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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第5章 横浜制圧計画
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釣果

本日より、第5章開幕です!

よろしくどーぞ(∩´∀`)∩

 1998年7月21日。


 品川区五反田の本庄組事務所は、朝から慌ただしかった。組長が午前9時前に正装で出かけて行ったかと思えば、入れ替わるように次々と来客が押し寄せてきたのである。


【品川区都市計画課 課長】


【東京都都市開発公団 理事長】


【清中建設株式会社 専務取締役】


【有限会社阪口工務店 代表取締役社長】


【東京都まちづくり公社 常務取締役】


 諸事情により実名を載せることはできないが、訪問者が置いていった名刺は計5枚。皆、高級感の漂う紙袋に入った菓子折りを持参し、留守居役の山崎に恭しく頭を下げていた。


「これから、何卒よしなに」


「ええ。お任せください! モールの完成まで、私どもが責任を持ってお手伝いいたしますので。何も、ご心配は要りませんよ」


「それは心強い。いやあ、やっぱり本庄組さんにお願いして良かったです」


 そうした会話を若頭と客が繰り広げる傍ら、俺はできるだけ邪魔にならぬよう、給湯室で息をひそめていた。そして、静かに聞き耳を立てる。


「……着工は、このまま予定通りですと1998年9月。竣工は再来年、つまりは2000年の1月を目標にしております。地上9階建てで、地下には駐車場も完備。9階は、区役所の駅前庁舎として活用する方針です!」


「なるほど。で、予算は?」


「ええっと……ですね。最低でも、200億円の計上が可能となっております」


 手元に抱えた冊子を見ながら、上機嫌で説明する区の職員。彼が視線を落とした先には『大井駅前第二地区第一種市街地再開発事業 要綱』と太文字の明朝体でタイトルが羅列されている。


 難しい話はよく分からないが、かなりの額を注ぎ込めるようだ。実務を担う者としては、まさに願ったり叶ったりの話であろう。無論、来客の説明に相槌を打つ山崎の声は、いつになく上機嫌だった。


「おおっ! それは有り難い話だ。大枚はたいて土地を確保した、甲斐があったというものです。うちの親分も喜ぶでしょう」


「良かったです。あの、ちなみに組長さんは今どちらに……?」


「ああ、今日は所用で出かけておりまして。どうしても外せないんですよ。後で私の方から伝えておきますので、どうかご安心ください」


「そうでしたか。では、くれぐれもよろしくお願いいたします!」


 終始和やかなムードのまま、再開発工事の開始時期の大まかな段取りを決定し、会談は終わりを告げる。山崎が渡した土産品を抱えて、来客たちは揚々と事務所を後にしていった。


 ちなみに、本庄が関係者との打ち合わせよりも優先した“所用”とは、同日に中川会本家で開催された最高幹部会。そちらの呼び出しを受けていたために、彼は会談の場に同席することができなかったのである。


 客が残したアイスティーのグラスを片づけている時、山崎が言った。


「親分は今日、赤坂にある中川の本家屋敷に顔を出してんだ。例の再開発の件を報告するためにな。このまま計画通りに事が進めば、馬鹿デカい規模の上納金アガリになるからよ」


「へぇ」


「んで、もしそうなったら……親分はきっと、幹部の地位を手に入れられる。うちの組にも、これでもかってくらいにカネが入るだろう。大井駅前にモールを作るってのは、それだけデカいシノギなんだよ」


 なお、本家の幹部になるということは即ち、中川会の意思決定機関たる最高幹部会での発言権を手に入れるということ。2万5000人の構成員を抱える巨大組織の運営に参画できるのだから、大した出世といえよう。


 また、山崎はこうも続けた。


「親分は今年の秋で、40歳になられる。前にも話したと思うが、その年齢で直参になった人間は中川会じゃ他にはいない。だから幹部になれば、これまた史上初。親分が持ってる『最年少記録』が、1つ増えるということだ」


「す、すげぇ話だな……」


「おうよ。もちろん、組の勢いだって強くなる。親分の盃を貰いてぇって連中もわんさか集まってくるだろうし『中川会の若手最有力』ってことで、美味いシノギの話が今以上にバンバン飛び込んでくるようになるだろうぜ」


 組長を含めて9人しかいない本庄組の現状からは、あまりにも想像しがたい展望である。だが、幹部の座を手にすれば図らずとも、そうなるのであろう。明るい未来を予想してしまうのも、無理はないように思えた。


 とはいえ、未だ正式に決まった話でもない。再開発の件はともかく、本庄の幹部昇格は現時点で、山崎の中における絵に描いた餅でしかないのだ。少々厳しい言い方をするならば、希望的観測の度が過ぎている。


(なんか“捕らぬ狸の皮算用”って気がするんだよなあ……)


 俺はどうも、突如としてひかれた青写真に首を傾げずにはいられなかった。一方、すっかり浮かれ気分の山崎は目を輝かせながら、ポケットから取り出したタバコに火をつける。


「……ふう。これから、本庄組うちはどんどんデカくなるぜ。名前と代紋が、日本中に知れ渡るんだ。そしたら、あちこちから優秀な若い奴らが集まってくる。んで、瞬く間に所帯もデカくなる。そして最終的には、中川会でも指折りの派閥が出来上がるってわけよ。どうだ? 良いだろ?」


 良いも何も、まだ気が早い話だ――。


 そんな冷ややかなツッコミの言葉は、舞い上がってしまった若頭にはもはや無意味である。指摘してやりたい気持ちをグッとこらえ、俺は作り笑いを浮かべて応じた。


「あ、ああ! さすがは本庄組だな。憧れるぜ」


 すると、山崎はさらに目を細める。


「だろ? お前も、そろそろ真剣に考えた方が良いぞ。今のうちに親分の盃を貰っておけば、組がデカくなった時に偉くなれる。10年先まで見積もったって、決して悪くはない将来ビジョンだと思う」


「将来ビジョン、か……」


「そうだ。このご時世、一流の大学を出たエリートだって働き口に困ってんだ。お前みたいな中卒の人間が、カタギの世界でまともに食っていけるわけねぇだろ。だから、いっそここらでビシッと覚悟を決めて極道の世界へ飛び込む。そうすりゃ、所帯くらいは持てるだろうな」


 心の中で、俺は大きなため息をついた。


(はあ。また、始まったよ……)


 ここ最近、山崎は何かにつけて俺に「本庄組へ入れ」と、誘いの言葉を投げかけてくるようになったのだ。組長の偉大さや、その盃を受けることの良さを延々と語った後、しまいには俺の将来の話を持ち出して畳み掛ける。


「ちゃんと考えた方が良いぞ。自分の“これから”をな」


 例によって、今回もその台詞で締めくくった山崎。


(ったく。余計なお世話だっつーの)


 俺とて、己の未来について全く思考が及んでいないわけではない。むしろ、十分すぎるくらいに考えている。わずかな空き時間を見つけては、その事で頭をいっぱいにしていたくらいだ。


 村雨組に戻り、絢華と添い遂げる――。


 これに尽きる。横浜から逃げ出し、五反田での潜伏生活が始まり、その傍ら本庄組のシノギを手伝う毎日を繰り返す中においても、想い人の存在を忘れたことは一瞬も無かった。


 出来ることなら今すぐ、彼女の元へ飛んでいきたい。だが、俺には手立てが思いつかなかった。それゆえ、淡々と時間だけを食いつぶす日々を過ごしてきたのだ。


(いつか、必ず戻ってやる。とりあえず今は、大人しくしておくか……)


 思考の海の底で生じ始めた不安の波を静めるかのように、俺は決意を固め直す。そして、若頭の言葉は頭の中で軽く受け流し、以降の時間は無言で雑用仕事に没頭し続けたのだった。


「……」


 それから、数時間後。


「おう。帰ったで!」


 本庄が、事務所に戻ってきた。蒸し暑い気候には見合わぬ正装のダブルジャケットを羽織り、額にはうっすらと汗の滴が浮かんでいる。そんな彼の入室に気づくや否や、居並んだ子分たちは一斉に起立し、気をつけの姿勢で立礼をした。


「ご苦労様です!!」


 正式な組員ではないが、俺も雰囲気に流されるまま頭を下げる。場の空気を読み、無用なトラブルを避けるという意味でも、そうした方が適切であると判断したのだ。


 ちなみに、出迎えの挨拶に参加するのはこれが初めてではない。居候生活を始めてから3日目くらいで、周囲と一緒に頭を下げるようになっていた。理由は、前述の通り。状況に身を委ねたに過ぎない。


 しかし、そんな俺の姿は本庄組長にとって、どこか滑稽に見えていたようである。若干の失笑を交えて、肩をポンと叩かれた。


「おいおい、涼平。そないにカタくならんといてぇや。まるで、ほんまもんの子分みたいやないけ。まだ、盃下ろしたわけとちゃうんやで?」


「あ、いや。俺は……」


「せやけど、さまにはなってきてるけどな。極道になりたいんやったら、作法は早いうちに身につけなあかん。それが出世の近道やさかいな。お前もちょいちょい『見て学んできた』ってことやな。まあ、精進せぇや。はっはっはっ!」


 そう笑い飛ばした本庄はジャケットを脱ぐと、近くにあったソファーによっこらせと腰を下ろす。そして渡されたタオルで汗を拭きながら、呟くように言った。


「……幹部の話やけどな。あかんらしいわ」


 その瞬間、側にいた山崎が素っ頓狂な声を上げる。


「えっ!?」


 驚愕のあまり、彼は腰が砕けそうになっていた。表情も完全に、間が抜けている。口はあんぐりと開き、唇は小刻みに震え、両目は丸くなっている始末。まさに、呆気にとられた顔とでもいうべきか。


 そんな若頭を尻目に、本庄は皆に言った。


「幹部になるには、どうも足りひんみたいや。本家を納得させるだけの実績がな。大井町再開発計画っちゅうデカいシノギを手土産にしても、まだ及ばんらしい……執行部の中には、わしの昇進に反対しとる者もおるようやしな」


 本庄の幹部昇格に、反対を唱える者――。


 その人物に心当たりがあったのか。前波が、そっと問いかける。


「もしかして、伊東一家の三代目ですか?」


 聞き慣れぬ単語の登場に戸惑う俺だったが、本庄は大きく頷いた。


「そうや。大原のダボや。お前、よう知っとるなあ」


「やっぱり……どうも、嫌な予感がしてたんですよねぇ。伊東一家の連中、うちを目の敵にしてますから。この間だって、シマにちょっかい出してきやがったし」


「無理もあらへんわなあ。あいつ、なかなかの苦労人やさかい。大方、わしがわこうして直参に昇ったのが癇に障るんやろう。まったく、見苦しいもんじゃのう。男の嫉妬っちゅうのは」


 会話の中で出てきた「大原のダボ」とは、三代目伊東一家総長の大原おおはら征信ゆきのぶのことを指す。本庄と同じく、中川会の直参に名を連ねる男である。


 若いうちから組の汚れ役を押し付けられ、親のために何度も服役を繰り返した過去を持つという大原は、これまで順風満帆な渡世を歩んできた本庄とは、まさに対極の存在。両者の間に確執が生まれるのも、当然であった。


「いまのとこ、直参の中では大原がいちばん上納金アガリを納めてるさかいな。かくなる上は……あいつよりもガッポリ稼いで、誰も文句が言われへんような手柄を獲る。それしかあらへん。お前ら、頼むで?」


 ライバルよりも多くの成果を上げて、周囲に認めさせる。単純かつシンプルな方法であるが、現状で本庄が幹部に昇格する方法としては、これが最も手っ取り早い。組員たちは皆、威勢の良い返事をした。


「はい!!」


 やはり、組長が幹部になれば自ずと、己の出世の道も開けてくるのだろう。どうぞ任せてくださいと言わんばかりに、前波たちの瞳には力強い英気がみなぎっていた。


 一方、1人だけ態度の違う男がいた。山崎である。


「……」


 呆然とした様子を崩さないまま、視線を宙に泳がせ、無言で立ち尽くしている。てっきり、彼は本庄組長が幹部昇格の話を土産に帰ってくるものと、思い込んでいたのだろう。アテが外れた衝撃というものは、思いのほか強いようだった。


(ったく……そうなると思ったぜ)


 同情の余地はあったが、そもそもは独りよがりな有頂天に陥っていただけのこと。勝手に過度な期待を寄せて、勝手に失望したのだ。にも関わらず意気消沈する若頭の姿に、俺は開いた口が塞がらなかった。

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