極道の宿命
それから、数分後。
「叔父貴! ご無事ですか!?」
10人は軽く超える数の男たちが、オフィス内にぞろぞろと入ってきた。皆、夏だというのにきっちりと着こなしたスーツ姿で、手にはそれぞれ拳銃を持っている。
背広の脇につけた代紋から、俺は彼らが中川会の増援部隊であることを即座に悟った。
「おう。遅かったやんけ。見ての通り、わしは大丈夫や。ケガもなんもしてへんで。お前ら、桜井んとこの若い衆か?」
「ええ、手前どもは桜井組の者です。組長のご指示で、駆け付けて参りました」
桜井組――。
目黒に事務所を構えており、本庄組と同じく中川会の直参にあたる。組長の桜井克衛とは普段から親しく付き合っているらしく、今回は本家からの緊急通達を受けて、真っ先に増援を派遣したとのこと。
「ほんま、おおきにな」
「いえいえ。叔父貴がご無事で何よりですよ。『兄弟によろしく』と、組長より言伝を仰せつかっております」
そんな彼らは本庄に対して軽い挨拶と雑談を済ませた後、その場にいた煌王会の連中を片っ端から連行していった。
「オラッ! さっさと立て!」
「……」
全員、とっくに銃を捨てて武装解除している丸腰の状態。事前に、生け捕りにせよとの命令でも出ていたのだろうか。後ろ手に関節を捻り上げると、有無を言わさず本庄組の事務所から連れ出していく。
「外の奴らは?」
「ご安心ください。既に片が付いております。本家からの指示通り、全員の身柄を抑えました。殺してません」
「そうか」
どうやら、事務所の外を囲んでいた連中も排除したようだ。こちらへ到着してから、ほんの10分足らずのうちの出来事である。かなり手際が良いと言えよう。一方で、俺の中では疑問が湧きあがってきた。
(どうして殺さないんだ……?)
村雨組は本庄組に対し、攻撃を仕掛けてきた。即ち、中川会全体に喧嘩を打ったことになる。普通に考えたら、その時点で戦争勃発。相手の素性を勘違いしていたとはいえ、敵の尖兵である里中たちは皆殺しにされるのが当然だ。
にも関わらず、彼らは生け捕りにされた。
もしかして連行された先で、処刑されるのだろうか。だが、それでは流石に二度手間が過ぎるというもの。殺すなら、この場でさっさと殺した方が、後々の面倒が省けるはずだ。そう思えて仕方がなかった。
「涼平。もう、大丈夫やで。出てきてもええで!」
増援が帰った直後、ロッカーの扉を開けることを許された俺。久しぶりに味わう新鮮な空気の涼しさ浸る間もなく、先ほどの疑問を本庄に直接ぶつけてみる。
すると、返ってきたのは意外な答えだった。
「殺すのは、まだ先になるやろな。しばらく、駒になってもらうわ」
「駒……だと?」
ふと意味が分からず首を傾げた俺に、本庄は語り始める。
「あのアホどもの攻撃、中川にとっては関西に攻め込む絶好の口実。せやけど当然、こっちも向こうの“返し”を受けることになるわな。そう考えた時に、いちばん厄介なのが、横浜。村雨組や。煌王系列の組の中で、東京に限りのう近い所にあるさかいな」
「……じゃあ、戦争の前に、まずは村雨組を潰しておくってことか?」
「せや。あそこは組長が、超が2つも3つも付くほどの武闘派や。わざわざ組の若い衆を使わんでも、あいつだけで中川全体を敵にまわして渡り合えるやろうな。ほんま、ごっついやっちゃ。のう、山崎!」
不意に話を振られた若頭は、慌てて返事をする。
「え、ええ! 左様でございます!」
そして俺の方に視線を移すと、やけに真剣な眼差しで言った。
「涼平。村雨耀介は本当にヤバい。その気になったら、あの男だけで東京を壊滅させられるくらいにな」
「そんなにかよ……」
「ああ。お前だって、何となく分かるだろ?」
少し前の記憶が、瞬く間に蘇る。
5月に元町のクラブで初めて対峙した時、村雨は全身に殺気を纏っていた。目元が鋭かったのは勿論、視線を合わせているだけで潰されてしまいそうなプレッシャーを放っていたのだ。
あの威圧感は、きっと彼の所業に由来しているのかもしれない。「残虐魔王」の異名は決して伊達ではなく、それに見合うだけの勇と剛毅果断ぶりを備えているのが、村雨耀介という男なのだろう。
自然と、納得がいってしまった。
「……まあ、言われてみれば」
「そうだよな。だから、真正面からぶつかるのは避けるべきなんだよ」
現状のまま戦争になれば、煌王会系の組長である村雨は必ず、最前線へ出てくるはず。そのリスクの芽を摘み取るためにも、開戦前に始末しておく必要がある。
頭の悪い俺でも同意できる、戦略としては十分に適切な理論だ。本庄によると、それには捕らえた里中たちを利用するという。
「まずは里中を締め上げて、向こうの情報を洗いざらい吐かせたる。次に、煌王の本家に戦争のニオイをちらつかせながら、“要求”を吹っ掛ける。煌王は今、警察の締め付けで屋台骨がぐらついてるさかい、戦争できる余裕があらへん。呑まざるを得んやろうな」
“要求”とは、曰く「村雨耀介の首」。煌王会本家の命で村雨を自害させ、彼の首を本庄組に差し出すこと。そうすることで、中川会との全面戦争を回避できると持ちかけるのだ。
「あとな、手打ちの条件には『村雨組の取り潰しとシマの割譲』を付け加える。んで、煌王が手放した横浜を本庄組がゴッソリいただく、っちゅう算段や!」
そう、上機嫌に言ってのけた本庄。聞いただけでは暴虎馮河な話に思えなくもないが、冷静に考えてみると横浜という街は、ヤクザのシノギの場として大いに魅力的だった。
世界レベルの国際貿易港を有し、その生産額は国内最大。また、同時に京浜工業地帯の中核を担う地域でもあって、日本有数の重工業都市としての面も兼ね備えている。
さらに、当時は国際総合競技場、国際プール、みなとみらいホールといった大規模なスポーツおよびイベント会場が次々とオープンしていた頃で、それらが生み出す利権を一手に支配すれば、自ずと莫大な富を得ることができよう。
本庄が目を輝かせるのも、無理はなかった。
「わしとしてはのぅ、煌王との戦争に興味はあらへんのや。ただ、横浜が手に入ったら、それでええ。派手に喧嘩をぶちかますより、シノギでぎょうさん儲けて、上納金の額をデカくした方がはるかに安全やし、楽に出世できる。今どきの任侠道っちゅうのは、そういうもんや。兎にも角にも『稼いだ者勝ち』。お前ら、よう覚えとき!」
「はい」
ニヤニヤとした笑みを交えながら豪語した組長に対し、山崎以下、組員たちは静かに頷くだけ。反論を投げたり、己の意見を述べたりする者は、誰も見受けられない。
きっと、彼らも基本的には本庄と同じ考えなのだろう。
だからこそ、旗揚げ時からの古参が続々と組を去っていった中でも、敢えて残るという道を選んだのだと思う。カネが全てという現代極道社会の本質をしっかりと、皆が理解している。そのように見えて、仕方がなかった。
一方、俺は事務所の中にあって1人だけ、複雑な表情をしていたと思う。頬を緩めることも、眉をひそめることもなく、ただぼんやりと視線を落として俯く物憂げな面持ち。
「……」
いつもとは違う俺の様子に、さぞ違和感を覚えたのであろう。その日、事務所を出てから宿所であるマンションへと帰る途中、山崎に問われた。
「何かあったか?」
「いや、別に」
適当に答えて、はぐらかそうとした俺。だが、察しの良い若頭は図星を突いてくる。
「もしかして、お前。気にしてるんじゃないのか? 村雨組が潰されちまうことを」
どんぴしゃり。
心の中で秘めていた思いをそのまま、表に引っ張り出されたような感覚であった。やはり、山崎は人の感情を読み取るのが上手い。初めて五反田に来た日もそうであったが、どうやら俺はこの男の前では、隠し事ができないらしい。
観念して、思うがままを吐き出してみた。
「……惚れた女がいる。村雨組の、組長の娘だ。俺は彼女に『ずっとそばにいてやる』と誓った。ちょっと、身体が悪くてさ。いま、治すためにアメリカへ行ってるんだけど。戻ってきたら、その、帰ってきたら……俺は彼女と、一緒になるつもりだ」
「ほう。それで?」
「あいつを孤独にしたくない。奪いたくないんだよ。“帰る家”を。あいつは自分が置かれた現実と向き合って、怖さを押し殺して外国へ行ったんだ。そこで受ける手術自体も、成功するかしねぇかは半々で、博打みてぇなもんらしい。けど、彼女は賭けてみることを選んだ。人生を前に進めるために」
想い人に、更なる悲劇を突きつけることはできない――。
絢華にとって、村雨組は唯一無二の“帰る家”だ。また、血の繋がりは無いにせよ、組長はたった1人の親であり、家族。どちらも、かけがえのない存在であろう。
これから本庄がやろうとしている事は、その両方を奪うことに他ならない。もしも村雨が死んで、組が解散するような事態になれば、絢華は永遠の孤独になってしまう。
「だから、嫌なんだよ……それだけは。絶対に」
心に溜めていた感情を伝えきった俺は、どこか胸の奥がスッキリとする気分であった。横浜を逃げ出してから、初めて他者に打ち明けた真意。おそらく、表情も自然と、晴れやかなものになっていたと思う。
しかし、こちらの話をすべて聞き終えた山崎の反応は、あまりにも冷ややかで、なおかつ淡白だった。
「綺麗事だな」
「えっ?」
「涼平。申し訳ないが、それはお前の自分勝手な願望に過ぎんぞ」
てっきり、肯定的な言葉が返ってくると思っていた。賛同まではいかずとも、ある程度は理解してもらえると踏んでいた。予想を大きく外れた否定の台詞に、呆気にとられた。忽ち、言葉が出なくなってしまう。
そんな俺に、山崎は言い放つ。
「どういう背景があろうと『村雨組が、中川会全体を敵にまわした』。これは、紛れもない事実だ。村雨耀介の命で落とし前をつけるしか、もはや道は無いんだよ。それが、俺たちの世界の掟ってやつだ。今さら、個人の願望や同情でどうにかなる問題じゃないんだよ」
「で、でも、それじゃあ絢華が!」
「絢華? ああ、村雨の娘の名前か。そいつは涼平、お前が身請けすりゃ済む話だろ。たしか今、手術でアメリカに居るんだったよな? なら、横浜じゃなくて五反田へ帰ってくれば良い。うちの親分だって、中川の本家だって、別に娘までマトにかけようとは思わねぇはずだからよ」
若頭の話は声のトーンが変わることなく、なおも続いてゆく。
「本庄組の盃を飲んで、その絢華とかいう女を嫁に貰う。それで万事、片が付くじゃねぇか。何の問題がある? まさか、お前。この期に及んで『村雨組に帰りたい』なんて、思ってねぇよな?」
「それは……」
「現実的に考えてみろ。そもそも、今回の件の発端はお前だ。横浜からトンズラこいて、うちの領地に飛び込んで来たのが全ての始まり。里中がカチコミをかけてきたのも、元はといえば、お前を捕まえるため。つまり、村雨組……いや、煌王会にとって、麻木涼平という存在は厄介事のタネ以外の何者でもないわけだよ。……気持ちは分かるが、グッとこらえて割り切るのがヤクザってもんだ。それがお前の“宿命”だからな」
「……」
返事に窮した俺の肩をポンと叩くと、山崎は穏やかに言った。
「涼平。さっき、お前は『あいつを孤独にしたくない』と言ったよな。だったら、添い遂げてやれば良いじゃねぇか。親父が死んでも組が潰れても、涼平が居りゃあ、その子は孤独じゃないんだ。なってやるのさ。お前が、その子の新しい家族に」
そういう問題ではない。だが、若頭として本庄組の安泰と繁栄を誰よりも願う山崎にしてみれば、きっとそれで済んでしまう問題なのだろう。うなだれる俺を置き去りに、彼はスタスタと歩いて行ってしまう。
山崎の最終目標はおそらく、俺を本庄組に入れること。
初めて会った時からそうであったが、結局はそこに誘導しようとしている。9日前に腹を割って話した際も、建前上は俺の意思を尊重する素振りを見せながらも、やはり最後には「うちに来いよ」という勧誘が飛んできた。
現実的に考えてみれば、このまま五反田に留まり続けることは、確かにベストな選択と言えるのだろう。他に行くあてもなく、帰る場所などは到に無くなっている俺にとって、それ以外に道は無いのかもしれない。
だが、どうにも納得できない自分がいた。心のどこかで、横浜への未練がましい情念のようなものが、いまだに湧き起こっていたのである。
(もう、横浜へは帰れないのか……)
涼しくなった真夏の夜風の中で、俺は悩むしかなかった。




