真犯人
「お前、ジェームズじゃねぇか!!」
ジェームズ――。
横浜にいた際、チーマー集団「アルビオン」で一時的な共闘関係にあった男である。グループ内では頭目だった高坂晋也に次ぐナンバー2の地位で、リーダーのお気に入りだった俺とは、事あるごとに口喧嘩が絶えなかった。
喧嘩の腕もそこそこ強く、俺や高坂には及ばないものの乱闘沙汰の際には、常に最前線で暴れまわっていたほど。高坂がやって来るまではリーダーを務めていたというだけあって、人並み以上の胆力も兼ね備えていたと思う。
そんなジェームズとは、俺が村雨組で働き始めて以降、まったく音沙汰が無かった。実に、2ヵ月ぶり。彼の顔は以前よりも心なしか、やつれているように見えた。
「お前、ずいぶん痩せたなあ……」
青く染め上げた髪に蛇のような細長い切れ目という大まかな顔つきは、最後に会った時と変わっていない。しかし、よく観察してみると頬の肉が悉く消えて、げっそりとしている。
顎の周囲や首元の脂肪も完全に落ちており、きわめて細い。さらには、睡眠時間も足りていないのだろうか。目の下には、くっきりと隈が広がっている有り様だった。
あまりの変わりように驚いた俺に、ジェームズは呟くような声で応じる。
「……テメェには関係ねぇだろ。俺も、いろいろあったからな」
キツネの覆面を被り、不気味な雄叫びを上げた先ほどの姿からは考えられぬほどに、ジェームズからは生気が消えていた。視線はぼんやりと宙を泳ぎ、呼吸も荒い。
ひどく、疲れている――。
しばしのブランクを空けて再会した男の印象は、それに尽きた。疲れているといっても、単なる疲労や息切れの類では決してなく、心身ともに不調を来している様子が何となく伝わってくる。
ただ、ここで問うべきは彼の健康状態ではない。
何故、電柱の陰から本庄組の事務所を見つめていたのか。何故、キツネのマスクを被っていたのか。そして、他の仲間と共に大井町を襲っていた理由は一体、何なのか。
彼の口から、それらを直に聞き出す必要があった。
「お前、こんなところで何やってんだ? 」
「……そりゃあ、こっちの台詞だぜ。そもそもお前、何で本庄組にいるんだよ。てっきり、村雨にブチ殺されたと思ってたが」
「質問してんのは俺だ! ちゃんと答えろ! ジェームズ、さっきはどうして事務所をジロジロ見てたんだ?」
「さあな。テメェが知る必要はねぇだろ」
ジェームズが大井町を襲った集団の一員であることは、被っていたマスクの材質や背格好を考えても、ほぼ間違いが無い。彼が他の仲間と共に、徒党を組んで凶行に及んでいたと見るのが自然だろう。
問い質す俺の口調には、自然と力が込められていった。
「誰に雇われた? お前らの背後にいるのは、煌王会か?」
「知るか」
「何の目的で、あんな真似をしたんだ?」
「だから、知らねーって! しつけぇ奴だなぁ。だいたい、知ってたとしてもテメェなんかに話すわけねぇだろっての!」
こちらが矢継ぎ早に繰り出した詰問を悉く、はぐらかして見せたジェームズ。彼としては知らぬ存ぜぬを通すつもりのようだったが、俺の中では疑念がますます深まっていった。
その取って付けたような誤魔化しの口調から、決して少なくはない「焦り」の感情が伝わってきたのだ。真実に触れられることを恐れ、己の責任を免れようとしている思いからくる「焦り」。
(こいつ、100%“クロ”だな)
確信を抱いた俺は少しだけ、方法を変えてみることにした。
「……フッ。たいした奴だ。お前のこと、甘く見てたわ。普通に問い詰めるだけじゃ、まるで口を割らないんだもんな。さすが、チーマーやってただけの事はあるぜ……でも、お前がそうやってダンマリを決め込むんなら、俺にだって考えがある」
「ああ?」
「簡単な話だ。さっきよりもっと……痛い目に遭ってもらうんだよッ!」
言い終わる前に、右手が動いた。
――バキッ!
完全にマウントを取った体勢から、顔面に拳を浴びせてやったのである。
「ぶはっ!!」
言うまでもなく、クリーンヒット。ジェームズの顔は苦痛に歪んだ。その模様を視認するや否や、俺は更なる一撃を浴びせる。
――ボコッ!
力任せに殴った鼻からは、勢いよく血が噴き出し始めた。それでも、俺は攻撃を止めない。うつろな目になったジェームズの髪を引っ張って起き上がらせると、今度は近くにあったフェンスに押し付け、左手で首元を締め上げた。
「うっ……うぐッ!?」
呼吸ができなくなったのか、ジェームズは忽ち苦悶の表情を浮かべる。その状態から、俺は腹部めがけて連続でパンチを食らわせた。
――ドガッ! ドガッ! ドガッ!
頸動脈を締め上げた上に、何度も腹を殴打するというシンプルかつ、苛烈な拷問。先ほどの逃走劇で、人通りの少ない路地に入り込んだのが幸いした。誰かに目撃されていなくて、本当に良かったと思う。
ちなみに俺は、誤って窒息死させてしまわぬよう、頸部の圧迫には数秒ほどの間隔を挟んだ。これから情報を聞き出さねばならないのに、相手を殺してしまっては元も子もないのである。
だが、それが却って死の恐怖を煽ったようだ。強情にも黙秘を貫いていたジェームズも、一連の動作の繰り返しが6回目に達するあたりで、ついに根を上げてしまった。
「もっ、もう止めてくれ! 話す! ぜんぶ話すから! !」
「……本当か?」
「本当だ! お前が知りたい情報は、ぜんぶ話してやる! だから、もう殴らないでくれ! 頼む!!」
ようやく、ジェームズは口を割る気になったようだ。
「そうかよ。手間かけさせやがって……オラッ!」
最後に彼の顔面を思いっきり殴ってから、俺は掴んでいた手を乱暴に離した。すると、ジェームズはその場に倒れ込む。そして腹を押さえてうずくまり、数秒ほどの沈黙を挟んだ後、口から勢いよく血を吐いた。
「オウェェッ!」
先ほどの顔面パンチが効きすぎたせいか、口の中で出血を起こしているのが見て取れた。その光景に「汚ねぇな」と眉をひそめながらも、いちおうはジェームズが話せる状態になるまで待ってやることにした。
しかし、彼は大きく肩で息をするだけで、話し始める気配が無い。
「はあ……はあ……」
業を煮やした俺は、胸倉を掴んで脅した。
「おい、喋るならさっさと喋れや。あんまりグズグズしてっと、さっきのやつをもう1回やってやるぞ?」
「わかった! 話すから! 全部説明するから!!」
戦慄で全身を竦ませながら、必死で呼吸を整えるジェームズ。その姿はさながら、蛇に睨まれた蛙。彼がようやく腹の奥底から紡ぎ出した言葉には、震えが混じっていた。
「話せば、その、長くなるんだけどよ。すべての発端は、俺らが村雨組の標的にかけられたことだった」
俺と高坂がクラブ・フェアリーズへ“直談判”に赴いて以降、アルビオンを始めとした横浜のチーマー達が、村雨組に追い込みをかけられるようになったのだという。
「村雨組の組長は、俺たちが本職の極道の真似事してたのが、気に入らねぇみたいでよ。『横浜からチーマーを1人残らず消せ!』って、下のモンに号令をかけやがったんだ。んで、アルビオンだろうが他グループだろうが、徹底的にシメられるようになったんだ」
そんな“チーマー狩り”から逃れるべく、メンバーたちは散り散りになって街を出た。ジェームズは当初、実家がある横須賀方面に逃亡しようとしたものの、既に村雨組の手が及んでいたために断念。以降、生き残った4人の仲間と共に各地を転々する生活が続く。
「できるだけ目立たねぇように、ホテルや旅館で暮らしてたけどさ。持ち金には限りがあるからな。けっこうギリギリの暮らしだったよ。ああ、たしか河川敷に生えてる雑草を食った事もあったっけ……! あれはマジで、しんどかったわ」
「で、あちこちを逃げ回ってるうちに、東京へ辿り着いたってわけか?」
「そういう事だな。ここら辺は中川会の仕切りだから、村雨組は入って来られねぇと思ったんだ」
自嘲気味に語ったジェームズの瞳は、疲労の色で満ち溢れていた。きっと、ここへ来るまでの過酷な生活を思い出し、いささか感傷的な気分になってしまったのだろう。
だが、同情してやる暇は無い。躊躇わず、俺は本題を切り出す。
「話を戻す。ジェームズ、もう1度だけ聞かせてもらうぞ。お前は先月、仲間と一緒に大井町を襲った。間違いはねぇか?」
今さら隠しても、無意味だと思ったのか。ジェームズは素直に頷いた。
「……ああ。間違いない」
「一緒に居たのも、アルビオンの連中か?」
「そうだ。皆、逃げる時に一緒だった奴らだよ」
動物マスク集団の正体――。
それは、横浜のチーマー集団・アルビオンだった。グループ自体は村雨組の掃討によって壊滅したが、その残党たちが東京へ逃れてきて、大井町で暴れていたのである。
(ふう。ようやく、分かったぜ)
胸の奥でずっと燻ぶり続けていた疑問の結晶が、少しずつ融解してゆくのを感じた。日常に例えて言うならば、喉に刺さった焼き魚の骨が取れた瞬間だろうか。あれと同じレベルの爽快感が、一気に俺を包み込んだ。
しかし、質問はここで終わりではない。ジェームズにはまだ、この件における根本的な部分を尋ねていないのだ。どのような手を使ったとしても、それだけは確実に聞き出す必要がある。
場合によっては2度目の拷問を行う決意を心に忍ばせ、俺は単刀直入に問うた。
「どうして、商店街を襲ってたんだ?」
すると、答えは思いのほかスムーズに返ってくる。
「頼まれたからだ。『商店街を滅茶苦茶にしろ』って」
「……煌王会にか?」
「違う。っていうか、そもそも俺は村雨組に追われる身だぜ。そんな状況の奴が、どうやって煌王会の仕事を受けるってんだよ」
「じゃあ、誰だ? お前らに、商店街潰しを依頼した奴は」
少し間を置いた後、ジェームズは静かに言った。
「……本庄だよ」




