後に続き、本庄の隣に座った。


 ちなみに、そこにあった座椅子は旅館の客室などで頻繁に見受けられる、いわゆる「和座椅子」。曲木で形作られたしなやかな背面が非常に美しく、特徴的だった。


 室内を見渡してみると、古風な日本画が描かれた掛け軸や焼き物の壺など、至る所に和風の調度品が視認できる。さすがは、老舗の高級料亭。インテリアには気を遣っているのだな、と率直に思った。


 一方、本庄は休む間もなく話を切り出す。


「さっそくやけどな、村雨はん。今日、わざわざこないな所に呼び出したんは他でもない。あんたに1つ、提案をしたろ思うてな」


「提案だと?」


「せや」


 大きく頷きつつ、本庄は続けた。


「昨日、わしの事務所におどれんとこの里中っちゅうガキが、カチコミかけてきよってのぅ。死人もケガ人も運良う出ーへんかったけど、あのダボが拳銃チャカをぶっ放したおかげで窓が割れてもうた。まあ、わしかてケチな男やない。たかがガラス1枚のためにムキになるなんざ、どさんぴんのすることやさかいのぅ。せやけど、こりゃ立派な領域侵犯や。タダでは見過ごせん。場合によっちゃあ、わしらへの宣戦布告と受け取る事も出来んねんで」


「それで?」


「村雨はん。あんたの指示やないことは分かっとる。けど、シマに土足で踏み込まれた以上は何らかのケジメをつけなあかん。このままやと、中川全体で“返し”をすることになるかもわからへん。けど、あんたが今ここで、これからわしが出す要望を全て受け入れてくれるんやったら、話は別や。中川の本家に話をつけて、今回のことは丸ごと水に流すようにしたってもええ」


「手打ちの交換条件、というわけか」


 話を聞いた村雨は、すべてを理解したようだった。己が圧倒的不利な立場にいる事実を改めて、認識させられたせいだろうか。彼は直後に、大きなため息をついた。


 片や、先ほどから浮かべた薄ら笑いを崩さずにいる本庄。


 まさに、余裕綽々といった様子であった。彼の計画では、前述の条件として「麻木涼平の村雨組復帰」を盛り込むらしい。それを一体どのタイミングで切り出してやるか、虎視眈々と機会を窺っているのが見て取れた。


 俺を横浜へ戻し、同時進行で横浜の侵略を進める――。


 腹にあるのは、そうした“二正面作戦”の絵図だろう。前者はさておき、後者で具体的にどのような手順・方法を用いるのか。それは定かではない。ただ、謀略に長けた御仁の事だ。きっと今回も何かしら、狡猾な手段を思いついているはず。


(とりあえず、今はこの人に任しとけばどうにかなるか……)


 だが、漆塗りのローテーブルを挟んだ向こう側から返ってきたのは、予想だにしない言葉だった。


「なるほど。貴殿は私が思っていたよりも、ずっと甘い男のようだ」


「ああ?」


「言葉通りの意味だ。『五反田の蠍』と呼ばれるからには、相当な知略を備えているのかと思っていた。しかし、実際にこうして会ってみればさほど大したアタマではなさそうだな。この程度の脅しで、私を揺れ動かそうと本気で考えていたとは」


 軽い嘲笑を添えた後、村雨は高らかに言い放つ。


「申し訳ないが、貴殿の要望に従う気は無い」


 その瞬間、本庄の眉間にしわが寄った。


 陽気で、なおかつ飄々とした普段の姿からは想像もできない表情だ。五反田へ逃げ込んでから30日以上も彼の下で生活してきたが、彼のこうした姿を見るのは初めてだった。


 無論、相手の言動には憤りをおぼえたことだろう。自らの提案が聞く前に拒絶されただけでなく「大したアタマではなさそうだ」などと、侮蔑の言葉を並べられたのだ。怒って当然だろう。


「……あんた、自分の立場が分かっとんのか? このわしが、わざわざ手打ちを持ちかけてやっとんねんぞ? まさか、無下にしようやなんて思うてへんよな?」


 ひどく、ドスのきいた声だった。薄いサングラスで隠したの瞳の奥には、たしかな憤怒の念が燃えている。そもそもの話、本庄と村雨はヤクザとしての格が違う。前者は中川会の直参であり、後者は煌王会の枝。


 しかしながら、村雨は淡々と答えをぶつけてゆく。


「分かっているとも。すべてを踏まえた上で返事をしている。いかなる状況であろうと、敵の出した和議は断じて呑まぬ。それが私の主義だ。此度こたびとて、例外ではない」


「可愛い子分を見殺しにするっちゅうんか?」


「ああ、里中のことか。あれは本日限りで破門にした。奴の始末はそちらに一任する。生かすも殺すも、好きにしてくれて構わん。あの男は私の許しも無く東京へ攻め込み、結果として村雨の名に泥を塗ったのだからな。もはや、子分ではない。我が組に無能な者は不要だ」


「な、何やと……!?」


 さすがの本庄も、驚きを隠せないようだ。当初の計画では、昨晩に押さえた里中の身柄の安全と引き換えに、俺の赦免を要求する予定だったのである。ところが当人が破門になったことで、そのカードは使えなくなった。


(マジかよ!!)


 とはいえ、村雨らしい判断でもあったように思える。彼は普段、部下に対しては冷酷ともいえるほどに厳格だ。


 結果を出せない者、および自らに不利益をもたらす者に対して、一切の容赦が無い。たとえ古参の子分であっても、少しでも至らぬ点があれば即座に「不要だ」と断じ、切り捨ててしまうのである。


「……なかなか、薄情なやっちゃなあ」


 予め用意していた“切り札”を出す前に封じられる形となってしまい、苦笑まじりに呟く本庄。村雨の言葉は続く。


「なるほど。里中を人質に使う算段であったか。噂通りの狡賢さだな。だが生憎、私は情に流されるほど甘い男ではない。子分の1人や2人、代わりなどいくらでも居るゆえ」


「このままやったら中川とサシでぶつかることになんねんで? ほんまにええんか?」


「フッ、脅しのつもりか。構わん。抗争が怖くて極道などやってはいない。相手が誰であれ、向かってくる敵は全力で叩きのめすまで。たとえ私ひとりになろうとも、徹底的に戦わせてもらう。それだけのことだ」


「せやったら、手打ちも何もあったもんやないなぁ……」


 本庄と村雨。両者のやり取りは平行線を辿るどころか、対話にすらなっていない。手打ちを持ちかける前者に対し、後者は毅然と一蹴。まさに常在戦場。いつでも戦争はやってやるぞ、と言わんばかりの姿勢である。


 これでは埒が明かない――。


 苦々しい表情を浮かべ、大きくため息をついた本庄。よもや、ここまで話の通じぬ相手だとは思いもしなかっただろう。かなりペースを乱されている様子が窺えた。


 そもそも村雨は、里中の暴走を予期していたのか。普通に考えれば物凄く不利な立場にいるはずなのに、あまりにも落ち着いているように思えた。不気味なほどに、冷静さを保ち続けている。


 困惑を態度にあらわした本庄とは、実に対照的だった。やがて彼はこちらを睨みつけたまま、静かに言った。


「さて、話は終わりだ。帰って中川の三代目に伝えろ。『横浜へ来たいなら、いつでも来い。いかほどの兵隊だろうと、この村雨耀介がまとめて棺桶に叩き込んでやる』とな」


「ほう。たった50人で、2万の中川会に勝てると? さすがに無謀が過ぎるんとちゃうか?」


いくさは数ではない。貴殿の心配など要らぬ」


 村雨に淡々とあしらわれてしまった本庄は、日本茶を一気に飲み干す。そして頭を傾けると、ジッと黙り込んだ。何か、深く思考をめぐらせているようである。


 やがて、彼は持参したセカンドバッグの中から、銀色の物体を取り出した。


「何だ? それは?」


「こいつは“手土産”や。なるべく使わんように思っとったんやが、村雨はん。あんたが誘いも脅しも通じひん筋金入りのアホやさかい、使わなあかんようになってもうたわ。なんぼ残虐魔王や言うても、ドタマの方は下の下。さほど賢くはなかったんやな。そこらへんのチンピラと変わらん。人を見る目っちゅうもんが、まるであらへんさかい。そんなんで、よう組長なんか務まっとるのぅ。あんたの下に付いとる子分が、ほんま可哀想になってきたで」


「……負け惜しみか」


「ちゃうわ。いっぺん、冷静になって考えてみぃ。負けとるのはあんたの方やないか。こないな状況で、よくもまあ虚勢を張れるもんやな。涼平の件にしたっても然りや。さっき、あんたは『スパイだ』なんて言いよったけど、ほんまのところは全然ちゃう。状況っちゅうもんが、まるで分かってへん」


 卓上に置かれた“手土産”。


 それは、長方形のテープレコーダーだった。シルバーの本体に黒で『SANY』とロゴが記されている、少し古めかしい見た目の代物。現代では殆ど見かけなくなってきた、文字通りカセットテープに吹き込まれた音声を流すタイプ。


(ん? 何だ?)


 本庄はニヤリと笑みを浮かべる。


「とりあえず、聴いてみぃ。話はそれからや」


 高らかに告げた男の手で、再生のボタンが押された。

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