無宿者の性
真犯人は、本庄組長――。
ジェームズの口から突如として姿をのぞかせた、思いもよらぬ答え。真実か嘘か、信じるに値する情報か否かを見極める以前に、正面から受け止めることができなかった。
「な、なんだと……!?」
それ以上の言葉が、まるで出てこない。目を丸くして事前に頭の中で用意していたいくつかの可能性よりも、ずっと衝撃の度合いが高かったのである。
愕然とする俺に、ジェームズは言った。
「その様子じゃ、聞かされてなかったみてぇだな。ま、無理もない。お前がどういう流れで本庄組に入ったのかは知らんが……とんだ食わせ者だぞ。あの関西人は。上辺だけニコニコ振る舞ってるが、腹の底にはドス黒いものを抱えてやがる。目的のためなら、テメェの子分も平気で騙す男だ」
その瞬間、少し前に前波から聞かされた話が脳裏をよぎる。
『俺が入った時には30人くらい、居たんだけどな。色々あって、みんな辞めてったよ。直参へ昇格した時に、ガクッと減っちまったのさ』
『バックレた連中は、みんな「親分のやり方についていけなくなった」って言い残してた。全員に共通してるのは、親分への不信と恐怖だわな』
『関西から身ひとつで出てきて、東日本の裏社会をテメェの腕と頭だけでのし上がったんだ。あれくらいの狡猾さが無けりゃ、やっていけないだろうよ』
前波の声で脳内再生された、決して良いとは言えぬエピソードの数々。これらが急に、生々しさを帯びてくる。自分の中における本庄利政という男の印象が、徐々に悍ましいものへと変わり始めた。
(言われてみれば……)
点と点が繋がった俺は、静かに言葉を放つ。
「なあ、聞かせてくれよ。お前、知ってるんだろ? あの人が大井の商店街で、何をやろうとしてんのか。最終的に、何を企んでるのか」
「いいぜ。お望み通り、教えてやるよ。フフッ」
こちらの頼みをすんなりと承諾したジェームズは、返答の最後に軽く吹き出した。あの言動に分かりやすい名詞を当てはめるとするならば、おそらくは「冷笑」。
本庄組の人間であるにも関わらず、一連の事件の真相を知らされていない俺が、ひどくマヌケに思えたのだろう。瞳の奥にも、少なからぬ嘲りの意思が見て取れる。
彼は数秒の間を置いた後、ゆっくりと語り始めた。
「すべての発端は、区に大井駅周辺地域を再開発するプランが持ち上がった事だ。今ある住宅や店をいったん全て壊して、まるっきり新しいのに作り変える大掛かりな計画さ。んで、本庄はそれに食い込もうと考えた」
「食い込む……どうやって?」
「再開発の対象になる土地を根こそぎ買い漁って、そいつをまとめて区役所にデカく転売する。まあ、バブルの時代なんかに流行った『土地転がし』ってやつだな。上手くいけば、10億は軽く超える額の金が入り込んでくるからよ。本庄にとっては、なかなかに美味ぇ話ってわけだ」
「なるほどな」
そうした“旨み”を狙って動き始めた本庄組長は、五反田にある不動産会社の経営を事実上乗っ取り、そこを隠れ蓑にして自らの顔と名前を隠し、巧妙に土地の買収を進めていったという。
だが、そんな中で思わぬ問題に直面する。
「近隣の住民が、一斉に反対を叫びやがったんだよ。中心になったのは、商店街のジジイやババアども。連中にとって、駅ビルにショッピングモールができるのは死活問題だからよ」
「……まあ、たしかに。モールができたら、わざわざ商店街まで足を伸ばす客が減るだろうからな。でも、あの地域は再開発の対象じゃなかったはずだろ。立ち退かせる必要もないわけだし、無視しても良かったんじゃねぇのか?」
「それが、そうはいなかったんだよ」
「どういうことだ?」
ため息をつきながら、ジェームズは言った。
「いまの区長は選挙の時、マニフェストで『近隣住民の理解が得られない公共事業の白紙化』を掲げてたんだ。ざっくり言えば1人でも反対者がいる場合、その工事はやりませんよってこと。だから、天ぷら屋の小國ってジジイが集めた反対の署名と意見書が区役所に届いた時点で、計画の白紙化が検討されたんだよ」
当然ながら、再開発は区の公共事業。ゆえに区のトップたる区長が「中止にします!」と言えば、一瞬で話が吹き飛んでしまう。ただ、そう簡単にはいかない事情もあったようだ。
「区役所の中には、ゼネコンと繋がってる人間もいてな。特に、区の都市計画課なんか、清中建設のお偉いさんとズブズブの関係だぜ」
「清中って言えば、けっこうデカい会社だよな?」
「そうだ。土建業界では国内第2位の、名前を出せば皆が知ってる超大手だ。そこの営業部門の最高責任者が毎月ごとに『接待』って名目で、区の管理者連中に札束を握らせてるんだよ。だから、貰ってる側としては清中の手前、再開発が中止になったら困るわけだ」
以前、俺は品川区役所の人間が本庄組の事務所から出てくる場面に、出くわしたことがある。ただ通り過ぎてゆくのを黙って見ていただけなのだが、去り際に彼らは1枚の名刺を落とした。そこには、たしかにこう書いてあったと思う。
【品川区 都市計画課 課長補佐】
俺の中で、ようやく合点がいった。
「それで、区役所の人間は本庄組を頼ったのか」
「水面下でな。もちろん、本庄にも再開発を絶対に中止させたくない理由があった。何せ、あいつはその時点で土地の買収を7割方終えてて、既に億単位の金を注ぎ込んでたんだからな。区長の意向だろうが、退けやしねぇよ」
実務を担うゼネコンと癒着し、多額の賄賂を受け取っていた品川区の都市計画課。そして、土地の買収に多額の資金を投じている本庄組。両者とも、再開発が中止になれば忽ち、大損害を被ってしまう。
「……なるほど。要は、利害の一致ってやつだな?」
「その通り。区の人間は、本庄に『商店街を潰してくれ』と依頼した。商店街のアホどもは、どんなに説得したところで賛成に転じる事は無いからな。その土地で商売をしている限り、生活を守るために反対し続ける。かと言って、区が補償金を提示してどうにかなる奴らでもない。小國に至っては『その土地に古くから住み続ける者の権利だ!』とか抜かしやがって、テコでも動かねぇ腹だったらしい」
「フフッ。あの爺さんなら、言いそうだな」
品川区は大井町商店街に対し、再開発を承認する代わりの補償金を提示して、何度も歩み寄りを試みた。しかし、小國は「自治会の総意」として受け取りを拒否。交渉に訪れた区の担当者を悉く追い返し、一貫して反対の意思を貫く構えを見せた。
そうした頑固者たちを黙らせるには、もはや存在ごと消すしかない――。
事態を穏やかな方法で解決することを断念した都市計画課は、その考えに至ってしまった。そして、彼らの頼みを引き受けた本庄組は、恐ろしい方法で解決を目指してゆくことになる。
上着ポケットから取り出したタバコに火をつけると、ジェームズは再び語り始めた。
「本庄が俺らの元に初めて現れたのは、6月のアタマくらいの時期だった。目黒川沿いの橋の下で、仲間と一緒にゴミを漁ってたら突然、声をかけられてさ。『お前たち、腹が空いとるんか? 良かったら、飯でも奢ったろか?』って、持ちかけてきたんだ」
「それで、付いて行ったと?」
「ああ。人間、空腹には敵わねぇよ。見るからに怪しくて、ヤバそうな雰囲気だったけど、あの状況で飯を提示されたら嫌でも、体が反応しちまうよ。まさに本能ってやつだな。人間の」
当初は「村雨組の追手か」と怪しんだそうだが、本庄が自らの肩書きと身分を素直に明かしたため、誘いに乗る事に決めたジェームズたち。彼らは、本庄の属する中川会が村雨組の上部にあたる煌王会とは事実上の冷戦状態にあるため、引き渡される可能性は皆無だと判断したらしい。
「で、それからどうなったんだ?」
「あの男が贔屓にしてる蕎麦屋へ連れて行かれて、たらふく食わせてもらったよ。その時に『何で、あそこでゴミを漁っとったん?』って聞かれてな。おれたちは、横浜でチーマーやってた事とか、しくじって村雨に追われてる事とか、行き場が無くなってる事とか、あれこれ話した。そしたら、本庄は『そうか。しんどかったなあ』って、やけに親身になって聞いてくれたんだよ」
そして話が終わると、こんな提案をされたという。
「やけに、真剣そうな顔で言われたんだ。『いま、ちょうど金をぎょうさん稼げるヤマを抱えてんねんけど。乗らへんか?』って」
盃を貰ってヤクザになる、ならないといった堅苦しい問題では決してなく、ただ一定期間、組のシノギを手伝えば良いというだけ。たんまりと報酬を貰える上に、その間の生活は本庄が保証してくれるという好条件もあって、ジェームズたちは即決したらしい。
「断るなんて、俺たちにはできなかったよ。それが行き場のない奴、つまりは無宿者の性なのかもしれん。目の前に餌をぶら下げられたら、自然と体が引き寄せられちまうんだ。その先に、何が待ち受けていたとしてもな……」
タバコの火を燻らせながら、ジェームズの話は続いていった。
思い返してみれば、
涼平も似たようなルートを
辿ってますよね。
村雨組に追われて行き場を無くし、
彷徨っている所を本庄組に
声をかけられたという点で、
2人は共通してます。
ただ、そこから先は
ぜんぜん違いますが……(笑)。