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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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極道の宿命

 それから、数分後。


「叔父貴! ご無事ですか!?」


 10人は軽く超える数の男たちが、オフィス内にぞろぞろと入ってきた。皆、夏だというのにきっちりと着こなしたスーツ姿で、手にはそれぞれ拳銃を持っている。


 背広の脇につけた代紋から、俺は彼らが中川会の増援部隊であることを即座に悟った。


「おう。遅かったやんけ。見ての通り、わしは大丈夫や。ケガもなんもしてへんで。お前ら、桜井んとこの若い衆か?」


「ええ、手前どもは桜井組の者です。組長オヤジのご指示で、駆け付けて参りました」


 桜井さくらいぐみ――。


 目黒に事務所を構えており、本庄組と同じく中川会の直参にあたる。組長の桜井さくらい克衛かつもりとは普段から親しく付き合っているらしく、今回は本家からの緊急通達を受けて、真っ先に増援を派遣したとのこと。


「ほんま、おおきにな」


「いえいえ。叔父貴がご無事で何よりですよ。『兄弟によろしく』と、組長より言伝を仰せつかっております」


 そんな彼らは本庄に対して軽い挨拶と雑談を済ませた後、その場にいた煌王会の連中を片っ端から連行していった。


「オラッ! さっさと立て!」


「……」


 全員、とっくに銃を捨てて武装解除している丸腰の状態。事前に、生け捕りにせよとの命令でも出ていたのだろうか。後ろ手に関節を捻り上げると、有無を言わさず本庄組の事務所から連れ出していく。


「外の奴らは?」


「ご安心ください。既にカタが付いております。本家からの指示通り、全員の身柄を抑えました。殺してません」


「そうか」


 どうやら、事務所の外を囲んでいた連中も排除したようだ。こちらへ到着してから、ほんの10分足らずのうちの出来事である。かなり手際が良いと言えよう。一方で、俺の中では疑問が湧きあがってきた。


(どうして殺さないんだ……?)


 村雨組は本庄組に対し、攻撃を仕掛けてきた。即ち、中川会全体に喧嘩を打ったことになる。普通に考えたら、その時点で戦争勃発。相手の素性を勘違いしていたとはいえ、敵の尖兵である里中たちは皆殺しにされるのが当然だ。


 にも関わらず、彼らは生け捕りにされた。


 もしかして連行された先で、処刑されるのだろうか。だが、それでは流石に二度手間が過ぎるというもの。殺すなら、この場でさっさと殺した方が、後々の面倒が省けるはずだ。そう思えて仕方がなかった。


「涼平。もう、大丈夫やで。出てきてもええで!」


 増援が帰った直後、ロッカーの扉を開けることを許された俺。久しぶりに味わう新鮮な空気の涼しさ浸る間もなく、先ほどの疑問を本庄に直接ぶつけてみる。


 すると、返ってきたのは意外な答えだった。


「殺すのは、まだ先になるやろな。しばらく、コマになってもらうわ」


「駒……だと?」


 ふと意味が分からず首を傾げた俺に、本庄は語り始める。


「あのアホどもの攻撃、中川にとっては関西に攻め込む絶好の口実。せやけど当然、こっちも向こうの“返し”を受けることになるわな。そう考えた時に、いちばん厄介なのが、横浜。村雨組や。煌王系列の組の中で、東京に限りのう近い所にあるさかいな」


「……じゃあ、戦争の前に、まずは村雨組を潰しておくってことか?」


「せや。あそこは組長が、超が2つも3つも付くほどの武闘派や。わざわざ組の若い衆を使わんでも、あいつだけで中川全体を敵にまわして渡り合えるやろうな。ほんま、ごっついやっちゃ。のう、山崎!」


 不意に話を振られた若頭は、慌てて返事をする。


「え、ええ! 左様でございます!」


 そして俺の方に視線を移すと、やけに真剣な眼差しで言った。


「涼平。村雨耀介は本当にヤバい。その気になったら、あの男だけで東京を壊滅させられるくらいにな」


「そんなにかよ……」


「ああ。お前だって、何となく分かるだろ?」


 少し前の記憶が、瞬く間に蘇る。


 5月に元町のクラブで初めて対峙した時、村雨は全身に殺気を纏っていた。目元が鋭かったのは勿論、視線を合わせているだけで潰されてしまいそうなプレッシャーを放っていたのだ。


 あの威圧感は、きっと彼の所業に由来しているのかもしれない。「残虐魔王」の異名は決して伊達ではなく、それに見合うだけの勇と剛毅果断ぶりを備えているのが、村雨耀介という男なのだろう。


 自然と、納得がいってしまった。


「……まあ、言われてみれば」


「そうだよな。だから、真正面からぶつかるのは避けるべきなんだよ」


 現状のまま戦争になれば、煌王会系の組長である村雨は必ず、最前線へ出てくるはず。そのリスクの芽を摘み取るためにも、開戦前に始末しておく必要がある。


 頭の悪い俺でも同意できる、戦略としては十分に適切な理論ロジックだ。本庄によると、それには捕らえた里中たちを利用するという。


「まずは里中を締め上げて、向こうの情報を洗いざらい吐かせたる。次に、煌王の本家に戦争のニオイをちらつかせながら、“要求”を吹っ掛ける。煌王は今、警察サツの締め付けで屋台骨がぐらついてるさかい、戦争できる余裕があらへん。呑まざるを得んやろうな」


 “要求”とは、曰く「村雨耀介の首」。煌王会本家の命で村雨を自害させ、彼の首を本庄組に差し出すこと。そうすることで、中川会との全面戦争を回避できると持ちかけるのだ。


「あとな、手打ちの条件には『村雨組の取り潰しとシマの割譲』を付け加える。んで、煌王が手放した横浜を本庄組わしらがゴッソリいただく、っちゅう算段や!」


 そう、上機嫌に言ってのけた本庄。聞いただけでは暴虎馮河な話に思えなくもないが、冷静に考えてみると横浜という街は、ヤクザのシノギの場として大いに魅力的だった。


 世界レベルの国際貿易港を有し、その生産額は国内最大。また、同時に京浜工業地帯の中核を担う地域でもあって、日本有数の重工業都市としての面も兼ね備えている。


 さらに、当時は国際総合競技場、国際プール、みなとみらいホールといった大規模なスポーツおよびイベント会場が次々とオープンしていた頃で、それらが生み出す利権を一手に支配すれば、自ずと莫大な富を得ることができよう。


 本庄が目を輝かせるのも、無理はなかった。


「わしとしてはのぅ、煌王との戦争に興味はあらへんのや。ただ、横浜が手に入ったら、それでええ。派手に喧嘩をぶちかますより、シノギでぎょうさん儲けて、上納金アガリの額をデカくした方がはるかに安全やし、楽に出世できる。今どきの任侠道っちゅうのは、そういうもんや。兎にも角にも『稼いだ者勝ち』。お前ら、よう覚えとき!」


「はい」


 ニヤニヤとした笑みを交えながら豪語した組長に対し、山崎以下、組員たちは静かに頷くだけ。反論を投げたり、己の意見を述べたりする者は、誰も見受けられない。


 きっと、彼らも基本的には本庄と同じ考えなのだろう。


 だからこそ、旗揚げ時からの古参が続々と組を去っていった中でも、敢えて残るという道を選んだのだと思う。カネが全てという現代極道社会の本質をしっかりと、皆が理解している。そのように見えて、仕方がなかった。


 一方、俺は事務所の中にあって1人だけ、複雑な表情をしていたと思う。頬を緩めることも、眉をひそめることもなく、ただぼんやりと視線を落として俯く物憂げな面持ち。


「……」


 いつもとは違う俺の様子に、さぞ違和感を覚えたのであろう。その日、事務所を出てから宿所であるマンションへと帰る途中、山崎に問われた。


「何かあったか?」


「いや、別に」


 適当に答えて、はぐらかそうとした俺。だが、察しの良い若頭は図星を突いてくる。


「もしかして、お前。気にしてるんじゃないのか? 村雨組が潰されちまうことを」


 どんぴしゃり。


 心の中で秘めていた思いをそのまま、表に引っ張り出されたような感覚であった。やはり、山崎は人の感情を読み取るのが上手い。初めて五反田に来た日もそうであったが、どうやら俺はこの男の前では、隠し事ができないらしい。


 観念して、思うがままを吐き出してみた。


「……惚れた女がいる。村雨組の、組長の娘だ。俺は彼女に『ずっとそばにいてやる』と誓った。ちょっと、身体が悪くてさ。いま、治すためにアメリカへ行ってるんだけど。戻ってきたら、その、帰ってきたら……俺は彼女と、一緒になるつもりだ」


「ほう。それで?」


「あいつを孤独ひとりにしたくない。奪いたくないんだよ。“帰る家”を。あいつは自分が置かれた現実と向き合って、怖さを押し殺して外国へ行ったんだ。そこで受ける手術自体も、成功するかしねぇかは半々で、博打みてぇなもんらしい。けど、彼女は賭けてみることを選んだ。人生を前に進めるために」


 想い人に、更なる悲劇を突きつけることはできない――。


 絢華にとって、村雨組は唯一無二の“帰る家”だ。また、血の繋がりは無いにせよ、組長はたった1人の親であり、家族。どちらも、かけがえのない存在であろう。


 これから本庄がやろうとしている事は、その両方を奪うことに他ならない。もしも村雨が死んで、組が解散するような事態になれば、絢華は永遠の孤独になってしまう。


「だから、嫌なんだよ……それだけは。絶対に」


 心に溜めていた感情を伝えきった俺は、どこか胸の奥がスッキリとする気分であった。横浜を逃げ出してから、初めて他者に打ち明けた真意。おそらく、表情も自然と、晴れやかなものになっていたと思う。


 しかし、こちらの話をすべて聞き終えた山崎の反応は、あまりにも冷ややかで、なおかつ淡白だった。


「綺麗事だな」


「えっ?」


「涼平。申し訳ないが、それはお前の自分勝手な願望に過ぎんぞ」


 てっきり、肯定的な言葉が返ってくると思っていた。賛同まではいかずとも、ある程度は理解してもらえると踏んでいた。予想を大きく外れた否定の台詞に、呆気にとられた。忽ち、言葉が出なくなってしまう。


 そんな俺に、山崎は言い放つ。


「どういう背景があろうと『村雨組が、中川会全体を敵にまわした』。これは、紛れもない事実だ。村雨耀介の命で落とし前をつけるしか、もはや道は無いんだよ。それが、俺たちの世界の掟ってやつだ。今さら、個人の願望や同情でどうにかなる問題じゃないんだよ」


「で、でも、それじゃあ絢華が!」


「絢華? ああ、村雨の娘の名前か。そいつは涼平、お前が身請けすりゃ済む話だろ。たしか今、手術でアメリカに居るんだったよな? なら、横浜じゃなくて五反田こっちへ帰ってくれば良い。うちの親分だって、中川の本家だって、別に娘までマトにかけようとは思わねぇはずだからよ」


 若頭の話は声のトーンが変わることなく、なおも続いてゆく。


「本庄組の盃を飲んで、その絢華とかいう女を嫁に貰う。それで万事、片が付くじゃねぇか。何の問題がある? まさか、お前。この期に及んで『村雨組に帰りたい』なんて、思ってねぇよな?」


「それは……」


「現実的に考えてみろ。そもそも、今回の件の発端はお前だ。横浜からトンズラこいて、うちの領地シマに飛び込んで来たのが全ての始まり。里中がカチコミをかけてきたのも、元はといえば、お前を捕まえるため。つまり、村雨組……いや、煌王会にとって、麻木涼平という存在は厄介事のタネ以外の何者でもないわけだよ。……気持ちは分かるが、グッとこらえて割り切るのがヤクザってもんだ。それがお前の“宿命”だからな」


「……」


 返事に窮した俺の肩をポンと叩くと、山崎は穏やかに言った。


「涼平。さっき、お前は『あいつを孤独にしたくない』と言ったよな。だったら、添い遂げてやれば良いじゃねぇか。親父が死んでも組が潰れても、涼平が居りゃあ、その子は孤独じゃないんだ。なってやるのさ。お前が、その子の新しい家族に」


 そういう問題ではない。だが、若頭として本庄組の安泰と繁栄を誰よりも願う山崎にしてみれば、きっとそれで済んでしまう問題なのだろう。うなだれる俺を置き去りに、彼はスタスタと歩いて行ってしまう。


 山崎の最終目標はおそらく、俺を本庄組に入れること。


 初めて会った時からそうであったが、結局はそこに誘導しようとしている。9日前に腹を割って話した際も、建前上は俺の意思を尊重する素振りを見せながらも、やはり最後には「うちに来いよ」という勧誘が飛んできた。


 現実的に考えてみれば、このまま五反田に留まり続けることは、確かにベストな選択と言えるのだろう。他に行くあてもなく、帰る場所などは到に無くなっている俺にとって、それ以外に道は無いのかもしれない。


 だが、どうにも納得できない自分がいた。心のどこかで、横浜への未練がましい情念のようなものが、いまだに湧き起こっていたのである。


(もう、横浜へは帰れないのか……)


 涼しくなった真夏の夜風の中で、俺は悩むしかなかった。

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