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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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サソリの毒

「おい、山崎さん。どういうことだよ!」


 俺は、訊き返さずにはいられなかった。


「さっきの電話、マジなのか? 組長が倒れたって!」


「ああ。一緒についてった奴からの緊急連絡でな。自治会の爺さん方と食事をしていて、突然気分が悪くなったらしい。すぐさま救急車を呼んで、病院へ担ぎ込まれたそうだ」


「マジかよ……」


 本庄組長は日頃から、体調管理にはかなり気を遣っているように見えた。食事は常に自炊、アルコールは殆ど口にせず、煙草を吸っている姿も知らない。そんな彼が「倒れた」というのだから、困惑してしまった。


(あの人、何か持病でもあったのか?)


 首を傾げていると、山崎が補足をよこしてくる。


「ちなみに、倒れたのは親分だけじゃない」


「え?」


「一緒に飯を食っていた自治会の役員連中も、親分と同じように体調不良を訴えているって話だ。おそらく、何かに当たったんだろうな。うーん。分量を間違えていなければ良いが」


 若頭の説明を聞いた瞬間、嫌な予感が心をよぎった。


 食中毒――。


 それは有毒な化学物質および毒素を含んだ飲食物が、口から摂取された結果として起こる症状である。かなりの無学であった当時の俺でも、言葉の意味だけは知っていた。


「とりあえず、行くとしよう。搬送先は高輪の区立病院だ」


 山崎に促され、俺は部屋を出る。そしてマンションを出たところでタクシーを拾い、2人で病院へと急行。既に事務所へも同様の連絡が入っているらしく、前波も現地で合流するとのことだった。


「本庄さん、大丈夫かな?」


「行ってみなければ分からんが、きっと大丈夫だろう」


 やけに落ち着いている山崎。病院へと向かう道中、そわそわとした動揺を隠せなかった俺とは対照的に、冷静さを維持したまま、ずっと窓の外の景色を見つめていた。


(たいしたもんだなぁ……)


 きっと自分が彼の立場になったら、大いに焦ってしまうかもしれない。組のナンバー2たる若頭として、あくまでも状況を俯瞰して捉えている山崎の強さに、俺は心の中で拍手喝采をおくった。


 やがて病院に着くと、俺たちは3階へと案内される。


 他にも急患がいるのだろうか。日曜日の午後だというのに、何故かロビーはごった返していた。消毒液らしき独特な香りが漂う構内の階段を昇り終えると、すぐに「緊急外来・消化器内科」と記された部屋が見えてくる。


 先導する看護師がドアを開けると、そこに本庄の姿があった。


「おう。お疲れさん」


 既に処置は完了しているようで、きわめて元気そうな様子。出かける際に着ていた服装のまま、ベッドに腰かけている。顔色も良好だった。


 その姿に、山崎はホッと胸を撫でおろす。


「ああ、良かった! 親分、ご無事で何よりでございます」


「面倒かけて、すまんかったな。ちょいと手足が痺れただけや。点滴を2、3本打ってもろうたら、すっかり良うなったわ。もう、心配いらんで」


「お体は大丈夫なんですか?」


「医者も『大したことじゃない』って。下痢も明日くらいには……収まるらしい。ほんま、運が良かったとしか説明のしようが無いなあ」


 山崎と同様に安堵感に包まれながら、前波は問うた。


「しかし、何が原因なんですかね? 小國さんの店は天ぷら屋だから、生物は扱わないと思うんですが……?」


 すると、近くにいた白衣姿の男が静かに口を開く。


「直接的な原因はリコリン、もしくはガランタミンです」


 見た目からして、本庄に処置を施した担当医だと一瞬で分かった。そんな彼は手元のカルテに視線を配りながら、説明を続ける。


「まだ、保健所の調査が終わっていないので断言はできかねますが、おそらくはスイセンの葉をニラと誤って提供されたのでしょう。あれは形状が、驚くほどにそっくりですからね。間違いが起こっても、何ら不思議ではない」


 スイセンとニラ。


 この2つの植物は葉の部分が酷似しており、これらを混同して食べた挙句に中毒症状を起こし、死亡するといった事案が日本では数多く起こっていると医者は話した。


 また、本庄に同行した組員によると、食事会における“おしながき”の中には確かに「ニラの天ぷら」があったという。


 一方、スイセンにはリコリンとガランタミンの他にも、タゼチンやアルカロイドといった自然毒が含まれている。これら有害成分は加熱調理を行ったからといって消滅する生易しいものでは決してなく、一度でも体内に入ってしまえば30分前後で発症する。


 本庄組長が軽症で済んだのは、まさに奇跡――。


 中年の医師は、声のトーンを落としてさらに続けた。


「ご一緒に倒れられた皆様は現在、ほとんどが意識不明の状態です。不幸にも召し上がった量が多かったと見て、間違いはないでしょう。私どもといたしましても、最善を尽くしてはおりますが……」


「助からへん可能性があると?」


「……ええ」


「そうかあ。ま、頑張ってくれや」


 俯いた医師の肩をポンと叩くと、本庄は立ち上がり、組員たちに視線を向ける。


「お前ら、何をボサッとしとんねん」


「えっ?」


「帰るで! わしの処置は済んだんや。いつまでもこんな所におっても、どうにもならんやろ。あとは、医者のセンセイ方にお任せするとしようやないか。ほな、行くで! おう前波、早う車まわせや!」


 そう檄を飛ばした組長は、点滴を終えたばかりの右腕を押さえつつ、そそくさと部屋を出て行ってしまった。車の用意をするよう命じられた前波が慌てて後を追いかける中、山崎は持ってきた黒革のセカンドバッグから、茶色い封筒を取り出す。


(ん? あれは……?)


 封筒の紙質のせいか、中が透けて見える。入っていたのは、福沢諭吉の肖像が描かれた紙幣だった。かなりの枚数が詰められているようで、なかなかに厚みがある。


 山崎は、そんな現金の束を医師に手渡した。


「先生、今日はありがとうございました」


「え、ええ! こちらこそ!」


「では、手はず通りに。よろしく頼みます」


 封筒を受け取った医師は、先ほどまでの重苦しい表情とは打って変わって、一気に口元が緩み始めた。目が細まり、頬もほころんで、ニヤニヤとした笑みを浮かべ出す。


(組長の治療の報酬か……?)


 だが、それにしては額が多すぎるように感じた。たかが点滴を打ったくらいで、長3サイズの封筒がパンパンに膨れるほどの現金の束が必要になるだろうか。疑問を抱かずには、いられなかった。


「よし。それじゃあ、涼平。俺たちも帰ろう」


「お、おう……」


 促されて処置室を出た直後、思い切って尋ねてみる。


「なあ、さっきの封筒は何だ?」


「あれはな、今日のお礼だよ。施しを受けたら、気前よく色を付けて対価を払わにゃいかん。こいつは親分の教えだ。よく、覚えとけ」


 もちろん、その説明で俺の疑問が消えることは無い。むしろ、何かを誤魔化すかのような口ぶりによって、ますます強まったくらいだ。


「涼平、考えてみろよ。職場から数千円の休日出勤手当を貰うのと、患者から100万円の報酬を貰うのとでは、絶対に後者の方がやる気になるだろ?」


「……たしかに」


「あの先生には、何としても全員の命を助けてもらう必要があるんだ。食中毒で死人を出せば、小國の店は潰れちまうからな。それだけは、絶対に避けたいもんだ」


 本庄同様、あくまでも小國を支援することに固執する山崎。小國を自治会長に復帰させることで彼に恩を売り、後で何らかの要求を突きつける意図があるように思えた。


 小國が復権を果たせば、例の動物マスク集団撃退の件と合わせても多大な“貸し”が生まれるはずだ。金なり便宜なり、本庄組が「よこせ」と言ったものは何でも提供せざるを得ない状況になる。


 天ぷら職人の小國を推すことによる、ヤクザとしてのメリットは何か。ずっと本庄組長の真意を計りかねていた俺であったが、ようやく理解できたような気がした。


(なるほどな。そういうわけだったのか)


 ちなみに、山崎によると食事会での議論は合意に至ったらしい。本庄の強い後押しによって、小國が再び自治会長に就任するという方向で、話がまとまったというのだ。


 せっかく組長の尽力で顔役の座に戻してやった小國に、またもや失脚されては困るのだろう。それゆえ、山崎は全員の命が助かることを強く望んでいる。事務所へと戻る車の中で、彼は祈るように何度も呟いていた。


「何事もなく、平穏な形で終わりますように……」


 ところが、そうはならなかった。


 体調不良を訴えて病院へ担ぎ込まれた12名の役員のうち、10名の容態が翌日になって急変。意識が戻らないまま、帰らぬ人になってしまったのである。品川区保健所が行った調査の結果、やはりスイセンの葉に含まれる自然毒が原因と分かった。


 仕入れの段階で、ニラと間違えてしまったことによる事故――。


 それが、保健所の出した結論である。当時、個人経営の店における集団食中毒で2ケタの犠牲者が出たことは前例がなく、瞬く間に新聞やテレビ、その他マスメディアが飛びつくように報じて大きな騒ぎとなった。


 当然、小國が経営する「天ぷら処 おぐに」は行政処分の対象となり、東京都からは営業許可の取り消しを言い渡された。これは、飲食店としては事実上の“死”。すなわち、廃業を意味する。


【品川区大井町の天ぷら店で食中毒 10人死亡】


 そんな見出しが躍った朝刊を読みながら、山崎は吐き捨てる。


「ああ……やっちまったな。こりゃあ、もう駄目だ。食中毒を起こした事業者の名前は、役所の広報に載っちまうからな。店が潰れるのは勿論、業界のブラックリストに淹れられて、どこの店でも働けなくなるだろうぜ。もう、料理人としての小國は死んだも同然だ」


 ただ、小國の身に降りかかった災難は、決してこれだけではなかった。


 1998年7月15日。この日、全国で発売された雑誌「週刊新星」の特集ページにおいて、一連の食中毒事故の事件性を疑う旨の記事が掲載されたのである。


 ------------------------


(前略)


 天ぷら店経営者・O氏に近い人物が語る。


「Oさんは天ぷら作りには一切の妥協を許さない、とても頑固な職人でした。もちろん、食材の取り扱いに関しては、輪をかけて厳しかったです。従業員がジャガイモの仕込みを忘れただけで、平手打ちをかますくらいでしたから……(苦笑)。こだわりも強く、山菜はわざわざ自分で山へ足を踏み入れて採集してくるほど。そんなOさんがニラとスイセンを『間違える』なんて到底、考えられません」


 この人物は、O氏が意図的にスイセンを揚げて食中毒を起こした可能性を指摘する。根拠として、O氏はある“トラブル”を抱えていたというのだが……?


「商店街の自治会長を務めるOさんには、ずっと悪い噂がつきまとっていましたね。たしか、今年の3月だったかな。Oさんが、皆から集めた会費を私的に使い込んだ疑いが持ち上がったんです。その時、会合でOさんを問い詰めたのは今回、亡くなった10人の店主たち。こんな偶然、あるのでしょうか?」


 また、こんな事件も起きていた。以下、大井町の住民談。


「先月から、商店街に変な男たちが現れるようになったんですよ。皆、不気味なお面を被っていて、正体は分かりません。彼らは商店街の店を1軒ずつまわって、品物や設備を壊したり、壁に落書きをしたりしていました。襲われた店の主は全員、自治会でOさんと仲が良くない人ばかりです」


 本誌が調べたところ、大井町には最近になって正体不明の集団による嫌がらせが相次いでいた。店を壊されたり、商品を台無しにされたりした店主たちは多数おり、中には廃業に追い込まれた者もいるという。前述の住民は、こう憤る。


「だって、おかしいじゃないですか! 店が襲われてる時、Oさんはいつも街にいないんですよ? 口では『解決に向けて動いている』と言っておきながら、実は何もやってない。あろうことか、五反田でパチンコを打ってたって目撃談まである。これは誰が見たって、Oさんが自分に従わない店を潰すためにやってたとしか思えませんよ!」


(中略)


 大井町で起こった未曾有の惨事。疑惑の天ぷら店経営者・O氏は今、何を思っているのだろうか……?


 ------------------------


 事件は、一気に動き出してゆくのだった。

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