めしあがれ
真昼の大通りに出た。
高坂が先に歩いて、俺はその後に続いて進んでゆく。天気は快晴。外を歩くには持ってこいの晴れ具合である。
横浜に来てから未だ1ヵ月しか経っていないのもあるが、俺は何処に如何なる店があるのかが分からない。駅前の大交差点の信号を待っている時、気になって聞いてみた。
「なあ、焼き肉って言ってたけど。どこへ行くんだ?」
「その前に、寄り道しても良いかな。キミに紹介したい奴が1人、いてさ」
どうやら、もう1人来るらしい。特に戸惑いの感情は無かったが、構図としては“2対1”になってしまうので、あまり良い気はしない。俺が何も答えずにいると、高坂はこちらを振り向いて尋ねてきた。
「もしかしてキミは人見知りとか、する方かい?」
「別に。しないけど」
「なら良かった。待ち合わせ場所は駅前だから、もうすぐ着くよ」
そう笑顔で反応する高坂とは裏腹に、俺の表情は曇った。ため息の1つでもついてやりたい気分だった。
やはり、嵌められたか――。
高坂が待ち合わせている相手は、もしや彼の配下であるアルビオンの誰かか。彼は1人と言っていたが、集団で待ち伏せている可能性だってある。
(武器を持っていたら、ちょっと厄介だな……)
そんなことを考えていると、信号が青に変わった。
「よし、行こう!」
身構えつつも、高坂について行った俺。すると、そこに居たのは俺の予想通りの人物だった。
「お前は……?」
前日に複数の仲間と共に俺を取り囲んだ、青髪の男である。昨日と同様、豹柄のシャツにジーパンという派手な服装。耳にはいくつものピアスを付けていた。その男は、現れた俺をじっと見つめている。
「……」
妙に静かな空気が流れた。昨日は乱闘の一歩手前になりかけたのだから、当然といえば当然だ。気まずい空気になりかけたところで、間に入るかのように高坂が男の肩をポンと叩く。
「紹介するよ。彼は、うちのナンバー2のジェームズだ」
「ジェームズだと?」
聞き慣れない名前に、俺は思わず聞き返す。
「ああ。うちではそう呼ばれてるよ。なあ?」
青髪の男がコクンと頷く。
もちろん通り名で、混血児でも何でも無い。高坂によると、ジェームズというのは本人が憧れるハリウッドスターの名前から取ったものだという。
満面の笑みを浮かべながら、高坂は言った。
「昨日はコイツが、キミに失礼なことをしちゃったからさ。今日はそのお詫びも兼ねて、焼き肉に連れて行ってくれるらしいんだよ」
先ほどまではてっきり、高坂が食事を御馳走してくれるものと思っていたが、どうも違うらしい。
ジェームズなる青髪男の奢りのようだ。
事前に聞かされていた話とは違うが、こちらは無料で焼肉にありつけるので異存はない。
「そっか。んじゃ、ゴチになるぜ。ジェームズ君よ」
「……ああ」
ジェームズは、俺と視線を合わせずに軽く返事をする。よく見ると、彼の顔にはいくつかの切り傷があった。殴られたような跡も複数、見受けられる。その瞬間、高坂の言葉が脳内で再生された。
『あいつらは僕がキッチリ、お仕置きしといたから』
俺はジェームズが、昨日の件で高坂に制裁されたのだとすぐに悟った。食事に連れて行くというのも差し詰め高坂に強要されたもので、決して本人の意思ではないのだろう。だが、それは本人が俺に不用意に絡んで来た結果の自業自得。特に彼を哀れむような気にはならなかった。
「よし。それじゃあ、行こうか!」
「……」
どこか納得がいかない様子のジェームズを加えた3人で向かったのは、横浜駅の西口から歩いて3分ほどの場所にある『アリラン堂』という店だった。
「特上ロースを3人前! あとは白飯でも、サラダでも、キムチでも、美味そうなやつを適当に持ってきてよ。飲み物はお任せで!」
店内に高坂の陽気な声が響き渡る。時間帯としてはちょうどお昼だったが、この日は空いていた。
「キミは何にする? 値段は気にせず、何でも好きな物を頼んで良いよ?」
何でも良いとは言うが、そもそも払うのはジェームズだ。奢ってもらう側である高坂が口にすべき台詞でないのは、誰の耳で聞いても明らかだろう。しかし、チーマー集団という力関係の中において、そのような世間一般における常識は通用しない。
図々しい男だなと思いつつも、俺は己の希望を述べた。
「……カルビで」
すると、高坂は店の奥に大きく呼びかる。
「この店でいちばん高いカルビ、10人前ちょうだい!」
彼の口から飛び出した数字の大きさに、俺は慌てて止めに入る。
「おいおい、そんなに食えねぇって」
「平気だよ。キミが残した分は僕が食うから」
そう揚々と注文を取りつけた高坂は、普段から健啖であるらしい。多い時には1回食事で白飯を5合、平らげたことがあるのだとか。
「ほんとかよ……」
疑いの目を隠さない俺をよそに、やがて注文した料理が運ばれてくるとトングで手際よく肉を焼き始めた。
「さて……そろそろ良いかな?」
数分後、適当なタイミングを見計らって高坂は肉を皿に取り分ける。しかし、肉にはピンク色の部分がまだ少し残っていた。
「ちょっと待てよ。焼けてねぇじゃん」
「大丈夫だよ」
半焼けのカルビを前に眉をひそめる俺に、高坂は得意げに語った。
「いいかい? カルビはね、こーゆう状態で食べるのがいちばん美味いのさ。もともとオイリーな肉だからね。焼きすぎると消し炭になっちゃう。程よく、余計な脂を落としてあげるくらいがちょうど良いんだよ。ほら、食べてみな?」
本当はあまり乗り気ではなかったが、高坂がこちらをジッと見つめるので仕方なく、ひと口は食べてやることにした。恐る恐る、口に肉を運んでゆく。
「……いただきます」
だがその瞬間、俺の中に衝撃が走った。
(う、美味い!!)
肉の香ばしい風味が、口いっぱいに広がったのだ。
ちなみにタレや塩などは、一切漬けていない。適度に脂分が落とされている事もあって、噛みしめる度にさっぱりとした味わいで満たされていく。焼肉自体は幼少の頃から何度も食べてきたが、ここまで美味い肉は初めてだった。
「どうだ?」
「ああ。悪くないよ」
すると高坂は、とびきり嬉しそうな声を上げた。
「本当かい? 良かったぁ! 1度、誰かに紹介したかったんだよねぇ。この食べ方」
妙にテンションの高い高坂。その姿はさながら、親の歓心を買うべく気を利かせたお手伝いを褒められ、はしゃいでいる子供のようである。流石にオーバーリアクションではないかとも思ったが、俺は素直に礼を言った。
「ありがとよ。教えてくれて」
高坂は嬉しそうに大きく頷いた。
一方でジェームズはと言うと、ただ黙々と肉を焼き、食べ進めるのみ。時折、ウーロン茶を飲んだりポケットから取り出した煙草に火を付けたりはしたが、言葉を発することは無かった。
そんな彼を全く気にすることなく、高坂は会話をこちらに振ってくる。
「キミ、いくつ?」
「15歳」
とても驚いているようだった。決して大袈裟ではなく、本当に目を丸くしている。
「マジで!? じゅ、15歳には……とてもじゃないけど。見えないなあ。俺と同い年か、年上だと思ってたよ……」
年上と誤解されることには慣れていたので、何も感じない。俺はそれ以上に、高坂の年齢が気になった。
「あんたはいくつなんだ?」
「20歳だよ」
高坂は顔つきに稚さが残っているわけでも、老いが進んでいるわけでもない。まさに年相応、といったところか。20歳だと言われると、自然と納得してしまった。
「俺より5つも上か……え、仕事とかしてんの?」
「してないよ。つーか、そもそも僕は大学生だし」
「えっ」
つい、聞き返してしまう。
「あんた、大学生なのか?」
「そうだよ。こう見えても僕、早稲田の2年生だからね」
想像をはるかに超えた答えに、俺は圧倒されてしまった。
「わ、早稲田大学って……」
この国における、ひと握りの秀才だけが進む事のできる難関私立大学にして、名門中の名門。そこに、目の前の男は通っているというのだ。にわかには信じられない話であった。高坂は、苦い笑みを浮かべる。
「嘘だろって顔してるな。何だったら、確認してみようか? ほら」
彼は財布から学生証を取り出すと、こちらに見せてきた
「ほ、ほんとだ……」
そこには『法学部2年』と『高坂晋也』の文字。住所まで書いてある。おまけに、その横には彼の精悍な顔写真。どこからどう見ても、本物であった。
チーマーでありつつ、早大生でもあるとは――。
実に珍しい“2足わらじ”である。気になった俺は高坂に学生証を返すと、思い切って尋ねてみた。
「もう1度聞くけど。あんた、アルビオンの頭目だよな?」
「うん」
「どうして、チーマーなのに大学に行こうと思ったんだ?」
ステレオタイプな偏見ではあったが、当時の俺の中で「大学生」と言えば、どうしても「ガリ勉メガネ」のイメージが強かった。少し前まで同じ学び舎にいた、隣のクラスの秀才少年・W君のせいだろうか。
両サイドを刈り上げたテクノカットに丸い銀縁眼鏡という、ファッション性の「ファ」の字も無い風貌だった彼とは対照的に、高坂は非常にオシャレで、端正なルックスをしている。
興味深そうに尋ねた俺に、高坂はにこやかに答えた。
「順序が逆だよ。僕は大学生だったけど、チーマーがやりたくなったのさ」
小中高と、いわゆる優等生であった高坂。
他人よりも勉強ができたのは勿論、運動神経においても人並み以上のものを持っていたという。高3の時分、運動部の全国大会にて好成績を収めたことから、某県の国立大から推薦の話が来るも「早稲田へ行きたい」との思いから、それを拒絶。
努力の末に、合格を勝ち取ったのだという。
「でも、どうして早稲田が良いと思ったんだ?」
「そりゃあ、僕が好きな芸能人が行った大学だからだよ。最も、その人は途中で辞めちゃってるけど」
「ふーん。変わった理由だな……まあ、いいや。で、チーマーになった理由は?」
「悪い。その前に、トイレに行かせてくれ」
そう言って立ち上がると、高坂は足早に便所へ行ってしまう。コーラを飲み過ぎたせいで、尿意を催してしまったのだろうか。やけに、せかせかとしていた。
残されたのは、俺とジェームズ。
「……」
当然、交わす言葉などは無い。互いに沈黙して、その場に気まずい空気が流れてしまうかに思われた。しかし、そうはならなかった。
「あのさ」
突然、ジェームズが口を開いたのだ。それまでは無口であった彼の突然の発声に、俺は一瞬驚く。
「ん、何だ?」
肉が焼ける環境音に織り交ざった静寂の中、ジェームズは震えるような声で言い放った。
「あいつは……高坂晋也は……リーダーなんかじゃねぇよ」