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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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想定内と想定外

 1998年7月6日。


 事態は一気に、思わぬ方向へと動き出した。慌ただしい月曜の午前中、突如として事務所にかかってきた電話を受けた前波が、顔を真っ青にして組長に報告する。


「お、親分。商店街の小國さんが……自治会長を解任されたそうです」


「なんやと!?」


「たった今、ご本人から電話がありました」


 この日、大井町の公民館で自治会の役員会が催されるという話は、組の方にも伝わってきていた。ところが、その席上にて提出された解任の動議が多数決の結果、可決されてしまったようだ。


 流石の本庄も、意表を突かれて呆気に取られている。


「おいおい……ほんまかいな……」


 当初の彼の計画では、役員会で小國の口から「今後のための相談役」として、自らを推薦してもらう手筈だったらしい。それが解任されたとなっては、想定外もいいところである。彼の悔しそうな表情は、実に生々しかった。


「そうかぁ。もっかい、練り直さなあかんな。骨が折れるわあ」


 舌打ち混じりに軽く呟いた本庄は、 少し項垂うなだれながら3階の自室へと戻っていく。いったい何を「練り直す」のか、いまいち理解できなかったが、俺は特に気にせず雑用仕事へ戻った。


 30分後。


 再び、本庄がオフィスへと入ってくる。先ほどとは打って変わり、どこか意気揚々としていた。口元には軽い笑みが浮かんでいて、何か妙案を思いついたと言わんばかりの様子である。


 彼は組員から受話器を受け取ると、素早く番号を入力した。


「……もしもし。本庄ですわ。小國はん、聞いたで? あんた、自治会を追い出されたんやってなあ。ほんま、驚きましたわ。まさか、長年に渡って大井町のために尽くしてきた一番の功労者が、追い出されるなんて。ひどい話ですなあ。まったく……」


 取って付けたような世辞だ。口調が恭しすぎるせいか、皮肉や嫌味の類にも聞こえてきてしまうほどである。本庄の話す関西弁はイントネーションも独特で、首都圏出身者の俺には時折、聞き取りにくい部分もあった。


「せやさかい、何らかの手ぇ打つ必要がある思うんですわ。あんただって、このまま引き下がるわけにはいかんやろ? わしは小國はん以外に、街の顔役に相応しい人間はおらんと考えてます。再開発計画は、何としても食い止めなあかん」


 どうやら本庄は、小國を自治会長の座に戻したいようだ。スピーカーホンを使っているわけではないので、相手が何を言っているのかは分からない。ただ、素直に相槌を打っている様子は、漏れる声で何となく悟った。


 当の本庄は、ストレートに提案をぶつける。


「考えてくれへんか? 今度、あんたの店で話し合いの席を設けるちゅうのは。もちろん、わしの奢りでええ。相手方への仲介もしたる。このままやったら、何も進みまへんよ? 金次第でセイワになびく輩も、出てくるかもわからん。早いうちに和解しといた方が、楽や思うんですけどなぁ。どうやろ? ……承知しましたわ! では、その方向で準備を進めさしてもらいます。日付については、後で追うて連絡するさかい。ほな、そういうことで!」


 満面の笑みで電話を切った本庄は、居並ぶ子分たちに告げる。


「聞いての通り、商店街の皆々様をもてなすことになった。たぶん、今週の土日あたりになるやろうな。お前ら、それまでに用意しとけ。組のこれからを左右する、大事な宴や!」


「へい!!」


 俺は正式な組員ではないので、威勢よく返事をする彼らの中には加わらなかった。声を出さずに、コクンと頷くだけ。それが居候の身である自分が取るべき、適切な対応だと判断したのだ。ただ、一方で理解しがたい事もある。


 何故、そこまで大井町へ介入しようとするのか――。


 本庄組長は中川会の直参として、セイワグループおよび煌王会の東京進出を防ぐ役目を任されているのだろう。だが本庄にはその使命感以上に、何か個人的な目的があるように思えてならない。


(あの天ぷら職人を助けることに、何のメリットがあるってんだ……?)


 以降の数日間は、疑問でいっぱいだった。小國と商店街の亀裂を埋めるための食事会に向けて、組員たちがあれこれ準備を進める中、俺は本庄の真なる意図について思慮を巡らせる。


 単なる義侠心なのか、それとも利己的欲求に基づいた打算があるのか。前に山崎から聞いた「五反田のサソリ」という組長の異名も、頭の中で引っかかる。考えれば考えるほどに、本庄の真意が謎に包まれてゆく。


 そんな中、驚愕の一報が飛び込んで来た。


 たしか、翌日の昼下がりだったと思う。事務所の2階で山崎たちと民放のワイドショーを観ていた時、画面の向こう側のキャスターが慌てた口調で、速報のニュースを読み上げる。


『きょう正午、横浜市中区北仲通の路上で発生した殺人事件について、新たな情報です。神奈川県警は先ほど、刺殺された男性が指定暴力団煌王会系「村雨組」構成員・廣田稔郎氏であると発表しました。警察は事件が、暴力団同士の対立抗争の可能性が高いと見て、詳しく捜査を進める方針です』


 己の背筋が、一気に凍るのが分かった。


(廣田が……刺し殺された……!?)


 愕然とした俺を差し置くように、さらなるニュースが伝えられる。


『たった今、入ってきた情報です。警察は先ほど、包丁で廣田氏を殺害したとして、男を逮捕しました。殺人の疑いで逮捕されたのは、静岡県三島市在住の自称会社員・佐藤昭容疑者、32歳です。警察の調べに対し、佐藤容疑者は「個人的な恨みがあった」と供述しているという事です』


 無機質な声で読み上げられる、ニュースの原稿。もはや俺の耳に、言葉は残らなかった。ぼんやりと見つめたブラウン管には、禍々しい横並びのテロップが映し出されている。


【煌王会系組員が死亡 抗争の可能性】


 そこから聞こえてくる音声が、ただ耳の中をすり抜けていった。具体的な名詞を当てはめるならば、まさに「放心状態」。わずかながらも交流があった廣田の突然の訃報に心がひどく動揺し、体が動かなくなってしまった。無論、何も考えられない。


「……」


「おい、大丈夫か?」


 隣にいた前波に肩を叩かれ、ようやく我に返った俺。


「えっ!? あっ、ああ……」


 しかし、廣田が刺殺されたという事実がことのほか精神を揺さぶり続け、再び俯いて沈黙してしまう。あまりにも衝撃的で、なおかつ受け入れ難いニュースだった。


(廣田が……どうして……)


 すると、奥の椅子に腰かけていた山崎が、静かに口を開く。


「撃った奴は、たぶんカタギだろうな。った後であっさりパクられた点を考えると、殺しに関してはズブの素人。おそらくは村雨組と事を構えている組織が、何らかの条件をちらつかせて一般人を抱え込み、捨て駒として使ったんだと思う」


「そ、そんな事ってあるんですか? いくら何でも、カタギを鉄砲玉にするなんて……」


る」


 困惑が混ざった前波の問いに、一言で答えた若頭。廣田を殺害した黒幕について、彼には心当たりがあるようだった。


「さっきのニュースじゃ、刺した男は『静岡県三島市在住』と言ってたよな。その辺りを仕切ってるのは、斯波一家。言わずと知れた煌王会の直系で、村雨組の親にあたる組織だ。いま、村雨が独立をめぐって斯波と揉めてることは、お前も知ってるだろ」


「いちおう、知ってますが。でも、何でわざわざ斯波はカタギを選んだのですかね? 斯波一家は大所帯だから組員の数も多いし、自分の所から鉄砲玉を出しても良いでしょう。それに村雨組以外にも、色んな組織を傘下に置いているでしょうに」


「斯波は昔から、テメェの手は汚さない主義の組だからな。今までも面倒事や厄介事は、他所の手を借りて処理してきた連中だ。あと、ついでに俺の憶測だが……奴らは村雨組を潰すきっかけが欲しかったんだと思う」


「どういうことですか?」


 山崎は言った。


「可愛い子分が弾かれたとなれば、村雨耀介は必ず反撃に出る。あの男の性格からして、一気に斯波の本拠地へ攻め込むだろうぜ。けど、例の廣田とかいう組員を殺したのは、あくまでもカタギ。斯波が命令したっていう証拠は無い。だから斯波にとっては、格好の大義名分が成立するわけだよ。『村雨組がいきなり、親組織である自分達に手を出してきた』と。これを斯波が煌王会の本家に申し立てれば、村雨組は間違いなく“絶縁”だ」


 極道社会における“絶縁”とは、組織内における最も重い処分を指す。ただの追放を意味する“破門”とは異なり、除籍後に組織を挙げての掃討が展開される。


「では、もしも仮にそうなったら、村雨組は煌王会全体を敵にまわすことになるというわけですか……」


「そういう事だ。斯波だけの名で絶縁にするより、煌王会本家の名で絶縁にした方が当然、効力は大きくなるからな。斯波の総長は今回、最終的にそれを狙って、わざわざ無関係のカタギを使って村雨組を『挑発』したわけだ。最も、全てが思惑通りに進むとは限らんがな」


 特に何か口を挟むわけでもなく、繰り広げられる会話にジッと耳を傾ける俺。静かに俯いたその表情は、とてつもない悔しさで満ち溢れていたと思う。


 かつて身を置いた村雨組が、窮地に立たされている――。


 組長の村雨耀介に対して、特に恩義があるわけでは無い。むしろ当時も今も、あんな恐ろしい人物には関わりたくないくらいだ。だが、すんなりと受け入れられる話ではない。


 村雨組が消えてしまうことは即ち、俺の想い人の帰る家が、無くなってしまうことを意味するのだ。絢華にとって、それは一生消えない傷となって残るであろう。過去の呪縛から解き放たれ、人生を少しでも前に進めるべく勇気を出して手術を受ける決心をした彼女に、更なる苦難が襲い掛かることとなる。


(やっと……あの親子は分かり合えたのに……)


 想像しただけでも、心が痛んだ。しかし、かと言って俺に出来る事などは何ひとつ無い。復讐に走らぬよう説得へ赴こうにも、そもそも自分は村雨組から命を狙われているのだ。


 下手に動けば、自分自身の死が待っている。それ以上に、俺を匿う決断をしてくれた本庄組長の厚意を無下にする結果にもなりかねない。


「とりあえず、しばらくは様子を見ようか。親分には後で、俺から報告を入れておくよ。いま、横浜で何が起こっているのか。きちんと見極める必要もありそうだしな。ああ、そうだ。例の件の調べは、順調に進んでるか?」


「もちろんですよ、若頭カシラ。抜かりなく進んでます」


「よし。では、引き続き頼むぞ」


 そんな山崎と前波の会話を俺はただ、黙って聞き続けることしかできなかった。

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